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初稿公開日:2013年9月3日
夏と秋の合間
9月に入っても残暑が厳しいですね。
先月末に、まだまだ暑いと思いながら
木々がこんもりと茂る坂道で足を止めました。
汗をぬぐっておりますと、
辺りにはまだまだ旺盛な
蝉の声の輪唱が聞こえてきました。
体感する温度から気分は夏であっても、
栗やザクロの実も大きくなり、
腰の高さ程の萩の花を見かけますと
やはり夏から秋へと、何歩も季節は
踏み入れてるのかもしれません。
今年の短かい梅雨や夏を振り返って
日常の生活の中で、日の光の角度や強さ、
それに肌で感じる温度や湿度によって
「そうそう、以前にもこんな日があったわね」と、
過ぎ去ったある日の記憶が
一瞬にして蘇ることがあります。
映画で言えば
「数コマ」の切り取られた思い出...。
今年の梅雨の季節には、
長く感じられた子供の頃の
梅雨の日の短い映像を思い出しました。
雨だれの音ばかりが聞こえる
ある薄暗い午後のこと。
当時小学生の私にとって、
梅雨とは出来れば一気に走り抜けたい
「雨トンネル」のような季節でした。
でもトンネルがなくなれば
「楽しい夏休み」に弾みがつかず
『それも何か面白くない!』と、思っていたのです。
そんなある日。
いつまでも降り続ける雨音ばかりで
とても退屈になり
窓を開け、庭をそーっと見てみると
そこには銀色の雨粒がたくさん付いた
紫陽花が、ちょうど満開でした。
何と表現をしたらよいのでしょうか。
紫陽花が咲いている場所だけが
彩度が高いのです。
色が美しく混ざり合った花と、
ギザギザのある艶やかな葉との
組み合わせ。
紫陽花を、顎をのせた手が痛くなるまで
飽きもせずじっと眺めていると、
「ねぇ?雨の降る灰色の空だからこそ、私達が生き生きとして映えるのよ」と、
花から物の見方を
教わったような気がしました。
子供の頃は、
お気に入りの綺麗な色ばかり、つい目がいってしまいますから、
自然を通してこんな事も教わったのですね・・・。
さて紫陽花の花は、
花弁と思って見ているのは「装飾花」。
実は、萼(ガク)の部分です。
子供時代に画用紙に良く描いていた花は、
こんな装飾花の形でした。
シンプルで、とても可愛らしいですよね。
日本の夏空は何処に
夏の夜空を眺めながら、
最近の日本のお天気の事を
考えていました。
今年は実感もあまり湧かないまま、
「梅雨明け」となったのではありませんか。
やはり例の「雨トンネル」がきちんと
機能しなかったせいか
夏の到来にもメリハリがなくて
何だか気が抜けたようでした。
その後、蒸し暑い日が続くものの、
「かき氷」の暖簾越しに見る雲は、
曇りガラスを通したような勢いのない姿形。
中々青い空に、モクモクの入道雲になりませんでした。
『昔の日本の夏空っぽくないなぁ!
「氷」の字の強さに負けてるかもね』。
そんな印象を持ちましたが、
そちらは如何でしたか。
さぁ、それでは気分をかえて、
この辺で「スペインのお話」に移ることにしましょうか。
モハカール村から西へ
スペイン南東部、
地中海が一望できる白いモハカール村から、
通い慣れた「トコトコ道」をもう一度通って
今度は西へ、内陸へと車を走らせます。
ところで、1960年代に発達した産業には、
モハカールのお話で触れた
観光産業以外にもあります。
今回はもう1つの産業、
その中心地となった場所や
その手前にある小さな村にも
立ち寄ってみたいと思います。
峡谷の縁にある “Sorbas”村
今回の
「もう1つの産業」の中心地の少し手前に
“Sorbas” 「ソルバス」と言う村があります。
ここはもうすっかり内陸の景色です。
右手に見える村の周囲は
V字型をした峡谷になっていて、
急斜面には灌木やサボテンなどが
生えています。
先程までの旅情を誘う
い海に輸送船の姿や、
また歩きながら海風に
心地良く吹かれた事が
夢のようです...。
では、お話をまたソルバスに戻しますね。
このソルバス村の特徴を
簡潔明瞭に記したドイツ人の
地理学者であり、旅行家がおりました。
レコンキスタ直後の1494年に
グラナダへ馬で旅したドイツ人のMünzerです。
彼は当地にも立ち寄っていて、
「...高さ40メートルの
頂のない山の上にあり、…」と、
ソルバスを表現をしています。
村の歴史やその様子
崖ぎりぎりに軒を連ねた家々は、
ラ・マンチャ地方に ある
“Cuenca” 「クエンカ」の町に似ていることから
小さなクエンカとも呼ばれています。
中世のアル・アンダルース統治の頃、
イスラーム教徒の要塞が村にありましたが
今ではもう残っておりません。
でも村に入りますと、
白い家並みや狭い道がある他、
彼等が住んでいた
痕跡が今でも幾つか残されています。
当時、彼等は村の周りを流れる川から水を引き
灌漑を行っていました。
現在の村の生産品を見ますと、野菜や果物、
豆やアーモンド、オリーブであることから
伝統的に栽培されているものばかりです。
これは村の郊外にある
“Aljibe”(アルヒベ) 「貯水槽」です。
以前にもご紹介ましたが、
地下に水路を作って雨水を備蓄する場所です。
ローマ時代からあり、
アル・アンダルースの人々が発展させた技術です。
覗いてみましたら、今も畑用にしっかりと
水が蓄えられていました。
「アーモンドの花」のハイキング・ルート
ところで村の生産品の1つであるアーモンド。
以下の様な記事を
今年2月の地元新聞で見つけました。
「独特の香りで満ちた白やピンクの
花のケープで覆われた景色を、
お楽しみ頂く特別な機会です」
更に読み進めますと、
「...村と周辺を巡る9㎞の
アーモンドの花を鑑賞するハイキング」でした。
一方ハイキングには、
近くにある石灰岩のカルスト地形の見学も含まれていて、
この「ソルバスの鍾乳洞」はスペインのみならず
世界的にも有名なのだそうです。
このハイキングにはオプションで、
もう1つのお楽しみがありました。
「アーモンドづくし」の郷土料理を
レストランで味わえるとのことです。
どんなお食事が出るのやら...。
メニューは選択式で、
好きなものを選ぶようになっていました。
まずは、「白いガスパチョ(スープ)」や、
「豆、青菜とチョリソ(豚の腸詰め)の煮込み」など。
そしてメインは、
「ポーク・フィレ」、「七面鳥」
または「白身の魚」のいずれかに
アーモンド・ソースが付きます。
どれも美味しそうです。
基本となるソースの詳細は省きますが、
アーモンド、ガーリックとパンを細かく砕いて水を加え、
それに塩や酢にオリーブ油を加えたソースです。
時々懐かしくなる味で、少し濃いめに作って
アンダルシア地方の味を今でも楽しんでいます。
このソースは、ゆでたジャガイモや卵、
トマトサラダ、肉や魚など良く合います。
あら、まぁ...。いけません。
お料理のお話になると
楽しくなり、話は尽きません。
ついつい夢中になってしまいました。
さて、ここからは下り坂になっています。
それでは、
ちょうどお料理のお話が終わったところで
陶芸地区へと降りて行きましょう。
“Barrio de Alfarería” 「陶芸の地区」
村の低い地域にあるのが
“Barrio de Alfarerías” 「陶芸地区」。
低い場所にあるのは、近くの採土場から粘土を、
そして水を運びやすいためです。
坂を降りてすぐ、村の守護神を祀った
白くて小さな礼拝堂がありました。
昼食前なので、おじいさん達がベンチでお喋り。
スペインの何処でも良く見られる
日常風景です。
どちらも奥さんかお嫁さんに
「掃除に昼食の支度をしますから、外へ行って来て下さいね!」と
体よく今日も追い出されたのかしら?
お話に夢中のお二人。
その後ろを歩いても、気がつかない様子です...。
そのままそっと礼拝堂の脇を
通って奥へ進んで行きましょう。
図解入りの
「陶器が出来るまで」の行程を説明した
村役場の案内板の前に着きました。
何よりも手書きタイルを制作した方の
陶芸を愛する心が、こちらに伝わって来るようでした。
それから左上には、
村の名物?「雄鳥」の絵も見えます。
案内板を過ぎると、
工房 Mañas 「マーニャス」さんの看板が貼られていました。
あちら「←」だそうです(笑)。
時計は午後1時2分を指しています。
太陽の位置が高いので、
白い漆喰壁を見るのも眩しい時です。
さて、少しご説明させて下さいね。
手前の丸く見えているのが「ため池」です。
土をふるいにかけ、デキャンタします。
これは陶芸用語で
「すいひ」と言うのでしょうか。
水を加えどろどろにすると、
その後、水と土が分離します。
土は、粒子の大きさによって
沈降速度が違いますから
それを利用して細かい粘土だけを
採取するのですね。
写真奥に見える四角い建物は、
アラブ起源とされる
薪で焼く「窯」です。
もう少し近寄って見てみませんか。
ご覧になれますか。
この窯の構造を知るために
先程の絵タイルの案内版をもう一度見て来ました。
それによると屋根には煙突が備えられ、
中は焼き網で上下2段に分かれています。
上段の部屋が「焼く小部屋」。
下段は仕切りで
更に2つに分かれていました。
下段の部屋は「火の小部屋」の他に、
仕切りの奥にスペースがあって
上段より低温度で
「素焼き」を焼くようになっています。
この「窯と溜め池」は、
今も立派に使用されている現役です。
実際に稼働する所を見学してみたいですよね。
こちらはSimón 「シモン」さんの工房です。
このような工房は、前世紀には二桁の数が存在しましたが、
その数も減り
手作りで製作をしているのは2カ所のみです。
また村の名工の祖先は、レコンキスタ後に
他所から再入植している人達です。
例えば先程の白壁の看板「←」、マーニャスさんは、
教会の信者籍台帳から出身地を
1600年代まで遡る事が出来ると言われています。
レコンキスタ後もこの地に残り、
キリスト教徒に改宗したイスラーム教徒「モリスコ」。
彼等がこの村から追放された後、
陶器の文化は
このような形で継承されたのです。
工房のお隣を覗いてみました。
お店外側の装飾にこだわった
“Mesón”「居酒屋」がありました。
正面の”Mesón” の文字のすぐ下、
居酒屋の名前が入った絵タイルをご覧下さい。
アイボリーに深緑の「落ち着いた色」の取り合わせは、
スペイン人好みなのでしょうね。
工房と居酒屋の境の側壁部分です。
それと、側壁の上に見える小さな煙突。
その上に何か乗っていますね...。
側壁に掛けられた
「オリーブの実の収穫風景」の絵タイル。
現在ではオリーブの実は、
電動で振るわせて落とします。
以前はこのように家族総出で
このように手動で行っていました。
タイルの外側の額も、鉄で対角に飾りを施してあり
とても素敵でした。
陶器地区を後にして、もと来た道を戻ります。
あれ?案内板に描かれていた雄鳥が
あちこちの屋根の上に乗っていませんか。
これは、
“El Gallo de Sorbas” 「ソルバスの雄鳥」と言い、
雄鳥の形をした水差しです。
村の名産品であり、
装飾も兼ねているのですね。
この村らしさが表れている眺めでした。
公爵の館がある広場
庶民的な路地の風景から、がらりと変わって
村の中心となる広場に
有名なアルバ公爵の館が姿を現します。
洗練された館のファザードは、
品のある赤みを帯びた壁に
白色の扉やバルコニー。
壁には菱形の装飾や、
2階の窓枠や壁に沿って、
モールディングの付いた
白いラインでの装飾。
また、この日は週に一度の「市」が建つ日。
美術品のような
館の外壁を観ながらのお買い物。
『素敵かつ楽しそう...!』
また、デパートはアルメリアの町まで
行かなくてはなりませんから、
今でも業者さんによる巡回販売は
楽しみでもあり、便利なのでしょうね。
消されていく昼食のメニュー
さて、そろそろ昼食時間と言うことで、
旅先の昼食についてお話を致します。
旅では、大概 “Bocadillo”「フランスパンのサンド」か、
Tapas (タパス)を注文します。
タパスは一人前の小皿料理で、
目の前で「これとこれ!」と、
すぐ注文が出来からです。
時間も取られず、お腹一杯にならずと
午後からの撮影にはぴったりという訳です。
村の入り口に近い、ごく庶民的なお店に入りました。
いつものようにささっと頼もうと、
ボードに書かれたメニューを見ます。
好物のスペイン風ミートボールを注文すると、
人懐っこそうなお店のご主人 は
「すみません、今日はないのです」と、
持っていた台ふきんで
ミートボールの文字を消してしまいます。
「あら、残念ね!では、何にしよう...」と、私。
それならと
「ビーフの煮込み」に「ひこいわしのフライ」...。
ところが注文する度、彼は首を横に振り、
同様の動作を何度も繰り返していきます。
だんだん、不安になっていく私でした。
それでも、やっと用意出来るタパスに当たったのか、
彼の動作が止まると双方に軽い安堵と
明るい笑い声が店内に響きました。
ご覧になって下さい。ずいぶんと消されているでしょう?
結局の所、
堂々と最後まで残ったタパス数皿と菓子パンという、
何とも奇妙な軽食となってしまいました。
でもまぁ、どれも中々おいしかったですよ!
ねぇ、おじさん!
こんな微笑ましいBarでの小さな出来事も、
「美味しかった味」として
記憶に残る大事な要素ですよね...。
地方の町や村、特にアンダルシア地方の人々は
昼食前にBarで一杯喉を潤した後、
「普段の食事は、必ず家で」という習慣があります。
ですからお店も平日のお昼にタパスを多く用意しても、
特に小さな村では無駄になってしまうのかもしれません。
その後村の入り口の駐車場へ戻り
シートベルトをした時でした。
何故か先程の昼食の出来事を急に思い出し、
もう一度笑ってしまいました。
と同時に脳裏にはこんな台詞が...。
『消されたタパスは、絶対週末まで復帰しないはずだわ♪』
*** *** *** *** *** *** ***
お話の前半が終了
梅雨の季節から
ソルバス村迄、
第10話の前半部分を
ご覧頂きまして
ありがとうございました。
さて、
後半のお話を時間を置いて
改めてご覧になる方も
いらっしゃると思います。
そこで一旦「休憩時間」と致します。
尚、恐れ入りますが
「休憩時間」の長さに関しましては、
ご自分で設定していただきますよう
お願い致します(笑)。
*** *** *** *** *** *** ***
これより後半部分です。
前半同様、
またごゆっくりお楽しみ下さいね。
ソルバス村からタベルナス村へ
さて、
ソルバス村から西へ25㎞地点にある
“Tabernas” 「タベルナス」村に
到着いたしました。
夕暮れ時はとても美しい一時。
ですが、光の変化が速いので、
撮影をする場合は
こうしてお喋りをしながらも
急いで三脚を取り出し、
カメラをセッティングしていきます。
見上げる丘には、
11世紀のアラブの城塞。
立体から平面の黒いシルエットへ
刻一刻と姿を変えていきます。
前もってお伝えしませんでしたが
この道は、
アルハムブラ宮殿で有名な
“Granada” 「グラナダ」に通じています。
また、イスラーム教徒が統治していた
初期の頃に、軍事的要塞を点々と
築いていった道でもあります。
特にタベルナスは重要地点で、
グラナダから地中海南東のアルメリアや、
北東のムルシア方面に向かう
ちょうど十字路にあたりました。
つまり、山々に囲まれたこの城塞は
当時アルメリアに次ぐ大きさで、
有事の際には近隣の村人達の
「指定避難所」だったのです。
彼等が治めていた頃の村は、
オリーブの栽培や家具製造をしており、
モスクやアラブ式浴場があったと
伝えられています。
また、レコンキスタを完了させた
カトリック両王のゆかりの地でもあります。
レコンキスタ完了3年前の1489年。
この城塞を手に入れた両王のうち、
フェルナンド王がアルメリアの町を手に入れたのも、
その後、2人がグラナダを占拠する時も
この城塞から旅立ったのでした。
要衝の1つであり、
歴史が大きく転換する時の舞台の1つとして
登場したタベルナス村。
そして今は、品質の良いオリーブ油を
製造する村となっています。
ところで、この日の日没後の夜空。
まだ青さが残り、とっぷりと暮れる迄の間は、
空色の微妙な移り変わりを
楽しむ事が出来る
素敵な時間でもあります。
タベルナス村の周囲の地形\
次は、村の周辺の地形について
触れたいと思います。
実はとても厳しい地形で、
砂色や、黄褐色の大地が
280㎢近く広がっています。
ご覧下さい。下の写真は、
タベルナス砂漠にある集落です。
でも「何故砂漠がここに?」と、
誰しも思いますよね。
私も...そう思いました。
ここを「タベルナス砂漠」と、呼んでいます。
「えっ、砂漠ですって?」と、
聞き返されるかもしれません。
ええ、そうです。砂漠です。
スペインには、砂漠が存在します。
説明が長くなるのではしょりますが、
タベルナス砂漠は
地中海性気候の影響を受けるので、
乾燥月が9ヶ月ほどあります。
ですから夏は太陽が照りつけ、
からからに乾燥します。
乾燥する原因は、スペイン南部から南東部に
「ベティカ山系」がある為です。
この山々が大西洋の前線を遮断するので、
山を越えた風下側のタベルナスの地域は
特に雨が少なく、乾燥すると言うわけです。
日本で言う、冬の「上州のからっ風」です。
尚、専門用語ではこのような現象を
「雨蔭」(ういん)又は”Rain Shadow” と
言うのだそうです。
映画「アラビアのロレンス」を見た奇妙な日
砂漠と言えば首都マドリードの町でとても奇妙な経験をしたことがあります。あれは中心街の映画館で、「アラビアのロレンス」を観た日。
この映画の砂漠のシーンに限って言えば、音楽と共に画面一杯に広がる砂漠と空は、壮大でそのまま吸い込まれそうでした。
やがて映画が終了し、
劇場の外へ出てみるとどうした事でしょう。
一瞬、映画の世界と現実との
境目がつかなくなったのです。
その原因は滅多にない、
北アフリカのサハラ砂漠から飛来した「紅砂」でした。
『アラビアのロレンス』を観ている4時間の間に、
マドリードの町をすっぽりと砂で覆ってしまったのです。
こんな偶然って...あるのですね。
いまでもあの日、屋根の上や車に積もった砂を
良く覚えています。
ここで何故
『アラビアのロレンス』の話題を出したのかは、
奇妙な日の思い出話をするだけでなく
この映画の野外ロケ地が、
まさにタベルナスの砂漠や
アルメリアの岬でも行われたからです。
砂漠の風景に興った産業とは?
さて、60~70年代のスペインで発展した
「もう1つの産業とは何か?」
ここまで来ればもうおわかりですよね。
そうです。「映画産業」です。
この時代、実に多くの外国映画が
スペインで撮影され、最盛期を迎えました。
ここからは、
このタベルナスを中心に様々な角度から、
また感じた事などをお話したいと思っています。
まずは、特殊な事情で
スペインで撮影された映画からです。
上の写真は、スペイン北部のソリア県の風景です。
映画 『ドクトル・ジバゴ』。
当時、旧ソ連での撮影が不可だった為、
ソリア県やマドリード、サラマンカで撮影されました。
ここは冬季には、よく雪が降ることでも知られています。
それから『アラビアのロレンス』。
撮影の後方部隊の作業の問題から
砂漠の幾つかのシーンは、より規模が小さく、
アクセスの良いタベルナス砂漠や、
アルメリアの岬が選ばれました。
「マカロニ・ウエスタン」はタベルナス砂漠で\
そして、特にこのタベルナス砂漠と
深い関わり合いを持った人がいます。
イタリア人映画監督セルジオ・レオーネ氏です。
彼は西部劇の中でも、イタリアで制作された
「マカロニ・ウエスタン」を世に送り出した人です。
でも何故急に「マカロニ・ウエスタン」が
制作されるようになったのでしょうか。
そんな疑問を持ちました...。
実は、イタリア・ローマ郊外には戦前から有名な
「チネチッタ撮影所」がありました。
ここでは、
戦後の傷跡が癒えた50年代~60年代に、
イタリア映画の最盛期を迎えます。
またこのスタジオでは
同時期、アメリカの投資によって
『ベン・ハー』や『クレオパトラ』など
アメリカ映画が制作され、
ローマの「テヴェレ川のハリウッド」として
知られるようになります。
しかし、ハリウッドの歴史映画が終焉する
60年代には、「次の何か」を経営的にも
模索しなければならなくなったのです。
そんな中、当時
レオーネ監督はロケ地を探しているうちに
タベルナスの風景を見つけます。
選ばれた理由については、
アメリカのアリゾナやテキサスに
似た景色があるだけでなく、
また現地のスペインの物価や
労働賃金が安かったことも
好条件だったのでしょう。
また駆け出しの映画制作者では、
好きなだけ莫大な予算が
通るとは限りませんから...。
こうして彼によってここに
映画『夕陽のガンマン』の為に
オープン・セットが建設されたのです。
ところで余談になりますが、
レオーネ氏の作品 『荒野の用心棒』や『夕陽のガンマン』、
『続・夕陽のガンマン』に出演した
クリント・イーストウッド...。
スクリーンの中で「ヒーロー」としての彼を、
あたかも「ブロマイド」を数秒映すような
間合いが、何とも印象的でした。
魅力ある多彩なロケ地
タベルナス砂漠のあるアルメリア県には、
野外ロケ地の豊富さが有名です。
ではここで、2カ所へご案内致します。
もしかして
「この景色、映画で見た事がある...」と、
思われる方もいるかもしれませんね。
まずは、映画 『風とライオン』、
『ミュンヒハウゼン男爵の冒険』(バロン)や
『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』のロケ地からです。
この海岸の大岩は、
何度も映画の背景に使用されましたから、
背景の売れっ子スターとでも呼ぶべきでしょうか。
とは言え、例えこの大岩の素材が同じでも、
監督が「ここで何を、どう描きたいのか」によって
売れっ子スター「大岩」の存在は変化します。
それぞれの監督による
「味付け違いのシーン」は、ストーリー展開とは別に
映画を観る1つの楽しみかもしれません。
次は、『夕陽のガンマン』のロケ地です。
ご覧になって「いかにも!」という風景ではないでしょうか。
海岸からほんの少し内陸入ると
白い家々やリュウゼツランのある平原があり、
マカロニ・ウエスタンの舞台にぴったり...。
ところで、貴方が監督でしたら、
どのようなシーンをここで作られますか?
実際の
「マカロニ・ウエスタン」の舞台は、
西部開拓時代のアメリカの西部。
米墨戦争後もしばらくはメキシコ風の文化が
残っていたと言われています。
このようにアルメリア県は「海岸」があり、
数㎞から数十㎞内陸には「平原」や「砂漠」もある。
これらのどれも
「原始的で美しい自然と、コントラストの強い風景」は、
作品を盛り上げるために
とても魅力的であると言えます。
今度は、この砂漠の独特の風景を形成する
カルカバのお話です。 上の写真をご覧下さい。
山肌がむき出しになって「溝」になっている部分を、
スペイン語でcárcava (カルカバ)と言います。
説明が重複しますが、乾燥のため植物が少なく
一度豪雨が起きると
ゆるい土壌は水や雨水の通り道となります。
そしてまた大雨で浸食され、更に深い溝になっていくのです。
ほら、こちらも同じです。このようなカルカバのある景色は、
タベルナス砂漠の特徴でもありますが
アメリカ・カルフォルニア州の
アマルゴサ山脈でも見られる風景です。
テーマ・パークに変身したオープン・セット
さて...。
タベルナス村から後半が始まって
だいぶお話ししましたので、
お疲れではないでしょうか。
現在タベルナス村の郊外には
『ウエスタン』映画村が2つあります。
その1つは現在動物園を備えた
テーマ・パークになっていました。
それでは、
これより先はもう少しリラックスなさって頂き、
映画村を見学したいと思います。
どうぞお楽しみ下さいね。
入り口を入りますと
両側にオープン・セットがずらっと並んでいます。
床屋、帽子店、洗濯屋、教会...。
ところで、
タベルナス砂漠にある映画村では、
一体どれくらいの映画が撮影されたのでしょうか?
60~70年代にかけて「西部劇」だけでも
およそ400本撮影され、その数を聞いて驚きました。
歩きながらもう少し、どんなセットがあるのか見てみます。
上の写真、階段手前のバルコニー床面に、
“TELEGRAPH”「電信」の看板が
見受けられます。
「電信」と聞いて、
こんな情景を映画で見た事はありませんか。
...強盗に脅かされた「電信士」が
偽りの情報をモールス信号で打電...!
ここは、広場の一角にあるホテル前です。
1階には小さなレセプションに、
壁には各客室の鍵が掛けられ、
その脇にはすぐ階段があるはず。
あら、お喋りしている間に広場には
大勢の観光客が集まっています。
スペシャリスト達(スタントマン)による
ショー・タイム...のようです。
どんな演技を披露してくれるのかしら。
それでは、
“¡Acción!” 「アクシオン!」
あら!ちょうど始まりました...。
銀行へ現金を輸送し終わった馬車が、
街角を曲がり、立ち去ろうとしています。
銀行前。
輸送完了を見届けた無法者達が襲撃...。
その後、彼等は三々五々に散らばって
逃走するのですが、保安官によって
うち一人が捕られます。
残りの一味を捕らえるため
保安官助手達を残し
オフィスを後にする保安官。
一方、その隙を狙って
捕らえられた仲間を助けようと、
一味がやって来ます。
ここは保安官オフィスの二階バルコニー。
監視をしてる助手の一人。
背後から登ってくる賊に気がつきません。
助手がやっと気がつき、格闘シーンが始まります。
この辺りが、最初のスタントの見せ場でしょうか。
バルコニーを2人で行ったり来たりと
結構ハラハラさせます。
あっ!保安官助手が乱闘の末、
つき落とされてしまいます。
お話の途中ですが、
この演技を見て映画『蒲田行進曲』の
「階段落ち」を思い出した方はいませんか?
確か新撰組との斬り合いで、階段から落ちる
「大部屋の役者さん」の場面がありましたよね...。
ご覧下さい。
見事な階段落ちならぬ「バルコニー落ち」。
写真は着地前の空中での助手役。
臨場感たっぷり。ですが、
とても危険な演技でもあります。
見事に藁の上に着地しました。
次のシーン。
保安官オフィス1階にある牢前。
鉄格子を馬に引かせ
牢から仲間を逃がします。
壁面には2階から助手を落とした
もう一人の仲間の姿が。
牢破りに成功です。
逃げだす男は、側壁に繋がれた馬で
首尾良く逃走。
一味がそれぞれ逃げ去ろうと試みます。
さて、ここまでカメラに収めたシーンを1枚1枚見ていくと、
「どのシーンにも無駄がなく、こうして映画が出来上がるのだなぁ!」と、
妙に納得してしまいました。
続いて見ていきましょう。
馬上の男は牢から逃げ出した男。
一方、樽に手をついている仲間が
彼の馬の後部に乗った途端、
あえなく背後から保安官助手に
撃たれて、落馬。
宙を浮いている彼は、馬から離れた瞬間です。
落馬していく迫力あるシーンです。
ここでも、背景の山や街並みが
実に見事に人間の動きを支えているのが解ります。
馬上の男は、鉄格子を外した一味のボス。
旗頭(はたがしら)とでも言うのでしょうか。
手下がやられ、彼を一瞥します。
一方、保安官助手達も負けてはいません。
無法者が一人、また一人と倒れていきます。
あら?
旗頭さん、こっちを向いた!?
これから保安官との戦いに挑むシーンのはず...。
演技中に向いて良いのかしら?(笑)
それからストーリーの展開途中、
突然、一頭の美しい白馬が駆け抜けて行きました。
馬だけで?
そうではなさそうです。
反対側に隠れての乗馬です。
こんな妙技も出来るのですね。
さて、お話の続きに戻します。
また手下一人が、保安官助手によって
引きずられてきました。
辺りには砂埃が立ち、
効果的にシーンを盛り上げていきます。
そして...。
いよいよクライマックスです。
町に戻った保安官は馬上から
敵に銃撃を浴びせます。
ヒーローである保安官が一番輝く時ですね。
緊張感漂う中での、
保安官 VS 無法者。
見せ場の一対一の決闘が行われ、
お決まり通り、悪者である旗頭が地に倒れます。
映画での決闘シーンは主に
彼等の顔の表情と、
ガンさばきの動きで構成され
ある意味、とてもシンプルです。
勝負がつき下馬した保安官は、
新たに弾を込めます。
ところが息絶えたと思われた旗頭が、
苦悶する顔を見せながらも、
銃を手に保安官を狙うのですが...。
最後に発射された銃声は、保安官からのものでした。
こうして、町にまた日常の生活が戻るのでした...。
撮影ならここで、
「カーット!」の声がかかるのでしょうが、
その代わりに
来場者のたくさんの拍手が聞こえてきました。
皆さん、お疲れ様でした。素晴らしい演技でしたね。
そして馬達の活躍も!
それでは迫真の演技の後は、気分をかえて
「酒場」の劇場にて女性達による
「カンカン」を観覧しましょうか...。
では、スイング・ドアから入っていきましょう。
舞台での「カンカン」のショー。
観客の中には
ベビー・カーを引いたお父さん達もいて、
何故かとても健康的な雰囲気。
踊る側も、見る側も楽しそうです。
最初はコーラスラインです。
4分の2拍子でアップ・テンポのカンカンは、
大胆な振り付けが売り物。
ダンサーのソロの踊りが始まりました。
それぞれが十八番の振り付けを披露します。
科(しな)を作りながら降りてきたダンサー。
衣装はぴったりとした胴着に、
裏面には色とりどりの
フリル付きスカート、と華やか。
ショーの最後には、客席の子供達も舞台に上って
一緒に踊り、和気藹々の雰囲気。
ところで、
西部開拓時代のお話をするのは門外漢なので、
あまり多くを語るのは差し控えますが、
当時の西部開拓時代の酒場は、
「何でもあり」の時代だったそうですね。
例えば、
店主による法外な値段をつけるお酒や、
この他、体に害を及ぼすような、又、うんと度の強いお酒も...。
また、お客同士の喧嘩や
ポーカーなど賭け事で
稼いだお金を巻き上げられ、
すってんてんになる者...。
西部劇でも確か
酒場は乱闘の場、
銃声が飛び交う場にもなっていました。
実際、このような酒場が姿を消したのも
当然の事かもしれません。
さてショーが終了すると
先程まで賑やかに楽しんでいた人々は
潮が引くようにいなくなりました。
動物園へ行ったり、別の観光地へ
行ってしまったのかしら?
少し寂しい気もします...。
ちょうど喉が乾きましたので、
コーヒーを注文することにしました。
Barの前に立っていると、とてもカウンターが長く、
壁も鏡である事に気がつきました。
どちらも当時を忍ばせるような豪華な作りでした。
そうしてコーヒーを手に
椅子に腰掛け飲んでいますと、
ふと先程のスタントマンは、
今何処にいるのだろうかと、考えていました。
彼等のお話によると、
一日数回のショウ以外は
街中のセットに留まり、
お客さんと一緒に写真を撮ったり
会話をしたりと、皆さんに楽しんでもらうのも
お仕事なのだとか。
ショーの合間に歩きながら
家族連れの人達を見ていると、馬や馬車に乗せてもらい、
記念写真を撮ったりと
満足そうな笑みを浮かべていました。
その列がやっと途切れる頃、
彼等が急にこちらに話しかけてきました。
私は「こんにちは♪...」と挨拶を交わした後、
「最近、映画の撮影のお仕事は如何ですか?」と、
尋ねてみました。
「うーん、そうなんだよね。それ、待っているのだけれどね...」と、
答えが返ってきました。
確かに60-70年代の
「マカロニ・ウエスタン」の一大ブームが
巻き起こったのは、すでに過去のものとなりましたが...。
現在でも引き続きこれらの映画村では、
映画、TVやCM等の撮影が行われています。
ただ、当時に比べ格段の差があるようです。
彼等と一時雑談した後、最後に
「ねぇ、是非良いお仕事があるといいわね!」と伝えましたら、
「どうもありがとう!」と、嬉しそうに微笑み返してくれました。
さて、コーヒーを飲み終え、
「映画博物館」へ行ってみようと思いました。
博物館はショーでも登場した
「銀行」の建物の中にあります。
館内に足を踏み入れると、
壁には昔の映画ポスターが飾られ、
視覚だけでなく、鼻から入ってくる空気さえも
映画黄金期のにおいがするようです。
使用された撮影機、カメラにライト、
映写機にフィルム...。
どれも人の温もりを感じ、
シネマの歴史を感じさせるものばかりでした。
映画好きの方なら、きっとたまらないでしょうね。
「フィルム・パーフォレーションから景色を覗けば」
時刻は、だいぶ日も傾き
柔らかな日差しに変わった頃となりました。
博物館の外に出てから、
今日一日歩いたオープン・セットを、
もう一度ぐるりと見回して、
先程見てきたフィルムを思い浮かべながら
ふとこんな事を考えていました。
映画フィルムにはスティール・カメラと同様、
その両サイドには、等間隔に並んだ小さな送り孔
「パーフォレーション」があります。
今、こうして佇んで
このパーフォレーションから景色を覗くと、
フィルム本体には映ることのなかった
「懐かしい当時」が心の中に、
見えてくるかもしれない...。
それは、この土地の砂や平原。
空や海の色、そして光や風。
そこで生きる、働く人々。
そんな風にパーフォレーションから
覗く景色を想像していると、
この場所に妙にしっくり合う曲が
共に頭に浮かびました。
映画 “Once Upon A Time In The West “
エンニオ・モリコーネ氏によるこの曲を聴くと、
「懐かしいあの頃」が呼び起こされ
聞き終わった後にも、
心に余韻がすーっと響き渡ります。
この映画も確か、
セルジオ・レオーネ監督が
タベルナスで監督した作品でした。
私にはこの曲が、
知らない当時のこの地方の情景が見えるようで
とても不思議な気持ちになったのです...。
本日ラストの写真
さて、そろそろ閉園時間のようです。
もう一度村の出入り口を振り返りながら、
スペシャリスト達に対し
『また新たな映画の中で、素晴らしい演技する貴方達を見せて欲しい!』
そう、心の中で思いました。
確かにプロに徹した素晴らしい演技でしたから...。
それから、
タベルナスの砂漠化ついて追加のお話を。
現在、スペインの南東部は特に砂漠化が進行し、
野生の動植物に影響を及ぼすばかりか
農業・牧畜活動の発展を限定的にすることから
早急に戦略的な計画を立案する事が重要と言われています。
特にタベルナス砂漠は進行が激しいのですが、
実際目の当たりにしますと、自然の力の強さに
言葉も出なくなる程の風景でした。
ここを「自然の美術館」と表現された方がおりますが、
同様に私は「自然は驚異の芸術家」であると思いました。
さて今回のお話、如何でしたでしょうか。
長々と最後までご覧いただきまして
本当に有り難うございました。
また、UPがだいぶ遅れてしまい、
何度も見に来て下さった方もいらっしゃるのでは?と、
大変申し訳なく思っております。ありがとうございました。
どうぞまた懲りずに、当ブログにお立ち寄り下さいね。
ではまた、お待ちしております♪
ところで余談ですが、
「マカロニ・ウエスタン」の音楽を聞くうちに、
馬とロバに乗った「ドン・キホーテとサンチョ・パンサ」の2人が
内陸の荒野を、とぼとぼ進んでいく光景にも意外と合うのでは...?
こんな受け止め方をするのは、私だけかもしれませんが(笑)。
初稿公開日:2013年9月3日
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