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初稿公開日:2013年4月1日
撮影の小道具を使用して
日本で迎える久しぶりの春がやって来ました。
「桜の季節」は、日本中がとっても華やか。
でも桜の花一輪一輪は、決して派手には見えません。
むしろ可憐な印象を受けますが、仲良く集まって咲くその姿は、
圧倒的なボリュームと優雅さで、私達を魅了します。
また、桜の花トンネルを歩く時、
視線を花から花へ、そして次なる枝へと移せば、
花々が無限に咲いているような錯覚さえしそうです。
さて桜の花々を背景に置かれているのは、時々お世話になる小道具。
そう、ストップ・ウォッチです。
フィルムでの撮影時、長時間露光する場合に使っています。
でも今日は、別の目的のために手に取りました。
確か、前々回のお話は「アルメリア もう1つの顔」でしたね。
そのラストの写真「夕闇の中のアルメリアの町」で、
このストップ・ウォッチのボタンは押されたまま。
あれからずっとスペインのお話が止まっておりました。
これから再開するにあたり、このボタンをもう一度ここで押してみます。
さぁ、これで話の針がやっと動き出しました。
この季節にお話の続きが出来るなんて、
良かったと思っています。
それでは今回のお話を始めましょうか。
アルメリア地方・滞在の最終日
この地方に滞在するのも、
いよいよ最終日、この日を残すのみになりました。
滞在していたのは、アルメリアの町から90キロ離れた村
”Mojácar”(モハカール)。
モハカールは、
歴史のある村の部分と、海辺の2つの地域から成っています。
宿泊先は海辺にあるホテルでした。
毎日ここを拠点にして、あちこち訪ねていたのです。
夜明けの目覚め
最終日の明け方のこと。
いつもよりだいぶ早く、ふと目が覚めてしまいました。
連日活動的に動き回り、体はそれなりに疲れているはずなのですが、
眠っている間考え事をしているのでしょうか、
いつまでも頭は妙に冴えたまま、休もうとしません。
『早く目が覚めたのは、きっとそのせいよね』。
この時はそう思いこんでいたのです。
再び眠れそうもないので、そっと窓辺へ近づくと、
何と空と海は静かな瑠璃色でした。
そのどちらも朝の爽やかな光が混ざった、
完全な水色にはまだ目覚めてはいません。
それから、ここからは見えませんが、
背後に位置する白いモハカール村にも、
きっと同じ色のベールが覆っているはず。
刻々と変化していくこの美しい時。
やがて、はるか水平線から太陽が顔を出し始めます。
『あら...?』
夢中になって日の出を眺めていたからでしょうか、
気がつきませんでした。
振り向けば部屋の中にも、
朱色の光の帯が入り込んでいました。
強さを増していく光は、やがて頬に、そして瞳にも当たり始めます。
さぁ、一日の始まりです。
しかし、早く目覚めたのが妙に気になって、
前日の行動を思い返してみると...。
確か午後8時半頃、ホテルに戻り一息ついたので、
部屋のテラスに出たのでした。
サマー・タイム導入時期なので、中々日が沈みません。
美しい海がある、この地方で過ごす最後の晩でしたから、
『人が海から受ける精神的恩恵って何かしら...』と、考えていました。
でも、ご想像されるような難しい事では決してありません。
昼の海
自分が住んでいる都会。
眺めていますと、現代の建物が作り出す
「パズル・ピース」のような凹凸の描線が、
幾重にも隙間なく埋め尽くされています。
その連なりの中で生きるのは、良くも悪くも緊張感を伴うもの。
このような都会の生活から、
一本の水平線が引かれただけの空と海の世界へ。
陽光の下、輝く海に対面した時の開放感と、同時に
心身共に元気が湧いて来ることでしょう。
しっとりとした時間を与えてくれる夕暮れの海
ここモハカールの海からの、
ザーッと長く尾を引くかすかな波音。
その音は、幾つかのシュロやナツメヤシの木々の間を縫って、
耳に届いて来るのでしょうか。
波音の余韻を楽しみ、
また次に打ち寄せる音を繰り返し聴いていますと、
その日、印象に強く残った情景が瞼に浮かび、
そして懐かしい記憶も
共に織り交ぜて思い起こさせてくれます。
海には不思議な力があるのですね。
そうして海に思いを寄せながら、素敵な気分で部屋へ戻り...。
そうそうこの時です。やっと思い出しました。
早く目覚めたのが何故なのか...。
テラスとの間にあるカーテンも引かずに、
そのまま休んでしまいました。
今思えば、だいぶ疲れていたのかも知れません。
これでは明け方に目が「ぱちーん!」と、
覚めてしまうかもしれませんよね。
素敵な目覚めではなかった原因を知って、
ちょっとがっかり...。
でも数分間の幻想的な夜明け...。
これは、逆に出発の朝に与えてくれた
「贅沢な時間」だったかもしれません。
急勾配に広がる モハカール村
さてモハカールの海辺の様子が、
少しおわかりいただけたでしょうか。
それでは、海の香りを車に詰め込んでの出発です。
折角ですから、モハカールの村も是非ご覧になって下さいね。
明け方、瑠璃色のベールで包まれていた村は、
海岸からほんの少し内陸に入った小高い丘に広がっています。
手前にはオレンジの果樹園。その奥には白い村。
点々と見える果実のオレンジ・葉色の緑・白の色感から、
南欧の印象が伝わってきます。
村の外観は「家並み」よりもむしろ、「家波」が似合います。
また市街地は道も狭く、直進出来ない造りは、
北アフリカ諸国のメディナ(旧市街)と同じです。
アーチ付きのベランダや、バルコニーが多く見られるのは、
窓際やベランダに簡素なテーブルや椅子を出して、
お気に入りの海を眺めながら、過ごすためでしょうか。
丘の上部の辺り、旧市街の入り口付近に到着です。
さて、村の内部をこれから見てみましょうね。
ところが今日は初っぱなから、難問にあたってしまいました。
ふと目の前の景色を思わず見上げて、
「...!」
いきなり首が一瞬硬直しそうです。
急な階段を見上げて、
言葉が何も出なくなってしまいました。
『今日は、ずっと階段や坂と付き合う事になるのかしら?』
ここも狭くて急な階段です。
『階段は何処まで続くのか?』
そして、ここも!
あちこちにある階段や急坂。
全てご覧いただけないのがとっても?残念です。
村の起源
さて、これからお話を進めるにあたって、
ここで簡単に村の起源を書いておきますね。
13世紀末頃。
この辺りはアル・アンダルースの領域、
イスラーム教徒が統治する「グラナダ王国」内にありました。
以前の村は、もっと海寄りの別の丘にあって、
そこから現在の地に移動したと言われています。
また当時40㎞ほど北にあった、
敵対するカスティージャ王国の保護領、
「ムルシア王国」とこの村は境界を接していた為、
重要な軍事拠点の1つでもありました。
ですからお天気の良い日には、
この丘から海や山がよく見渡せます。
「町の門」付近
当時、イスラーム教徒が建造した城塞や、
その後16世紀~19世紀の間に村をぐるりと囲んでいた城壁も、
残念ながら今はもう残っていません。
ただ15世紀に建てられた
城壁の入り口だけは残っています。
その後1574年になって、村の紋章が掲げられました。
この門の別名は、
”PuertadeAlmedina”(プエルタ・デ・アルメディーナ)。
アルメディーナとは、アラビア語で「町」。
プエルタは、スペイン語の「門」を意味しますから、
「町や市街地の門」の事です。
今度は逆に、門の内部から外を見てみましょうか。
アーチ型をした門の側壁や、正面奥の扉の上には
”LaTaberna” (ラ・タベルナ)の文字。
タベルナとは居酒屋の事です。
近寄っていきましたら残念、
お店は午前中なのか、まだ閉まっています。
もしかして日の傾く頃なら、タベルナの前を通ると
ワインやオリーブ油を使ったお料理の香りと共に
店内から楽しげな声が聞こえてくるかもしれません。
今度は、アーチの中に立ってみましょうか。
タベルナが入っているこの建物は、18世紀に建てられました。
2階に目をやりますと、手書きの青色の看板が掛かっていますね
。“ElTorreón”(エル・トレオン)とは、「大きな塔」「櫓(やぐら)」という意味です。
今はペンションになっていますが、
昔は外来者がこの村の門に入る前、
「入村税」を納めた重要な場所だったのです。
どんな品物を売買しにやって来たのでしょうか。
村のシンボル「エル・インダロ」
ところで街中を歩いていると、
ある「シンボル」が目に入ってきます。
写真の中で見つけられましたか。
そう、水色の扉の上にありますね。
両手で虹のようなアーチを支えている姿。
その名前は ”ElIndalo”(エル・インダロ)。
ほら、通りの名前が書かれている絵タイルにも!
すでに数百年前からある習慣で、
家の扉や外壁の漆喰にも見られます。
その目的は、幸運や魔除け、
さらに嵐や雷に対する御利益付きなのだとか。
靴を履き替える女性の彫像
さて、村の特徴である「坂」を良く表現した
彫像を見つけました。
場所は、村はずれの村営駐車場の近くです。
まずは像を中心に一回りします。
おや?石碑に何か書かれていますね。
何て書かれているのでしょう。
要約しますと、
「下から登ってくる 田舎住まいの”Mojaquera” (モハケーラ)は
市街地の急な坂道に対応する為 この石の傍で 履いて来たサンダルを
靴に履き替えていました」
「モハケーラ」とは、モハカール村に住む女性のことです。
モハケーラでも、畑などがある下の平地に住む者もおり、
用事の為に上がって来ていました。
このように坂道は、昔から村の名物だったのですね。
さて、ここを訪れた人々は、
像の前で記念写真を撮っていきます。
私も撮ってみようかしら。
今度は、カメラのファインダー内からモハケーラを捉えます。
片足を宙にひょいと浮かしたポーズは、
昔のここの女性達の習慣が、とてもよく表現され、
また何とも女性的でかわいい仕草ではありませんか。
モハケーラのベール
『では...』と、
シャッターを切ろうとする指が、かすかに動いた瞬間、
「ねぇ、いま履き替えるから...待っていて!」
私 「えっ、あっ。モハケーラが喋っている...まさか!」
驚いてカメラを構えるのを一旦止め、
周囲を見回しても、別段何事もない様子。
モハケーラは、やはり私に話しかけていたのです。
モハケーラ「そう、私よ♪ これから教会前の広場まで行くところ。
歩きながら村の昔や今のこと, 色々お話したいと思って。
どう、一緒に行かない?」
実は、彼女の被っているベールを見て
ひょっとしてイスラーム教徒の名残かしらと、思いました。
ちなみに女性がベールを被る習慣は、
古代でも、そして15,6世紀の
ヨーロッパの上流階級に流行した事もあるのですが、
実際彼女のベールは、どうなのでしょうね。
私『モハケーラが、お話をしてくれるなんて!
では、広場まで一緒に行ってみようかしら...』。
どうして私に声をかけてくれたのかは、わかりません。
ですが貴重な体験なので、例の広場までお話を聞く事にしました。
モハケーラ「さぁて今、あなたが何を考えているのか当ててみましょうか?
私のべールの事、イスラーム風と思っているでしょ?
確かあなたと同じ印象を持った、
外国人作家が来たのを覚えているけれど、
ええと、あれは1930年代始めだったかしら...」。
モハケーラ「確か彼は、AlbertT´SERSTEVENSさんと言うお名前よ。
車でスペインの旅をしていたと、聞いたわ。
その後彼が出版した本の中で、まだベールを被っていた私達を見て、
驚いたとか、感激したとか...。
そうねぇ、ベールについてかいつまんで言えば、
こんな風に書いていたはずよ」。
村の女性は、ベールを被っている。
まるでモロッコのフェズやマラケシュの
街角にいるベルベル人女性のようだ。
既婚女性のベールの色は黒く、長さは膝丈くらいまで。
もし道に一人でも男性が現れると、
ベールの片方の布を歯で挟んで
素早く口と鼻を隠すのである。
しかしそれ以外は、他のスペイン人女性と変わらない。
ブラウスに膝丈までの広がったスカート、それにエプロン姿である。
一方、独身の若い女性のベールは、より小さくてカラフルな色。
例えば青やローズ色の花柄模様の、とても美しいベールであるが、
しかし、既婚者のように頬を隠すことはしない。
モハケーラ「どう?あなたも20世紀にそれもスペインで、
私達に出会ったら、さぞびっくりしたでしょうね。
わかるわ...あなたの気持ち。ベールを見て、
ちょと奇異な感じがしたのでしょ?
...では、あなたが知りたいベールの起源について、
2,3話してあげるわね」。
こうしてモハケーラは、過去への旅へ誘う(いざなう)ように
一風変わった口調で、次のように話し始めたのです。
モハケーラの話・村を去っていったイスラーム教徒
あれはグラナダ王国が 陥落する4年前の 1488年のこと
近隣に待機していた カトリック両王は
他村と異なり 中々降伏しない モハカール村に
警戒し 親書と共に 使者を差し向けた
開城を イスラーム教徒の城塞主に迫るため
村の麓の泉の前 行われた会見で 村の城塞主の言葉とは
認めて欲しい 先祖代々の土地を 耕すことを
貴方達に 刃を向けたことは この村は ないのだから
交渉で これからの スペインでの 居住許可は得たものの
待っていたのは 村と城塞の明け渡し
村の鍵を渡すのは 村から退去を意味すること
新しく彼等の村を 造るため 丘を降りて行きました
入れ替わりに やって来たのは
キリスト教徒の再入植者 ムルシア王国からの100家族
もしも ムルシアからの民が 今の村の大多数の 祖先であるのなら
イスラーム・ベールの 起源の立証は 困難に
モハケーラの話・イスラーム教徒の辿った道
レコンキスタ完了の 1492年から
スペインに残り キリスト教徒に改宗した
イスラーム教徒(モーロ人)を
”Morisco”(モリスコ) と呼ぶ
モリスコ女性と キリスト教徒男性の Mix婚で
ベールは 受け継がれたかもしれない可能性
例えるのなら この地に残った カスティージャ王国の召集兵や
ムルシアからの 再入植の男性との結婚
一方 カトリック両王と教会の ある試みとは
キリスト教に モリスコ達を 同化させること
上手くいかぬ政策で やがてグラナダ山中で モリスコの蜂起
1609年 モリスコは とうとう国外追放へ
蜂起した1つの訳を 虫眼鏡で拡大し 覗いてみれば
カトリック両王後の 女王や王達の 繰り返される 禁止令の発布
あれだめ!これだめ!発布の対象は
イスラーム風の 女性ベールの有無や 服の丈
モリスコの 反発起きれば 一転許可 そして前言撤回
さらなる撤回の延期、また禁止
まるで 紅白旗の 旗揚げゲームの如く
何度も迷走するは 王達の勅令
追放から逃れた モリスコ女性とのMix婚が あるとしたら ひっそりと
それはひっそりと 500年も ベールが受け継がれること
未だ判らぬは ベールの起源
それとも ムルシアからの 再入植者の 後の風習なのか
モハケーラの話・厳しい時代が続いた「モハカール村の生活」
モハケーラ「ベールの起源。何せかなり昔のことだから、どうなのかしらね?
イスラーム・ベール説を主張している人はいるわ。
けれど、賛否両論がこの他に幾つもあって
私自身、どちらに軍配が上がるかは、
これからもっと証拠立てが必要なのだと思っているの」。
モハケーラ「じゃあ、次は村の話をするわね。
あのね私、イスラーム教徒も気の毒だったと思っているわ。
本当よ...。
でもね、ムルシアからの人々も、
あれから生きるのに必死だった。
村はね、コロンブスでお馴染みの、
アメリカ大陸への航海時代には、
どんどん寂れていったからなの」。
モハケーラ「どうしてって、この頃のスペインは、
「黄金の世紀」と華々しいイメージがあるでしょ。
でもね、スポット・ライトを浴びたのは、
国内でも大西洋ルートの地域ばかり。
そのライトの影となったのは、この辺りだった。
それに、期待するような新大陸からの、
富の分配などなかったし...」。
モハケーラ「そうして、村の勢いがなくなってくると、
自分達の安全も十分に守れなくなる。
それを、思い知らさるような災害が起こったのは、
1518年の晩秋だったわ」。
モハケーラ「ある晩、それも寝ている時だった。
大地震が起きて、村の1/3の家が壊れてしまった。
あろうことか、村人を守るはずのお城も城壁も、
この時、崩れちゃった」。
モハケーラ「お城を眺めて、どうしよう!と、人々が頭を抱えた。
理由はね、修繕費用と怖ーい海賊の存在。
うかうかしていると、トルコや北アフリカから
また襲ってくるかもしれない。
結果、何とか早くて安い、1つの大きな塔を、
塁壁が交差する場所に、建てることで落ち着いた」。
モハケーラ「案の定、修理し終わった翌年の1522年、
やはり海賊は、やって来た。この村はもちろんのこと、
周囲の村へも1500人の海賊が襲い、略奪していったわ。
これでは、人々は恐れて住みつかなくなっていく。
『弱り目に祟り目』とか『泣きっ面に蜂』と言うように、
まぁ、次から次へと不運が連鎖して起こるのよねぇ」。
モハケーラ「それと、敵はいつも海からとは限らない。
村が壊滅的な被害を受け、数十年単位で立ち直れなかった戦争。
それは、1808年に起きたスペイン独立戦争だった。
それも突然攻めてきたのよ、ナポレオン軍が!
この戦いでは、飢え、黄熱病や天然痘が村を襲って...。
本当に村は、ぼろぼろになってしまった」。
モハケーラ「でもね、近隣の鉱山ブームのお陰かしら、
1800年代半ばになって、人が一気に村へ集まったの。
で、やっと一息。ところがやがて鉱山は閉鎖になり、せっかく増えた村民も、
ごっそりアメリカやアルゼンチンへ。
そう、移民していったわ」。
モハケーラ「鞄1つ下げて旅立っていった姿が、
今も...忘れられない。
この時、『物事の動きって一気に昇ると、下降も一気』と、
つくづく感じたわ」。
モハケーラ「それとこれはね、あくまでも都市伝説なのだけれど...。
WaltDisneyは1901年、シカゴで生まれたのではなく、
このような時代にモハカールで生まれ、
その後アメリカへ渡ったというお話は知っている?」
モハケーラ「ええと...。お話をもう少しだけ続けさせてね。
1930年代後半の内戦。親子、兄弟で敵同士になり、戦ったわ。
で、息をつく暇もなく第二次世界大戦。
もう大戦は、参戦するどころではなかった。
けれどこの戦争で、ドイツ、イタリア側に付いたから、戦後世界からは孤立。
物不足で値段は上がり、またもやフランス、ドイツ、
北部スペインへと、人々は新たに旅立っていった。
モハケーラ「そうねぇ...。
そんな移民して行く人々を見送りながら、ベールをまだ被っていた私は、
黙々と壺を抱えて泉まで、とにかく日課の水汲みに通っていた。
つらいことがあっても、家族や家の為に水は必要だったから。
30分程かけて、いつもの景色を見ながら降りていったのは、
1960年代の始めまでだったかしら」。
モハケーラ「もちろん、この頃まで水道の他、電気、電話がないのは当たり前。
交通の便は悪いし、さらに以前は海が洪水になるとね、
それはもう、村は何日も陸の孤島のまま。
今思えば道理でファッションも、他よりうーんと遅れていたはずよね」。
モハケーラ「そうそう、大切な事を言うのを忘れてたわ!
実を言うと今、あなたが歩いて、見て、
そして感じた村は、60年代以降のモハカール村だと言うこと。
観光地化の転機になったのは、ちょうどこの頃ね。
数年前に世界からの孤立化が解けていたから...」。
モハケーラ「ところでこの頃、村の過疎化は本当に深刻だったの。
鉱山ブームの時と比べると、たった1/20の人しか住んでなかったから。
またもやここでどうしよう! となったのよ。
そこで困った村長は、村おこしを考えた。
それは外国資本を入れ、ホテルや新市街地の建設をする事」。
モハケーラ「それから、村に住みたい外国人へ、
廃屋同様になっている場所を、無料提供までした。
新しく住んでもらうように、とりわけ知識人、銀行家、芸術家、
...ボヘミアンまでにも。
そして見栄えがするように、
家々も美しく白く塗り替えたというわけ」。
モハケーラ「ねぇ?ところで、1つあなたに質問しても良い?
観光客、特にヨーロッパの寒い国の人々は、
どうしてモハカールに来ると思う?」
モハケーラ「答えてしまうけれど、太陽と海があるからなのよ。
で、彼等は浜辺に居るのが飽きてくると、
時にはちょっと気晴らしに半日か一日、
岬巡りや、丘の上のこの村にも遊びに上ってくる。
一巡り村を散策すると、
あとは展望台のカフェでのんびり、かなぁ」。
モハケーラ「今のモハカールはね、外国人や、その資本が創り上げた
『外国人好み、南欧、エキゾチック』でもあるの。
だから村や、お祭り、それから民族衣装も含めて
反映されている事も忘れないで見て欲しいの」。
モハケーラ「かく言うこの私も、村おこしの一環を担っていて
『モハケーラ・イメージ・レディ?』として、村のお役に立っているは・ず。
そうね。この村も本当に色々変わったわ...」
モハケーラ「さてと...。
ちょうど上手い具合に広場に着いたわねぇ。
これで私の村のお話もおしまい。
最後まで本当に良く聞いてくれたわね。 とても嬉しかったわ!」
モハケーラが連れて行ってくれた小さな広場には、
サンタ・マリア教会があります。
教会はまた、海賊対策の為に要塞化され、
壁は頑丈に出来ているのだそうです。
私は、教会の分厚い外壁をあちこち眺めながら、
私「モハケーラ、なんとまぁ、ため息が出るほど次から次へと、
困難な時代を生きてきたのね...ねぇ、あら?」
振り向けば、そこには先程まで話をしてくれた
モハケーラはもういませんでした。
モハカール村を後にして
何と広場中央には元の姿に戻った
「モハケーラ・イメージ・レディ」が、
じっと一点を見つめて佇んでいたのです。
『...今日はあなたに会えて、本当に良かったと思っているの。
私は元の姿に、もう戻らなくちゃ!
また、いつかここで会いましょうね♪』と、
そんな風にモハケーラは、私に言っているようでした。
私「私もよ。どうもありがとう。あなたに会えて良かったわ!」
彼女によって繰り広げられた「村の歴史絵巻」。
その絵巻には災害や戦争が起きる度に
丘に立つ村そのものが、
「一本の蝋燭」であるかのように
地中海から吹きつける突風によって、
炎が今にも消え入りそうになりながらも、耐え、
そして今もじっと燃え続けている光景が、
浮かび上がるようでした。
時計を見ると、彼女と共にした時間はさほどでもないのに、
随分と時間が経過したように感じました。
真っ白に塗られた漆喰壁と海の青さを交互に見ながら、
つづら折りになっている旧市街を歩いて、駐車場へと向かいます。
やがて車に揺られながら、村を下る坂を降りていけば、
彼女が語ってくれた歴史の話が、あれこれ思い出され、
丘を後にして走る車のミラーからは、
白い家波が、少しずつ遠ざかって行きました。
丘に立つ白いモハカール村を背にして、
地中海道路 A-7号線を結ぶ「村道」が通っています。
よくご覧になれないかもしれませんが、
A-7号線は、ちょうど奥の山並みの麓、左右に通っています。
また単調な田園風景が15㎞ほど続くこの村道は、
アルメリアの町や岬へ出かけた日には、
何度もお世話になりました。
車でトコトコ走るのはのどかすぎて、
苦痛に感じたこともありました。
しかしこの写真を撮ったお陰で、
「のどかなトコトコ道」は、
この旅の全てが詰まっている一枚となり、
今ではとても良い思い出になっています。
旅の思い出は、人それぞれ。
私は、旅先の何処かで必ずこのような
「心の為の記念写真♪」を、撮る事にしています。
それは、他の人にとっては何の変哲もない景色かもしれません。
例えば、今回のようなモハカールを結ぶ村道。
それから収穫期に、刈り忘れた道路脇の麦の穂。
また田舎の駅舎やホームなど、それは様々。
でも撮るときは肩の力を抜いて、
楽しく、それは楽しく!撮ることにしています。
私にとって、それが基本だと思っているからです。
本日ラストの写真
モハカールのお話、如何でしたでしょうか。
ラストの写真は、古い監視塔からの眺めです。
かつては海賊の監視番をしていた人々も、
水平線に目をこらしながらも、目の前の海原の上を飛んで行く
海鳥を見てほっとしていたのでしょうか。
さて、今回は特にモハケーラにも手伝っていただき(?)、
村の「観光地化」する以前の話と、現在の村をご覧頂きました。
スペインの地中海沿岸の観光地は、
所によって高層ホテルが、びっしりと建ち並ぶ海岸もあります。
しかしモハカール村はその点、
外観をあまり損ねることなく、村おこしが出来たのではないでしょうか。
最後までお読み下さり本当にありがとうございました。
次回は、海から内陸地に入ったお話をする予定です。
ではまた、お越し下さいね♪ お待ちしています。
初稿公開日:2013年4月1日
アラベスク文様の手帳から・・・インデックスへ戻る
iPadで見せて頂いています。\r\n明日か明後日には散ってしまう 物とは到底思え無い 生命力を感じます。桜には紺碧の空が似合うと言う観念を打ち砕くかのような、薄い青と白い花のバックが花芯の黄色をより引き立たせていますネぇ〜。\r\n\r\n無機質なストップウォッチと丸く光る自然の風景が良く似合います。\r\n\r\nバックは土でしょうか⁇大木の樹表でしょうか⁇ 右下の(^^)緑の細い枝が桜を身近に感じます。\r\n\r\n花の名は、咲き方は詳しく知りませんが、よくも集まった物だと感心します。\r\n\r\n陸地と波と波が起こした霧の様な白があってこそ、はじめて海と空が瑠璃色に ‼\r\n\r\n朝焼けの赤と紫にまだ目覚めて居無い南の木の葉は何故か懐かしく感じてしまうのは私だけでしょうか ⁇\r\n\r\n日が登ると隠れて居た屋根や塀が見てくるのですネ ‼ ⁇\r\n\r\n空の色の表情は人の顔の表情よりも多いのでしょうネ ⁇\r\n\r\nフィルターで色を付けたのかと思いました、不思議色です。\r\n\r\n空と岬砂浜と海と波、どうやってレンズを選んでどうやって角度を決めているのか⁇しかも浮かぶ船は偶然ですか⁇\r\n\r\nさざ波に夕日を映す発想プラス ヤシの葉の間に太陽をこの瞬間を見逃さ無いのは 驚きです。\r\n\r\n地球上にこんな風景が有るとは信じられません、絵に書いたのか⁇ と思いました。\r\n\r\n遠くに霞んだ山のせいでしょうか⁇\r\n白い建物は波のようです。\r\n\r\n人間が造った家なのでしょうが 空と畑に囲まれて自然が造った物の様に見えます。\r\n\r\n単なる坂道を…何故シャッターを押そうと思ったのか、石畳と白いラインと壁と建物が こんなに面白いコントラストを 出すのを計算済み…なのですかァ~⁇\r\n\r\n建物の直線の間に階段とオレンジ色の街灯。物を見る眼が私達とは違うのでしょうか ⁇\r\n\r\nアップにすると⁇又は階段によって 材質が違うのですか⁇ 建物も良く見るとブロック積み跡が、又手すりを付けたウチも有るのですネ ‼\r\n\r\n家に雨水が入ら無い様に 両はしが少し高く成っているのか⁇ 歩いているウチに真ん中が凹んだのか ⁇聞いてみたい ‼\r\n\r\n空と一体になった風景と路面のフラッグチェック手すりの黒と街灯の黒が 浮き出てます、ここ迄で1番好きかもォ~(^^) ‼\r\n\r\n空 山 海 は青。近くの山 平野は緑 道は子供が書いた様に そして、近くの風景。 現実と夢が混ざっている様です。\r\n\r\n四角く角張った建物のトンネルにアーチ その窓に赤い花。街ごと作品デスぬゥ〜(^^) ‼⁇\r\n\r\n村の紋章ですか ⁇ 日本人の家紋と同様に 村の誇りを大切にしている様子が この一枚で解ります‼。\r\n\r\n居酒屋ですかァ〜‼⁇ オシャレ過ぎて引きます。\r\n\r\n居酒屋の入り口のドアーはオレンジ 、ますますオシャレー 。\r\n\r\n建物は徹底して白 水色のドアーと庇がはえますぬゥ~(^^) ‼ \r\n\r\nエル・インダロ 私には 荷物を頭にの上に乗せた人に見えました ⁇ 虹とはスケールがデカイですゥ〜 ‼\r\n\r\n靴を履き変える女性 文章を読む前に見た感想は モナリザです。\r\n\r\n居酒屋等は 小文字も使って居るのにたいして 村の名前は大文字なのですね ⁇ ‼\r\n\r\n話し声が聴こえても不思議では無い程 リアルです。\r\n\r\nベールはシルクですか⁇ アイシャドゥのブルーととても良くマッチしてます。\r\n\r\n少し休憩を…
色や模様も一族のとかがあるのでしょうか⁇又は時代による流行りとか⁇。\r\n\r\n花に水をあげて居るトコなのかな⁇\r\n\r\n成る程既婚未婚の違いにより口を隠すか隠さ無いかが 違うのデスね。\r\n\r\n鳩達は水を飲みに来たのですか⁇\r\n日本の鳩の様に白や黒は居ませんねェ〜⁇ たまたま ⁇ \r\n\r\n石畳?に映った空は 今迄のとは違う青に見えます。\r\n\r\nやはり 大文字 ‼村名ですか⁇。\r\n\r\n屋根の色形、中央の光 異教徒な私には少し恐ろしくみえます。\r\n\r\nモノトーンに見える景色も何故か鮮やかデス。\r\n\r\n真横から照らす日の光が石の壁を更に立体的に 紫の花とオレンジ色の小さい花が‼ サボテンは大きい ‼。\r\n\r\n街を歩く人の為に花を飾って居るの⁇ 通路の路面には植えてはいけ無いと言うルールが有るのかな ⁇。\r\n\r\n住まいで無い建物は白く塗って無いのにも 何か理由が ⁇。\r\n\r\n空の色が高い程濃くなって居るのは、色を塗ってそうした様にさえ思える程。マストとロープは真っ黒に塗ったかのようです。\r\n\r\n住いは四角くお城、城壁は円柱 ⁇\r\n\r\n帆の青い三日月マークは、何処かで見た様な ‼ ⁇\r\n\r\nお城の窓の形も 通路のドームの形と同じですネぇ〜‼ ⁇\r\n\r\n水かお酒いれる壺の様に見えますが、明らかに アジアの物とは形が違いますネ ‼? \r\n\r\nドアーと窓の格子がオシャレな色 ‼\r\n\r\n電柱送電線が無いのに今 気付きました。\r\n\r\nそんな訳で白く塗ったのですかァ~⁇‼ 成る程 ‼\r\n\r\nビーチパラソルもベットも色わを統一してるんですネぇ〜‼ ⁇\r\n\r\n白い壁に植木鉢な煉瓦色が赤い花をより赤く見せて居る様に ‼。\r\n\r\nここまで徹底して、壁は白く 窓扉には濃い色をとは ‼。\r\n\r\n衣装についても考える事多かったです。日本は欧米に流行を合わせ過ぎですネぇ〜 建物も街自体も 日本らしさが ドンドンなくなって居ますね。\r\n\r\n教会デスか⁇ 成る程採光様らしき窓から 壁の厚みが解ります。\r\n\r\nここ迄撮ると声も聴こえるのでしょう ‼。\r\n\r\n岬の岩肌には 苔もはえて無いのですか ⁇ 人々だけで無く、自然までもが 協力して居る様ですネ ‼。\r\n\r\nロウソクの灯りも煙まで 空気ごと、味方して居るのですか ⁇。\r\n\r\n人も車も少ないですね。居無い時を狙って撮っているって事無いですよね ⁇。\r\n\r\n駅舎やホームもしも 近くの駅が…と想うと、あまり良い気分では無いのにこの駅は何で違和感無いんだろう ⁇ \r\n\r\nきっと日本にはこんな景色が無いんだと 思い 前回の写真観ました… 景色では無く、見る気が無いんだと 痛感。観てるうちに一眼レフ欲しいなと でも 見る眼が無いと 撮れません。勝手なこと延々とすみませんでした。 次作楽しみに待って居ます。
うちだ 遊次さま\n\nいつもご覧いただきましてありがとうございます。\nまた、今回は一枚一枚に対するとても貴重なコメントいただきまして、重ねてお礼を申し上げます。\n\nまた意外と思われるかも知れません。が、写真を注視し、分析することは、結構エネルギーを必要とする作業でもあります。ですから、ラストの写真を見ていただいた時点で、とてもお疲れになったことは想像に難くありません。本当にありがとうございました。\n\nさて、ご質問等がたくさんございました。\nそれらに関して幾つかをご説明させていただきますね。\n\n「桜の花」に関しましては、現実に目に入ってくる花とそれを取り巻く風景。そして私達、日本人が抱いている、桜の花を愛でる心が表現したかったのです。\n\nもう1つの桜の写真は、それ程太くない、どちらかと言えば細めの木の幹から見事に咲いている花々、そして若芽です。撮影した境内には、大勢の方が上を見上げて花を撮られておりました。他方、こんな場所にも一生懸命「春の桜」を見せてくれているのですね。\n\n夕暮れの「ホテルの中庭」。\n水色とオレンジ色の夕暮れは自然の色です。\nフィルターで色をつけた、と言えばそんな風にも見えますが、毎夕見られる色でもないようです。\n\n滞在している間、この日の夕暮れだけでした。\nほんの数分であっという間に色がなくなってしまう「神秘的な時間」だと感じています。\n\n「ヨットと砕ける波」。\nアルメリア県はとても自然がたくさん残っている場所で、ちょっと「心象風景」=見たこともない風景が多く見られます。\n\nこの写真で「どうやってレンズを選び、角度を決めるか?」のご質問に関して。\nヨットは偶然です。見た瞬間に、頭の中で構図は決定されます(笑)。あとはヨットの動きや海岸の波しぶきの処理の仕方を楽しく考えます。\n\n「地球上にこんな風景~」とは、「夕日が差し込む棕櫚の木」の次の写真のことですね。\n海岸にある変わった岩山の写真。\nこれも先程と同様、見たこともない風景かもしれません。特に「人があまりいない場所」というのは不思議な感覚にとらわれます。。\n\n「棕櫚のある海岸の道」。\n今回のブログは「波」という文字がキー・ワードの1つでした。文中で「家波」=モハカールの村の全体風景の印象です。\n\nそして文中最後近くで、私がモハケーラに「次から次へと困難な時代を生きてきたのね…」と言っています。これも村へ苦難が「波のように押し寄せる。そして新たに押し寄せて来る」という意味合いもあります。この写真の奥に見えるのは、モハカールの海辺の建物群です。これもあえて「白波」にたとえて見せています。お気づきになられて、びっくりしています。そしてとても嬉しく思いました♪\n\n旧市街の入り口付近の写真。「道路に矢印」。\n風景を幾何学的に見ると楽しいですよ。四角や三角...。こんな風に捉えることもあります。\n\n「村の建物に挟まれた急坂とオレンジの外灯」の写真。\nモハカールの旧市街を表現している1枚です。建物や鉄格子のベランダ、玄関周りの絵タイル。勾配のある狭い階段。途中の落書き...。この1枚から、そこに住む人々の日常生活が見え隠れしています。\n\n「村の展望台と4人の若者達」。\n昔は、監視をしていた場所でしょうね。今では、のんびり人々が海や山を眺めたり、BARでビールを飲んだり...。確か降伏する数十年前に、キリスト教徒達がやって来て大がかりな略奪、殺戮行為をしています。当時は、まさに生きるか、死ぬかだったはず...。\n\n「村の紋章」の写真。\nレコンキスタが終わり、800年近くにわたるイベリア半島の、アル・アンダルースによる統治が終了したことを踏まえると、イスラーム教徒が統治していた軍事拠点、モハカール村を奪ったキリスト教徒は、「前任者否定」を表明するために紋章に掲げたかったのでは?と私は思っています。\n\n一連の「イスラーム風の衣装をまとった人々」の写真は、\nスペイン東部、ヴァレンシア州にある町のお祭りの写真です。山車の上で横たわっている女性。そのブルーのベールは、サテン地ではないでしょうか?\n\nこのお祭りの中でイスラーム風の衣装は、ご質問の通り、部族によって異なる衣装を纏っています。アフリカのベルベルのリーフ系、トゥアレグ系の部族、それからアラビア半島のベトゥイン...です。\n\n「花に水やりをしている男性」。\nご近所の花に水をあげているのかも知れません。後ろに置かれている道具から、左官屋さんのようです。\nそれから家の前の公道へ直に園芸をしている方はいませんね。マドリードの街では、市役所の園芸係と清掃車が良く来ていましたので→求人対策の1つ?。どうなのでしょうね、ルールの方は置いてはいけないかも知れません?\n\n「噴水と鳩たち」。\n有名なグラナダのアルハムブラ宮殿内の写真2枚です。アルハムブラの悲しい歴史を知っているのか、グラナダの空は、とても蒼いです。\n\n「水汲み用の壺」\n村には麓に泉が1カ所しかありませんでしたので、女性は壺を抱えて水汲みに行っていました。かなりの重労働だったようです。\n\n「電柱送電線」について。\n山の中の小さな村には電柱がある場所もありますが、日本のように全てではありませんね。\n\n「北部スペインの狭軌鉄道の駅舎とホーム」\nスペイン国内を取材する際は、いつも車で廻ることが多かったのですが、道に平行して鉄道が通っているのを見つけますと、つい車を駐めて写真を撮りたくなります。\n\n日本の駅舎も歴史がある駅、山間の小さな駅と見ていて楽しい様に、スペインも南部では白壁の駅もあります。どれもとてもかわいい感じがします。駅は村はずれにあることが多いのですが、娘や孫を迎えに来るおじいさんの姿を見ると、古い歴史を感じさせる駅舎と相まって、まるでヨーロッパを舞台にした「白黒の映画」と見間違えるほど、です。\n\n長くなってしまいました(笑)。\nカメラを手にして、スペインの町や村を散策しますと、確かにどこもかしこもそのまま「絵」にあるような場所がたくさんあります。それは彼等が日々景観に注意を払って、努力しているからでもあります。\n\n日本にもとても興味を引く場所がたくさんあると思います。目に入っているけれど、見えていないことは、ありますよね。いつもと違う角度で物を見てみると、案外気がつかなかったことが、見えてくるかも知れません。これは私自身に対する問いかけでもありますが♪\n\nさて、うちださん、写真や文の解説は如何でしたでしょうか?「なるほどねぇ….」と思っていただけたら幸いです(笑)。\nたくさんのご質問ありがとうございました。\n今後ともどうぞよろしくお願いいたします。\n\nFotoMikiko