アラベスク文様の手帳から・・・インデックスへ戻る
初稿公開日:2013年4月1日
撮影の小道具を使用して
日本で迎える久しぶりの春がやって来ました。
「桜の季節」は、日本中がとっても華やか。
でも桜の花一輪一輪は、決して派手には見えません。
むしろ可憐な印象を受けますが、仲良く集まって咲くその姿は、
圧倒的なボリュームと優雅さで、私達を魅了します。
また、桜の花トンネルを歩く時、
視線を花から花へ、そして次なる枝へと移せば、
花々が無限に咲いているような錯覚さえしそうです。
さて桜の花々を背景に置かれているのは、時々お世話になる小道具。
そう、ストップ・ウォッチです。
フィルムでの撮影時、長時間露光する場合に使っています。
でも今日は、別の目的のために手に取りました。
確か、前々回のお話は「アルメリア もう1つの顔」でしたね。
そのラストの写真「夕闇の中のアルメリアの町」で、
このストップ・ウォッチのボタンは押されたまま。
あれからずっとスペインのお話が止まっておりました。
これから再開するにあたり、このボタンをもう一度ここで押してみます。
さぁ、これで話の針がやっと動き出しました。
この季節にお話の続きが出来るなんて、
良かったと思っています。
それでは今回のお話を始めましょうか。
アルメリア地方・滞在の最終日
この地方に滞在するのも、
いよいよ最終日、この日を残すのみになりました。
滞在していたのは、アルメリアの町から90キロ離れた村
”Mojácar”(モハカール)。
モハカールは、
歴史のある村の部分と、海辺の2つの地域から成っています。
宿泊先は海辺にあるホテルでした。
毎日ここを拠点にして、あちこち訪ねていたのです。
夜明けの目覚め
最終日の明け方のこと。
いつもよりだいぶ早く、ふと目が覚めてしまいました。
連日活動的に動き回り、体はそれなりに疲れているはずなのですが、
眠っている間考え事をしているのでしょうか、
いつまでも頭は妙に冴えたまま、休もうとしません。
『早く目が覚めたのは、きっとそのせいよね』。
この時はそう思いこんでいたのです。
再び眠れそうもないので、そっと窓辺へ近づくと、
何と空と海は静かな瑠璃色でした。
そのどちらも朝の爽やかな光が混ざった、
完全な水色にはまだ目覚めてはいません。
それから、ここからは見えませんが、
背後に位置する白いモハカール村にも、
きっと同じ色のベールが覆っているはず。
刻々と変化していくこの美しい時。
やがて、はるか水平線から太陽が顔を出し始めます。
『あら...?』
夢中になって日の出を眺めていたからでしょうか、
気がつきませんでした。
振り向けば部屋の中にも、
朱色の光の帯が入り込んでいました。
強さを増していく光は、やがて頬に、そして瞳にも当たり始めます。
さぁ、一日の始まりです。
しかし、早く目覚めたのが妙に気になって、
前日の行動を思い返してみると...。
確か午後8時半頃、ホテルに戻り一息ついたので、
部屋のテラスに出たのでした。
サマー・タイム導入時期なので、中々日が沈みません。
美しい海がある、この地方で過ごす最後の晩でしたから、
『人が海から受ける精神的恩恵って何かしら...』と、考えていました。
でも、ご想像されるような難しい事では決してありません。
昼の海
自分が住んでいる都会。
眺めていますと、現代の建物が作り出す
「パズル・ピース」のような凹凸の描線が、
幾重にも隙間なく埋め尽くされています。
その連なりの中で生きるのは、良くも悪くも緊張感を伴うもの。
このような都会の生活から、
一本の水平線が引かれただけの空と海の世界へ。
陽光の下、輝く海に対面した時の開放感と、同時に
心身共に元気が湧いて来ることでしょう。
しっとりとした時間を与えてくれる夕暮れの海
ここモハカールの海からの、
ザーッと長く尾を引くかすかな波音。
その音は、幾つかのシュロやナツメヤシの木々の間を縫って、
耳に届いて来るのでしょうか。
波音の余韻を楽しみ、
また次に打ち寄せる音を繰り返し聴いていますと、
その日、印象に強く残った情景が瞼に浮かび、
そして懐かしい記憶も
共に織り交ぜて思い起こさせてくれます。
海には不思議な力があるのですね。
そうして海に思いを寄せながら、素敵な気分で部屋へ戻り...。
そうそうこの時です。やっと思い出しました。
早く目覚めたのが何故なのか...。
テラスとの間にあるカーテンも引かずに、
そのまま休んでしまいました。
今思えば、だいぶ疲れていたのかも知れません。
これでは明け方に目が「ぱちーん!」と、
覚めてしまうかもしれませんよね。
素敵な目覚めではなかった原因を知って、
ちょっとがっかり...。
でも数分間の幻想的な夜明け...。
これは、逆に出発の朝に与えてくれた
「贅沢な時間」だったかもしれません。
急勾配に広がる モハカール村
さてモハカールの海辺の様子が、
少しおわかりいただけたでしょうか。
それでは、海の香りを車に詰め込んでの出発です。
折角ですから、モハカールの村も是非ご覧になって下さいね。
明け方、瑠璃色のベールで包まれていた村は、
海岸からほんの少し内陸に入った小高い丘に広がっています。
手前にはオレンジの果樹園。その奥には白い村。
点々と見える果実のオレンジ・葉色の緑・白の色感から、
南欧の印象が伝わってきます。
村の外観は「家並み」よりもむしろ、「家波」が似合います。
また市街地は道も狭く、直進出来ない造りは、
北アフリカ諸国のメディナ(旧市街)と同じです。
アーチ付きのベランダや、バルコニーが多く見られるのは、
窓際やベランダに簡素なテーブルや椅子を出して、
お気に入りの海を眺めながら、過ごすためでしょうか。
丘の上部の辺り、旧市街の入り口付近に到着です。
さて、村の内部をこれから見てみましょうね。
ところが今日は初っぱなから、難問にあたってしまいました。
ふと目の前の景色を思わず見上げて、
「...!」
いきなり首が一瞬硬直しそうです。
急な階段を見上げて、
言葉が何も出なくなってしまいました。
『今日は、ずっと階段や坂と付き合う事になるのかしら?』
ここも狭くて急な階段です。
『階段は何処まで続くのか?』
そして、ここも!
あちこちにある階段や急坂。
全てご覧いただけないのがとっても?残念です。
村の起源
さて、これからお話を進めるにあたって、
ここで簡単に村の起源を書いておきますね。
13世紀末頃。
この辺りはアル・アンダルースの領域、
イスラーム教徒が統治する「グラナダ王国」内にありました。
以前の村は、もっと海寄りの別の丘にあって、
そこから現在の地に移動したと言われています。
また当時40㎞ほど北にあった、
敵対するカスティージャ王国の保護領、
「ムルシア王国」とこの村は境界を接していた為、
重要な軍事拠点の1つでもありました。
ですからお天気の良い日には、
この丘から海や山がよく見渡せます。
「町の門」付近
当時、イスラーム教徒が建造した城塞や、
その後16世紀~19世紀の間に村をぐるりと囲んでいた城壁も、
残念ながら今はもう残っていません。
ただ15世紀に建てられた
城壁の入り口だけは残っています。
その後1574年になって、村の紋章が掲げられました。
この門の別名は、
”PuertadeAlmedina”(プエルタ・デ・アルメディーナ)。
アルメディーナとは、アラビア語で「町」。
プエルタは、スペイン語の「門」を意味しますから、
「町や市街地の門」の事です。
今度は逆に、門の内部から外を見てみましょうか。
アーチ型をした門の側壁や、正面奥の扉の上には
”LaTaberna” (ラ・タベルナ)の文字。
タベルナとは居酒屋の事です。
近寄っていきましたら残念、
お店は午前中なのか、まだ閉まっています。
もしかして日の傾く頃なら、タベルナの前を通ると
ワインやオリーブ油を使ったお料理の香りと共に
店内から楽しげな声が聞こえてくるかもしれません。
今度は、アーチの中に立ってみましょうか。
タベルナが入っているこの建物は、18世紀に建てられました。
2階に目をやりますと、手書きの青色の看板が掛かっていますね
。“ElTorreón”(エル・トレオン)とは、「大きな塔」「櫓(やぐら)」という意味です。
今はペンションになっていますが、
昔は外来者がこの村の門に入る前、
「入村税」を納めた重要な場所だったのです。
どんな品物を売買しにやって来たのでしょうか。
村のシンボル「エル・インダロ」
ところで街中を歩いていると、
ある「シンボル」が目に入ってきます。
写真の中で見つけられましたか。
そう、水色の扉の上にありますね。
両手で虹のようなアーチを支えている姿。
その名前は ”ElIndalo”(エル・インダロ)。
ほら、通りの名前が書かれている絵タイルにも!
すでに数百年前からある習慣で、
家の扉や外壁の漆喰にも見られます。
その目的は、幸運や魔除け、
さらに嵐や雷に対する御利益付きなのだとか。
靴を履き替える女性の彫像
さて、村の特徴である「坂」を良く表現した
彫像を見つけました。
場所は、村はずれの村営駐車場の近くです。
まずは像を中心に一回りします。
おや?石碑に何か書かれていますね。
何て書かれているのでしょう。
要約しますと、
「下から登ってくる 田舎住まいの”Mojaquera” (モハケーラ)は
市街地の急な坂道に対応する為 この石の傍で 履いて来たサンダルを
靴に履き替えていました」
「モハケーラ」とは、モハカール村に住む女性のことです。
モハケーラでも、畑などがある下の平地に住む者もおり、
用事の為に上がって来ていました。
このように坂道は、昔から村の名物だったのですね。
さて、ここを訪れた人々は、
像の前で記念写真を撮っていきます。
私も撮ってみようかしら。
今度は、カメラのファインダー内からモハケーラを捉えます。
片足を宙にひょいと浮かしたポーズは、
昔のここの女性達の習慣が、とてもよく表現され、
また何とも女性的でかわいい仕草ではありませんか。
モハケーラのベール
『では...』と、
シャッターを切ろうとする指が、かすかに動いた瞬間、
「ねぇ、いま履き替えるから...待っていて!」
私 「えっ、あっ。モハケーラが喋っている...まさか!」
驚いてカメラを構えるのを一旦止め、
周囲を見回しても、別段何事もない様子。
モハケーラは、やはり私に話しかけていたのです。
モハケーラ「そう、私よ♪ これから教会前の広場まで行くところ。
歩きながら村の昔や今のこと, 色々お話したいと思って。
どう、一緒に行かない?」
実は、彼女の被っているベールを見て
ひょっとしてイスラーム教徒の名残かしらと、思いました。
ちなみに女性がベールを被る習慣は、
古代でも、そして15,6世紀の
ヨーロッパの上流階級に流行した事もあるのですが、
実際彼女のベールは、どうなのでしょうね。
私『モハケーラが、お話をしてくれるなんて!
では、広場まで一緒に行ってみようかしら...』。
どうして私に声をかけてくれたのかは、わかりません。
ですが貴重な体験なので、例の広場までお話を聞く事にしました。
モハケーラ「さぁて今、あなたが何を考えているのか当ててみましょうか?
私のべールの事、イスラーム風と思っているでしょ?
確かあなたと同じ印象を持った、
外国人作家が来たのを覚えているけれど、
ええと、あれは1930年代始めだったかしら...」。
モハケーラ「確か彼は、AlbertT´SERSTEVENSさんと言うお名前よ。
車でスペインの旅をしていたと、聞いたわ。
その後彼が出版した本の中で、まだベールを被っていた私達を見て、
驚いたとか、感激したとか...。
そうねぇ、ベールについてかいつまんで言えば、
こんな風に書いていたはずよ」。
村の女性は、ベールを被っている。
まるでモロッコのフェズやマラケシュの
街角にいるベルベル人女性のようだ。
既婚女性のベールの色は黒く、長さは膝丈くらいまで。
もし道に一人でも男性が現れると、
ベールの片方の布を歯で挟んで
素早く口と鼻を隠すのである。
しかしそれ以外は、他のスペイン人女性と変わらない。
ブラウスに膝丈までの広がったスカート、それにエプロン姿である。
一方、独身の若い女性のベールは、より小さくてカラフルな色。
例えば青やローズ色の花柄模様の、とても美しいベールであるが、
しかし、既婚者のように頬を隠すことはしない。
モハケーラ「どう?あなたも20世紀にそれもスペインで、
私達に出会ったら、さぞびっくりしたでしょうね。
わかるわ...あなたの気持ち。ベールを見て、
ちょと奇異な感じがしたのでしょ?
...では、あなたが知りたいベールの起源について、
2,3話してあげるわね」。
こうしてモハケーラは、過去への旅へ誘う(いざなう)ように
一風変わった口調で、次のように話し始めたのです。
モハケーラの話・村を去っていったイスラーム教徒
あれはグラナダ王国が 陥落する4年前の 1488年のこと
近隣に待機していた カトリック両王は
他村と異なり 中々降伏しない モハカール村に
警戒し 親書と共に 使者を差し向けた
開城を イスラーム教徒の城塞主に迫るため
村の麓の泉の前 行われた会見で 村の城塞主の言葉とは
認めて欲しい 先祖代々の土地を 耕すことを
貴方達に 刃を向けたことは この村は ないのだから
交渉で これからの スペインでの 居住許可は得たものの
待っていたのは 村と城塞の明け渡し
村の鍵を渡すのは 村から退去を意味すること
新しく彼等の村を 造るため 丘を降りて行きました
入れ替わりに やって来たのは
キリスト教徒の再入植者 ムルシア王国からの100家族
もしも ムルシアからの民が 今の村の大多数の 祖先であるのなら
イスラーム・ベールの 起源の立証は 困難に
モハケーラの話・イスラーム教徒の辿った道
レコンキスタ完了の 1492年から
スペインに残り キリスト教徒に改宗した
イスラーム教徒(モーロ人)を
”Morisco”(モリスコ) と呼ぶ
モリスコ女性と キリスト教徒男性の Mix婚で
ベールは 受け継がれたかもしれない可能性
例えるのなら この地に残った カスティージャ王国の召集兵や
ムルシアからの 再入植の男性との結婚
一方 カトリック両王と教会の ある試みとは
キリスト教に モリスコ達を 同化させること
上手くいかぬ政策で やがてグラナダ山中で モリスコの蜂起
1609年 モリスコは とうとう国外追放へ
蜂起した1つの訳を 虫眼鏡で拡大し 覗いてみれば
カトリック両王後の 女王や王達の 繰り返される 禁止令の発布
あれだめ!これだめ!発布の対象は
イスラーム風の 女性ベールの有無や 服の丈
モリスコの 反発起きれば 一転許可 そして前言撤回
さらなる撤回の延期、また禁止
まるで 紅白旗の 旗揚げゲームの如く
何度も迷走するは 王達の勅令
追放から逃れた モリスコ女性とのMix婚が あるとしたら ひっそりと
それはひっそりと 500年も ベールが受け継がれること
未だ判らぬは ベールの起源
それとも ムルシアからの 再入植者の 後の風習なのか
モハケーラの話・厳しい時代が続いた「モハカール村の生活」
モハケーラ「ベールの起源。何せかなり昔のことだから、どうなのかしらね?
イスラーム・ベール説を主張している人はいるわ。
けれど、賛否両論がこの他に幾つもあって
私自身、どちらに軍配が上がるかは、
これからもっと証拠立てが必要なのだと思っているの」。
モハケーラ「じゃあ、次は村の話をするわね。
あのね私、イスラーム教徒も気の毒だったと思っているわ。
本当よ...。
でもね、ムルシアからの人々も、
あれから生きるのに必死だった。
村はね、コロンブスでお馴染みの、
アメリカ大陸への航海時代には、
どんどん寂れていったからなの」。
モハケーラ「どうしてって、この頃のスペインは、
「黄金の世紀」と華々しいイメージがあるでしょ。
でもね、スポット・ライトを浴びたのは、
国内でも大西洋ルートの地域ばかり。
そのライトの影となったのは、この辺りだった。
それに、期待するような新大陸からの、
富の分配などなかったし...」。
モハケーラ「そうして、村の勢いがなくなってくると、
自分達の安全も十分に守れなくなる。
それを、思い知らさるような災害が起こったのは、
1518年の晩秋だったわ」。
モハケーラ「ある晩、それも寝ている時だった。
大地震が起きて、村の1/3の家が壊れてしまった。
あろうことか、村人を守るはずのお城も城壁も、
この時、崩れちゃった」。
モハケーラ「お城を眺めて、どうしよう!と、人々が頭を抱えた。
理由はね、修繕費用と怖ーい海賊の存在。
うかうかしていると、トルコや北アフリカから
また襲ってくるかもしれない。
結果、何とか早くて安い、1つの大きな塔を、
塁壁が交差する場所に、建てることで落ち着いた」。
モハケーラ「案の定、修理し終わった翌年の1522年、
やはり海賊は、やって来た。この村はもちろんのこと、
周囲の村へも1500人の海賊が襲い、略奪していったわ。
これでは、人々は恐れて住みつかなくなっていく。
『弱り目に祟り目』とか『泣きっ面に蜂』と言うように、
まぁ、次から次へと不運が連鎖して起こるのよねぇ」。
モハケーラ「それと、敵はいつも海からとは限らない。
村が壊滅的な被害を受け、数十年単位で立ち直れなかった戦争。
それは、1808年に起きたスペイン独立戦争だった。
それも突然攻めてきたのよ、ナポレオン軍が!
この戦いでは、飢え、黄熱病や天然痘が村を襲って...。
本当に村は、ぼろぼろになってしまった」。
モハケーラ「でもね、近隣の鉱山ブームのお陰かしら、
1800年代半ばになって、人が一気に村へ集まったの。
で、やっと一息。ところがやがて鉱山は閉鎖になり、せっかく増えた村民も、
ごっそりアメリカやアルゼンチンへ。
そう、移民していったわ」。
モハケーラ「鞄1つ下げて旅立っていった姿が、
今も...忘れられない。
この時、『物事の動きって一気に昇ると、下降も一気』と、
つくづく感じたわ」。
モハケーラ「それとこれはね、あくまでも都市伝説なのだけれど...。
WaltDisneyは1901年、シカゴで生まれたのではなく、
このような時代にモハカールで生まれ、
その後アメリカへ渡ったというお話は知っている?」
モハケーラ「ええと...。お話をもう少しだけ続けさせてね。
1930年代後半の内戦。親子、兄弟で敵同士になり、戦ったわ。
で、息をつく暇もなく第二次世界大戦。
もう大戦は、参戦するどころではなかった。
けれどこの戦争で、ドイツ、イタリア側に付いたから、戦後世界からは孤立。
物不足で値段は上がり、またもやフランス、ドイツ、
北部スペインへと、人々は新たに旅立っていった。
モハケーラ「そうねぇ...。
そんな移民して行く人々を見送りながら、ベールをまだ被っていた私は、
黙々と壺を抱えて泉まで、とにかく日課の水汲みに通っていた。
つらいことがあっても、家族や家の為に水は必要だったから。
30分程かけて、いつもの景色を見ながら降りていったのは、
1960年代の始めまでだったかしら」。
モハケーラ「もちろん、この頃まで水道の他、電気、電話がないのは当たり前。
交通の便は悪いし、さらに以前は海が洪水になるとね、
それはもう、村は何日も陸の孤島のまま。
今思えば道理でファッションも、他よりうーんと遅れていたはずよね」。
モハケーラ「そうそう、大切な事を言うのを忘れてたわ!
実を言うと今、あなたが歩いて、見て、
そして感じた村は、60年代以降のモハカール村だと言うこと。
観光地化の転機になったのは、ちょうどこの頃ね。
数年前に世界からの孤立化が解けていたから...」。
モハケーラ「ところでこの頃、村の過疎化は本当に深刻だったの。
鉱山ブームの時と比べると、たった1/20の人しか住んでなかったから。
またもやここでどうしよう! となったのよ。
そこで困った村長は、村おこしを考えた。
それは外国資本を入れ、ホテルや新市街地の建設をする事」。
モハケーラ「それから、村に住みたい外国人へ、
廃屋同様になっている場所を、無料提供までした。
新しく住んでもらうように、とりわけ知識人、銀行家、芸術家、
...ボヘミアンまでにも。
そして見栄えがするように、
家々も美しく白く塗り替えたというわけ」。
モハケーラ「ねぇ?ところで、1つあなたに質問しても良い?
観光客、特にヨーロッパの寒い国の人々は、
どうしてモハカールに来ると思う?」
モハケーラ「答えてしまうけれど、太陽と海があるからなのよ。
で、彼等は浜辺に居るのが飽きてくると、
時にはちょっと気晴らしに半日か一日、
岬巡りや、丘の上のこの村にも遊びに上ってくる。
一巡り村を散策すると、
あとは展望台のカフェでのんびり、かなぁ」。
モハケーラ「今のモハカールはね、外国人や、その資本が創り上げた
『外国人好み、南欧、エキゾチック』でもあるの。
だから村や、お祭り、それから民族衣装も含めて
反映されている事も忘れないで見て欲しいの」。
モハケーラ「かく言うこの私も、村おこしの一環を担っていて
『モハケーラ・イメージ・レディ?』として、村のお役に立っているは・ず。
そうね。この村も本当に色々変わったわ...」
モハケーラ「さてと...。
ちょうど上手い具合に広場に着いたわねぇ。
これで私の村のお話もおしまい。
最後まで本当に良く聞いてくれたわね。 とても嬉しかったわ!」
モハケーラが連れて行ってくれた小さな広場には、
サンタ・マリア教会があります。
教会はまた、海賊対策の為に要塞化され、
壁は頑丈に出来ているのだそうです。
私は、教会の分厚い外壁をあちこち眺めながら、
私「モハケーラ、なんとまぁ、ため息が出るほど次から次へと、
困難な時代を生きてきたのね...ねぇ、あら?」
振り向けば、そこには先程まで話をしてくれた
モハケーラはもういませんでした。
モハカール村を後にして
何と広場中央には元の姿に戻った
「モハケーラ・イメージ・レディ」が、
じっと一点を見つめて佇んでいたのです。
『...今日はあなたに会えて、本当に良かったと思っているの。
私は元の姿に、もう戻らなくちゃ!
また、いつかここで会いましょうね♪』と、
そんな風にモハケーラは、私に言っているようでした。
私「私もよ。どうもありがとう。あなたに会えて良かったわ!」
彼女によって繰り広げられた「村の歴史絵巻」。
その絵巻には災害や戦争が起きる度に
丘に立つ村そのものが、
「一本の蝋燭」であるかのように
地中海から吹きつける突風によって、
炎が今にも消え入りそうになりながらも、耐え、
そして今もじっと燃え続けている光景が、
浮かび上がるようでした。
時計を見ると、彼女と共にした時間はさほどでもないのに、
随分と時間が経過したように感じました。
真っ白に塗られた漆喰壁と海の青さを交互に見ながら、
つづら折りになっている旧市街を歩いて、駐車場へと向かいます。
やがて車に揺られながら、村を下る坂を降りていけば、
彼女が語ってくれた歴史の話が、あれこれ思い出され、
丘を後にして走る車のミラーからは、
白い家波が、少しずつ遠ざかって行きました。
丘に立つ白いモハカール村を背にして、
地中海道路 A-7号線を結ぶ「村道」が通っています。
よくご覧になれないかもしれませんが、
A-7号線は、ちょうど奥の山並みの麓、左右に通っています。
また単調な田園風景が15㎞ほど続くこの村道は、
アルメリアの町や岬へ出かけた日には、
何度もお世話になりました。
車でトコトコ走るのはのどかすぎて、
苦痛に感じたこともありました。
しかしこの写真を撮ったお陰で、
「のどかなトコトコ道」は、
この旅の全てが詰まっている一枚となり、
今ではとても良い思い出になっています。
旅の思い出は、人それぞれ。
私は、旅先の何処かで必ずこのような
「心の為の記念写真♪」を、撮る事にしています。
それは、他の人にとっては何の変哲もない景色かもしれません。
例えば、今回のようなモハカールを結ぶ村道。
それから収穫期に、刈り忘れた道路脇の麦の穂。
また田舎の駅舎やホームなど、それは様々。
でも撮るときは肩の力を抜いて、
楽しく、それは楽しく!撮ることにしています。
私にとって、それが基本だと思っているからです。
本日ラストの写真
モハカールのお話、如何でしたでしょうか。
ラストの写真は、古い監視塔からの眺めです。
かつては海賊の監視番をしていた人々も、
水平線に目をこらしながらも、目の前の海原の上を飛んで行く
海鳥を見てほっとしていたのでしょうか。
さて、今回は特にモハケーラにも手伝っていただき(?)、
村の「観光地化」する以前の話と、現在の村をご覧頂きました。
スペインの地中海沿岸の観光地は、
所によって高層ホテルが、びっしりと建ち並ぶ海岸もあります。
しかしモハカール村はその点、
外観をあまり損ねることなく、村おこしが出来たのではないでしょうか。
最後までお読み下さり本当にありがとうございました。
次回は、海から内陸地に入ったお話をする予定です。
ではまた、お越し下さいね♪ お待ちしています。
初稿公開日:2013年4月1日
アラベスク文様の手帳から・・・インデックスへ戻る