前回を振り返って
こんにちは。
前回では、季節のお便りに続いて、
もし、旅先で次の旅を見つけられたら、
そこからまた、準備をする楽しみが継続できるはず。
そして、具体的な例として、
私が旅先でふと手にした
一冊の本が次なる旅、スペイン南部
カソルラの町へと、
繋がっていった事をお話ししましたね。
奇妙な題名とは?
さて、カソルラの
古城伝説につけられていた
奇妙な題名なのですが、
ご覧になってみて下さい。
こちらなのです。
『ラ・トラガンティア』
初めて目にした時、
「ラ、トラガン、ティア?」と、
記憶を辿るように
ゆっくり口の中で発音していっても、
「はて?」と首を傾げるばかり。
記憶にないとすると、
「だとしたら、何?」
少なくとも人の地位や、
職業を表す言葉の雰囲気はない事から、
すぐに見当がつかずに
奇妙な題名に感じたのかもしれません。
そこで、辞書を手にとって
探してみたところ、ない!
そう、載っていなかったのです。
出てこないとなれば「何とか知りたい!」と
思うのは人の心理で、
今度は、トラガーで始まる
動詞、名詞、形容詞を探してみると、
出てきましたよ!
品詞の違いこそあれ、
ほとんどが同じ意味に結びつきました。
「大食漢」、「飲み込む」の他、
「丸呑みする」や
「がつがつ食べる」などなど。
他方、後回しとなっていた
ラ・トラガンティアの
最初の「ラ」については、
これは簡単!定冠詞女性単数形で、
英語の”The”と同じ、です。
と、すれば、
ラ・トラガンティアとは
ごっくんと丸呑みしたり、
がつがつ食べるような女性のこと?
う~ん、一体何者でしょうねぇ、
トラガンティアって!
いずれにしても、この伝説を
読み進みながら、あれこれと想像力を
膨らませていく楽しみは出来たわけで、
現時点では、日本で言う「くまもん」のような
マスコットキャラクターの名の如く、
トラガンティアも造語の類と言うことに
しておきましょうか。
オペラのように
ところで、
オペラやバレエ組曲では、
開幕前のオーケストラによる
「序曲」が演奏されますね。
序曲は、事前にお話を盛り上げ、
また予告のような役割をします。
そんなオペラをお手本にして、
お話を始める前に、 伝説の内容に少しでも
奥行きが感じられるように、
これから、 歴史的背景についての
ご説明を少ししておきますね。
序曲「ラ・トラガンティア」
中世のスペインは、キリスト教徒が
「アル・アンダルース」と呼ばれる
イスラーム教徒の領域を奪還する
レコンキスタ(国土再征服運動)が
推進された時代でした。
スペインらしさを求めて、
イベリア半島に於ける
これら二つの勢力に対して
興味を持ち俯瞰してきた私でしたが、
かねてから、レコンキスタが
大詰めを迎えることになった
その転機について知りたいと思い、
今回調べてみました。
すると、
明らかに潮目が変わったのが、
1212年7月16日の壮観な軍事衝突、
「ラス・ナバス・デ・トロサの戦い」からでした。
そして、おそらく
歴史の一ページを飾った
この大きな合戦後は、
双方の登場人物の人生も
大きく変化したに違いありません。
けれども、脚光を浴びるのはいつも
時代を大きく動かした人物が中心であって、
それ以外の人々は、
表面にあまり多く現れず埋もれがちです。
もし、中心人物以外を知ろうと、
読み手が様々な想像をしながら
丁寧にほぐして読もうとしていけば、
そこから知る手がかりは
幾らでもあることでしょう。
伝説もその時代に生きた人々の人生を、
知る方法の一つなのだと思っています。
さて、これからご紹介する
『ラ・トラガンティア』は、
先に述べた
ラス・ナバス・デ・トロサの戦いで、
輝かしい勝者となったキリスト教徒ではなく、
敗者となったアル・アンダルース領域内に
存在したある小さなイスラーム教国のお話なのです。
さぁ、ここで丁度
序曲が終了致しました。
今、目の前の幕が、
するすると上がっていきます、ね……。
※これより先、伝説後半にはイメージに昆虫、
爬虫類の写真を使用しています。
苦手な方は閲覧にご注意下さい。
『ラ・トラガンティア』
ラ・ジェドラ城から眺めるカソルラ
伝説は、1212年の「あの戦い」から
20年ほどが経過しておりました。
カソルラは山々を背景に、
緑に覆われた渓谷のある
イスラーム教徒の小さな王国で、
王が住む「ラ・ジェドラ城」の
見晴らしの良い場所からは、
白い果樹園や、
清流に架かる木橋(もっきょう)、
また川の岸辺には馬引き水車や、
風車も見える 長閑な風景が広がっていました。
悲観に暮れるカソルラの王
しかし、今の王には
この美しい景色を眺めていても、
癒されることはなかったのでした。
何故かと言えば、 王の放ったスパイから
《大規模なキリスト教徒の遠征軍が、
田園地帯を破壊しながら進軍し、
じきに国境を越えて、このカソルラへ
侵攻してきます》という
悪い知らせを受けていたからでした。
悲観に暮れた王は、後悔の念に駆られます。
「ああ!吹けば飛ぶようなこの私の小さな国が、
あのように良く訓練を受けた敵軍に対して、
武力で抵抗しようと考えたのは
何と愚かだったのか!このカソルラも、
ケサーダの町と同じ仕打ちを
受ける事になるのか……」
近隣の都市「ケサーダ」
ケサーダは、カソルラから8㎞離れた
山麓の要塞都市でした。
産業がとても活発であった為、
バザールやハンマーム(アラブ風の風呂)、
旅籠も備わった大きな町でした。
この都市が、キリスト教徒によって
焼き討ちにあったのは二年前のことです。
当時、 キリスト教国
「カスティージャ」の王による戦略の一つには、
今で言う経済戦争があって、
直接対峙する戦争よりも
ぐっと労力が少なく安価ですむという
ものだったのです。
その具体的な方法とは、
麻の松明(たいまつ)で町や農場に火をつける。
野原を荒らし、
水車や風車を破壊していく。
収穫前の葡萄畑や、木々を伐採し、
また、井戸や灌漑を徹底的に潰す。
終いには、ロープで捕虜を
引きずっていった……と、
そのやり口は、
誠に情け容赦がなかったのでした。
王の決断
カソルラ国の内部では、キリスト教徒軍は
単にカソルラを通過するだけで、
別の場所に行くのかもしれないと
楽観視する者もおりましたが、
思慮深く、とても真面目な王は、
「とうとう恐れていた時が来たのだ。ここも、いよいよか……!」と、
腹を決めると民に、
「危険が回避されるまで、安全な場所へ避難してよいぞ!」と、
脱出許可のおふれを出したのでした。
悲しみにくれながらも、
家財道具を積んだ荷馬車を引き引き、
頑丈な木の橋を一人、
また一人と渡っていく老若男女。
王は、その姿を丘の城から眺めては、
たいそう心を痛めましたが、
為す術はこの時、
もう何も残っていなかったのす。
こうしてカソルラ王国からは、
民が全て去って過疎になりました。
王の唯一の気がかり
さて、城の中庭では、
側近の数人の部下達が、
『すでにキリスト教徒の前哨地が、
この谷に達したのではないか?』と、
彼等の焦りの気持ちが馬にも伝わるほどに、
王との出発を、今か今かと待ちわびています。
一刻も早く安全な場所に避難しなければ
ならなかったのですが、
王には、
一人のたいそう美しい姫がおり、
この姫の処遇に悩んでいたのです。
王の悩みとは、無論
娘を持つ父としての心配でした。
「もし、姫を連れて逃亡する際、
視界が開けた野原で敵軍の追っ手に
追いつかれ、非道な行為を受けるとしたら?
いや、将来、姫が奴隷の人生を送ることになったら?
それだけは、絶対に避けたいのだ!」
思案した結果、
王だけが唯一知っている
城の秘密の地下室に姫を隠す事に、
漸く決心がついたのでした。
「姫よ、どうか私の言うことを
落ち着いて聞いておくれ。
そなたを敵から守るため地下に隠すことにした。
ここならば安全だ。
彼等がカソルラを去ったらすぐに戻るから!!!」
「お父様、私はいやです!一緒に参ります。
お願いですから、どうぞ皆の者と一緒に私をお連れ下さい。
あ~!どうか、置き去りにしないで下さい!!!」と、
姫は号泣しながら父王に訴えます。
王は数日間、
姫が生活に必要な充分な食料や身の回りの物、
ランプ用の灯油を用意したものの、
姫のこの訴えに、やはり心が揺らいだのか、
なかなかあきらめきれずに、
出発しようとしなかったのでした。
夏至「サン・ファンの日」
いよいよカソルラの王と、
続く取り巻き連中の6人が、
城を離れる時がやってきました。
王は、錠を下ろしてきた
秘密の地下室を一瞥すると、
万感こもごも到り、
心の涙を流したのでした。
そして……。
場所は移って、ここは城外の緑の谷。
先ほど、蹄の音を響かせながら
木の橋を騒々しく渡った時には、
森閑としたこの谷全体に、
たき火の燻っている臭いは
全くしていなかったのですが、
この異変に気づいた時には、
時すでに遅しだったのです。
突然、カソルラの朝の澄み渡る空気中に、
「ウウウウオオオーン!」と、
冴えた弦音(つるね)が響たかと思うと、
次の瞬間、何と一本の矢が
王の首を貫通したのです。
声を発する間もなく、
「ばた~ん!」と、
丸太の上に音を立てて倒れた王。
矢の先が脊髄から出て、みるみるうちに血が
大地を染めていきます。
一方、 キリスト教徒軍の
精鋭なクロスボウのグループが 、
王を倒した後に
程よいタイミングを見計らって、
川岸の草むらから
ふっと湧くように現れたかと思うと、
「今度は貴様らだ!」と、言わんばかりに、
王の側近達である逃亡グループに
ガシッ!と武器を一斉に向けたのでした。
王は、不意の攻撃に無惨にも倒れ、
最期に何か言いたげでしたが、
無念にも鉄の矢が
がっつりと喉に刺ささり、
とうとう、一言も発することなしに
息絶えてしまいました。
王の死を待ちかまえていたように、
一匹の蟻が、
彼の手に上り始めていきます……。
こうして、
カソルラのラ・ジェドラ城に隠された秘密は、
これ以降、誰にも知られることは
なくなってしまいました。
奇しくも、その日は一年で一番日の長い、
夏至の「サン・ファン」の日……。
キリスト教徒による 新しいカソルラ
さて、王の死からどれくらいの
時が経ったことでしょう。
キリスト教徒達は、
この土地を隣の都市ケサーダのように、
荒らすことをせずに、
カソルラの町と
この城を手に入れると、
同じキリスト教徒の人々を
遠くから入植させて、
住まわせる事にしました。
町の様子は、かつての住人であった
イスラーム教徒達がそうしたように、
煙突からは、もくもくと煙りがのぼり始め、
水車や風車は、「コットン、コットン」と、
また鍛冶屋が鉄を打つ
「カーン、カーン」と鳴らす音など、
そのどれもが、リズミカルで幸せな音を立て始めて、
平和な生活が戻ってきたのでした。
秘密の地下室
ところで、あの美しい姫は
どうなっていたでしょう。
封じ込められていた場所は、
じめじめとしたとても湿気の多い地下で、
狭い廊下を挟んで
幾つかの部屋がありましたが、
何処も全てが静寂そのものでした。
天井の大部分を支える石柱。
硝石で覆われた花崗岩の壁。
そして、壁に掘られた
ニッチ(隙間)には、
ひとしずくの水がしたたり落ち、
足下の敷石は、何世紀と言う
気の遠くなるような
長い年月の経過によって、
井戸になっておりました。
このような暗い地下には、
昼も夜も訪れることはなく、
たびたび次のような思いが
姫を襲うのでした。
「何か物音がしたかしら?
ここよー、ここ、ここ!ねぇ、誰か、誰かぁああ!
お願い、私を……私を助けて~っ!!!」
悲しみの果てに
しかし、その微かな望みも
叶うことなどなく、
その後にやって来る大きな落胆。
この苦しみを何とか心で打ち消けそうと、
哀れみ深いランプを手にとって、
ただ、うろうろするばかりの姫。
希望と落胆を繰り返した後、
やがて絶望と精神錯乱へと姫を襲ったのは、
《何よりも自分の存在が、人々からは忘れられているのだ》と、
悟った時だったのです。
充分用意された食べ物や物資もつきて、
ついには、大切な心の支えであった
ランプの灯火でさえも
「じーっ」と、音を立て消えていく。
姫は、滴る水を飲み、また地下にいる
昆虫を食べて飢えを凌いだのでした。
いつしか凍える寒さが到来し、
川以外の場所には、山に降った雪が
白いケーキのように覆う季節となって、
この不幸が、暗い寝床で
毛布に包まれた姫を、
死へと誘おうとしていたのでした。
変身していく姫の体
寝ているようで、寝ていない。
そして、果てしない時間空間の中で、
しばしば訪れる残忍な悪夢に対する叫び声。
「ああ~!あう、あぅ……うぉ、うぉおおお!
ぎゃあ!ぎゃあぁぁぁああー!!!」
目が覚めれば、煮えたぎるような熱と、
同時に凍いつくような足に
痛みがほとばしります。
それから、姫は
両手を擦り合わせたのかもしれません。
手には、今まで感じたことのない、
ざらざらで、ねばねばした皮膚の感触があった為に、
とても気持ちが悪くて震えを覚えたのですが、
もはや空腹感や焦りはなく、
また寝てはいても、寝床の中で体が動いたり、
恐怖や驚きも感じることはなくなっていたのでした。
そして、とうとう姫の体は……。
何と驚いたことに、 若者らしい丸みのある
姫の腰から下は「鱗のついた蛇」に、
ゆっくりと変化していったのでした。
夏至の日のトラガンティア
こうして悲劇の姫は、
トラガンティアとなって、
父王の亡くなった夏至の日である
サン・ファンの夜に、
次のように甘い声で歌うのです。
私はトラガンティアです
モーロ(ムーア)の王の娘、
私が歌うのを聞く者は
日の光が見えない
サン・ファンの夜もない
もし、子供がこの歌を聴いたなら、
ラ・トラガンティアである化け物は、
子供をむさぼり食うと、
言い伝えられています。
その行為は、カソルラが
キリスト教徒が住む町となり、
彼等の子孫が繁栄していく事に対する
恨みなのでしょうか。
これがカソルラの町で、
夏至の日の夜、小さな子供達が、
早くにベッドに入って寝るように
言われる理由なのです。
カソルラのお城には、
誰も持ち上げようとしない
鉄の輪が付いた重い敷石が存在します。
そこからは、とても細くて長い階段が続いており、
王が、かつて姫を隠した地下牢へと
繋がっている入り口なのだと
今も伝えられているのです。
*** *** *** *** *** ***
読後のあれこれや、カソルラのこと
如何でしたか?お読みになって
ラ・トラガンティアの正体が、
「半爬虫類人」なのだとおわかり頂けましたか?
スペインでは、『ラ・トラガンティア』は、
割合と知られている伝説のようです。
さて、遅ればせながらカソルラについてです。
この町はカソルラ山脈東麓に位置し、
現在 アンダルシア州ハエン県にある
人口八千人程の町で、
町の背後に連なるカソルラ山脈は、
アンダルシア州でも観光客で賑わう
都市コルドバや、セビージャ(セビリア)を
流れる「グアダルキビール川」の
源流があることでも有名です。
自然がとても美しい場所なのですね。
また、市街の中心地から
汽車型の観光バスに乗車しますと、
周囲を囲む山並みの道を通りながら、
城のある町の景色を外巻きにして
ぐるっと眺めることが出来ます。
そして、毎年夏祭りになると、
この伝説に関係する
演劇や音楽、食に対する楽しい催しがあり、
観光活動も活発に行われているようです。
お祭りにもなっている
トラガンティアに対して、
子供達にとっての恐怖とは、恐らく
「早く寝ないと食べられちゃうぞ!」でしょうけれど、
一方、大人にとって何が怖いかと言えばやはり、
「自分の存在が、誰にも知られることがなく死んでいく」に対する
恐怖なのでしょうか。
でも、この悲劇のお姫さま。
現代では、少なくともお祭りを通して、
「自分の存在が、誰にも知られることがない」ではなく、
「町の人々が皆、年に一度は私を思い出してくれる」に
なったのではないかと、私自身思っています。
さて、最後になりますが、
伝説の内容に関してです。
今回、写真ブログでご紹介するにあたり、
『ラ・トラガンティア』を読んでみましたが、
まず、スペインの歴史背景をある程度知っている
読者を対象にした読み物であること、
と、同時に「言い伝え」であることから、
急にお話の場面が飛んだりするため、
不明瞭な部分が散見されました。
以上の様な理由から、
前回第23話のブログでご紹介した
ファン・エスラバ・ガラン氏による本から、
古城伝説『ラ・トラガンティア』を中心に、
同伝説のその他のバージョンから
内容を補完し、また私が加筆を致しました。
どうぞ、ご了承下さいませ♪
今回も、最後までおつきあい下さり
ありがとうございました!
それでは、この辺で♪