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初稿公開日:2015年2月21日
春の情景
季節は梅雨の時期を
迎えようとしていますが、
お変わりございませんか。
![河津桜とヒヨドリ 8798](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1036.jpg)
さて、
近所には寒緋桜(カンヒザクラ)が
街路樹として
植えられている道があります。
開花時期に、
ヒヨドリが賑やかに
蜜を吸いに来ていたのは
ついこの間と思っておりましたら、
![公園の母と子 17526](https://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/TEMIKPHOTO-17526.jpg)
先日、熟した果実が
自分の足下を埋め尽くすように
一面に散らばっているのを見つけ、
時の経過を感じたものです。
![道 4240](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1223.jpg)
一方変わってスペインの春。
アマポーラ(ポピー)が咲くのは
確か4月下旬頃からでしょうか。
マドリードを始め、
特に郊外へ延びる街道沿いでは
二週間ほど見ることが出来ます。
![アマポーラ(ラ・マンチャ地方) 1038](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1328.jpg)
青い元気な麦の穂と、
その間をぬって
寄り添うように咲くアマポーラの取り合わせは、
さながら緑の地に赤い水玉模様の
鮮やかなフラメンコ衣装を思わせます。
![麦畑とアマポーラ 10064](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1222.jpg)
また畑の上空に
そよ風が連れてくる雲が加われば、
光りと影による効果で
赤と緑に濃淡がつき、
それもまた美しい光景です。
広がる大地に群生するアマポーラは、
スペインらしい風景として良く知られていますが、
それだけではなく、
3月から4月にかけて一面に
桜の花が咲く谷があるのをご存じですか。
![ヘルテ村の入り口付近 8425](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1258.jpg)
今回最初のお話は、
「スペインの春」を中心にしていきますが、
と同時に「心に咲いた桜の花」も合わせて
ご紹介していきたいと思います。
どうぞごゆっくりお楽しみ下さい。
『春暁』の情景
![17465](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1056.jpg)
今春のうららかなある一日の事でした。
写真制作にと幾つか春景色を
心に描いておりましたら、
懐かしい唐代の詩人、孟浩然(もうこうねん)の
漢詩『春暁』の情景が、
久々に心に浮かび上がりました。
この漢詩を
初めて目にしたのは、
確か学校の授業でしたよね。
春眠暁を覚えず、
処処に啼鳥を聞く、
夜来風雨の声、
花落つること知る多少。
![庭に来るヨーロッパコマドリ (マドリード) 16723](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/03/Blog-16-1013.jpg)
学習した当時、
この五言絶句に触れて
簡潔明瞭な詩体から
一字一字の漢字の持つ力と、
誰もが体感するこの自然描写に、
感心してしまいました。
ところが今回この漢詩の一句目、
「春眠暁を…」を思い浮かべていると
『ああ、マドリードの春眠…』と、別な意味で
詩を懐かしむ事になってしまいました。
それは一体どんな春だったのか。
もったりぶらずにお話の舞台を
もうマドリードへ移す事に致しますね。
マドリードの春
![プラド通りの花壇 14522](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1226.jpg)
市の中心部。
人や車が往来する大通りや広場、
歴史的モニュメント周辺では
上品で光沢感のあるチューリップの花や、
ビロードの風合いを持つパンジーなどが
春の花壇を美しく演出します。
![5006](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1019.jpg)
でもご紹介したかったのは、
どちらかと言えば
住まいのあった身近な春の様子。
今でも思い出すと微笑ましいやら、
まぁ悩ましいやらの方ですけれど…。
庭の住人
中心街から離れていた
マドリードの住まいは、
![マドリードの住宅街の通り 19684](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1228.jpg)
週末の朝になると、
乗客が近所のバスの停留所で
乗降する様子もなく、
![マドリード市内のバス停留所(イメージ) 14998](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/03/Blog-16-1012.jpg)
緩やかな坂道を軽快に下っていった後は、
しばらくの間、
再び静寂が訪れる...といった場所でした。
![雨の庭(マドリード) 18920](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1064.jpg)
また、
比較的緑に恵まれた地域でしたので、
ご近所や我が家の庭の木々には
黒歌鳥が居を構えていたのです。
![黒歌鳥(オス) 16734](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1259.jpg)
愛くるしい目に、黄色いくちばし。
雄は漆黒、雌は褐色の羽毛。
この黒歌鳥、日本へも
ごくたまに渡ってくるようですね。
ヨーロッパでは、
美しい声の持ち主として知られており、
また身近な鳥として
スペインでもオリーブ油の缶を始め、
ワインのラベルにも使用されていました。
![オリーブ油の缶(黒歌鳥)](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1070.jpg)
「処処に啼鳥を聞く」
「もしかするとマドリードの春のお話に
この鳥が関係しているのでは?」と、
気づき始めている方が
すでにいらっしゃるかも知れませんね。
![Blog-16-1229](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1229.jpg)
実はその通りなのです。
ですから庭の住人・黒歌鳥を
漢詩『春暁』に当て込んで
春の様子をお話ししようかしらと、
考えたのです。
さて、どんな風になることやら...。
それでは手始めに、対象となる
オリジナルの前半二句からどうぞ。
![五月の薔薇(マドリード」17306](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1192.jpg)
春眠暁を覚えず、
処処に啼鳥を聞く、
意味はすでにご存じかと思いますが、
「春の眠りは心地よいので明け方も知らずに眠っていた、
目が覚めるとあちらこちらで鳥の啼き声が聞こえる」
ですね。
ここで春の黒歌鳥について補足しますと、
暖冬の年であれば2月から、
通常3月から5月までが繁殖期にあたります。
![18840](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1075.jpg)
オスは「木立のコンサート会場」で
それは一生懸命こんな風に囀ります。
黒歌鳥(オス) 『春が来ましたよ、お嬢さん♪
僕の素敵な声をどうぞ聴いて下さい。
声真似だって色々出来ますよ~!』と。
![黒歌鳥(メス) 16756](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1193.jpg)
一見、美声で囀るのなら
さぞ春らしい日々と思いきや、
いえいえ、問題は相手が決まる迄、
ほぼ連日連夜囀ることなのです。
『春暁』を揶揄する意図は毛頭ないのですが、
『春暁・マドリードの庭編』が許されるのなら
次のような仕上がりに。
「春の眠りは心地良いはずなのに、
毎夜元気に啼く声が私の睡眠を妨げる」
![Blog-16-1072](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1072.jpg)
尤も注意が必要な時間帯とは、
こちらの眠りが浅くなる暁の頃。
かわいい「騒音鳥害」とも言える
大きく抑揚のある啼き声は、
夢の中でなのか、それとも現実なのか、
正に夢現(ゆめうつつ)なのですが、
運悪くこの時間、練習不足の彼等の声に
少しでも耳を傾けようものなら、もういけません。
![黒歌鳥(メス) 18819](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1194.jpg)
黒歌鳥(オス) 「...(ヒバリのつもり)ピーィチュク、ピー・チイク、ピー&%#●■!??
あっ、すみません。これ、まだ良く歌えないので飛ばします~。
次、ナイチンゲールの声真似いきます!あれ、れ、れ。
最初の出だし、何だっけ...?」
![ヒバリの雛(オス) 16765](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1195.jpg)
まだまだ夜は明けぬと言うのに、
こちらは両肩を小刻みに振るわせながら、
「くっ、くっ、くっ…」と、声がかすかに漏れ、
それもやがて我慢出来ずに
本格的に笑いがこみ上げた時には、
もう完全に覚醒状態。
![卵を温めている黒歌鳥(メス) 16763](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/03/Blog-16-1017.jpg)
毎春の庭の思い出とは、寝不足の思い出。
詩人、孟浩然のような
心地良い寝覚めであったのなら!
![18870](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1067.jpg)
今、お話を聞いて下さっているあなたも
もしかしたら「...」と、同じように
肩を振るわせながら
苦笑してしているかもしれませんね。
特別な花
さて
黒歌鳥との顛末記を語り終えたところで
今度は詩の後半である花のある情景、
三句目と四句目に移りましょうか。
夜来風雨の声、
花落つること知る多少
こちらの二句は、
「昨夜は風雨が吹いていたが、
どれくらいの花が散ってしまったのだろう」ですね。
![牡丹 5240](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1065.jpg)
ところで
以前から素朴な疑問があるのですが、
ここで登場するモデルの花は何でしょうか。
詩人が生きた盛唐に好まれた「牡丹」、
或いは「桃」や「椿」...。
![椿 8280](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1329.jpg)
『春暁』でうたわれているように
折角咲いた花が風雨に吹かれると、
気になる存在が桜なのではありませんか。
![さくら 8698](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1261.jpg)
私もスペインで春を迎えるたびに
『日本では桜の開花はまだかしら?』などと、
季節柄よく気になっておりました。
桜は、何処にいても日本人にとっては
特別な花かもしれませんね。
![河津桜 8683](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/03/Blog-16-1005.jpg)
サクランボの谷へ
マドリードから
「ヘルテの谷」(Valle de Jerte) を訪れたのは
かれこれ7,8年前、いやもう少し前かもしれません。
急に思い立って出掛けたのは、
「春になると私の山へ
日本人グループが花見に来られますよ」。
とあるスペイン人の話を聞き、その時
心にぱっと「日本の桜」が咲いたからでした。
![見晴台「ロス・クワトロ・ポステス」から望むアビラの街 10680](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1018.jpg)
ヘルテの谷は
中央山系・グレードス山脈の西南端に位置し、
車でマドリードから
北西の中世の城郭都市「アビラ」を経由し、
更に西へ。
マドリードからは
およそ2時間半ほどでしょうか。
![8443](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1032.jpg)
谷間には同名のヘルテ川が流れ、
この川に沿って両岸に村々が点在しています。
また近くの山にはイノシシや、
山ヤギなどの野生動物が棲息し、
また野鳥や川魚の宝庫でもあります。
現地へ到着すると、
昼食がてら村の1つ、
「ヘルテ村」に立ち寄ることにしました。
![8444](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1023.jpg)
山の斜面の桜が見える入り口付近で、
これから小道を馬で散策する人達に
出会いましたが、
ルートは幾つかあって
徒歩で、または馬、ロバでも
周遊出来るようでした。
![馬で谷を散策する人々 8446](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1022.jpg)
出発を前にしてご機嫌のお二人。
桜の木は谷全体に何千本と植えられているので、
川辺や山中でピクニックしながらの眺めは
壮観でしょうね。
「こんにちは♪ 楽しんできて下さいね!」
![8432](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1026.jpg)
村の様子を少しご覧になりますか?
![8428](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1027.jpg)
現在、
人口1300人程の静かなヘルテ村は、
以下のような戦争の歴史が残されています。
それは今からおよそ
200年程前の1809年の夏のことでした。
前年にマドリードから始まった
「スペイン独立戦争」によって、
この村にもその波が押し寄せ、
勇敢にも村人達が
フランス・ナポレオン軍に対し蜂起したのです。
![8540](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1031.jpg)
その結果、報復として村には火が放たれ
一部地域を除きほぼ壊滅状態になりました。
上の写真からでは
とても小さいので確認が出来ませんが、
嵌め込まれた面格子上部には、
1785年(建築された年)と刻まれています。
きっと焼き討ちから逃れた
数少ない一軒なのでしょう。
![8489](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1024.jpg)
さて…。
気を取り直して、
今度はここの伝統的な民家を
一つ二つご案内しましょう。
建材は周囲で調達可能な
「木材」、「粘土」、「砂」、「石」や
「石灰」を使用しています。
![8489](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1025.jpg)
こちらは前出と同じ民家。
「一続きのバルコニー」は色調や自然の風合いから、
何処かしら懐かしくなる風景です。
![8468](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1030.jpg)
別の家屋では、外壁に粘土を使用した
「日干しレンガ」と木の枠組みも見られます。
また路地を歩いておりましたら、
家の戸口に下のような
「巣箱」と「バスケット」を見つけました。
底に貼られたシールから商品と思われますが、
こちらはお店なのか、それとも個人宅なのか判別が難しく、
この村の長閑な雰囲気を感じたものです。
![8486](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1033.jpg)
ヘルテと言えばスペイン人にとって
言わずと知れたサクランボの産地です。
もしかしたらバスケットは、
さくらんぼ用なのではと推測しました。
かごに入った真っ赤に熟したサクランボ。
現地で頂くときっと美味しいでしょうね。
![サクランボをあしらった通りのプレート (ヘルテ村) 8442](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1330.jpg)
お味の方ですが、
果肉の味が濃厚で甘く、
マドリードでも初夏から夏にかけて出回ります。
また3ヶ月近くと長期間収穫が可能なのは、
ナバリンダと言うサクランボの他、
4種類のピコタ(ビガロー種)を
海抜の異なる段々畑を上手に利用して
栽培するからです。
![納屋と桜(ヘルテ) 8437](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1020.jpg)
あら…。
さくらんぼのお話に夢中になってしまい、
肝心の桜の花について感想を忘れるところでした。
![サクランボの果樹園(ヘルテ) 8501](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1034.jpg)
訪れた日は空には灰色の雲が覆い、
太陽の光は頼りなく
すっきりとしないお天気でしたが、
その分、山の段々畑に咲くその姿は
天空からの光がまわって
和紙で作ったちぎり絵のように優しげ。
![ヘルテ村 8465](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-12631.jpg)
久々に甘い薫りが漂う
花咲く小道を歩くと
懐かしさで胸一杯になりましたよ。
心に咲いた「日本の桜」とは?
以上、
ヘルテの桜をご紹介したわけですが、
ではマドリードで心に咲いた
「日本の桜」とは
一体どのような情景だったと思いますか。
![河津桜 9054](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1037.jpg)
心に浮かんだ桜の情景とは、
不思議な事に
桜の名所や神社の境内など
![源平池(鎌倉・鶴岡八幡宮) 4936](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1039.jpg)
画趣に富んだ
「美しい桜のある風景」と言うよりは、
![旗上弁財天社(鎌倉・鶴が丘八幡宮) 4926](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1038.jpg)
むしろ、
どれもが桜のみで構成された、
またストーリー性を持たない
断片的なものだったのです。
![17567](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1046.jpg)
例えば…。
ひと足速く開花する
早咲きの「河津桜」の花の色。
![さくら 8884](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-12644.jpg)
河津桜は
若々しい濃い桃色の花と、
黄緑の葉の組み合わせ。
本格的な春の到来を待つ人々にも
「もうすぐ本格的な春♪」と、
心にぐんと弾みをつけてくれます。
![17467](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1044.jpg)
それから桜の姿。
手を差し延べるように
幾重にも広がりを見せる優美な枝振り。
![花の振り子(桜) 17447](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1040.jpg)
小枝と春風の組み合わせ。
![17449](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1058.jpg)
弥生の空を背景に、
目の前で上下に揺れ動くのは
沢山の「花の振り子」。
![17724](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1062.jpg)
また春の風はいたずらっ子。
花は、
吹く一陣の風に桜吹雪となって
お濠や川の水面に浮かび、
そして花筏に。
ややもすれば、風も吹かぬのに
時折思い出したかのように、
はら・り…と枝から離れ、
![17529](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1041.jpg)
螺旋の舞を披露する
ひとひらの花びら...。
![17575](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1061.jpg)
しっかり折りたたまれていた
花の蕾や葉の、
そのはじける生命力。
また、咲いた裏桜の美しさ。
![17362](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1049.jpg)
花一輪。
![17471](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1052.jpg)
また寄り添うように
一輪一輪が作り上げる
「桜の花束」。
![17551](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1055.jpg)
そして何よりも
記憶の中で鮮明であったのが、
見上げた時のこの眺めでした。
![17415](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1063.jpg)
こうしてしばしの間、立って眺めていますと、
花は、花見客の楽しげな声に、
じっと耳を傾けている...。
![17514](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1059.jpg)
何故か
そんな気がしてくるので不思議でした。
![17510](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1043.jpg)
そして
空に向かって出来る
この桜の花冠(はなかんむり)の眺めが、
美しく優雅で、心に一番大きく咲いた
日本の桜かもしれません。
あなたは今春、こんな桜を
何処かでご覧になりましたか。
*** *** *** *** *** *** ***
休憩所へようこそ
さて、
第一部のお話が終了致しました。
ご覧頂きましてありがとうございました。
最後の様々な桜の姿はいかがでしたか。
![13266](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1196.jpg)
ここで一旦
「休憩時間」のご案内をさせて頂きます。
どうぞこちらで気分転換をなさって下さいね。
![民家 (東京) 2852](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1332.jpg)
この後は第二部、
前回第15話のマドリードの続きが始まります。
尚、今回はボリュームがあるため
休憩所はもう一度設けてあります。
それでは第二部をどうぞ。
*** *** *** *** *** *** ***
18世紀の散歩道へ
シベーレス広場は
町の東西に延びる二本の「アルカラ通り」と、
そして南北に延びる二つの大通り「パセオ・デル・プラド」、
「パセオ・デ・ロス・レコレトス」が交差する広場です。
今回はこれらの南北に走る
広い並木道をご案内するお約束でしたね。
またご自分がお散歩をする気持ちで、
ご覧になって頂けたらとても嬉しく思います。
![シベーレス宮殿 15076](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1080.jpg)
では最初はそうですね…。
右手の道、パセオ・デル・プラドの次の広場まで
歩いてみましょうか。
それでは♪
![14506](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1081.jpg)
広場から歩き出すと程なく
涼しげな水音が聞こえてくるのは、
“Fuente de los Patos”(フエンテ・デ・ロス・パトス)、
「鴨の噴水」です。
この噴水は18世紀中庸のもので、
背後にうっすら見える緑の木立、
「レティーロ公園」にあったものと言われています。
いかがでしょう?
噴水の淵に腰を掛けて、
少し眺めて行きませんか。
![カルガモ 19198](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1107.jpg)
モチーフを良く観察しますと、
四羽の鴨は広げた羽で
皆、仲良く繋がっているようです。
![カルガモ](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1108.jpg)
そう言えば、
池に浮かんでいた鳥が、
羽繕いの為に扇のように羽を広げたり、
![カルガモ 19163](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1265.jpg)
また水面から飛び立っていく瞬間は、
はっとする美しさを感じる事がありますものね。
離宮であった「レティーロ公園」
そうでした...!
この機会を利用して
この噴水の背後に見えるレティーロ公園も
一緒にご紹介致しましょうか。
その歴史も掻い摘んでお話しますね。
![19090](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1093.jpg)
この公園が
まだ町の東側のはずれにあって、
「ブエン・レティーロ離宮」と呼ばれていた
17世紀後半から18世紀のことです。
![19060](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1099.jpg)
時の王フェリーペ四世は人柄も良く、
文化面においては
ベラスケスのような才能のある画家を
保護する王でしたが、
山積した問題解決よりも
どちらかと言えば
一大娯楽施設であったこの離宮で、
池に船を何艘も浮べさせ
「海戦ごっこ」など雄大なショーを催すなど、
祭典にご興味があったお方のようです。
![レティーロ公園 4635](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1267.jpg)
またこの時代は、
スペイン帝国の繁栄ぶりが
すでに過去のものになり、
それまでの無駄な戦争によって散財し、
国力の衰弱が決定的になった時期でもありました。
![19059](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1094.jpg)
そして時は流れ、
この豪華な離宮も終焉を迎えるときが来ます。
1808年に起きたスペイン独立戦争です。
サクランボの谷ヘルテのお話で
登場したナポレオン軍は、
ここマドリードでも傍若無人な振る舞いをしました。
戦時中、離宮は彼等の兵営となり、
その間に破壊されてしまい、
現在、大部分の建物は残っていません。
![19073](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1095.jpg)
そして現在のレティーロ公園。
週末ともなれば、
市民の憩いの場として人々が集まってきます。
![レティーロ公園で遊ぶ人々 1842](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1232.jpg)
池の畔に立っておりますと、
一艘の漕ぎ出された二人が乗るボートには
![レティーロ公園で遊ぶ人々 1715](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1233.jpg)
池の水に自分の手を浸しながら
はしゃぐ女性の姿が見られたり、
![レティーロ公園で遊ぶ人々 1728](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1235.jpg)
家族連れが乗ったボートからは、
子供達の元気な声が聞こえてきます。
![Blog-16-1096](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1096.jpg)
また池の周囲では、
足を止めて見入る家族連れを前にして
![19075](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1097.jpg)
お得意の演技を披露する大道芸人達や、
![19084](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1098.jpg)
路上の無名の演奏家、
それに似顔絵画家達が集まるのです…。
![フルート 1781](https://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2018/12/TEMIKPHOTO-1781.jpg)
レティーロ公園の様子、
ご覧頂けましたか。
それでは先を歩いていきましょうか。
![レティーロ公園 387](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1266.jpg)
芸術の並木道
パセオ・デル・プラド。
この道は別名「芸術の並木道」と、
呼ばれています。
![ベンチでくつろぐ人々(プラド通り) 14516](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1083.jpg)
それは、
世界的に有名な「プラド美術館」、
「ソフィア王妃芸術センター」や
「ティッセン-ボルネミッサ美術館」と
大きな美術館が集中している為です。
またこの散歩道は、
下のシベーレス広場の噴水を始め、
![シベーレス広場 14488](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1104.jpg)
「アポロンの噴水」に
「ネプチューンの噴水」と三つの神々の噴水や、
石造りの彫刻等が配置された
エレガントな道になっています。
![プラド通り (Fuente de Apolo) 14523](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1076.jpg)
仮に車が走っていなければ
一瞬何処かの庭園内を歩いていると錯覚してしまいます。
それもそのはず、ここはマドリードでも最も古い
“Historic Garden”と言われています。
![15675](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1079.jpg)
でも何故この道は庭園風に作られ、
芸術的な施設が特化しているのでしょう...。
![二人の子供と壷 14499](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1082.jpg)
実はマドリードが、
ヨーロッパ諸国の首都のように
美しい装飾が施されようになったのは
1700年代中頃、
スペイン・ブルボン家のカルロス三世の治世でした。
![14512](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1077.jpg)
具体的には、
先ほどのシベーレス広場や、
次の「アルカラ門」など、
現代に残る数々の歴史的建造物は
この時代に建設されたものです。
![アルカラ門の標識(マドリード・独立広場) 13883](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1102.jpg)
では、
それ以前はどんな都市だったのしょうか。
そんな疑問にお答えする為に
カルロス三世がマドリードへ凱旋する辺りから
語っていきましょうか。
マドリード生まれのこの王は、
イタリアが統一する以前に存在した
シチリア、ナポリ王でした。
ところが異母兄フェルナンド六世が没すると、
王位を子に譲り、即位の為に
マドリードへ戻る事になったのです。
王が平穏なナポリの王宮から
マドリードにご到着なさると、
次のように仰せになったかもしれません。
「き、きたない!な、何と惨めで恥ずべき町!」
どうやら目に余る町の惨状に驚愕したようです。
![アルカラ門(部分) 13889](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1103.jpg)
その惨状に関しては、
王の公式伝記作家フェルナン・ムニョスが
以下のように記述しています。
「正に『豚小屋』の首都と、評価するのをためらわない。
泥や、ゴミ、排泄物が
筆舌に尽くしがたい光景と悪臭をなすのである」
1760年。
この国王が即位した頃のマドリードは、
人口15万弱の首都でしたが、
水不足の上、道は汚く、暗く狭い。
雨の日などは、ぬかるんでドロドロ。
昔のパリも不衛生であったと聞きますが、
マドリードも冬になれば
更にドラマチックで気のめいる光景だったのです。
![山間部でのびのびと歩く豚19097](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1100.jpg)
続けて
上記の公式伝記作家の内容を要約すれば、
街中では豚が自由に闊歩し、
日没ともなれば夜間の街灯はなく、
賊が跋扈(ばっこ)する街角を歩く者なんて、お人よし扱い。
更におぞましいのは
ほぼ夜間に行われるあの光景。
(お食事中の方は、以下のお話しにご注意を!)
それはラバに引かれた荷車と共に、
斧や手ぼうきを持った清掃人達が町を巡る事。
![19211](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1110.jpg)
しかしその荷車は
上のような車輪付ではなく、
代わりに丸太がついた荷車
(大きなちりとり風?)がずるずると
汚物を引き入れる為に引きずられ、
街に設置された数箇所の暗渠(あんきょ)に廃棄される。
その近隣に住む人々は
瞬く間に伝染病に感染してしまうのだ…と、
もう衛生状態は推して知るべし。
いやはや、大変な有様です。
説明は続きますが、
「エレガントな道」の散歩中ですので
この手のお話はこの辺でおしまいに。
![19103](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1105.jpg)
ところで今回はお話の内容上、
豚さんに登場願いましたが、ここで一言釈明を。
「ごめんなさいね。
あなた達が決して悪いわけではないのよ...」。
スペイン・ブルボン家
都市マドリードの状態に驚かれつつも
「なにゆえこんな事に?」と、思いませんでしたか。
今度はそれも道々簡単にお話していきましょう。
![プラド通りのアイスクリームを売る店 14251](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1237.jpg)
1561年、マドリードの町は
スペイン・ハプスブルグ家のフェリーペ2世によって
この町へ宮廷が移され、
以来実質的に首都となった事は
第14話ですでにご存知ですね。
![スペイン海軍本部(プラド通り側) 14515](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1112.jpg)
それから約140年後の1700年のことです。
その頃のスペインは政治、経済は荒廃して、
貧富の差がさらに激しくなるばかりでしたが、
そんな中、
時の王カルロス二世は血族結婚のため、
生来病弱で後嗣(こうし)がないまま急逝。
ここにスペイン・ハプスブルグ家は絶えてしまいます。
![14518](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1199.jpg)
さて、その後の王位をめぐって
鵜の目鷹の目だったのは
ヨーロッパ諸国並びにイングランドでした。
これら諸国の思惑にスペイン国内問題が更に絡み、
何と「スペイン王位継承戦争」は14年に及びました。
結果、
フランスはスペインの王位を継承したものの、
戦争によって自国の力は削がれるし、
一方、新たなるスペインの「負の遺産」を
引き継ぐ事になったのです。
歴史の流れを見ていくと
マドリードの街が荒れ放題というのも当然頷けますよね。
余談ですが、この戦争による本当の戦勝国は
何処だったのでしょうねぇ…。
「王でありマドリード市長」であったカルロス三世
![15705](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1111.jpg)
こうして負の遺産を引き継ぐ事になった
スペイン・ブルボン家の三代目、
「き、きたない!恥ずべき町」と仰せになった
カルロス三世は、マドリードの人々より
「王でありマドリード市長」と呼ばれました。
限定的ではありましたが、
公衆衛生、警備隊の設置、
街灯の設置並びに石畳の舗装など、
都市改革を行いました。
![Blog-16-1200](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1200.jpg)
また、
「国家の繁栄は、文化と教育を通してなされる」と考え、
スペイン帝国を啓蒙活動によって立て直し、
様々な分野で周辺諸国に追いつこうと尽力したのです。
![カルロス3世像 19953](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-12401.jpg)
当事推進された都市計画
“Salón del Prado”(サロン・デル・プラド)は、
古いプラド通りを大改修し
それまでばらばらであった町と
離宮(現在のレティーロ公園)を
この道を通して統合させる。
![Fuente de Apolo (Las Cuatro Estaciones) アポロの噴水](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/Blog-16-1078.jpg)
またふんだんに樹木を植え、
噴水や彫像を配置する事によって
通りを美しく整え、
かつての「市民のくつろぎの場」を蘇らせる。
![プラド通りを散歩する人々 (マドリード) 14520](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1117.jpg)
更に植物園、天文観測所や、
後のプラド美術館の前進である
自然科学分野の施設を建設し、
芸術、科学施設を集中させる。
![プラド通り 14420](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1241.jpg)
このようにして
パセオ・デル・プラドが出来上がった訳ですが、
現代の他の大通りと比較しても引けをとらず、
当時のヨーロッパでは
最新流行だったようですよ。
全戦没者の慰霊碑
さて、ここまで
出発点のシベーレス広場から
10分ちょっとの距離を歩いてきました。
次の広場に向かって
左手奥の通りには
マドリード証券取引所が見えていますね。
![マドリード証券取引所](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1115.jpg)
道を左右に渡ると、ほどなく
「全戦没者の慰霊碑」が見えてきます。
この慰霊碑は以前、
スペイン独立戦争が始まった日、
1808年の「5月2日の英雄記念碑」と、
呼ばれていました。独立戦争については
サクランボの谷や、レティーロ公園でも
すでにお話しましたね。
![14529](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1084.jpg)
スペインの独立を守ったこの戦争は、背後に
「フランス vs イングランド&ポルトガル」の構図があり、
複雑な様相を見せました。
![戦没者慰霊碑 14527](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1242.jpg)
長くなるので詳細は割愛致しますが、
ごく簡単にご説明しますと、
スペインの支配層における
親仏派と反仏派の政治的な対立があり、
宮廷革命、日本で言うお家騒動に発展。
その隙を狙ったナポレオンが、
スペイン国王や皇太子を退け、
自分の兄ジョセフを王に即位させようと
画策していていく…。
![戦争 9558](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1243.jpg)
ナポレオンの支配に対して
マドリードの民衆は反仏暴動を展開しますが、
強力なフランス軍に敵わずあえなく鎮圧され、
翌3日には多くの市民が銃殺される結末を迎えます。
しかし、これを境に全国的な独立戦争となり、
翌年にはあのサクランボの谷ヘルテでも…。
![キャンディの缶(ゴヤの肖像画・タピスリー製作用油彩画) 13410](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1116.jpg)
マドリードのこの凄惨な一連の出来事は
後にスペインの偉大なる画家の一人、
フランシスコ・デ・ゴヤによって
『5月2日』、『5月3日』両作品に描かれていますので、
ご存知の方も多いと思います...。
それでは独立戦争の経緯はここまでにして、
広場へ行ってみましょうか。
「カノバス・デ・カスティージョ広場」
こちらは
“La Plaza de Cánovas del Castillo”
「カノバス・デル・カスティージョ広場」です。
![カノーバス・デ・カスティージョ広場(夜景) 17197](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1244.jpg)
道は、この先もう少し続きますが、
お約束通りお散歩としては
プラド美術館があるこの広場が
最終地点となります。
では広場周辺をさらっとご紹介してから
美術館前まで行ってみましょうか。
![14536](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1085.jpg)
中央には
“Fuente de Neptuno”「ネプチューンの噴水」が、
力強く、そして優雅に水しぶきを上げ、
広場を囲む瀟洒な建築物と
見事に調和しています。
車に気をつけながら
もう少し噴水の近くへ行ってみませんか。
![ネプチューンの噴水 14543](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1333.jpg)
ご覧下さい。
鬱蒼と茂る大樹を背景に、
冠をかぶったネプチューンは
夕日を浴びて黄金色に染まっています。
ざーっと水しぶきを上げる水音も聞こえますね。
よく見てみますと、
貝の山車を引くのが馬なのは、
「海神」であるネプチューンが
同時に「馬の神」と言われている所以でしょうか?
![ホテル "The Westin Palace"(パレス ホテル) 14546](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1246.jpg)
今度は噴水から振り返りますと、
左右に広がる瀟洒な建物が角地に見えますね。
こちらは1912年(大正2年)に開業の
高級老舗 “The Westin Palace”、
通称「パレス・ホテル」です。
確かシベーレス宮殿の展望台からも
良く見えていましたよね、このホテル。
![終着駅(Valencia) 16063](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1256.jpg)
スペインのホテル事情に関しては、
1880年代になると鉄道技術やその品質が向上し、
国内外から首都マドリードへ
様々な旅行客が押し寄せてきました。
しかし宿泊所が供給不足で、
当初は下級の宿や、個人宅に泊めてもらう始末。
![プラド通り周辺 14606](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1248.jpg)
色々当時は苦労があったようです。
このホテルのように高品質で快適なホテルは、
20世紀に入ってからです。
![14553](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1088.jpg)
ホテルの一階の奥には
“Jardín de Invierno”(ハルディン・デ・インビエルノ)と、
呼ばれるラウンジがあります。
冬の庭園(サンルーム)を意味する
丸屋根のついたラウンジは、
白と水色を基調としたアール・ヌーヴォー様式。
![14555](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1249.jpg)
昼間、ここへ行ってみますと、
頭上のステンドグラスから
品の良い光りが全体を柔らかく包み込み、
ゆったりとお茶の一時を楽しむことが出来ます。
![14566](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1089.jpg)
それから通りの反対側、
上部に三角形の切り妻壁、
その下には円柱で支えられている建物は、
“Congresos de Los Diputados”
(コングレソス・デ・ロス・ディプタードス)
国会の下院にあたる「代議院」です。
![14591](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1090.jpg)
「国会」という言葉は、
国によって歴史的背景が違うのか
その呼び名も色々ですね。
スペインの場合は、中世の聖職者、貴族、
市民代表の「身分制議会」である名残で、
“Las Cortes”(ラス・コルテス)と呼ばれます。
プラド美術館
シベーレス広場から
歩いて来た散歩道「パセオ・デル・プラド」。
どうやらプラド美術館へ漸く辿り着けそうですね。
![937](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/12/Blog-15-1149.jpg)
ところでここプラド美術館では、
豊富なコレクションを所蔵していますが、
お目当ての絵画はありますか?
![936](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1250.jpg)
えっ、私...ですか?
うーん。特定しようとすると、
とても迷うので難しいのですが…。
静物画の世界
そうですね...。
「静物画」にも、
とても興味がありますよ。
画家の身近にある素材をどのように表現するのか。
例えば、花や本、楽器類や台所で手に入る食材、
器をモチーフにしたものですね。
![スペインの果実 960](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1122.jpg)
但し近代以前の静物画を鑑賞する際には
宗教画のように
モチーフにメッセージが込められていますので、
それを読み解く知識が必要となりますよね。
![野葡萄の実 12613](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1123.jpg)
絵画の話題からは逸脱しますけれども、
写真の世界でも画家と同様、
![CameraWork 19954](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1251.jpg)
静物を撮影する際には
構図や写真家の描写力が求められるのです。
スペインの巨匠達
プラド美術館。
ここにはリュベンス、ティツィアーノ、
エル・グレコ、スルバラン、ムリージョ...と、
まだまだとても貴重なコレクションがあるので、
すべてを鑑賞するには、
相当のエネルギーが必要ですね。
しかし何と言っても
スペインを代表する巨匠と言えば、
やはりベラスケスとゴヤでしょう。
![ベラスケスの彫像(マドリード・プラド美術館) 930](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1120.jpg)
とりわけ
17世紀に活躍したベラスケスについては、
後にゴヤが師と仰ぎ、フランス印象派モネも
非常に影響を受けた一人であり、
「画家中の画家」と言わしめた事はつとに有名です。
![19214](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1121.jpg)
ベラスケスとゴヤ。
お二人の名を西和辞典で引いてみると
“velazuqueño”(ベラスケーニョ)、
“goyesco”(ゴジェスコ)と、
彼等の名前がついた言葉が載っています。
![ベラスケス 926](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1252.jpg)
これらは
「ベラスケスの(風)」とか「ゴヤの(風)」の意味で、
各作品や様式、特徴、
またゴヤが生きた時代を指す場合に使われます。
![車窓からの「ゴヤ」駅のホーム(マドリード・地下鉄) 15639](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1119.jpg)
ではゴヤの場合、
スペインではどんな時に
このゴジェスコが使用されるのでしょうか。
![闘牛(バンデリージャ) 418](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1253.jpg)
例えば「ゴヤ風闘牛」と言うのがあります。
ゴヤが生きた時代に行われた闘牛の事で、
闘牛士は当事の服装で行うものです。
![キャンディの缶(右:ゴヤ風闘牛) 13412](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1118.jpg)
それから「ゴヤ時代の服装」も
ゴジェスコが使われます。
時代は異なりますが、日本でしたら
さしずめ「竹下夢路時代の着物」と言った
表現になるのだと思います。
![闘牛(MADRID) 413](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1255.jpg)
ゴヤの生きた
18世紀末から19世紀半頃と言えば、
フランス支配下の影響があったのは
もうご存じですね。
スペインらしさの中にフランス的要素の入った
お洒落で粋な服装が、
マドリードのブルジョア階級から
やがてスペイン全国へ広がっていったようです。
![闘牛を観戦する人達 19955](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1254.jpg)
そして現在もお祭りの行事で
ゴヤ時代の闘牛や服装が、
伝統文化として継承されることは
素晴らしいことだと思います。
![コルテス広場(マドリード) 14597](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1201.jpg)
あらあら...。
あれもこれもと欲張ってお話をしました。
この散歩道では
2つのスペインの王朝や、
またスペイン王位継承戦争、
スペイン独立戦争のお話が絡んだので
少々お疲れではありませんか。
ではこの辺で
シベーレス広場へ戻り、一休み致しませんか。
*** *** *** *** *** *** ***
休憩場所へようこそ
第二部、
散歩道「パセオ・デル・プラド」のお話が終了致しました。
ご覧頂きましてありがとうございました。
![こぶし 17643](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1269.jpg)
ここでまた一旦
「休憩時間」のご案内をさせて頂きます。
どうぞこちらで、
気分転換をなさって下さい。
![こぶし 17599](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1268.jpg)
この後は
北への散歩道をご案内していきます。
また最後には
私の好きな地中海の風景も合わせて
ご紹介していきたいと思います。
どうぞごゆっくり♪
*** *** *** *** *** *** ***
北へ延びる道
「パセオ・デ・ロス・レコレトス」と「パセオ・デ・ラ・カステジャーナ」
![シベーレス広場 14252](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1272.jpg)
一休みした後は、
今度は広場から左手へ、
北へ延びる通りをご案内致します。
この道は、すでにご覧になった
パセオ・デル・プラドと比較すると、
所々に歴史建造物があるものの、
省庁や企業が集中している地域なので、
特徴としては現代建築が並び、
また交通量も多い散歩道と言えます。
![Blog-16-1202](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1202.jpg)
それから、
次のコロン広場手前まで
カフェ・テラスが幾つか出ていますから、
後ほど一端テラスで休憩致しましょうか。
歩き始めとしては
季節はずれの風景になりますが、
まず、X´masの風景を
ここでご紹介したいと思います。
趣向を凝らしたイルミネーションが点灯され、
とても華やかになります。
![「パセオ・デ・ロス・レコレトス」のX´masのイルミネーション(マドリード) 15022](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1203.jpg)
12月のイベント時期では、
買い物客が集中する中心街よりも、
こちらの通りは落ち着きのある
散歩道といえます。
そして、
シベーレス広場から東に延びる
アルカラ通りになりますが、
こちらのアルカラ門のライト・アップも
とても華やかですよ。
![アルカラ門 15024](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1271.jpg)
X´masの景色はいかがでしたか。
![パセオ・デ・ロス・レコレトス 15051](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/12/Blog-15-1212.jpg)
それでは、深緑の季節へ戻しましょうね。
文学カフェ 「カフェ・ヒフォン」
さて、
広場から歩いて数分の場所に
カフェ・テラスが幾つか続いて見えて来ます。
実はこの先に
世界的に名の知れた有名なカフェ
“Café Gijón(カフェ・ヒフォン)があります。
このお店を知ったのはもう随分前のことでした。
![並木道にあるモニュメント 15046](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1273.jpg)
カフェ・ヒフォンを知るきっかけとなったのは
マドリードを愛する地元の画家から
次のようなアドバイスを受けたからでした。
(マドリード市街図で見所を指しながら)
画家 : 「もし一週間でマドリードを知りたいのなら、
見ておかなくてはならないのはここと、こことここ。次に…」。
![並木道 15050](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1274.jpg)
教えてくれた場所は確か、
まずは画家らしくプラド美術館。
次に印象派の画家の邸宅を開放した
ソロージャ美術館。
![マジョール広場前 18313](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1275.jpg)
それから…。
シベーレス宮殿、
旧市街にあるマジョール広場に、
この近くの国会図書館。
また王宮やその前に位置する
オリエンテ広場のカフェや、
![チュエカ地区にある居酒屋 18191](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1126.jpg)
現在はゲイ・タウン地区にある
居酒屋”Casa Ángel Sierra”(カサ・アンヘル・シエラ)。
![「カフェ・ヒフォンのテラス」(マドリード) 15019](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1205.jpg)
そしてこのカフェ・ヒフォンでした。
勧めてくれた具体的理由とは歴史的な文学カフェであり、
毎年、スペイン及びラテン・アメリカに関係した文学賞、
カフェ・ヒホン賞が授与される由緒ある場所だからです。
この「文学カフェとは何か?」を説明するには、
やはり店が開業した当時のスペインの世情を
お話しなくてはなりません。
![「カフェヒフォン」(マドリード・レコレトス通り) 15017](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1206.jpg)
店が扉を開けたのは、
1888年(明治21年)のことでしたが、
当事は中心街から離れた場所にあるものの、
涼しげな散歩道を求めて
徐々に人々が集まるようになりました。
![マドリードのデモ行進 15461](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1276.jpg)
19世紀後半は農民、労働運動や
政権が何度も交代する「混沌とした時代」であって、
また海外領土での独立戦争が起こるなど、
あちらこちらで不協和音が鳴り響いていました。
こうした流れの中、20世紀初頭になると、
作家、芸術家、政治家等、知識階級の常連達が
文学カフェをたまり場として集まり始めます。
テーマは文学や闘牛だけに留まらず、
王政廃止を唱え、共和政の夢を語る。
![マドリードのデモ行進 15463](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1277.jpg)
こうした集まりをスペインでは”Tertulias”
(テルトゥリアス)と呼びます。
特徴は、
「会議と違って問題解決を目的とせず、
自由闊達に意見を述べ、
考えを体系付けることに意義がある」としました。
このカフェでは、
彼等のテーブルを囲む野次馬達に、
コーヒーやタバコの香りのする光景...と、映画のような
熱気溢れるシーンが展開されていたのでしょうね。
![「カフェ・ヒフォン」(マドリード・レコレトス通り) 15018](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1207.jpg)
カフェ・ヒフォン。
ここには有名な文化人や政治家も通い、
その流れは今でも続き、
彼等が気さくに立ち寄っていく姿が見られます。
日本ではこの店を訪れた有名人として
アメリカの作家アーネスト・ヘミングウェイが
良く知られているようですが、
その他にもそうそうたる面々が訪れています。
画家サルバドール・ダリと
詩人、劇作家であるガルシア・ロルカ。
映画『アンダルシアの犬』、『糧なき土地』の
スペイン人映画監督ルイス・ブニュエル。
第一次世界大戦で活躍した女スパイ、マタ・ハリ。
アメリカのハリウッド女優エバ・ガードナーと、
もう枚挙に暇がありません。
エル・エスペホ
さて、もう一軒行ってみましょう。
近くに”El Espejo”(エル・エスペホ)、
「鏡」と言う名のお店がカフェ・テラスを出しています。
そこで一休み致しませんか。
![パセオ・デ・ロス・レコレトスの石像 15060](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1278.jpg)
レストラン&Barはテラス背後に位置しており、
お店の壁の装飾には
アール・ヌーヴォ特有の鏡を何面も配した
凝った作りになっています。
![エル・エスペッホのテラス 15058](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1279.jpg)
お話ししているうちにテラスに到着です。
それでは入ってみましょうか。
今日は比較的空いているようですね...。
何処でもお好きな場所へどうぞ♪
![レストラン「エル・エスペホ」のカフェ・テラス 4626](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1208.jpg)
明るい陽光が注ぐスペインのカフェ・テラスには
エスプレッソ・コーヒーの良い香りが良く似合いますが、
近年マドリードではTea専門店で
お茶を飲むスペイン人も大分増えました。
![レストラン「エル・エスペホ」のパビリオン 15013](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1209.jpg)
それからお気づきでしたか。
テラスにはもう1つ、白と緑を基調にしたタイルに
ガラス張りの小粋なパビリオンもあります。
中は景色がゆったり見られるテーブル席と
Barに分かれています。
ところで、
椅子にそのまま腰掛けたままで
ここから国会図書館を
ご紹介しようと思うのですが、
車道の向こう側の建物を
ご覧になれますか。
![国立図書館 15049](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1281.jpg)
そうです。あの立派な建物です。
国立図書館の歴史は300年以上と古くて、
1712年にFelipe V(フェリーペ5世)によって
公共の為に創設された王室図書館に始まりました。
![国立図書館(マドリード・レコレトス通り) 15010](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1210.jpg)
世界でも重要な図書館の1つと言われるように、
文豪セルバンテスによる
小説『ドン・キホーテ』に関するコレクションがあります。
部屋にはいかにもスペインらしく
各分野ごとに「セルバンテスの部屋」、「ゴヤの部屋」など、
巨匠達に因んだ名がつけられています。
![国立図書館のファサード:白大理石で出来た玄関部分 (マドリード) 15016](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1211.jpg)
そう言えば、
ここの一般閲覧室で
初めて調べ物をした日の事を思い出しました。
かつての中央郵便局であった
シベーレス宮殿と同様、
閲覧室の格調高い作りに興味津々で、
机のスタンドに照らされた目の前の本よりも、
顔を上げては天井や、壁の装飾に
つい目が向いてしまうのです。
![国立図書館 柵 15074](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1282.jpg)
スペイン人にとっては
慣れきった日常風景なのでしょうが、
室内を眺めては
「あら、いけない」と我に返り、
手元の開かれた頁に目を再び戻す。
結局は、同じ箇所の文を
何度も目で追っていたのですよね。
![国立図書館ファサード 15072](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1283.jpg)
まぁ、すみません。
長々とお喋りをしてしまいました。
それでは席を立って、
レストラン「エル・エスペホ」の入り口も
ご紹介しておきますね。
![カフェ・テラス「エル・エスペホ」 19956](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1284.jpg)
下の扉をご覧下さい。
アール・ヌーヴォーの
連続した曲線の美しい扉。
ガラス越しにうっすら見えるのは
黒ベストに白のエプロン姿のウエイターの男性。
お客さんの姿も見えます。
スペイン人は、
こうして立ち話をするのが大好き。
![レストラン「エル・エスペホ」(マドリード・レコレトス通り)](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1212.jpg)
それから扉の両側には
当店のお勧め品が額に掲げられていますね。
右側上からコンソメ。新鮮な魚。肉。ケーキ類。
左側は、アニス酒。高級銘柄のコニャク。ビール。
パビリオンでの軽食やタパス(小皿料理)も良いですが、
レストランでのお食事も美味しそうですよ。
コロン広場
![コロン広場と国立図書館 15009](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1280.jpg)
テラスを出て目の前に現れるのが
「コロン広場」です。
シベーレス広場から歩いて
15分ほどの距離でしょうか。
広場の中心には
クリストファー・コロンブスの像が高く聳えています。
![コロンブスの像 15061](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1128.jpg)
ネオゴシック様式の台座より
更にずっと上に立つマント姿のコロンブス。
片手を広げ、もう一方の手には
かつてのスペイン・カスティージャ王国の旗。
そして膝元には丸い地球儀。
さて、このコロン広場。
平日は四方八方から車が集中する為、
市の警官が頻繁に交通整理を行っています。
また、ここを車が間違いなく
目的地へ進むには経験が必要で、
他県の車は「あれれ、曲がれないの?!」と、
往生する広場でもあります。
そのような訳で、
遠くを見つめるコロンブスも
足元を走り去る車にもご用心!
![15040](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1129.jpg)
広場を赤い二階建てバスが
観光客を乗せて通過していきます。
バスが運行するCity Tourは、ルートが2つ。
1つは旧市街を中心に、もう1つは、主に19世紀後半に
拡張した市街中心のルートです。
どちらのルートもこのコロン広場や
プラド美術館が含まれています。
![コロン広場 15064](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1286.jpg)
常日頃、『一度はこのバスに乗って、
高い場所から自分の知らないマドリードを見たい!』と、
思っておりましたが、
すっかり乗り忘れて帰国してしまいました。
思いついた時に乗車しないといけませんね。
![トーレス・デ・コロン 15059](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1288.jpg)
この広場で
コロンブス像の他にもう1つ目を引くのが、
広場の一角に1976年に建てられた
“Torres de Colón”(トーレス・デ・コロン)があります。
![マドリード市内の風景 14948](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1214.jpg)
こうしてマドリード市を
一望出来る公園から見ますと、
周囲の建造物に比べて
一際目立つ建物の上部。
これを「大魔神の兜のよう」と表現した
日本人がいました。
大魔神ってご存知ですか?
「カステジャーナ通り」へ
さて...。
お伝えしませんでしたが、
コロン広場からは道の名称が変わって、
今は「パセオ・デ・ラ・カステジャーナ」を歩いています。
またここからは通りの名が長いので、
「カステジャーナ通り」と呼んでいきますね。
![「パセオ・デ・ラ・カステジャーナ」の一番地(19世紀末から20世紀中庸に建てられた小さな宮殿又は屋敷の1つ) 15030](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1291.jpg)
この先にはホテルやデパート、
会社のビルなどの他、
またサッカーでお馴染み
「レアル・マドリード」のスタジアムも
この通りに面しています。
![「カステジャーナ通り」(マドリード)](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1215.jpg)
でも最後まで歩きますと
とても長い距離があるので、
お散歩気分が何処かへ飛んでいきそうです。
![「パセオ・デ・ラ・カステジャーナ」13番地(1919年~1923年にプロモーターであるエンシナーレス公爵によって建設された賃貸住宅) 15003](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1290.jpg)
こでお散歩の最後には
近くのソロージャ美術館へ
寄るのはいかがでしょうか。
この美術館はカフェ・ヒフォンでお話した
「画家による一週間で見るマドリード」のリストにも
入っていた美術館でした。
ただ、この通りの北端の様子も
語らないのは心残りです。
やはり、ここでご紹介しておきましょうか。
![14955](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1127.jpg)
では歩きながら、
手元にある写真でお話をしていきます。
まず上の写真、右手をご覧下さい。
![カスティジャーナ広場 16651](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1292.jpg)
ビル郡が林立している「カステジャーナ広場」。
![カスティジャーナ広場 (ヨーロッパ門のビル) 16645](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1293.jpg)
裁判所のある広場で、また内側に傾斜した対のビル
“Puerta de Europa”(プエルタ・デ・エウロパ)
「ヨーロッパ門」が見えています。
![ヨーロッパ門前 16652](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1294.jpg)
ヨーロッパ門前の横断歩道。
信号待ちで立っておりますと、
やはり今にもビルが迫って来そうです。
![ロープウェイとケステジャーナ通り北端の眺め(マドリード) 14953](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1216.jpg)
次にケーブルカーから左手に見える摩天楼です。
こちらは2008年に全ての建設が完了した
“Cuatro Torres Business Area “
「四つの塔のビシネス・エリア」です。
意外に思われるかもしれませんが、
マドリードでも、またヨーロッパでも
高層建築はそう多くはありません。
それから、
4つでなく3つのビルしか見えないのは
左端のビルが重なっている為で、
角度によるマジックです。
![チャマルティン駅前 16650](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1295.jpg)
それからもう1つ。
全体風景の写真からは見えませんが、
写真中央にはスペインの北西方面へ向かう
鉄道の「チャマルティン」駅があります。
最近はどうなのでしょう?
フランス・パリ行きはまだここが始発でしょうか。
![19963](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1299.jpg)
マドリード市内の公共交通機関は、
主にバスと地下鉄ですから、
![19962](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1298.jpg)
夜の帳が落ち、
線路に架かる大橋へ車でさしかかると、
ちょうど汽笛が鳴る事もあり、
とても旅情を誘ったものです...。
![19960](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1300.jpg)
ソロージャ美術館へ
さて、
今回は南北2つの散歩道を歩いて来ました。
こうして見ますと、
南から北へと進むにつれて
建築も徐々に現代へと移っていきましたね。
![「カステジャーナ通りのモニュメント」(マドリード) 14995](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1217.jpg)
ただし北端は最も現代的で、
また住宅街が多く
全体的な眺めとしてはどことなく淋しく、
町外れの様相は否めないようです。
あなたはどう思われたでしょうか。
![ヘネラル・マルティネス・カンポス通り 14988](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1308.jpg)
さて
二つの散歩道のお話も済み、
また折良く美術館へ行く道
「ヘネラル・マルティネス・カンポス通り」への
曲がり角まで来ましたので、
ここからは美術館到着前まで
簡単にソロージャについてご説明していきます。
![ヘネラル・マルティネス・カンポス通り 14984](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1301.jpg)
1863年、”Joaquín Sorolla”(ホアキン・ソロージャ)は
地中海都市バレンシアで生まれました。
![「ソロージャ美術館」入り口付近(マドリード) 6288](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1218.jpg)
ソロージャが活躍した時代は、
カフェ・ヒフォンでのお話のように、
スペインは19世紀末から20世紀初頭にかけて
政治・経済共に非常に厳しい時代でした。
![画材 15317](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1303.jpg)
一方、
鉄道の発達や、絵の具など画材の革新によって
戸外や旅先での制作が容易になった時代でもあり、
画家ゴヤ以降のスペインを代表する印象派、
ポスト印象派、そして色彩画家として活躍した画家です。
![15447](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1130.jpg)
さて、到着です。
こちらがソロージャ美術館ですよ。
どうぞお入り下さい♪
美術館の庭は「マドリードに存在するアンダルシアの世界」
閑静な住宅街にあるこの美術館は、
彼の家族と共に生活し、
アトリエで制作する。
この2つを念頭に建設された邸宅でした。
![15432](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1131.jpg)
そして邸宅は、
美術館として1932年に
未亡人の遺志によって一般に開放されました。
![ベンチの絵タイルの一枚 : 国章の「ヘラクレスの柱」と国の標語 ラテン文字で"PLVS VULTRA" VLTRA"(より彼方へ) 15440](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1133.jpg)
門から入ってきますと、
知らぬ間に
南部アンダルシア地方の庭園に
佇んでいるような気分にさせてくれる空間、
それも特徴ある3つの庭園が、
次々と私達を迎えてくれますよ。
ここはマドリードにあるアンダルシアです。
![玄関付近 15408](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1134.jpg)
最初の庭園は、
都市セビージャ(セビリア)・アルカサールの
庭園要素が感じられ、
![15427](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1140.jpg)
2番目は、
グラナダのアランブラ宮殿内、
ヘネラリーフェ庭園の灌漑を
髣髴(ほうふつ)させ、
![15395](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1136.jpg)
さらに奥へ進むと
イタリアの石柱、
アラブ式の溜め池や、
つる棚が配置されています。
![15273](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1144.jpg)
また所々に
像を配置したこれらのデザインは、
全てソロージャ自身によるものです。
![15379](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1146.jpg)
庭作りの為に夫人を伴って
スペイン国内数箇所を丹念に巡った結果、
![ソロージャ美術館 庭園 15423](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1311.jpg)
彼の心を射止めたのは
アンダルシア地方の庭園でした。
![15282](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1150.jpg)
そしてこれら3つの庭園を、
絵画のモチーフとして作品を制作する際、
![ソロージャ邸 庭園 15420](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1310.jpg)
様々なフレーミングを作り出せるように
壁で仕切らぬデザインを採りました。
![15407](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1143.jpg)
彼は晩年を
こよなく愛したこの庭園で過ごし、
![ソロージャ邸 庭園 15286](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1309.jpg)
庭園をモチーフとして描いた作品数は、
少なくとも60点以上に上ります。
![15285](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1145.jpg)
庭園に置かれたソロージャの彫像。
ホアキン・ソロージャ(1863年-1923年)。
![15291](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1147.jpg)
庭の奥にある美術館への入り口にも
青・緑・黄色の絵タイルが張られています。
![ソロージャ美術館入り口階段の絵タイル 15292](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1312.jpg)
また建物にはもう1つ庭があります。
こちらの階段手前を左へ進むと、
![15294](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1160.jpg)
アンダルシア・スタイルのパティオ(中庭)が
建物奥に設けられています。
こちらも後ほど見てみましょうね。
![15333](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1304.jpg)
さて
館内の作品についてご説明致しますと、
幾つかに仕切られた部屋には、
外光派のソロージャが描いた
海辺の風景や海洋風俗、
家族の肖像画を中心に展示されており、
![ソロージャ美術館開設の新聞記事 1932-1月 15345](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1305.jpg)
また
画家の一大プロジェクトであった
New YorkのThe Hispanic Society of America内を装飾した
14枚もの大パネル”Visión de España”
「スペインのビジョン」の為の習作も展示されています。
![ソロージャ美術館 15298](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1313.jpg)
モチーフは8年もの間、
スペイン各地を旅し、
伝統的な民族衣装を纏った人々を描いたものです。
![15314](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1148.jpg)
今度は、奥のアトリエの様子をご紹介しましょう。
高い天井。
窓から入る自然光のもと、
広々とした部屋には絵筆やパレット、愛用した調度品類、
また右手奥には天蓋付ベッドも置かれています。
![ソロージャ美術館 15315](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1314.jpg)
ソロージャの
実際の仕事場であったこのアトリエでは、
鑑賞者は彼の描いた作品の美しく鮮やかな色彩や、
そこから自分に発して来る大きな力に
誰もが感動するようです。
![15358](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1151.jpg)
では、
アトリエを出て廊下へ進みましょう。
![階段から廊下の眺め 15329](https://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1153.jpg)
こちらが廊下部分です。
手前に見える
階段の親柱の上には子供のブロンズ像。
奥の白壁には
庭園をモチーフにした風景画。
その下には壺の置かれたニッチ。
右手には窓も見えますね。
![15310](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1166.jpg)
外は、先ほど見えた
パティオになっています。
ちょっと眺めてみましょうか。
![15296](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1161.jpg)
シンプルで
すっきりした美しさですね。
中央には六角形をした噴水でしょうか。
タイルは白と青の組み合わせ。
その上にはテラコッタの植木鉢。
全体的な色合いもとても爽やか。
![なつめ椰子 9683](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1315.jpg)
南部の都市コルドバや、
セビージャ(セビリア)へ行きますと
南国と感じられる1つには
棕櫚(シュロ)やナツメヤシの木々が茂っているからで、
![海辺の庭園 (バレンシア地方) 4057](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1322.jpg)
ソロージャもアンダルシアの雰囲気を
マドリードの自宅で味わいたかった一人と、
思いませんか。
![15295](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1168.jpg)
パティオのある横のお部屋には
スペイン陶器が棚に飾られています。
![ソロージャ美術館 15300](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1316.jpg)
さぁ、それでは
階段を上っていきましょう。
![ソロージャの子供達の絵 (階段の踊り場) 15336](https://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1154.jpg)
途中踊り場には
彼の3人の子供の絵が
他の作品と共に掛けられています。
![ソロージャ美術館 15350](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1317.jpg)
また上の階は
家族の寝室であった場所で、
現在は展示室になっています。
![15339](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1155.jpg)
素描の数々。
![15343](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1157.jpg)
ソロージャは
夫人をモデルに数多く描いていました。
印象派の特徴とも言える
家族や友人の肖像画はもちろんですが、
![15341](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1156.jpg)
それらの作品からは、
特に夫人への深い愛情が感じられ、
また絵画の中の夫人の眼差しや仕草からも
夫への愛情が同様に伝わってきます。
![15348](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1158.jpg)
幼馴染であった二人は
常に共に生きた二人でもありました。
夫人は恋人から妻へ、そして子供達の母親であり、
また絵のモデルとして、
更には展覧会に関する事務処理をこなす仕事仲間でもありました。
芸術家を支える夫人は、心身共に大変だった事でしょう。
![15306](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1164.jpg)
階段を下りた場所からは
家族が暮らした住居部分になっています。
![サロン(部分) 15301](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1306.jpg)
彼等がそうしたように
サロンの広い窓辺に近づいてみませんか。
![サロンの窓 15373](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1307.jpg)
こうしたお天気の良い日は、
窓から降り注ぐ
光のシャワーが浴びられますね。
![4623](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1163.jpg)
いかがですか...。
![15364](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1165.jpg)
こちらが食堂。
奥には大理石の暖炉。
ブロンズ像や陶器が飾られています。
![ソロージャ美術館 15361](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1318.jpg)
部屋中央には
木彫りテーブルと対の椅子。
上に敷かれたセンターは、
スペイン刺繍でしょうか。
上には銀のボールと燭台も。
![15308](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1167.jpg)
そしてこちらは玄関。
美術館を一巡りした後の感想になりますが、
館内のそこかしこに
家族の肖像画が飾られているせいか、
![ソロージャ美術館 15371](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1319.jpg)
在りし日の彼らの生き生きとした姿が
玄関や食堂、サロンに今にも現われるようです…。
![15368](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1171.jpg)
さて、美術館はお気に召しましたでしょうか。
ここからは個人的な意見になりますが、
ソロージャの作品は
海辺の風景がとても印象的でした。
![ソロージャ美術館 15312](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1320.jpg)
特にアトリエの壁中央に掛けられていた
縦横2メートル程の油彩画、
「海辺での散歩」(1909年)。
New Yorkの展覧会で大成功を収めた頃の作品で、
彼の絶頂期の一枚です。
![15319](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1149.jpg)
「海辺での散歩」。
バレンシアの海辺で、白い服を纏った母と娘の歩く姿は、
とてもエレガント。白い日傘を手に持ち、
風にはらむベールを抑えるクロティルデ夫人。
その少し前を、飾りのついた麦藁帽子を手に、
アップにした髪を風になびせて歩く長女マリア。
白い服や傘、ベールなどはディフューザー、
つまり光りを拡散する役目をしていますね。
絵画の中の二人を見つけて、
この絵の虜になる女性はきっと多い事でしょう。
![15320](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1173.jpg)
そう言えば、
ソロージャの作品に始めて出会った日の事を
今でも良く思えているのですが、
![村の小道 (アンダルシア地方) 4011](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1321.jpg)
スペインに来てから
それはかとなく感じていた独特の光と影を、
見事なまでにキャンバス上で
表現されているのを目の当たりにして
『これなんだわ、感じていたのは!』と、
答えを見つけて嬉しくなりました。
![15452](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1174.jpg)
それでは画家ソロージャの心を捉えた
美しい地中海の景色をご紹介しながら
美術館を後に致しましょう。
光の魔術師によるアリカンテの海辺
ソロージャは
故郷バレンシアの景色だけでなく、
更に南に位置するアリカンテ県
“Jávea”(ハベア)へ1896年に訪れていました。
![179](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1175.jpg)
沿岸にあるこの村は、
240kmほど続く”Costa Blanca”(コスタ・ブランカ)
「白い海岸」の北部に位置し、
上に見えるサン・アントニオ岬や
![15239](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1182.jpg)
幾つかの岬に囲まれ、
とても風光明媚な場所です。
![15238](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1183.jpg)
特に夕日が照らす時刻には
海岸の「凝灰岩(ぎょうかいがん)」が赤く染まり、
ここの風景は昼間とはまた違った
別の美しさに変化していくのです。
![15225](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1176.jpg)
ある年の12月、
私はハベアに数日間でしたが
滞在した事がありました。
ここは年間晴天日数が300日以上、
平均温度が摂氏20度と、
冬場も快適な場所です。
![15228](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1177.jpg)
午前中に、
暖かな光を肌に心地よく感じながら
ハベア港へ出かけて見ました。
![15216](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1179.jpg)
ハベア港は、サン・アントニオ岬が
背後に聳える天然の良港で、
!["Lonja" 「漁業取引所」 (ハベア港) 15226](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1323.jpg)
また漁業商品の取引所
“Lonja”(ロンハ)があることから、
遠く離れた港の船からも
ここで水産物が水揚げされます。
![15215](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1178.jpg)
取引所では
午前と午後にせりが公開される為、
観光スポットの1つとして
人々で賑わっていました。
![海中のロープ (ハベア港) 15214](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1324.jpg)
日本でも同じ。港周辺の店先に並ぶ
魚介類を見学し、購入するのも楽しいですよね。
ハベアでは、真鯛、鯖、モウゴウイカ、蟹、鰯、
小型の海老、蛸、アンコウ、ヒメジ…。
それに、この地方のお米料理
魚介パエジャ(パエリア)の花形、
ヨーロッパ・アカザエビも見られます。
![15212](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1180.jpg)
ところで、
取引所から離れて
埠頭で歩いている途中でしょうか。
何人かの漁師さん達が、
魚網の手入れをしているのを見かけました。
昔も今も変わらぬ姿です。
![漁網の手入れ(ハベア港) 15220](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1220.jpg)
ソロージャも彼の故郷である
バレンシアの浜辺を舞台として、
![漁船 (ハベア港) 15221](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1325.jpg)
漁を終えて帆を外し、
浜辺へ取り込む漁師の様子や、
数人で帆の繕いをする姿を描いています。
![Blog-16-1181](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1181.jpg)
キャンバスの中の漁師達の面差しは
厳しく、日焼けした肌は赤銅色。
![漁網 (ハベア港) 15207](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1326.jpg)
針を持って繕う手の先には
浜に広げられた大きな白い帆布。
そこには反射した波打ち際の海の青に、
砂浜のオークル色、そして強い黄色い日の光に
濃い影になった紫色がのせられていました。
![ナオ岬の灯台(バレンシア地方・ハベア) 15241](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1221.jpg)
ところで午後になって、
私は湾の右手に見える
ナオ岬の灯台まで上ってみました。
![夕暮れのモーターボート (ハベア湾) 15245](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1189.jpg)
しばらくの間
穏やかな海を眺めておりましたら、
気づかぬうちに太陽は灯台や壁の白を
徐々に琥珀色に染め始めていました。
![15244](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1185.jpg)
その時、『ああ、そう言えば…』と、
ソロージャが留守番をしている夫人宛に
綴った手紙の内容が心に浮かんだのです。
![4222](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1186.jpg)
『ハベアは荘厳で雄大、
描くのに知っている場所では最高だ。
…あと数日いようと思う。
もし君がいたのなら、2ヶ月』。
そして続けて、
『…しかし、何と言う海!
サン・アントニオ岬は別格の美しさ…』
![4224](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1187.jpg)
彼は、
岬のむき出しになった断崖を
赤みがかった巨大なモニュメントに例え、
またきれいな水の色は澄み、
輝くようなエメラルド・グリーン色であると
ハベアの美しさに感動したようです…。
本日ラストの写真
![夕暮れの海 (ハベア湾) 15246](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1327.jpg)
夕暮れのハベアの海辺では、
先ほどまでの抜けるような青空から薔薇色へと、
光の魔術師によるショーが始まりました。
![15247](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1190.jpg)
驚いた事に、
実際カメラで海を撮影してみると
色彩画家がキャンバスにのせた
色合いと同じでした。
![15248](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1191.jpg)
そして港の向こうには
あのサン・アントニオ岬の
きらきらと輝く赤い凝灰石の断崖が...。
![4225](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/Blog-16-1188.jpg)
巨大な岬の先端近くには
帰港する一艘の漁船がとても小さく見え、
ゆらゆらと動いています。
その姿を見て
なぜかとても愛おしく感じたのは
私だけでしょうか...。
それでは今回のお話はこの辺で♪
*** *** *** *** *** *** ***
ブログ後記
![ハベアの夜 172](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/Blog-16-1334.jpg)
いつも最後までご覧頂きまして本当にありがとうございます。
最後は地中海の雄大なる景色で終えたブログ、
いかがでしたでしょうか?
今回はテーマ「道」(V)のシリーズ、
マドリードの二つの散歩道を中心にお届けいたしました。
次回ブログの内容については只今思案中です。
アップまでどうぞお楽しみに...。
初稿公開日:2015年2月21日
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