アラベスク文様の手帳から・・・インデックスへ戻る
初稿公開日:2012年6月5日
詩的な文章に隠されたもう1つのアルメリア
前回のお話では、
アルメリアの美しい自然について
アラブ人によって記述された文を
ご紹介いたしましたが、
まだ覚えていらっしゃるでしょうか。
実はこの町は、
美しい自然の他にも
もう1つの顔を持っていて、
また本来この文も、
次の様な言葉が付け加えられて
初めて完成するのです。
「アルメリアは町として、他よりも優れているのは明らかである。
銀色の川、エメラルド色の海、黄金色の砂浜、縞模様の玉石達、
高くて強固な城壁、聳え立つ、近づくことの出来ぬ城塞は寄木細工で出来ているような景色だから」
さて、今度は全文を読まれて
どんな印象を持たれたでしょう。
金、銀、そしてエメラルド色。
これらの自然の彩りに加え、
町の丘には強固な「城塞」が
聳えていたとは...。
意外なる組み合わせと
感じたのではありませんか。
さて
この「城塞」という言葉は、
アラビア語由来のスペイン語で
”Alcazaba”「アルカサーバ」と言います。
今回はご紹介した文の中で
新たに登場したアルカサーバの
成り立ちについてお話をしようと思います。
調べていきますと
建造に至るまでの経緯が
スペインのみならず隣接する国々にも
絡んだスケールが大きいものでした。
またアルカサーバが
とても良く見える町全体の景色は、
お話の最後に
ご覧頂こうと思っています。
まずはご一緒にこの門を潜り
アルカサーバの世界に
入って行きましょうか。
重要な港があった町 アルメリア
ここは、
町の丘に建っているアルカサーバの
“Puertade la Justicia”「正義の門」です。
この門は、かつては
「風の門」と呼ばれておりました。
シンプルで堅牢な作りな上、
また美しい門だと思いませんか。
階段を登りながらこの門を眺めますと、
当時の人々の外敵に対する
強い守りの気持ちが
伝わって来るようです。
このアルカサーバは、
10世紀中頃に建てられました。
しかしその頃、イベリア半島北部にいた
キリスト教徒勢力に対する防衛を目的とするならば、
よりによって建てられた場所が
何故半島南東部の
アルメリアだったのでしょうか。
『うーん、…』
今ひとつ腑に落ちません。
地理的立地から想像すると、
どうやら敵はまず
キリスト教徒ではなさそうです。
ではこの強固な防衛用建造物は
一体どんな外敵を防ぐ為だったのでしょうか?
いずれにせよ
たとえ敵が誰であったとしても、
外敵が欲するような魅力的なものが
アル・アンダルースには存在する訳で、
いつの世も「繁栄する国は、発展や
豊かさと引き換えに危険に晒される」
と言えますね。
8世紀半ばから11世紀初頭のアル・アンダルース
さて8世紀後半のイベリア半島では、
イスラームの領域アル・アンダルースの
ウマイヤ朝が興り、
首都を”Córdoba”(コルドバ)に置きました。
特にアルメリアのアルカサーバ建造時の10世紀、
コルドバのウマイヤ朝は
西ヨーロッパで最も栄華を極め、
重要な都の1つだったのです。
しかし
繁栄をしていたコルドバの都にも、
近い将来アルカサーバの建造を、
余儀なくされるような恐ろしい噂が
奴隷市場で囁かれていました。
仮にこの噂が、
首都コルドバの支配層の上部へ
首尾良くこの話が取り上げられ
相応の対応が全領域にされていたならば、
あるいはアルカサーバはアルメリアに
存在しなかったかもしれません。
では、
「そんな重要な内容とは何だったのか...?」
それを知るために、
コルドバの市場を一度覗いた方が
良さそうですね。
そこで、
当時の中世コルドバの市場が
どのようであったかをイメージしやすいように
実際のコルドバの城壁の他、
現代のある町で催された
「中世祭り」の写真を何枚かご紹介します。
ご覧になって、当時のコルドバ市場を歩くような
気分になって頂けたら...と、思います。
上の写真は、
お祭り広場で開かれた市の様子です。
見ていると何だか一瞬、
『映画のセットかしら?』と、
錯覚を起こしてしまいそうです。
街角も、人々の服装も中世そのもの…。
皆さん、何だか楽しそうです♪
スペインの人々は、
十字軍の騎士姿も当然の如く似合いますが、
中央の男性のように、
な・ぜ・かイスラームの民族衣装も
『うーん!』と唸る程とても良く似合います。
さて中世の雰囲気は
何気なく掴めましたでしょうか。
それではこれより先、
かつてのコルドバ市場に戻って
お話を進めていきます。
ここが今でも残っているコルドバの城壁です。
この城門の中へ入り、
雑踏の中を歩いているつもりで
お話を聞いて下さいね。
コルドバは日差しが強いので、
目を開けるのが眩しいくらいです。
辺りにはイスラーム教徒、ユダヤ教徒、
キリスト教徒が行き交い、歩いていると
人々の会話がそれとなく聞こえる程よい距離です。
ところで町を歩くのは探索目的ですから、
早速市場に並ぶ店を覗き、
現地の人のお話も聞きたいですね。
活気に満ち溢れているせいか、
何だかワクワクしてきました。
この市場の売り手は
城壁などを背に上手く店作りしています。
例えば大きめの布に
木の棒を左右に渡して日よけにする。
また収穫した作物は籠へ入れて
並べている店もあります。
先程の日よけ用の木の棒に、
天秤ばかりを上からぶら下げて
量り売りをしている店なども見受けられます。
それから市場を歩く人々も
気になるところです。
一体どんな会話をしてるのでしょう。
もしかすると耳よりの話が彼等から
聞けるかも知れません...。
例えば前を歩いている2人の男性達。
両方とも声が大きく、よく響く声...。
1人が、身振り手振りを加えながら
ちょっと興奮気味に
相手に次のような話をしています。
市場を歩く男性A「...いやー、すごいもんだ!
灌漑技術って言うの?
今まで雨があまり降らない土地でも、
今ではね、そのおかげで作物が
たくさん実るようになったんだ。
嬉しいことに、我々すべての町に食べ物が
行き渡たるようになったことさ」。
Aさんによると、
随分と農業の技術革新が
あったみたいですね。
ところで、そこのお店です...。
色々な美味しそうな果物を
見つけてしまいました。
実を申しますと、果物などを商いとしている
お店のおかみさんと、
今さっき、一瞬目が合ってしまったのです。
もしかすると声を掛けてくるかもしれませんね。
お店のおかみさん「ねぇ、そこのお客さん!
ちょっとこの杏、味みていって!
うちのはみーんな美味しいのよ。
桃、オレンジ、バナナ、イチジクもあるわよ..。
それからお米、サトウキビや、
綿花も置いてあるからゆっくり見ていってね。
知っている?ここにある作物はみーんな、
ヨーロッパではここコルドバが初めてのものばかりなのよ。どう?すごいでしょ!」
このようにコルドバの都には
世界から珍しい食品や貴重な品物が
沢山集まって来ていたのです。
さて果物屋さんで商品を
見せてもらったお礼を述べ、
店外に出て早足で歩くと、
先程市場をゆっくりと歩いていた2人に
何とか早足で追いつく事が出来たようです。
確か興味深いお話をしていましたよね。
今度は相手方が腕を前に組んで
自信ありげこんな話を返します。
市場を歩く男性B「おい、そういぁ丘陵地でもオリーブを植えて、
今じゃぁ収穫量がグーンと、増えたんだぜ。
しかも余った分のオリーブはアフリカへ送って、
金と交換しているそうだ。
その上、この金市場は実は
アル・アンダルースが行っていて、
何と他のヨーロッパの国々への金は、
我々がコントロールしているのだそうだ」。
今の会話を聞いていましたか。
この2人の男性の会話によると、
「アル・アンダルースの農業技術によって
アフリカとの交易で金と交換出来る」と言う、
随分と景気の良いお話でしたね。
ではもう少し別の場所へ行ってみましょうか。
そしてこちらは、コルドバの奴隷市場スラブ系奴隷の断片的な話
「…いやぁ、…半端ねぇ!
…なんでも神出..没...
泣く子も黙る…ってもので...」
うーん、...。
一体何を話していたのでしょうね。
例の噂話だと思われますが、
周りの雑音に消されて
どうもよく聞き取れません。
しかし、前にもお話したように
ここで交わされていた会話の内容が、
のちにアル・アンダルースの町や村々でも
震撼させる出来事になるとは、
この時はまだ
誰も気づく者はいなかったのです。
そしてお隣の国フランスではすでに
とてつもなく恐ろしい事が起こっていました...。
さて、ここでひとまず
コルドバのシーンから引き上げ、
次にフランスでのお話へ移る前に
最後にもう一度、
中世祭りの1コマをご紹介致します。
上の写真、
広場の一角に設けられたテーブルの前では、
仲良しグループが集まり、
楽しいお喋りの最中でした。
写真撮影には皆さん快く応じて頂き、
特に奥の女性は、
わざわざ鼻と口をベールで隠すポーズまで!
引き続き、お友達とお祭りを楽しんで下さいね♪
西暦843年 場所は変わってフランスLoire(ロワール)の河口
西暦843年。
所変わって、
フランス・ローワールの河口では
ある武装集団によって、
襲撃される事件が起こりました。
先程お話しした、
「フランスでの恐ろしい出来事」です。
その後、
この集団は更に南部の
Bordeaux(ボルドー)、
Toulouse(トゥルーズ)へと
猛威を振るうのですが、
行く先々の町で
豊かな富に溢れる「アル・アンダルース」の名を
耳にしたのでした。
彼等にとってはまさに
「おい、上手そうな話をまたここで聞いたぞ!」と、
ほくそ笑んだに違いありません。
でも、この恐ろしい武装集団は
一体どんな人達なのでしょうか。
彼等はとても大きく屈強な男達で、
頭を覆うヘルメットの下からは、
美味しそうな獲物を狙う
複数の目と長い髭と長い髪…。
幾つも重なるシルエットからすると
相当数の集団なようです。
このフランスの町々で
大きな暗雲が立ち込めるような出来事が、
今度はスペイン北部沿岸地域の
キリスト教徒達の町や、
アル・アンダルースの領域へも
次々と巨人のように立ちはだかろうとしていたのでした。
上の写真はスペイン北部、
カンタブリア海(ビスケー湾)沿岸にある
港町の風景です。
北部沿岸地方も武装勢力に
苦しんだ歴史があります。
左手に見える丘の上には、
外敵をしっかり監視する為の
古城が今でも残っています。
現在の河口付近では、
色とりどりの小舟が
船繋りされた長閑な風景が見られ、
丘陵には美しい緑が広がる静かな町です。
またイギリスからのフェリーが就航しており、
観光客達は散策をしたり、
名物の海産物に舌鼓を打ったりと、
スペイン旅行を楽しんでいるようでした。
*** *** *** *** *** *** ***
お話の前半が終了
さて、
「アルカサーバの建造目的は
何だったのか?」と言う疑問に
端を発したお話の前半部分が
終了しました。
後半ではこの武装集団が
一体何処から来た者達なのか、
また彼等の行動によって
アル・アンダルースを
統治するカリフはどんな政策を
打ったかを探っていきます。
また本編「第6話」とは
別内容になりますが、
ここで一旦気分転換として
後半の最初に登場する
ポルトガル・リスボンや、
この都市を流れる川の上流に位置する
スペイン・トレドの町も合わせて
ご紹介したいと思います。
*** *** *** *** *** *** ***
川が流れるスペイン・古都トレド
スペインのほぼ中央部にある
「古都トレド」には、
町の周囲半分を紐でくるりと
回したように流れている
「タホ川」があります。
この川は国境を越え
さらに西のポルトガルへ入ると、
「テージョ川」の名に衣装替え。
そしてトレドから千km余りの川旅は、
ここ港湾都市「リスボン」で
終りを迎えます。
ポルトガル・リスボンの町から
リスボンの町から眺める、
「大河」となったテージョ川が、
河口付近で海水と混じり合って
悠々と大西洋へと注いでいく姿。
川に架かる大きな橋を挟み、
白い帆を立てたヨットや
自由に飛ぶ海鳥達が
時折交差して行きます。
石畳のあるリスボンの旧市街
リスボンの町は、
スペインとは異なった趣が好きで
何度も訪ねた事がありますが、
この旧市街辺りの
港町独特の雰囲気は、
昔からあまり変わる事なく健在のようです。
時折坂道を通り過ぎて行く
路面電車の豪快な地響きの音。
これは、リスボンを代表する
「街の音」ですものね。
私は...と言いますと、
カメラを片手に久しぶりの
港町の香りを楽しむかのように
ゆっくりと歩いておりました。
そしてこの景色を眺めながら、
旅先で大小湧き上がる
様々な思いを巡らすうちに、
何度も対岸との間を
フェリーが往復出来るほど
時が過ぎていたとは気がつかず…。
何故かしらこうして
広がりのある景色の中に
自分を置きますと、
人生やまた仕事に対する、
普段思いつかない発想の転換にもなるものですね。
夕方になり、
川が良く見渡せる
コメルシオ広場前に着きました。
この辺りは見晴らし場があって
人々が多く集まってきます。
スペイン・アルメリアの町と同様、
海鳥が多く、
目の前の2つの球体部分に留まっています。
ここでしたら、水かきでもあまり滑ることなく
安定感があるようですね♪
だいぶ雲行きは怪しくなって来ましたが、
ほのかにオレンジがかった
燻し銀のような空色も良いと思いませんか。
コメルシオ広場の風景
上の写真はコメルシオ広場です。
かつてリベイラ宮殿があった広場なので
とても立派な建築物が見られます。
こうして眺めている間、
降り出した小雨が止むこともなく
本降りになってしまいました。
少し前まで広場にいた人達も
広場を囲む建物の回廊で
きっと雨宿りなのでしょう。
でも雨の夜特有の
濡れた地面には街のライトが
生き生きとして集まり、
あちこちで「華やいだ鏡の世界」を
創り出してくれました。
この場を立ち去ろうとする頃になって
幾分か雨足も弱まり、
右手の丘を見上げれば、
サン・ジョルジュ城にも
ライト・アップがされていたことに
気がついたのでした。
路面電車と夜のコメルシオ広場
リスボンの町にある7つの丘を
元気いっぱいに駆け巡る路面電車です。
乗車しますと坂あり、カーブありで
ちょっとスリルな「遊園地」気分に。
でもそろそろ終電間近でしょうか。
終日歩き疲れた私は、
このコメルシオ広場の一角にある
テラスで休憩を取りながら、
毎日繰り返される人々の生活の一部を
立派に担っている電車がとても頼もしく見え、
生き物のようにも思える電車につい
『今日もお疲れさま』と、
声を掛けたくなりました...。
さてリスボンの夜も更けていくようですが、
町の様子は如何でしたでしょうか。
さぁ、それでは現在のリスボンのテージョ川や
コメルシオ広場の様子もご紹介した所で
「アルメリア もう1つの顔」、
後半に進みましょう。
*** *** *** *** *** *** ***
これより後半部分です。
前半同様、
またごゆっくりお楽しみ下さいね。
*** *** *** *** *** *** **
西暦844年8月20日 まさに青天の霹靂が!
フランスや北部スペインへ
展開した集団のその後の足取りは
どうなったでしょうか。以下はアラブ人の記録からお話を進めていきます。
突如としてリスボンのテージョ川の河口へ
大小の船団が出現。
大きな船は53艘。
そして小さな船は58艘。
大きな船には
最低でも数十人は乗れたはずですから、
千人単位の船団でしょうか。
ヴァイキングの第1回遠征
船団を組み、
次々と襲撃と略奪行為を繰り返しながら
大西洋を南下し、
遠征先の本命”Lisboa”(リスボン)へやって来たのは、
何と北欧の「ヴァイキング」でした。
8世紀から12世紀にかけて、
体が大きくて屈強な集団ヴァイキングは、
商業や侵攻目的で
中世ヨーロッパ各地に出没しました。
彼等は海辺の町のみならず、
フランスのボルドーや、
トゥルーズのような内陸地にも
出現したようですが、
何故そのような行動を起こしたかに関しては
諸説があるようです。
コルドバの奴隷市場での会話とは?
実はあのコルドバの奴隷市場で
途切れ途切れに入ってきた会話を、
覚えていますか。
今になって思えばとても重要な内容でしたのに、
今更悔やんでも仕方がありませんね。
ところで奴隷市場での例の話、
言葉を繋げていくとどうなるのか
ここで再現をしてみます。
スラブ系の奴隷 「いやぁ、ちょっと小耳に挟んだ事で。
何でも北欧の人間はえらく強いし、で、船も半端ねぇ!
そうだなぁ、船体は細長く流線型で、木彫りの装飾が施されている。
それに等間隔にオールが付いていて、帆は矩形(さしがた)。
風を受けて進む時は、漕ぎ手を休ませる事だって出来る。
何だか美しい形の船に聞こえますが、とても恐ろしい船で...」
「…でね、話を続けますよ。ここからが大事な事で。
奴等の船は速いし、動作変更だってぱぱっと正確に出来る。
一番厄介なのは、船の喫水線が浅い。こりゃもうお手上げですわ。
つまり水深が1mちょっとある川なら、海から河口を溯って来られる。
内陸の町だからって安心していると、とんでもねぇ事になりますぜ。
神出鬼没の上、急襲し、略奪して行く。
これじゃあ、泣く子も黙る恐ろしさってもので」。
これでヴァイキングが何故怖がられたのか
わかるような気がしますね。
リスボンのサンジョルジェ城
さてここが
旧市街のコメルシオ広場から
右手の丘の上に見えていた
「サン・ジョルジュ城」です。
ヴァイキングは、
なんとこのテージョ川の河口に
2週間近くも頑張って
この町の周囲を破壊して
何とか入り込もうとするのですが...。
今迄の通常戦法や持っていた武器では
アル・アンダルースの守備隊の警戒が厳重な上、
堅牢な城壁を突破することが出来ません。
さすがのヴァイキングも、
投石器など城を攻め落とす武器を
船に積んで来られなかったでしょうに...と、
想像してしまいました。
これは彼らにとって大きな弱点でしたね。
さて上の写真は、
サン・ジョルジュ城の胸壁から望む
リスボン市内の景色です。
当時は、守備兵達もこの場所に立って
下界のモスクが建つ町を守るため
日夜監視をしていたのでしょう。
彼等はこの2週間の間に、
リスボンの町を
3度も繰り返し襲撃したのですが、
中々思うように攻撃することが出来ず、
流石に疲労といらいらが
日々つのっていきます。
そしてとうとう、
諦めて撤収の号令が掛けられます。
ヴァイキングの声 「ええい、だめだ、だめだ!
いつものやり方では上手くいかん!
これでは、いたずらに時間が過ぎるばかりだぞ。
うー、悔しいがここは撤収する。撤収だ!皆の者、上~船!」
ヴァイキングの船団がようやっと
大西洋の水平線に消えた頃、
リスボンのアラブ人統治者はと言うと…。
胸を撫でおろすのも束の間、
「ああ、こうしてはいられない!報告、報告をせねば!」と
およそ500km離れた
カリフのいる首都コルドバの町へ、
大慌てで使者を送る準備を
しなくてはなりませんでした。
カリフのいる首都コルドバ
ところで使者に持たせる書簡、
その内容にちょっと興味がありませんか。
私達もその一部をちょっと拝見
させてもらいましょうか。
「...一大事です。我が町、リスボンへ敵船団現れました」
リスボンの統治者は船団の様子、
リスボンの被害状況等も簡潔明瞭に報告していました。
この2週間どんな事が起きたのかを
すでに私達は知っていますから、
数行飛ばして目で追っていきましょう。
それから、ええと...。
カリフを通して関係者各位へ
緊急に要請していました。
ああ、ここです。
下のここの文、読んでみて下さい。
「...全大西洋沿岸の地方統治者並びに軍幹部へ、
カリフより緊急警戒発令を出していただくよう御指示を...」
どうやら本当に「一大事」だったようですね。
そしてもう一箇所“Sevilla”の町
(セビージャ 又は セビーリャ)の統治者へも
別途この緊急通達が出されていました。
ところが大西洋沿岸から、
100kmも内陸に入ったこの町では通達を誤解し、
「何かの間違えでしょ~。あははは!」と、
一笑に付し、全く安全対策を
講じることはしなかったのです。
あ~、大変!一体どうなることやら。
そして場所は変わって...。
指(ゆび)地図 カディスの町
一方リスボンを諦め、
姿を消したヴァイキングの船団は、
あれから何処へ向かったのでしょうか。
彼等は大西洋沿岸を更に南下して、
今度はスペイン南部にある港町
“Cádiz”「カディス」へと現れたのでした。
カディスは古くは紀元前より
交易の拠点で知られており、
現在は大きな商業港が備わった
陽光溢れる港湾都市です。
また夏季は長い砂浜があるので、
海水浴客で大変賑わいます。
ところでヴァイキングが
カディスを襲ったのには理由がありました。
その理由とは、
彼等にとって未来の基地となる
「とっても素敵な獲物」に見えたからですが、
それを知るためにも
どうやらここで町の地形を
ご説明した方が良さそうですね。
カディスはごく普通の、
沿岸地方の港町のような場所ではなく、
例えば神奈川県・江ノ島のような
陸繋島(りくけいとう)であって、
砂の堆積によって繋がった島と言われています。
この陸続きの細長い島「カディスの町」が、
実際どんな風なのかは
地図をご覧になれば一目瞭然ですが、
地図がなくても大まかにイメージする方法があります。
そうですね...。
まず右手をご用意下さい。
ここから先、必要なのは
貴方の素敵な想像力だけです。
では、右手の人差し指で
物を指す形を作ります。
簡単でしょ?
出来ましたか「指地図」。
それでは説明に入りますね。
貴方の人差し指にあるのが
カディスの町です。
当時の町の大きさと位置は
ちょうど爪の部分にあたるでしょうか。
そして指を境に右側が
入り江になっている陸地側
左側が大西洋として見立てて下さい。
上の写真は陸地側から見た
現在のカディスの町です。
左右に広がる景色は
指の部分に相当します。
このようにヴァイキングにとって、
細長く伸びた指さえ奪取できれば、
陸から海への出入りをする敵船を
監視するのに絶好の場所となります。
彼等の基本戦略として
基地に適している所をまず占拠するのは、
その後他所への侵攻オペレーションを
容易にする為だからです。
堅牢な城塞のあるリスボンと比べると、
いとも簡単に占拠されてしまったのが
港町カディスでした。
ヴァイキングはここを新たな基地として、
セビージャの町へ向かったのです。
悲惨な目にあったセビージャの町
カディスから北西へ数10㎞沿岸に沿って進むと
”RíoGuadalquivir”「グワダルキビール」という
名の河口があります。
川の名にピンとこなくても
17世紀に慶長遣欧使節の支倉常長一行が
ここを遡り、
セビージャへまで旅をした事を
耳にしたことがありませんか。
この川をヴァイキングは上りつつ
途中の村々で馬を奪いながら、
セビージャの町へと迫ります。
下の写真は、セビージャの町に流れる
グワダルキビール川です。
背景の雲は、まるで今にも町に
襲いかかろうとしている武装集団のようですね。
9月28日。
そしてその翌々日、
9月30日のことでした。
セビージャに於いて2度に渡り、
アル・アンダルースとヴァイキングとの間で
非常に激しい戦闘が繰り広げられたのでした。
結果、2度ともアンダルース側が惨敗し、
追い詰められていきます。
もう一刻の猶予もありません。
10月1日。
強力な勢力を保っているヴァイキングは、
とうとう町の城壁を突破し、
ついに町中へ雪崩れ込みます。
この攻撃に対して多くの町の人々は、
這う這うの体で30数キロ離れた“Carmona”
「カルモナ」へ難を逃れます。
そういえば以前、
リスボンからの使者の知らせに対して
「何かの間違いでしょ~。あははは!」と笑った、
この町の統治者がいましたね。
彼もすぐさま逃げ延びることが出来ない
病人や子供、老人達を置き去りにして
自分だけはちゃっかり
ここへ逃げ延びていました。
上の写真は、
カルモナの町の城門から見える
広大な畑が広がる風景です。
今も昔もあまり変わらない
眺めなのではないでしょうか。
一方、
取り残されたセビージャの町の人々が
どんな悲惨な状態に陥ったでしょうか?
パニック。逃げ惑う人々。
年寄。病人。モスク避難。
火の海に包まれるモスク。
火の矢。剣。
女性。子供。人々。
強姦。捕虜。虐殺。
これ以上、
とても詳細は伝えられない程でした。
そして、伝えられているのは…。
破壊されたセビリアの町は、
まるで「幽霊の町」になった...。
「ヴァイキングは死の杯を飲んでいた」と。
アラブ人の記録によると、
実に7日間この豊かな町にある物品を
戦利品として奪いつくし、
更に喜んで蛮行を繰り返したと記述されています。
セビリアの町から助けを求められた
コルドバ軍は巻き返しを図り、
ヴァイキングを南へと追いやることに
見事成功するのですが、
かつて美しく、豊かな町だったセビージャが
その後どのように形容されたか想像出来るでしょうか。
カリフの驚きとは?
首都コルドバのカリフは
「セビージャの陥落」の知らせを受けた時、
腰を抜かさんばかりでした。
彼が驚愕した内容とは、
ヴァイキングの蛮行はもちろんの事でしたが、
それよりも彼等の
「迅速な行動」に対してでした。
カリフ 『おー、何ということだ!
10日前、奴等はまだリスボンにいたはずだ。
だが、何故だ?リスボン、カディス、
そしてセビージャと一気に3つの町を
何故10日間で巡り、また占拠出来るのだ!』
猛威を奮ったヴァイキングは、
アル・アンダルース領域内でさらに暴れまわり、
コルドバの軍隊と数度の戦闘を交わした後、
生き残ったヴァイキングは、
やがてスペインの海岸から消えていくのでした...。
そして14年後
西暦858年7月。第2回ヴァイキング遠征。
あの悪夢が再び起こります。
またしても、キリスト教徒のいるスペイン北部や
アル・アンダルースの領域は、
再び暗雲に覆われることになるとは...。
それはまるで飢えた者が、
あれもこれもと手当たり次第口に食べ物を運ぶように、
食指を伸ばし前回の遠征よりも
更に地中海の奥深くへと、
そして北アフリカ沿岸まで襲う有様でした。
しかし、この2度に渡るヴァイキングの侵略で、
辛酸を舐めたアル・アンダルースに
「海軍増強」の機会を与えることになるのです。
そう言えば、
特に甚大な被害を受けたセビージャの町。
どうなっているのでしょうね。
気になりませんか。
実は、あの悲惨な出来事から
直ちにアル・アンダルースの
西部地方を防衛する目的で
「海軍造船所」の建設が始まっていました。
そうです。二度と同じ轍は踏まないようにです。
この造船所には、
開発・製造・整備の為に
船大工のエキスパート達を
高収入の条件で呼び寄せています。
一体コルドバのカリフから船大工達への
「至上命令」とは何だと思いますか。
それは、
技術的にヴァイキングの船と
同等の船を造船する事。
全種類の武器ならびにナフサ(火炎放射器)を
軍船に搭載可能にする事でした。
アル・アンダルースの海洋交易
アル・アンダルースは
何故これほどまでにセビージャにこだわるのか?
その理由とは、
この港は交易品を積載した船が、
各イスラームの大都市へ運ばれる
重要な積荷港だったからです。
ほら、見えて来ませんか
次のような景色が...。
ちょうど今、
船積み作業を終えた数艘の小さな帆船が、
セビージャの港から出航していきます。
船の中には、高級品のオリーブ油や大理石。
また果物、綿、砂糖もあるようですよ。
荷の袋が一杯ですね。
交易品は川を下って、
北アフリカや、地中海東部シリアのダマスクス、
イランのバクダードの大都会まで運ばれていました。
更に、インドや中央アジアの遠隔地まで
運ばれた物もあったのです。
そして帰りの船にも、
エジプトの布、香辛料、東洋の贅沢品や
奴隷などを乗せて来る為、
兎も角海上での安全が
非常に重要だったわけです。
さて、
「海洋民族」ヴァイキングの航海術も優れていましたが、
「砂漠の民」アラブ人も、
砂漠も海も同じと言わんばかりに
星の見える夜には、北極星を見ながら地中海を
天測航行していました。
ご覧下さい。
綺麗な月夜ですね。
こんな夜は、
満天の星が見られるのでしょうか...。
その国の文化や産業が発達し、
他所から商いとして引き合いがあるのなら
願ったり叶ったりですが、
ヴァイキングだけでなく
「あるところから奪う」という人達がまだ他にも…。
世の中こんな事ばかり...なのですねぇ。
「一難去ってまた一難」 海洋交易を阻む外敵
さてすでにご存じの通り
この頃のアル・アンダルースは、
イベリア半島北部からキリスト教徒と対峙しつつ、
北欧からのヴァイキングに悩まされました。
そして次なるは、
北アフリカ・チュニジアのファーティマ朝が...。
このファーティマ朝は、モロッコの王朝や
イタリアのシシリア島を奪おうと虎視眈々。
コルドバにいるカリフにとって
「あー!こっちもか!」と頭を悩ませます。
商品の集積地と積荷港であるセビージャの町。
まず、ここでイベリア半島西部領域をカバーする。
他方、北アフリカのモロッコとの金の交易ルート、
並びに地中海東部方面へ向かう
航路の安全を確保する必要がありました。
これは、アル・アンダルースにとっては
最強の海軍造船所を持つ軍港と
城塞の建設地の選定を意味します。
昔も今も洋上の危険は変わらないものなのですね。
諸条件を満たすアルメリアに白羽の矢が
以前からひなびた小さな漁村が地中海にありました。
そこには、広い入り江があり、
川が注ぐ辺りは魚網を入れるのにも適している漁場。
また船の停泊地としても優れている。
そして何よりも領土管理にぴったりの
天然の要塞である「丘や小高い山」がある。
このような諸条件を満たしていたのが
実は「アルメリアの町」だったのです。
それでは、
この町の丘に聳えるアルカサーバをご覧下さい。
それから写真をご覧になりながら、
私にもう少しだけお話を続けさせて下さいね。
アルカサーバの「正義の門」手前の風景
第1回のヴァイキングの遠征から
111年が経過しようとしていた頃の事です。
コルドバのカリフもあれから4代目の
アブド・アッラフマン3世になっていました。
西暦955年7月。
この辺りの統括的な中心部を
近隣の町からアルメリアへ移管します。
これ以後、
アルメリアは城塞のある町として、
そして軍港、船舶の本拠地として、
また北アフリカとの商業的結びつきを強化する為、
商業港としても発展していきます。
さて、このアルカサーバとは
どんな意味でしょうか?
簡単に言えば
「城壁が築かれた集落。更にその中に要塞化された囲い地があって、町や集落が落ちた場合、避難する人々を収容出来、普段は守備軍の住居施設などがある小さな地区」。
この説明でおわかりいただけるでしょうか。
また敵が町の城壁を破壊し、
陥落した場合、上の写真で説明しますと
花の咲く階段を登り「正義の門」から
中へと避難する手筈になっていました。
正義の門から入った場所がこちらで、
普段は守備軍の住居がある地区です。
アルメリアのアルカサーバは、
非常時には2万人程度が
収容可能だったと言われています。
アルカサーバの守備軍の居住していた
家並みや通りがあった区域には、
もちろん水の確保の為に、
アルヒベ「貯水槽」が備わっていました。
そして肝心の監視体制ですが、
アルメリアへ視察に来た
かつてのコルドバのカリフは、
城塞の守備軍や、
岬に配置した監視塔で24時間体制で
惜しみなく監視を行う民兵達を見て、
「防衛意識が高く、非常に安心した」と、
伝えられています。
ここを訪れた時には、
ちょうど城壁近くにラベンダーの花が
皆で元気よく咲いていました。
その向こうは、
ご存知の様に賑やかなアルメリアの港湾風景と
地中海の景色が広がっています。
ところでカリフの時代、
アルカサーバや
町を囲んでいた城壁の全体像は
どんな形だったのでしょうか。
このことについても少しだけ
触れておきましょうか。
城壁は、
どうやらそれより以前にあった町を拡張して、
海側まで周囲をぐるりと輪のように
囲んでいたようです。
海側正面にも城壁が建てられていましたが、
残念ながら今はもう残っておりません。
発掘調査によると
海側の城門は2つ存在していて、
1つは港の出入り口、
もう1つは大型船舶を建造・修復する
海軍造船所があったということです。
西暦971年6月-7月 ヴァイキングの第3回遠征
この年、再びアル・アンダルースの西側の沿岸に
ヴァイキングが出現します。
これで3度目です。
カリフの命により着々と準備をすすめていた
アル・アンダルース海軍。
すでに準備万端整って
この日を待っていたことでしょう。
彼は、直ちに地中海方面海軍司令官に
「アルメリアの艦隊をセビージャに向け抜錨(ばっぴょう)せよ」と号令を掛け、
他の海軍司令官達にも
「西部海岸に集結し、敵を撃退せよ」との出撃命令を下します。
戦闘はその年の末まで続けられました。
どうやらセビージャの造船所の船大工さんも、
非常に優秀な軍船を建造出来たのではないでしょうか。
結果、戦いはアル・アンダルース側の大勝利となりました。
この戦い以降、ヴァイキングはアル・アンダルースに
2度とやって来ることはなかったのです。
レコンキスタ前後のアルカサーバの運命は?
上の写真は、
アルカサーバの一番高い場所の眺めです。
ヴァイキングの最後の遠征から
およそ500年後のアルメリアは
どうなっていたと思いますか。
アル・アンダルースの領域も
グラナダ王国のみとなった1487年にあたります。
カトリック両王のレコンキスタ(再征服運動)完了迄
あと一歩という頃でした。
そのアルメリアの町に突然地震が襲い、
アルカサーバは完全に破壊してしまいます。
レコンキスタ完了後カトリック両王は、
一番高い場所にこうして
新しいアルカサーバを建設することになったのです。
漁師にとって2つのランドマーク
レコンキスタから
さらにもう500数十年後の現在…。
現在のアルメリアの町に住む漁師達にとって、
2つのランドマークが
漁を終えた海上の帰路からはっきり見えるはず。
1つは、アルカサーバ。
もう1つは、その下に絶対に他と混同することのない我が家。
今日も「おー、俺の町アルメリア!かぁちゃん、いま帰るからなー!」と、
また言ったかどうか?
新鮮で美味しい魚、
また獲ってきて下さいね♪
本日ラストの写真
再び丘に上がりましたので、
先日と同じように美しい夕闇の中の
アルメリアの町の景色をご紹介致します。
今度はこの城塞と共に...。
いかがでしたでしょうか?
町の印象が変わりましたでしょうか?
右手には地中海西部の「アルボラン海」が
広がっています。
前回お送りした港町アルメリアの一日の様子や、
その周辺の美しい自然。
そして水物語り。
これらの風景に、
今回の「人間達が織り成す物語」と、
今度は1枚1枚重ね合わせて、
このアルメリアをもう一度ご覧になっていただけたら
奥行きのある風景になるのではないでしょうか...。
さて今回は、
この町のランドマークである
「アルカサーバ」の成立ちについて
ご紹介いたしました。
ご感想はどんなでしょうか?
途中で、古都トレドや
お隣ポルトガル・リスボンの町の風景を
アクセントとして折り込んでみました。
次回は、どんな展開になるのでしょうか。
どうぞお楽しみに♪
今回も最後までお付き合い下さりありがとうございました。
なお、一行でも結構ですので
ご感想をいただけましたら励みになります。
お待ちしております♪
初稿公開日:2012年6月5日
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青の章…写真から受けた印象です。前回までと写真の色合いが違いますね。素敵な写真紀行が出来上がりそうな予感が…楽しみにしています。
sulcataさま こんにちは!早速ご覧頂ましてどうもありがとうございました。「青の章」とお名前までつけていただいて、とても…嬉しいです。今回のお話は、海洋民族「ヴァイキング」を登場させることなく彼等をイメージして頂くために、海、浜辺、岩場のシーンを多くUPすることに致しました。「青」が多いのはそういった背景からだと思います。他方、リスボン、カディス、セビージャの写真をご覧になる際に、アル・アンダルース側としてなのか、ヴァイキング側としてご覧になるのかでも受け取られるイメージが変化して面白いかもしれません。今後ともどうぞよろしくお願いいたします♪
NHK・BS『街歩き』の放送を見て(2019/11/05日)アルメニアに興味を持ちネットでここを見つけました。私はスペイン、ポルトガルなど地中海沿岸の街には何回も旅をしたことがあります。GRANADAとCADIZには3回SEVILLAとCORDOBAには2回それぞれ車で回りました。BARCELONAから車で地中海に沿って走りました。ALMERIA町はと通り過ぎただけで今思えば残念です。次回はゆっくりこの町に滞在したいものです。
このサイト掲載楽しく拝見しました。ありがとう。
M.Yさま
コメントをどうもありがとうございました。大変嬉しく読ませていただきました。地中海沿岸の旅を随分なされたとのこと。ご旅行先は何処もリピートしたくなる魅力的な町ばかりですね。私も同じです。さて、Almeriaに関しての番組をご覧になったとのことですが、私もかつて住んでおりました首都Madridから、Almería地方をおよそ2週間、丹念に取材の旅をして参りました。さて、食べ物のお話になりますが、この地方は、地中海のお魚や赤エビ、セピア(モンゴウイカ)や、またビニール栽培をしているトマトが美味しいです。ご旅行なさる先々では、素朴なお料理ですが他県よりちょっとスパイシーなタパス料理など、Barで是非召し上がってみて下さい。スパイスを使用するのは、昔のイスラーム教徒の影響でしょうか。尚、私のこのブログの宣伝にもなってしまいますが(笑)、第5話『アルメリア そして水物語り』他に、Almería市内だけでなく、第8話『ストップ・ボタンは解除して モハカールの今昔』、第10話『フィルム・パーフォレーションから景色を覗けば』など、全てAlmeria県を写真ブログでご紹介をしています。それから、Almeíaではござませんが、第17話『陽気な町 ビジャホジョサ』では、Valencia州Alicanteに位置する地中海沿岸都市の時代祭のお話があります。お時間がある時に、どうぞご覧になってみて下さい。