車に渋滞はつきものだけれど……
8月に入ってすぐに
神奈川県・横浜市にある
コンサート・ホールまで仕事で行ってきました。
いつも出発前にマップ・アプリを使って、
到着予定時刻やルートを
チェックすることにしています。
さて、この日のコンサート・ホールでの約束時間が、
朝のラッシュ時間と重なっていたので、
出発の際には
「多少の渋滞は、仕方がないのかも……」
と覚悟をしていたものの、予想は見事に外れて、
余裕を持って到着し、ほっとしたのでした。
車はとても便利な乗り物ですよね。
でも、一旦ひどい渋滞に巻き込まれてしまうと、
たとえアプリで
「より速い経路」を案内してくれても、
その後に入っていた予定の調整が
困難になることもあります。
これからお話しするのは、
このアプリが登場する以前のことで、
≪スペインに住んでいた頃、
旅先で渋滞に巻き込まれ、
知人との約束時間に
既の所で間に合わなくなるところを、
地元の人の機転によって
見事に遅れを取り戻すことが出来た≫
ある旅のエピソードです。
出会った人は発想が奇想天外で、
また暖かな心の持ち主として、
今でも、良き旅の思い出の
数ページとして記憶に残っています。
今思えば、
あの出会いは「一期一会」。
一生に一度だけの機会なので、
今度は私がその分、他の人へと
お返し出来ればと思っています。
それでは、
渋滞に巻き込まれる前までの旅の経緯などから、
ゆっくりとお話してまいりましょうか。
首都マドリードは楽しく便利だけれど
住んでいたマドリードは、
スペインの首都らしくイベリア半島の
ほぼ中心に位置しています。
歴史や文化が豊かなだけではなく、
商業的な面でもほぼ何でも揃うので、
便利でまた楽しい街でもありました。
ただ、唯一残念であったのが、
マドリードが内陸にあるために
海が近くにないことだったのです。
生まれも育ちも東京で、
海が比較的身近な存在でしたので、
日々、無意識に何か満ちたらないものを、
感じていたのかもしれません。
ある夜更けのことでした。
自分にとって自然との対話が
海であることに漸く気づき、
思いを巡らしていくうちに、
≪都会の喧騒を離れて広大な海を見に行って、
自分の心を開放してあげたい!≫
その夜は眠くなるどころか、
逆に気持ちがどんどん募ってしまいました。
今の自分であったなら、もう少し
冷静に行動するのでしょうけれど、
あの夜は、なんとまぁ
Valencia(バレンシア)の海まで
わざわざ3時間もかけて
出かけてしまったのでした。
それでも、マドリードからは
一番近い場所だったのですよ(笑)。
海へ行くチャンスが到来
海好きの私に
絶好のチャンスが訪れたのは、
2002年の初夏のことです。
地中海沿岸の”Costa del Sol”
「コスタ・デル・ソル」での
仕事が入ったのでした。
出発する日まで海へ行かれる嬉しさを隠せずに、
ついはしゃいでしまったのは、
なかなかコスタ・デル・ソルまで
出かけるチャンスがなかったことと、
もう一つ、「旅のお楽しみ倍増プラン」を
入れておいたからなのですね……。
さて、コスタ・デル・ソル
(「太陽の海岸」の意)の範囲ですが、
画家ピカソを生んだ
県都Málaga(マラガ市)を中心にして、
おおよそ東西160㎞に渡る 沿岸地域を指します。
文字通り「太陽の恵み」がたっぷりで、
美しい海はもちろんのこと、
南部アンダルシア地方特有の、
白い町や村々が点在することからも、
季節を問わずに、外国人に人気の
「国際的リゾート地」であるのも、
うなずけると思います。
午前5時 マドリードから コスタ・デル・ソルの町へ
出かけて行った先は、
マドリードからは南へ600㎞、
また県都マラガ市からは、
40㎞西の距離に位置する開発リゾートの町でした。
特徴的な町の様子と言えば、
外国人を魅了する白や
ベージュの南欧風の家々が、
海に向かって段々畑のように
たくさん建ち並んでいたことです。
また、各々の窓辺に立つと一望できる海が、
一つの贅沢になっているようでした。
マドリードから車でこの町へ行った時は、
明け方5時に出発して、
途中休憩を何度か挟んで到着したのが、
午後1時過ぎだったでしょうか。
そして半日後 仕事を終えて
仕事を無事終えて、
坂の途中にとめてあった車へ戻り、
まずは時刻を確認してみようと
思いました。
本来なら一日の仕事が終わったことで、
シートに深々と座って、
ほっと息をつくところです。
でも、この日は良い意味で、
そうはいかなかったのですね!(笑)
理由は簡単で、先ほどお話しした
旅のお楽しみ倍増プランである
プライベートな予定を、
この後に上手く
入れてきちゃったのですね。
さて、そのプランとは?
送られてきたFAX
スペイン人の知人Yから
手書きで綴られた FAXを受けとったのは、
コスタ・デル・ソルへ行く
ちょうど二週間前のことでした。
やあ、久しぶりだね!元気かい?
今、僕はジブラルタルに近い町で、
(オーナーとして)ホテル経営をしています。
ヨットハーバーの見える
贅沢な眺めがとても気に入っているんだ。
ちょっと相談したい件もあるので、
近いうちにこちらへ来られないだろうか?……
更に、ホテルを案内後、奥様も交えて、
近郊”San Roque”(サン・ロケ)にある
カントリークラブの日本食レストランで、
大好きなお寿司を一緒に食べようと
いうものでした。
Yは、おぼっちゃん育ちのわりには
屈託がなく、また
神出鬼没の人物でもありました。
送信してきた
ホテル・アドレスを見てみると、
以前の住所ではなくて、
スペイン・イベリア半島南端、
英国領ジブラルタルに近い
高級リゾート地 “Sotogrande”
(ソトグランデ)からだったのです。
午後7時15分 “Sotogrande”(ソトグランデ)へ向かって
Yは、当日ホテルへの到着時刻に対して、
「遅くとも午後9時までにホテルへ到着して欲しいんだ。いい?」
と何度か念を押してたのは、レストランへの
予約が出来るのは、午後10半が最後だからでした。
何はともあれ、車に戻り
まずは時刻を確かめたのは、
この約束時間が気になっていたからなのですね。
到着予定時間を逆算してみると、
約75㎞先のソトグランデまで、
午後9時前には問題なく到着出来そうなので、
一安心でした。
海岸線を通る
高速道路A-7号線を走り始めると、
まだ日没には早く、左手には
青い海原が視界に入り、
この先の予期せぬ出来事を知らずに、
景色を満喫していたのです。
午後7時35分 渋滞が始まった!
問題の渋滞が始まったのは、
確か目的地ソトグランデまで
半分弱の距離、あと30㎞程度を
残す地点だったと思います。
それまで海岸近くを縫っていた道路が、
山間部に入り込んでまもなくのことでした。
「なに、一体!どうしたのかしらね?」
前の、その前の、更に前の、もっと前の車も、
それまで走行していた前方の全ての車が、
それぞれ前の車の赤いテール・ランプに
次々と吸い込まれるように、
皆、止まっていくのを
呆然として眺めるばかりでした。
ちょっと前まで
夢見心地にさせてくれた旅気分を、
見事なほどに突然、ここで
強制終了されてしまったのです。
「えっ、まさかの渋滞……?」
先ほど通ってきた
高級リゾート地”Marbella”
(マルベージャ)の町までなら、
豪華ホテルや富豪の別荘、
それに大手デパートなどの
商業施設も整っているので、
人の出入りも多く混雑することもあります。
でも、それから先で渋滞が起こるなんて、
全く思いもよりませんでした。
巻き込まれた渋滞は、
典型的な様子で終始しました。
車はちょっとお情け程度に進んでは、止まり、
そのまま、しばらくは動かずの繰り返しで、
認めたくなかった現実(渋滞)を
目の当たりにしてしまい、
もう認めざるを得なくなると
流石に「あ~あ、だめだわ、これは!!!」
と観念した言葉しか出てこなかったのでした。
A-7号線を降りる決断
想像もしていなかった渋滞が始まってから、
かれこれ20分近く経過していました。
にっちもさっちもいかぬ
この状態に対して、この後どうするか
即決を迫られていたのは明らかで、
すでに自問自答が始まっていたのでした。
『目的地のソトグランデまで
このままだと到底午後9時には絶対着けないわよね。
じゃあ、どうしたらよいの?』
早急に何とか解決策を出さねばと、
採った方法がこれでした。
『ともかく、ええと……そうね、次の町で高速道路を降りて、
……他の抜け道があることに、一縷の(いちる)の
望みに託するしかないのかも……』
今一つパシッと決まらない代替え案でも、
ただ指をくわえて
渋滞の渦中にいるよりは、
まだ、ましだと考えたのでしょうね。
漸く車は、依然と渋滞している
高速道路の本線を横目に、
次の町へ降りるスロープへ辿り着くと、
本来の「走る車」となって
すべるように降りていきました。
ああ、何という皮肉!(笑)
午後8時頃 ある町の給油所へ入る
何はともあれ、まずは給油でした。
理由はこの先、場合によっては山中を行く時、
給油所がないこともあるからです。
でも、まさか入った給油所が、
記念すべき「地元のお爺さん」との
出会いを提供してくれるとは、
この時、露ほども思わなかったのでした。
降りた町の場所もおおよその見当はつくのですが、
今もって確証はなくて、
また当然の如く給油所の場所も、
残念ながらよく覚えていません。
もしかすると町はずれの、
街道沿いだったのかもしれませんね……。
さて、給油所内に入ると、それまでいた客は
次々と去っていき、すぐにがらんとなりました。
唯一、私がいた場所から
何列か離れたスタンドの前で、
給油サービスの係員男性と手振りをつけながら、
しばし楽しそうに世間話をしていた男性がいました。
そう、その方が、渋滞がきっかけとなって
出会ったお爺さんだったのです。
最初は彼ら二人をただ眺めながら、
『スペイン人って、知り合いや
アミーゴ(友人)同士は、本当に仲が良いのだなあ!」
と微笑ましく思っていただけなのです。
ところが、自分自身も驚いたのですが、
何のきっかけで次の発想に至ったのでしょうか。
「ああ、そうだわ!あのお爺さんに道を聞いてみよっと!」
などと、ここで思考が、
突如切り替わっちゃったのですよ、私!
それからは、
行動に移すのは早かったのでした。
『善は急げ!」と足の方が心より為すべきことを
合点していたようで、彼らの方へと勝手に
すたすたと歩いていっちゃったようなのです。
直観的に動きだした足も、思い返してみれば、
何だか自分でも可笑しかったですね(笑)。
お爺さんとの会話が始まった!
私が彼らに近づいていくと、
双方が「じゃぁ、またな!」と
別れのあいさつと同時に
互いの肩をポンポンと叩いて、
ちょうど会話が終わったようでした。
私は「声をかけるなら今ね!」
と、すかさずお爺さんの方に向かって、
明るく言ったのです。
「こんにちは♪ 道を聞きたいのですが、よろしいですか?」
ワンテンポ遅れて、お爺さんは、
「あ、ああ、いいよ。どこへ行くんだい?」
と聞き返してきました。
「ソトグランデまで行きたいのですが、
高速道路、今ね、ひどい渋滞なので降りてきちゃったんです。
知人との約束時間に間に合いそうもなくて……
あのう、抜け道はないでしょうかね?」
私は最初、軽い気持ちで抜け道だけを尋ねる心づもりで
話しかけたつもりでしたが、話し始めているうちに、
何と詳細な事情に至るまで口から言いたいことが
滑らかに全部出ちゃったんですね。
お爺さんは顎を撫でながら、
苦笑して言ったのでした。
「うーん。ソトグランデまで急いでいるのか?
道が……ないことは、ない。あることは、ある。」
私は、抜け道があることを知って
天にも昇る心地になって、
「えっ、本当に、ある?あるのですか?
ここからどう行けば良いのでしょう?」
お爺さんは、今度は困った面持ちで言いました。
「言った通りなんだよ。ないことは、ない。
あることは、ある。だがなぁ!うーん……」と言うだけで、
それっきりで、黙ってしまいました。
最初に尋ねた時と二度目とでは
返ってくる言葉のニュアンスが違うので、
何だろう、このクイズのような物言いは?
ないことはない、あることはあると、
もったいぶった言い方なので、
はっきり物事を言うスペイン人としては、
珍しいことだなと思ったのでした。
折角良い線までお話が進展するのでは
と期待をしていたものの、
残念なことにここでストップしちゃったのです。
これ以上、埒(らち)があきそうもなく、
時間ばかりが過ぎていき、
今度ばかりは本当に途方に暮れてしまいました。
でも、どうやら悩んでいたのは
私だけではなかったようでした。
お爺さんの横顔をふと見れば、
自分の手首につけた腕時計を
じっと見つめては首をもたげ、
またじっと時計を見つめなおして、
何かを懸命に計っているではありませんか!
お爺さんの、何かを試みようとしている
この変化を伺っているうちに
私はあきらめて立ち去ろうとした気持ちが、
ぱっと、何処かへ吹き飛んでしまいました。
そうして、また
見ず知らずの外国人の私の為に、
なんて真剣に考えてくれる人なのだろうと、
逆に悩ませる材料を与えてしまった事への、
後悔の念に駆られてしまったのです。
≪目は口ほどにものをいう≫と言うけれど、
もしかしすると、無意識に
私の目は懇願に近かった表情を
していたのかもしれませんね。
午後8時10分過ぎ お爺さんと共に出発
ほどなくして、
お爺さんは何か決心がついたようで、
晴れやかな表情になりました。
そうして、私に促すように、
「なぁ、ソトグランデへ午後9時までに着きたいと言ってたなぁ?
よし、決まった!それなら、俺の車の後ろについておいで!
大丈夫、必ず間に合わせてあげるから!」
そう言った途端、
「ああ、こうしちゃぁ、いられない!」
とばかりに止めてあった彼の車へ乗りこんで、
こっち、こっちと私の方へ手招きをすると、
さっさと出発してしまいました。
私は、まさかお爺さんが
同行してくれるとは思ってもみなかったし、
同時にあまりの素早い行動に
あっけにとられてしまったのでした。
結局のところ、
「ついて行って良いのか、悪いのか?」
などと悠長に考える暇もなく、
あれよ、あれよと、彼の車の後をついていく事に
なっちゃったのですね(笑)。
思えば、お爺さんは気っぷが良くて、
また人をぐいぐいと導く天性のパワーが
備わっていたのかもしれません。
午後8時20分過ぎ 山中でのワン・ストップ
それからは、
お爺さんの行く道は、上り坂の道なき道で、
どんどん山中へと入っていきました。
時間にして6-7分程だったかもしれません。
給油した町の背後に聳える
何れかの山の裾野辺りに到着すると、
突然彼は車を停車させたのでした。
「どうしたのかしら?こんな茂みばかりの場所で?」
私はてっきり車の故障かなと、ちょっと心配になってしまいました。
こちらへ向かって歩いてきたお爺さんに、
何事かと不安げに窓ガラスを下ろしてみました。
「すまないが、ここで少し待っていてくれないだろうか?
実は今日、村の友達の家へどうしても
寄る約束になっていてなぁ。すぐに戻ってくるから!」
そう言い残すと、お爺さんはとても急いだ足取りで、
茂みの中へ、さーっと姿を消してしまったのです。
煩悩だらけの私 山中での15分
土地勘もない山中で、急に
こんなことを言われて、私は
「ええーっ!!!」と
衝撃を受けてしまいました。
心の内では、
『噓でしょう?この茂みの先に、
友達の家があるなんて本当なのかしら?
じゃぁ、家がなかったとしたら、
お爺さん、一体どこへ行っちゃったのよ?』
更に負の気持ちがエスカレートしていき、
『もしかすると、置き去りにされちゃったのかしら?
外が真っ暗になっても、結局戻ってこなかったら?
いやだ、私、そんなの……!!!
だって、もう戻る道さえわからないもの!
ああ、やっぱり後悔しちゃった。
給油所で声などかけなきゃよかった!』
よくもまぁ、次から次へと悪い妄想が、
どんどん膨らんでいくものだろうかと、
今思うと、自分自身も恥ずかしく、
あきれるばかりなのですねぇ(笑)。
サマー・タイムを導入している
スペインでは、
日没は午後9時過ぎなのですが、
山中はそれよりも早いものです。
この時は、四方が背の丈ほどの草木だらけでした。
それで、ついつい空を眺めていると、
太陽まで意地悪をして
倍速の速さで日が落ちているように
見えてきちゃったのですねぇ(笑)。
5分経過。
10分経過。
私の口からは、
「うーん!!!!!!長い!来ない!遅い!」
と出てくるのは、まるで音符に付ける
アクセント記号のような、
強くて短い文句ばっかりでした。
こうして現状に対する不安の波が
何度か押し寄せた後には、
「ひょっとして今晩の食事抜きの罰が、待ち受けているの?」
この発想に至って、最後には疲労と空腹感が、
どっと一気に押し寄せてきたのです。
空はだいぶ薄暗くなってきているし、
すでに黄昏色に染まり始めていました。
今にも何処からかフクロウの「ホーホー」
と鳴く声でも聞こえてきそうでしたから、
私の不安感も、きっとこの時が
クライマックスに達していたのでしょう。
でもね、お爺さんが戻ってくるまで、
この間たった15分程度しか
経っていなかったのですよ♪
午後8時35分頃 お爺さんが戻って来た
15分ほぼぴたりとした時間が経過すると、
まるで舞台の袖から出てきた男優さんのように、
茂みからお爺さんが現れたのでした。
「やぁ、すまん、すまん。待たせたな!絶対に
約束の時刻には送り届けてあげるからな!」
無事戻って来たことで、
私は安心したのか、
今夜の食事抜きの張本人に
仕立て上げようとしたのもころっと忘れて、
内心、『やっぱりあの時、お爺さんに聞いて良かった!
私の見立ては合っていたのだわ♪」
と嬉しくなっちゃったのでした。
かくも、人とはいい加減な生き物なのですね。
お爺さん、ごめんなさい~!
それからのお爺さんは、すごかったのです。
何がすごかったかと言えば、
途中からは道などなくなっていたのですが、
小さな泥だらけのルノー5の車で、
野原を通って、時にはスキー場のゲレンデを
滑走するように
平気でガンガン山を降りて行ったのでした。
この間、どれくらいの距離を
どれくらいの時間で走ったかは
夢中でしたので覚えていません。
そして…….。
やがて、眼下には
とんでもない光景が広がっていたのですよ(笑)。
今更、もう戻れない!ショート・カットは未完成で
私が目にしたのは、
何と工事関係者以外人跡未踏の
建設中のハイ・ウエイでした。
お爺さんは車の窓ガラスを下げると、
アスファルトを撒いたり、
ローラーで道路を平らにしたりと、
工事に従事している人達全員に対して、
手を振りながら「よぉ、お疲れさん!」と
愛想を撒きながら
平気で先導していきました。
この光景を眺めていて、
夢を見ているのかと疑ってしまったぐらいです。
やがて、工事中の道路が
丘の上に教会のある白い村へ辿り着くと、
まだアスファルトは撒かれていない
赤土の道に変わりました。
そこでも「よお!」と、
「出会う人たちに声をかけては、走る」
と、この動作が幾度か繰り返されて、
お爺さんと工事に従事していた人たちとの
強い信頼感が感じられたのは、
この時だったのでした。
こんな事ってあるのだろうか?
何とか少しでも早く到着できるように
誘導してくれたお爺さん。
そして、2台の車を
にこやかに手を振りながら通してくれた
工事の人達に対し、
私はありがとうと感謝の気持ちで
胸が一杯になってしまいました。
午後8時55分 別れの時
やがて二台の車は、
目的地ソト・グランデに通じる
街道筋にふっと出たのでした。
スリルたっぷりの藪のある山道や、
思ってもみなかった
新しく建設しているハイ・ウエイへと
別世界に連れて行ってくれた
お爺さんともお別れの時がやってきたのです。
道の古ぼけた道標が見えたのが合図のように、
路肩に二台の車が阿吽(あうん)の呼吸で止まると、
それぞれ外に出たのでした。
そうして、お爺さんの方からほっとした声で、
別れの挨拶をきり出しました。
「ほら、そこがヨットハーバーへの入口だよ!
ここを左に行けば、もう、ほんとにすぐだ!
ついて行ってやりたいんだが、俺はまだ用事があって、
右の方へ(ジブラルタル方面)行かなきゃならんのだ。
じゃぁ……気をつけてなぁ!!!」
私は、突然街道筋に出てしまったことで、
お別れに対して心の準備ができておらず、
「本当にありがとう!!!」の一言しか
言えない自分に、もどかしさを感じていました。
その代わりに出来たことと言えば、
彼の車ルノー5が小さな赤い点となって、
もう判別出来なくなった後も、
沢山のお礼の言葉の代わりとして、
しばしの間手を思いっきり振り続けたのでした。
この時、人生で「名残惜しい」とは、
本当にこういうことを言うのだと
しみじみと自分は感じていたはずです。
彼の車がすっかり見えなくなった
街道に立っていると、
好きな潮風がそよそよと吹いてきて、
「やぁ、ソトグランデにようこそ♪」
と頬を優しく撫でてくれた気がしました。
午後8時57分 ソトグランデ 知人Yのホテル到着まであと1分
「ヨットハーバーの見えるホテル」
とYが言っていた瀟洒な建物の灯りが、
日の暮れかけた暗い海辺にゆらゆらと
映っているのが見えてきた頃、
長かった今日一日の出来事を、
あれこれと思い出していました。
この日、何よりも印象的な出来事とは、
日焼けをした地元のお爺さんとの出会いでした。
彼は、この辺りの町長さんなのか、
それとも工事関係者のお偉いさんなのか、
一体誰なのかは、
最後まで何も語ることはありませんでした。
私は、お爺さんの繰り返し言っていた言葉、
≪ないことは、ない。あることは、ある≫
を苦笑しながら口真似をして、
『なるほどね。こういうことだったのよね♪』
と不思議な道案内をしてもらったことに対して、
感謝の気持ちで胸がいっぱいになったのでした。
***** ***** ***** *****
お話を終えて
こんにちは♪
今夏は本当に暑い夏でしたが、10月に入って急に秋らしくなってきましたね。
皆さまお変わりございませんか。
さて、今回の『記憶の手帳』は如何でしたでしょうか?
このお話は、第25話『記憶の手帳 I』と同様に、私の実体験に基づくものとなっています。スペインならではのお国事情と、スペイン人ならではの国民性と、そしておおよそ何らかのトラブルに巻き込まれた際の、私のキャラクターとが見事に相まって(?)、
何ともいえぬユーモラスな風合いの経験談に仕上がりました(笑)。
2,002年初夏のコスタ・デル・ソルへの旅は(当時は写真ではなく、別の仕事での出張)かれこれ20年前のことですので、手元にあったほんの僅かなメモ書きと、記憶を頼りに書き始めた次第です。
このエピソードを書き進めいていくうちに、最終目的地ソトグランデでの記憶よりも、むしろ不思議とお爺さんとの出来事がより鮮明に次々と思い出されてきたので、自分自身も驚いています。例えば、私が抜け道を尋ねたことに対する言葉≪ないことは、ない。あることは、ある≫も、深く記憶を辿った結果なのかもしれません。お話をする上でも「お爺さんらしさ」を表現する重要なキーワードなので、思い出すことが出来てつい嬉しくなってしまいました。
それからもう一つ、建設中の「ハイ・ウエイ通過』に関して言及させて下さいね。当時は、スペインも欧州連合に加盟して間もなくの頃でした。南部アンダルシア地方辺りでは、規則もまだゆるゆるだったのかもしれませんね。今のスペインでは、こうはいきません!(笑)ですから、この旅のエピソードは、そっと読者の皆さま限定の内緒話にしておいて下さいね♪
今回も最後までお読み下さり本当にありがとうございました。
いつも皆さまの心からのアクセスは、とても励みになっております。
ここに厚く御礼を申し上げます。不定期ではございますが、
今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。
尚、来月11月に東京・町田市で「第八回テミックフォト写真展」を行います。
お近くにお住いの皆さま、ご興味とお時間がございましたら、
どうぞお立ち寄り下さいね。