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第25話『記憶の手帳I』

はじめに

こんにちは。
桜の花も開花し始め、
季節は春を感じる
今日この頃となりましたね。

さて、第25話のお話にと、
スペインで経験した事を、
懐かしく思い出しながら
お話を書き始めたところに、
スペインからCOVID-19による
ニュースが入ってきました。

かつてスペインでは、
湾岸戦争時に
一時的なスーパーでの
パニック買いが起きた以外では、
私も日本へ戻るまで
現地で平穏な生活を
ずっと送ることが出来ました。

ですから、
連日ネットを通して知る
スペインの感染者数の増加や、
その様子に驚くばかりです。

目に見えない敵って本当に怖いですね。
人間の思考をついつい
油断させる方向へと陥れてしまいます。

日本においても、
同様に予断は許さず、
一人一人が被害を拡大させぬように
努めなければならないと思います。

一日も早い収束を願ってやみません。

外国生活で知る
¿日本の常識は世界の非常識、
世界の常識は日本の非常識?

スペイン広場 : 2015年度 米国 IPA “Honorable Mention賞” 受賞作品

1929年に、 マリア・ルイサ公園で開催された万国博覧会「イベロ・アメリカ展の会場施設」として造られた半円形の建造物。 各アーチには、スペイン各県の歴史的風景が 彩色豊かな 絵タイルで施されている。 (セビージャ) 25169

今までこのブログで取り扱ったテーマは、
スペインに住んでいた頃、それも
『アラベスク文様の手帳』を書き始めてからの
話題を中心にしてきました。

でも、考えてみましたら
それ以前のもの、
例えばスペインに住み始めた頃に、
経験した事でお話ししたいことも
あるのですよね。

ただしこれらについては、
詳細な手記や資料が
残っていないものもありますから、

そんな場合には断片的ですが、
一生に渡って残る印象的な出来事、
《長期記憶=エピソード記憶》を、
あれこれ上手く
繋ぎ合わせていきながら、
お話を進めようかなと思っています。

セビージャの青空 (セビージャ) 10516

スペインの生活では、
日本と様々な面で勝手が違うため、
不便さもさることながら、
特にスペイン人の言動に対して、
対処法がよくわからずに、
戸惑うことばかりでした。
それは当然の事ですよね。
外国ですから。

でも、それもいつの頃からか
彼等の対処法がわかるようになると、
ドッジボールで
ボールを瞬時にかわすが如く、
百戦錬磨の強者となって、
ちょっとやそっとのことで、
もう驚かなくなっていましたけれど!

ドン・キホーテとサンチョ・パンサの像 3313

今回のお話の舞台は、
南部アンダルシア州の州都
セビージャ(セビリア)です。

はてさて、
読後は笑い顔になるのか、
呆れ顔になるのか、それとも
哲学者の如く考える顔になるのか。

それは、読み手の
あなた次第と言うことで、
どうぞ……!

セビージャ(セビリア)の旧市街

グアダルキビール川と黄金の塔 (セビージャ) 10221

私がこの街にやって来たのは、
初夏も終りかけて、
「夏には暑さで雀も落ちる」といわれる、
本格的な暑さになる少し前でした。

炎天下の村 (アンダルシア州 グラナダ県) 38868

時代も、1992年のセビージャ万博が
行われる以前でしたから、

建設中のセビージャ万博のパビリオン (セビージャ) 10480

街の中心街を外れてしまうと、
お洒落な飾り付けのショウウィンドウは
まだまだ少なくて、

洋服・手芸用品を兼ねたお店 (アンダルシア州 カディス県) 38866

「伝統的ではあるが、野暮ったさは払拭できない」といった、
素朴な感じが随分と残っていた頃でした。

土産物店 (アンダルシア州 コルドバ) 38876

さて、セビージャといえば
観光都市であり、
見所は旧市街に集中しています。

黄金の塔 : 2015年度 米国 IPA “Honorable Mention賞” 受賞作品

セビージャには町のシンボルが二つあると言われる。その一つがヒラルダの塔で、もう一つは正十二角形のこの黄金の塔である。塔は、12世紀にセビージャをアンダルシアの首都としたアフリカのイスラーム教徒・アルモアド族によって、グアダルキビール川を防衛する目的で川岸に建造された軍事的建造物である。(セビージャ) 25172

青空に向かって聳える
スペイン・イスラームの遺産である
ヒラルダの塔やゴシック様式の大聖堂。

獅子の門 : 12世紀に入ってイスラーム教徒・アルモアド族がアルカサル (王城) とし、以後アル・アンダルース時代とキリスト教徒時代にリフォームと拡張が行われ、様々な様式
(イスラーム、ゴシック、ムデハール、ルネサス等)を持つ複合的建造物となっている。スペイン王室がセビージャを訪れた際には、王宮として使用されています。 (セビージャ) 9962

そして、赤い城門が特徴の
アルカサル(王城)や、
旧ユダヤ人街の「サンタ・クルス街」。

訪れた者に、
南国旅情を掻き立てるのが、
街路を飾るオレンジやシトロンの果実、
公園のシュロの木々……。

ビター・オレンジの並木 (セビージャ) 9861

ここへ来れば
多彩な文化に触れられるので、
一年中、観光客が訪れるというわけです。

アンダルシア風の中を歩く

サンタ・クルス街 : かつてのユダヤ人街。白壁を基調とした家並みの間を、阿弥陀くじのように複雑に入り組んだ細い道が通る。宿泊施設や土産物店、BARなどが建ち並び、観光客に人気のある場所となっている。(セビージャ)
9700

さて……。
この地区から歩いて
ほんの5分程離れた場所に、
数ヶ月の間
下宿をしていたことがありました。

外出する際には、ちょっと遠回りでも
細く迷路になっている
サンタ・クルス街や、それに続く
ヒラルダの塔、大聖堂周辺を
通る事が日課でした。

何故かと言えば、
日本で自分なりにイメージを描いていた
アンダルシア風のもの、

サンタ・クルス街のBAR (セビージャ) 9705

例えば、《強い光と影》が織りなす
絵画的な町並みや、
老舗BARなどでの人々の
日常的な光景、

それに、地元の音楽に
実際に触れてみた時、
どんな風に感じるのか。
また見聞を広めて、将来自己表現をする際に、
役立てたらいいなぁ!との思いからでした。

下宿先のこと

滞在した下宿先の番地タイル (セビージャ) 18391

下宿先の様子についても
お伝えしておきますね。

「家は過酷な季節に合わせて 造られる」
この考え方からみると、
アンダルシア地方の家は、
夏向けに造られていると言えるでしょう。

昼下がりの道 (アンダルシア州 コルドバ) 717

大家さんの家は石造りの
二階建てで、特徴的なのは
外壁の厚みが
40㎝はあったことでしょうか。

クーラーはありませんでしたが、
乾燥した真夏の
45℃前後の暑さにも見事に耐え、

シャッター (アンダルシア州 セビージャ県) 38867

特に、一階の私の寝室として
借りていたお部屋は、一日中
狭い路地に面していた為に
ほとんど日が差し込まず、
おまけにシャッターも下ろしたまま。

このお陰で夜は、
真夏でもひんやりとしていて、
毛布を掛けて休むほどでした。

昼間はつい暗くなるのが嫌で
シャッターを上げたくなりますが、
これは日中の熱風が、
どんどん入ってきてしまいますから、
逆効果ですよね。

アンダルシア地方のパティオ (アンダルシア州 コルドバ) 720

それから、
快適な寝室の他に
何よりもこの家が気に入ったのは、
アンダルシア風の
パティオ(中庭)があったからなのですね。

二つの思い出

一階の新住人となった私にとって
住み始めてまもなく経験した事とは、
大家さん一家の音と薫りによる
二つの習慣でした。
 
それらは一体何だったのか。
まずは、音に纏わる習慣から、
始めますね。

スペインで最も愛され続ける国民食

“Tortilla de patatas (トルティージャ・デ・パタタス) : 別名スペイン風オムレツ。ジャガイモが入ったボリュームのあるオムレツ.。スペインのレストラン、バルではタパス(小皿料理)の代表格である。38846

日中は、パティオに面した
お部屋の窓は、
愛らしいカナリアの鳴き声が
心地よくて、
よく開けたままにしていました。

そして、
午後14時少し前だったでしょうか。
食事に一度戻って来る
他の下宿人の足音に混じって、
いつも同じ音が聞こえてきたのです。

最初は別段気にとめてなかったのが、
ふと何だろう?と、ある日を境に
気になり始めてしまいました。

音は、かっ、かっ、かっ、……という
不思議な金属音。耳を澄ますと
その発信元は上の階からで、
これはもう、大家さんなのは
間違いありません。

そして、この音がした後には、
必ずフライパンから立ち上る
オリーブ油の濃厚な香りと、
卵の香ばしい良い匂いがしてくることから、
漸く奥さんが昼食を作っている音だと
気がついたのでした。

うふふ♪ あっ、また始まった~!と私。
何だか嬉しいやら、可笑しいやら。

卵を琺瑯製のボールに6-7個割る。
で、フォークで溶きほぐすこの音。
「かっ、かっ、かっ、かかかかかっ…….!」

さぁ、ここまで言えば、
お料理の名前を
ご存じの読者もいらっしゃるはず♪
そう、
「ジャガイモ入りスペイン・オムレツ」だったのですね。

オムレツを作る音は、
それはもうほぼ毎日。
夜でも結構、聞こえてきましたね。

これ、あまりお料理が得意でない
スペインの女の子でさえ、
「このお料理だけは作れるわ!」といわれるくらい、
庶民的な食べ物の代表格なのです。

私もこの音に慣れる頃は、
近所の顔なじみになった
BARで味を覚えると
知ったかぶりして、

オムレツの両面は、少しきつね色にして
ぱりっと仕上げるのよ!でも中身はね、
オリーブ油の香りをしみ込ませたポテトに、
卵がしっとりと絡んだ方が美味しいのよね~!と、
天井を見上げながら、
にやにやして思っていたのでした。

昼食の儀式

レストランで遊ぶ少女 (アンダルシア州 コルドバ) 38874

やがてオムレツが出来上がって、
大家さん家族が
食卓の席に着く頃になると、
そろそろこっちの儀式も始まるのかな~?と思ってしまう私。

あらら、やっぱり!
思った通り、奥さんのやや険悪な声と、
2才の孫娘の叫び声が始まった。

孫娘「うわ~ん。いや、いやぁ、いやだってばぁ!」
子供特有の、食に興味がないから拒否するのか、
それとも毎度のオムレツに辟易していたのか。
たぶん、後者の方、かな?

子供の室内履き 1550

嫌がって食堂から回廊へ逃げ出す
孫娘の足音は、小さくト、ト、トッ、トッ、トッ ……。
奥さん「さぁ、食べなさい!もっと!」と
更に奥さんのドン、ドン、ドンと、追いかけていく音。
まるで鬼ごっこ♪

昼下がりになると、
二人による大小の太鼓のような足音に続いて、
孫娘の「ギャー!うわーん」の泣き声……。

やがて、
全く何事もなかったように静寂が訪れる、
というのが毎日の繰り返しだったのです。

たぶん、最後は奥さんから、
お口にオムレツを入れてもらったのでしょうが、
もしかすると理由は他にもあって、
幼児には遅すぎる昼食時間のため、
眠くてぐずっていたのかもしれませんよね。

ところで、
間を取り持つはずの子供のお母さんは、
この家の娘さんなのですが、
日中はスーパーで働いているためか、
彼女の姿はみえません。

子供の発表会の日 (セビージャ) 1943

アンダルシア地方は、
他の地方に比べて失業率が高いのです。

大家さんのご主人は療養中でしたし、
娘さんのご主人も職がなく、
それが一家の悩みの種。
ですから娘さんが、家族7人を支える
唯一の稼ぎ手でした。

サンタ・クルス街 (セビージャ) 9702

観光都市であるセビージャは、
とても華やかな町に一見みえますが、
現地の人々の日常生活は、想像しているよりも
意外と質素なのかもしれません。

薫りの思い出

ジャスミンの花 38892

さて、もう一つ。
今度はふわ~っとする薫りの習慣と、
郷愁にかられた思い出です。

私が外出先から戻ると、ご主人と
パティオでよく出会うことがあって、
孫娘と一緒に「やぁ!」と
私に声をかけてくれました。

ご主人は、
”語尾のSを食ってしまう”といわれる
アンダルシア訛りで、続けてこう言うのでした。
「今、帰ってきたか!習った事は忘れないように
  復習するのだよ。ああ、丁度良い、
  いつものように両手を出してごらん!」

私は促されるまま
両手の平を差し出すと、
今し方、パティオで摘んだばかりの
ジャスミンの蕾を、ズボンのポケットから出して、
ポトポトと手の平に落として渡してくれました。

月 (カスティージャ=ラ・マンチャ州・クエンカ県) 38896

白くて可憐なジャスミンの蕾は、
夜になってから
開花するのをご存じですか?

南国の夏の夜を楽しむ方法は
とても簡単で、用意するのは小皿と
10センチ四方の紙だけ。

10粒~15粒ほどの蕾を、
小皿の上に敷いた紙に載せ、
寝る前に枕元のサイドテーブルに
置いておけば、
パティオから差し込む月明かりを
まるで求めるかのように
甘く優美な芳香を放ちながら
次々と咲いていきます。

でも、ジャスミンを置いて休むと、
落ち着くせいなのか、それとも
寂寞感を呼び起こすせいでしょうか。
こんな経験を
何度かしたことがありました。

昼間の活動的な生活とは対照的に、
夜中にふと目が覚めた瞬間、
生まれ育った日本の家だと勘違い。

でも薄明かりの中で、家具の輪郭を
目で一つ一つ追っていくうちに、
ああ、そうだ!
ここはセビージャだったのか……と気がつく。

モロッコ料理レストランの壁紙 (アンダルシア州 コルドバ) 38890

いたたまれない気持ちを
埋めるために、手を伸ばして
ラジオをつけてみると、
流れてきたのはスペインのではなく、
電波の弱いアフリカ・モロッコの
エキゾチックな音楽だった。

セビージャとモロッコ・タンジェ間の距離は
180㎞程しか離れていない……。

目を閉じて聞いているうちに、日本から
《とんでもなく遠い場所で生きている自分》を
より強く感じた私でしたが、
もしかするとこの神秘的花の光景と、
薫りの仕業だったのかもしれませんね。

ある心配事

セビージャの旧市街 : 1990年代のセビージャの街角。夏期は、用事や買い物をするのなら、午前中が勝負。昼間は商店が一度閉まり、開くのは午後5時辺りである。(セビージャ) 10472

さて……。
セビージャでの毎日の生活が、
幾分か慣れてきた頃の事です。

パティオでご主人がくれる蕾を眺めても、
いつものように心が少しも躍りません。
その原因とは、
郵便局からの到着通知 。

郵便局員と郵便トラック : スペイン郵便のロゴマークは、スペイン王冠の下に郵便ラッパ (コルネット) の組み合わせ。(アンダルシア州 コルドバ県) 38863

三週間以上も前に、
日本に残してきた滞在費用分を
家族に頼み、国際郵便為替で
送ってもらったのに、
待てど暮らせど来なかったのです。

その日も、下宿に戻るなり、
一番に郵便箱の中を覗いたのに
やっぱり来ていない……。

郵便局のセビージャ宛ポスト (マドリード) 14441

こうして心配事は、心の中で
日毎、少しずつ増大し続けていて、
臨界点を今にも超えそうでした。

この事を、困惑気味な顔で、
街に滞在する日本人の知人・友人に
相談してみると、皆、異口同音に
「それ、普通じゃないと思う。
遅くたって二週間で通知、来るよ。
絶対、郵便局へ行くべきだよ!」と……。

みんなの会話を聞いている途中からは、
私はすでに上の空で、
頭の中には《絶対おかしい》、
《急げ!》、《一大事だ》の文字が、
まるで判子で紙面を
ぺたぺた押されていくように、
浮かび上がってくる。

これでやっと決心がついた私は、
ともかく家族が知らせてきた
為替番号をメモに書き留め、
辞書を持って『いざ鎌倉!』の面持ちで
郵便局へと出かけて行ったのです。

大聖堂近くの郵便局にて

「セビージャのカテドラル(大聖堂)」 と 「ヒラルダの塔」 : 2015年度 米国 IPA “Honorable Mention賞” 受賞作品

手前の大聖堂は世界三大の一つ。 イスラーム教徒・アルモアド族のモスクの跡地に、 15世紀初頭から ゴシック様式のカテドラルを100年を要して建てられた。右手背後に見える 塔は、高さが97.5mある ヒラルダの塔。
(セビージャ) 25170

スペインにいると、
思ってもみない事が
展開される時が
ままあるのですね。

さて、ここからは、
郵便局で一体どんな事があったのか、
事の顛末をお話してまいりましょう。

セビージャの旧市街 (セビージャ) 9709

ヒラルダの塔や大聖堂の向かいにある
郵便局は、さぞかし混雑して
待たされるのかと思いきや、
8月は夏休みの為、
人の姿はほとんど見られず、
意気込んでいった私は、
何だか調子抜けしてしまいました。

見渡せば、威厳のある窓口が
ぐるりと幾つも並んでいるけれど、
一体何処に行けばよいのやらと、
あちらこちらをキョロキョロ、
心はちょっとドキドキ。

こういう時の私って、
あわてん坊というのか、
結構、おっちょこちょいなのですよ!
何故か、ふらふら~と、
物事の回り道をしてしまう事があるのです。

局内を物色しているうちに、
案内係らしき人を探せばよいものを、
ホールの一角に木製の机を出している
男性に目がとまってしまったのです。

ええと。あっ、あのおじさんに聞ぃ~こうっと♪
だって、人なつっこそうだもの!と私。

おじさんのポマードをつけた髪は、
丁寧になでつけてあって、
暑さ対策なのか、胸は当然はだけ、
おまけにシャツボタンが
布袋さんのようなお腹のあたりで
はち切れそうでした。

アンダルシア州・コルドバでモロッコ料理レストランを営むモロッコのおじさん(イメージ写真) (コルドバ)38860

机の前には、幸い誰も並んでおらず、
ペンを指と指に挟み込んで、
ぷ~ら、ぷらと上下に動かしたり、
時折、ふわ~と、あくびまでしている。
その様子はまさに、
「仕事時間が終わるまで、
 俺は暇をもてあましているのだ!」と、
言わんばかり。

でもこの時、おじさんが、
非識字者のお手伝いをする
代筆屋さんだと気づかなかったのですね。

私は、何の臆面もなく
すたすたと彼に向かって近づいて行き、
「おっ、早う、ございます!!」 と
元気よく声をかけちゃった。

おじさん、私の顔を見るや、
「やぁ!嬢ちゃん。オリエンタルか?どこから来たの!!
 で?字が読めないの、書けないの? 
 アルファベットって、何だか知ってる?」と、
やっと仕事が来たとばかりに、
矢継ぎ早に嬉しそうに尋ね始めた。

私は愛想良く、
「私?日本人です。スペイン語?書けます、
 読めます、わかります。英語も、まぁ、OKです!」

“Plaza de España” スペイン広場 (セビージャ) 10324

この時点で、何故彼からこんな質問されたのか、
全く解せずに呆然としていると、
おじさんは暇つぶしが出来たと思ったのか、
質問内容を方向転換して、今度は
「セビージャは美しいだろ?好きか?」と聞いてくるので、
私は、確かにセビージャは美しい、絵画的よね♪と同調。

おじさん、
すっかり知り合い同士の如く、
「じゃぁ、スペイン料理は美味いか?
スペイン語は何処で学習したんだ?
で、恋人はいるのか?」など、
私と世間話を始めちゃった。

ひとしきり尋ねると満足したのか、
おじさんは、
「おお、見ろよ!嬢ちゃん、君は何と、インテリ娘なんだ!」と
私を褒めるではありませんか。

私は、はぁぁああ?インテリ!何と大げさな!
読み書きが出来るだけで、
セビージャではインテリと褒められるのか?

それに、また面白くない呼び方をして、もう~いや!
さっきから聞いていれば、嬢ちゃん、嬢ちゃんって、
私のこと、15、6才位と思っているのかしらねー?と
心の中で思った。

でも、こんな風に
おじさんが私の頭の中を
活性化させてくれたお陰で、
漸くあることに気がついた。

あっ、まずい。聞く人違えちゃった!
この人、そう、非識字者の為にいる
代書屋のおじさんだ!
ここで油を売っている自分に
はたと気づいた。

声を掛けたのはこの私。
でも、おじさんのペースに合わせて、
いつまでもこうしてはいられない。

日本なら午前中に用事を
2,3件済ませる事は可能だけれども、
ここでなら恐らく1件しか足せない
所以がここにある。

そこで話の途中で、思い切って
為替窓口の場所を探している旨を伝えると、

代書屋のおじさんは、
「なあんだ、そうか!おかしいと思ったよ。
それなら、あの窓口だ♪」と
にやっ~と笑いながら、
おまけに頼んでもいない
ウィンクのサービスまでして、
場所を教えてくれた。

意外にもさっさと私を解放してくれ、
胸をなで下ろしたのだが、
一つ良いことと言えば、
代書屋のおじさんと会話をしたお陰で、
気分がほぐれたことだった。

お礼の言葉は、例のアンダルシア訛りで、
 ”!Muchas gracias, eh!”(ムーチャ・グラシア、エー!)
「どうもありがとう、ねー!」と
お礼を述べてから、今度は足取りも少し軽く、
本来の目的場所である
郵便為替の窓口へ歩いていったのでした。

郵便為替の窓口へ

「セビージャのカテドラル(大聖堂)」 と 「ヒラルダの塔」 : 2015年度 米国 IPA “Honorable Mention賞” 受賞作品

ヒラルダの塔は、 12世紀にイスラーム教徒のアルモアド族 がモスクのミナレット (祈りの時刻を知らせる高塔) として建造した。また上部の鐘が設置された場所から最上部の風見鶏の部分は、16世紀にキリスト教徒が手がけたルネサス様式のものである。 (セビージャ) 25171

窓口には、代書屋さんとは打って変わって
年の頃は30歳位の
誠実な男性局員さんがいました。

私はゆっくりと事情を話し、
メモ書きの為替番号を伝えると、
局員さんは
「数ヶ月前から遡って日本からの送金記録を
調べてみますね。時間が少々かかりますが、
ここでお持ち下さい」と言い残して、
奥の部屋へと戻っていきました。

しばらくして、台帳を手に持って戻ってくると、
気の毒そうな顔をして
横に首を何度も振るばかり。

私は彼の顔つきから、瞬間に
ん?嫌~な予感!と思った。

案の定、とても言いにくそうに、
局員さんはこう口を開きました。
「あのう、本来の係りが、今、休暇中でね、
 僕が調べられるのはここまでなんだ。
 台帳に記載されていない分も
 まだあるのかもしれないが、
 本人が不在だからこれ以上解らない。
 実はね彼、……。まずいことに、
 自分の机に鍵をかけていっちゃったから、
 今、中を開けて調べたくても調べられないのだよ」

説明を聞いた私は思った。
ああ、何て事!信じられない。日本からここへ
とっくに送金済みかもしれないのに。
ただ、待つしかないなんて!と。

局員さんは
「担当者には必ず伝えるし、
 送金確認出来次第、すぐに通知しますから!」という。

私は、彼の最後の言葉《通知する》を、
何とか自分自身を慰めるために
復唱するのが精一杯で、
これ以上、為す術のないもどかしさを
一心に感じながら、
仕方なく郵便局を後にしたのでした。

それから10日後

郵便配達人 (アンダルシア州コルドバ) 38872

ぽかーんと、開いた心のまま、
それから10日ほど経過した8月末の日のこと。
ついに来ましたよ♪
郵便局からの通知が、漸く!!!

通知書を見ると、送金されたお金は
郵便局での手渡し欄に
しっかりとチェックが入っているのを
確かめた途端、あれ?でも待って!何か変よね?と
友人・知人達に相談した日の事を
思い出していました。

確かあの日、中の一人が自分の体験談だよと、
お金の受け取り方法を教えてくれたのでした。

セビージャは、
旅行客の多い都市のせいか、
街中では、ひったくりや、
スリが多い為、常に注意しなければならない。
だから、通知後には郵便局員がペアになって、
わざわざ受け取り人の家まで届けてくれるのだと。

内心私は、えっ?郵便局員が
ペアで届けてくれはずじゃないの、家まで!
何で《やることなすことが、皆、てんでんばらばら》なの?
と苦笑いをしながら思ったのでした。

青空 (セビージャ) 9895

それでも、時間の経過と共に気を取り戻して、
抜けるようなセビージャの真っ青な空の下、
嬉し顔をしながら闊歩して、
再び郵便局へ向かったのでした。

担当者の休暇と共に業務は停まる

“Plaza de España” スペイン広場 : 2015年度 米国 IPA “Honorable Mention賞” 受賞作品 (セビージャ) 10359

郵便局は、そろそろ休暇を終えた
地元の人々が戻り始めていたのかざわざわしていて、
窓口へ行くと、15分ほど待たされて、
漸く私の番となりました。

休暇から戻ってきた問題の為替係の男性は、
見たところ代書屋のおじさんと同じような風貌で、
海辺でバカンスをたっぷりと楽しんだのか、
こんがりと日焼け顔をしていました。

私は、窓口へと一歩前に出て事務的に言った。
「お早うございます。これ、お願いします」

バケーション (アンダルシア州 カディス県) 38921

為替係のおじさんは、
ちらっとこちらを見て言った。
「ああっ、君かぁ?えーっと、名前はMikiko……ね。
 ミキコ、ミキト、ニキト……..
 Nippon(にっぽん)からね……待っててねぇ」

おじさんは、お金を勘定している間だけは
神妙だったけれど、その前後の事務手続きでは
ほとんど浮かれ調子。

その上、先程から 陽気にフラメンコ調で
……ミキコ、ミキト。ニキト~、ニッポンゴ~♪ を、
鼻歌交じりで繰り返すのだった。

スペイン王の彫像 : “Plaza de Oriente” (オリエンテ広場)  (マドリード) 18050

後で知ったのだけれど、
「”Ni quito, ni pongo rey, ……”(ニキト~、ニポンゴ~)」
(=私にはどちらでも構わないことだ……)は、
中世のフランス軍人による、
(スペイン)カスティージャ王国継承戦争での
有名な言葉であって、

わたしの名が、
どうやらおじさんにとって
この言葉を連想させ、
おまけに、さも日本語を喋っているような
「知的な俺」になれて気分が良いらしい。

郵便為替係のおじさんのイメージ (アンダルシア州コルドバ)
38871

待っている間、私はもし日本で
こんなアンダルシア風おじさんが
窓口にいたら大変ね!
第一、真面目で
急いでいるお客さんだったら
ひどく怒るだろうし。

いや、でも待って?その逆もありね。
もしかすると名物局員として
取材が入るかもしれないわねぇ!などと、
彼の顔を眺めながら
どちらになるのかしらと考えていた…..。

さて、無事にお金を受け取った後、
私は、いよいよおじさんとの
最大のテーマに対して、
「困ったのですよ、私、本当に!
 何故通知が遅れたのか、知りたいのですけれど?」 と、
こう切り出したのでした。

おじさんは、
「あっ、そのことね?
 同僚からクレームがあった事は聞いたさ……」

海水浴 (アンダルシア州 カディス) 9191

「仕事へ戻って来てね、
 休暇前の分で確かぁ、どこかの国からのが
 あったまでは思い出したんだが……。
 でもね、机の引き出しの中がごちゃごちゃでね、俺。
 しまったはずの通知書が見あたらなくって、
 随分探したんだぜ。
 で、何処にあったと思う?通知書はね、
 引き出しの奥から勝手に下へ起こったのさ。
 だから、俺のせいじゃない。
 でも、今日、ちゃーんと君に
 こうしてお金渡せただろう?これでOKか?OKだな♪」

私は、ええっ?
通知書に手足があるわけなの?と、
その説明に反論しそうになった。
勝手に引き出しの奥に
落ちるわけがないでしょうに~!
お詫びを言うどころか、
このあっけらかんとした態度に、
もう、ぽか~ん。

子供でも思いつかない咄嗟の言い訳に、
もう、あっぱれという感じしか
表現しようがなく、
まさに開いた口が
ふさがらないとはこのこと。

BAR(バル) (セビージャ) 9981

無事、家族が送金してくれた
お金は手に入ったので
嬉しいことは確かだけれど、
何と表現すればよいのだろう?

「あっぱれおじさん」との会話で、
やはり、がつんと返せなかった
自分自身にちょっとがっかりしたのかもしれない……。

まるで砂糖菓子に、
塩をまぶして食べたような
何とも言えぬ複雑な気持ちで
郵便局を出てみると、
すでに昼食の時刻が近づいていました。

“Plaza Virgen de los Reyes” (ビルヘン・デ・ロス・レジェス広場) : カテドラル(大聖堂) とヒラルダの塔がある広場 (セビージャ) 9909

人通りの少なくなった帰り道を
注意して歩きながら、

家に戻ったら、まずは怪しげな対応をする
この町のおじさん達のような人たちに対し、
今後無駄なお喋りをせず、いかにスムーズに
事を処理出来るようになれるかを
思案しなくちゃ!と考えていました。

サンタ・クルス街の路地 (セビージャ) 9670

サンダルを履いた私の足音が、
白壁の家々の間を縫う
ジグザグの路地の中を
カーン、カーン、カーンと
小気味よく響き渡っていく。

一つ目の角を右へ、今度は左。
そして右へ、最後は左へと折れ、
下宿先の玄関に到着するやいなや、
ぷ~んと匂ってきたのは、
あの香ばしいスペイン・オムレツの匂い♪

“Tortilla de patatas”(トルティージャ・デ・パタタス) 別名スペイン風オムレツ。 材料はジャガイモの他にタマネギや生ハム、チョリソ等を入れるバリエーションもある。38852

先程まで、きりっと結んでいた口元が、
つい緩んで笑みが溢れた
自分を感じていました。

*****     *****     *****     *****

お話を終えて

ひまわり 431

如何でしたか、私の体験談?
まさに、日本の常識は
世界の非常識、その逆も然りでしょう。

スペインでは、この手の問題に関しては
本当に色々経験しましたが、
外国を知ることは、逆に日本を外から
知る事に繋がりました。

すでにブログでご紹介したように、
スペイン人のお喋り好きは有名ですね。
私もあらゆる場面で、
見ず知らずのスペイン人達と、
いとも簡単に、
いきなり旧知の仲のような
会話をよくしました。
とても不思議な感じがします。

旅先でも、お話が弾んで
是非、今度は私の家へ泊まりがけで来てね!と、
自宅の住所等を渡してくれるお店の女主人や、

山中の小さなホテルでは、
翌朝旅立つ際に、
後から追いかけてきて、
自家製のオリーブの実を
目一杯袋に詰めて手渡してくれた
お話好きなホテルの主人。

また、
広場で立ち話をしている地元の人に
道を尋ねると、彼等の一人が
こちらの車にさっさと乗り込み、
道案内をしてくれる集落のおじさん。

こんな風に、
もう例を挙げたらキリがありません。
人の心をぐっと掴むのが上手な人が
沢山いますね。

日本では、初対面の方に対して
興味を持ったとしても、
相手がお仕事中だから、
またはそんな環境下でないからと、
ついそのままスルーしてしまい、
「残念!」と、
後悔することがままあります。

スペイン人のお話好きのせいで
仕事が機能しないのも問題ですが、
日本人の「遠慮」や「忖度」も、
時と場合によりけりで、
中々スムーズにいきませんね。

閑話休題。
さて、今回のセビージャでのお話は、
スペイン風オムレツを軸としています。

アンダルシアを取材旅行した際には、
町や村のBAR、街道筋のカフェテリアでも、
特に時間が取れない時に
お食事代わりとして、
随分このオムレツとカフェ・オ・レに
お世話になりました。

移動中に車窓から見えた
大輪の黄色のひまわりと
このオムレツが、私の心の中で
アンダルシア地方のイメージになっています。

日本へ戻ってからも、
このオムレツはよく作ります。
今回アップした写真のオムレツは、
ジャガイモとタマネギを入れたものですが、
刻んだ青ピーマンを一個入れても
美味しいですよ♪
お料理好きの方は、
是非一度試してみて下さいね♪

次回も引き続き記憶の手帳からを
お送りする予定です。

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