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初稿公開日:2014年10月2日
トレドを防衛するマドリード
「トレドがあるからこそ重要な場所になった」
その場所とは...。
![Blog-14-1](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-1.jpg)
それは現在のスペインの首都
「マドリード」のことなのです。
トレドは「古都」と表現されるように
とても長い歴史のある町です。
ローマ時代から、そして
その後のキリスト教国
「西ゴート王国」の首都でもありましたから。
![Blog-14-2 9263](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-2.jpg)
ところでよく
「A市とB市は姉妹都市である」と言う
言葉を耳にしますね。
その意味合いは異なりますが、
歴史的観点から例えれば
トレドは年が離れたお姉さん。
そしてその後、誕生したのが
妹のマドリードなのです。
![Blog-14-3](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-3.jpg)
妹は健気で、とてもお姉さん思い。
ですが、この妹のマドリードが生まれた
9世紀後半のスペインはどのようであったでしょうか。
イスラーム教徒によって、
スペイン北西部へと追いやられたキリスト教徒が、
その地でアストゥリアス王国を建国し、
かつての彼等の土地を、
そして首都であったトレドを奪い返そうと
徐々に勢力を回復した時期にあたります。
![ボタンかけをする妹](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-4.jpg)
また、
お姉さんの町トレドがある街道は、
今から2000年ほど前に建設された
ローマ時代の主要な「街道」の1つであり、
![Blog-14-5
5900](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-5.jpg)
イスラーム教徒はこの既存のローマ街道を利用し、
必要であれば新たな町を建設し、城塞を建て、
自分達の領域「アル・アンダルース」を
防衛しました。
![少女](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-6.jpg)
こうして妹マドリードは、
お姉さんの町と、
その長い街道の中央部を守ると言う
とても強い使命を帯びて誕生したわけです。
ただし歴史学者によっては、マドリードは、
外敵の他に、内乱の監視役であったと唱える人もいます。
この頃、アル・アンダルースの中央政府に対して、
トレドの人々は他の都市と共に彼等の処遇を巡り不満が募り、
その結果、度々謀反を起こしたのでした。
ですから、ご覧頂いている姉妹のように
常に仲良しではなかったようですよ……。
それでは、まずは
マドリードの町がどんな場所にあるのか、
私の「マドリードの思い出」の中から
お話をしようと思います。
空港から市内へ
人は見知らぬ町に到着した時、
その町を知りたいという欲求に
駆られるものですが、この私もそうでした。
![Blog-14-7](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-7.jpg)
マドリードの郊外、北東十数㎞の位置にある
マドリード・バラハス国際空港へ
初めて降り立った時の印象は、次のようでした。
『なんて乾いた大地...。でも、市内はどうなのかしら』。
![Blog-14-8](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-81.jpg)
市内に向かう途中では、
車窓から見える立て看板を眺めては、
旅立つ前に何度も眺めた
ガイドブックの市内写真を思い出し、
![Blog-14-9](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-9.jpg)
今、見て来たばかりの空港周辺の景色と
これから観るマドリードが、
一体どのように頭の中で繋がっていくのかと
心をときめかせた事を覚えています。
![旧市街の眺め 9585](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-10.jpg)
時は流れ、
マドリードの生活にも慣れてくると、
暇を見つけては、
あちらこちらと探索しました。
![Blog-14-25](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-25.jpg)
その結果、やはり歩くのならば町の南西にある
旧市街「セントロ」地区が
自分にとっては一番楽しく、
時間が出来るとよく出かけていきました。
![Blog-14-26](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-26.jpg)
この地区にある石畳の大きな広場を歩き、
教会の鐘楼を見上げ、
時には立ち止まって
古めかしい居酒屋の看板や、
通りの名前のついた絵タイルを眺める...。
![Blog-14-27](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-27.jpg)
こんな風にマドリードの歴史の香りが
随所から漂ってくる場所なのです。
メセタ上に建つマドリードの町
ある日、いつもと同じように旧市街の街角で
漠然と信号待ちをしていた時でした。
![Blog-14-75](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-75.jpg)
ふと、「これでは、木を見て森を見ずだわ!」と、
マドリードの町全体を未だこの目で
確かめていなかった事に気づきました。
『ええと、マドリードの町全体が見える場所は何処かしらねぇ…』。
![Blog-14-11](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-11.jpg)
更に、考えを巡らします。
『...確か王宮のある場所のすぐ下は、
マンサナーレス川の谷になっていたはず...よね。
あの辺りに行けば町全体が見られるかも...』。
![王宮 10998](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-12.jpg)
マドリードの南西の端には壮麗な王宮に、
![アルメリア広場 11291](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-16.jpg)
隣接したアルムデナ大聖堂、
それにここアルメリア広場があります。
![夕闇のアルメリア広場 11000](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-17.jpg)
そして広場の端まで行き、
町の中心街の外を眺めてみます。
木の塀の外はすぐに河谷で、
その向こうに見えるのが
広大な緑の森”Casa de Campo”
「カサ・デ・カンポ公園」。
![アルメリア広場から中央山系を望む 10999](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-18.jpg)
そして
この辺りに昔、イスラーム教徒が建てた
監視塔が存在したのでしょうか...。
確かに、地平線上に見える
「中央山系」の山々の向こうから
来襲するキリスト教徒の動きを
いち早く見つけるのにはもってこいの場所です。
でもこの広場からでは、
マドリードの町全体を
把握する事は出来ませんでした。
木も見て、森も見る
『あっ、そうだわ。向かいに見える
あのカサ・デ・カンポ公園なら...♪』
![Blog-14-19 11292](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-19.jpg)
やはり見えましたね。
メセタ上に立つマドリードは、
ヨーロッパの首都でも一番海抜が高く、
650m以上あるのをご存じでしたか。
現在のマドリードの外観を見ますと、
かつて妹のマドリードが誕生した
面影はもうありません。
しかしこの公園からは、
ひな壇上になった今のマドリードの姿が、
![マドリード中心街 11334](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-20.jpg)
各広場を基に
道が放射状に広がる古い地区と、
後方には都市計画によって出来た
碁盤目上の新市街が一緒に重なり、
また数多い波打つ坂からは
高いビルも
幾分かがんだように低くなって...、と
普段、街中を移動する際に
目にするマドリードの町とは、
別の素顔を堪能する事が出来ました。
![聖堂の丸屋根 11336](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-21.jpg)
さて、
マドリードの全景は楽しまれましたか。
それから、
妹・マドリードの使命であった
丘からの監視目標は、
マンサナーレスの谷や「中央山系」のグアダラーマ山脈でしたが、
西には美しいグレードス山脈が横たわっています。
ここではそのグレードス山脈と、
![夜の王宮とアルムデナ大聖堂 11340](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-22.jpg)
そしてもう1つは、
ローマ時代に建設された街道に関連した
お話をしようと思います。
尚、妹マドリードが守っていた街道の中央部、
特にトレドに関しましてはすでに前回お話済みですから、
今回は道の両端に位置する2つの都市を
中心にご紹介致します。
それから、途中で2度休憩の場所を入れてありますが、
ボリュームがありますのでご自分のペースでご覧下さいね。
どうぞゆっくりお楽しみ下さい。
ローマ支配によるスペイン
それはそれは、遠い昔のことです。
![Blog-14-23 10960](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-23.jpg)
スペインとポルトガルが位置する
イベリア半島が「ヒスパニア」と呼ばれていた頃、
地中海覇権を争っていたのが、
ローマとカルタゴでした。
彼等はこの半島でも争奪戦を繰り広げ、
紀元前201年、「第二次ポエニ戦争」が終結すると
ローマはカルタゴを
この半島から追い出しすことに成功するのですが...。
![Blog-14-24 10961](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-24.jpg)
ローマはこの戦争がきっかけとなり、
半島全土を征服しようと決断しますが、
決して容易い事ではなく、
今度は先住民族達との200年に渡る
厳しく長い戦いが待ち受けていました。
![Blog-14-28 11344](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-28.jpg)
その前途多難な征服を目指し、
ローマ軍団「レギオン」が
進軍する為に建設したのが、
当初の「ローマ街道」建設の目的なのです。
「エメリタ-カエサラウグスタの道」
この時代のローマ街道は、
体の血管のように幹線道路の他、
そこから分岐した細い支線道路が
網の目状に構築されて
半島全土に広がっていました。
![スペインの高速道路 11388](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-13.jpg)
イベリア半島を貫く幹線道路は、
合わせて6本が建設され、
その中の1本の道が、
下の地図で示された緑色のラインです。
![mapa_roma](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/mapa_roma.jpg)
スペイン中央部を斜めに横切るように
南西の都市メリダ-トレド-北西の都市サラゴサ間を
結ぶ重要な街道が、
“Vía Emerita-Caesaraugusta”
「エメリタ-カエサラウグスタの道」です。
![Blog-14-29 11387](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-29.jpg)
ちなみに
現代の道路でも両都市を結ぶと
約700㎞弱の距離があります。
![Mérida(メリダ)へ向かう道路標識](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-30.jpg)
メリダへ帰るトラックの後ろを走りながら、
![メリダへ戻るトレーラ :10761](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-179.jpg)
この道がかつて
「どのような場所を辿っていたのか」を
興味を持って調べてみたところ、
『あらら…?!』と、
壁にぶつかってしまいました。
![山中のローマ街道(支線) 10666](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-31.jpg)
何故かと申しますと、
大きな諸都市は別として、
町や通過場所の確定には諸説有り、
歴史家によっては
「街道の石畳も部分的には残ってはいても、
石の距離標識(マイルストーン)でさえも
見つからぬ...」と、こんな風に
頭を悩ませていたのです。
そう言えば
この「街道の石畳も...見つからぬ」で、
次のような事をふと思い出しました。
あれは、
マドリードから西へ350㎞離れた
山中の町を訪ねる旅の
途中の出来事でした。
![山中の岸辺風景 10672](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-32.jpg)
街道から離れ小さな村々を
幾つも過ぎた頃だったでしょうか。
トレドを流れるタホ川に突然出会ったのです。
トレドから100㎞程下流だったのではないでしょうか。
タホ川を渡った向こうの岸辺には
何台かの車が停まり、
皆さん一様に記念写真を撮っていきます。
![川辺のローマの遺跡](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-33.jpg)
後でわかった事ですが、上の写真は
“Curia” 「クリア民会」の建物のポーチ部分で、
かつてこの川の流域に存在した
ローマ時代の町”Augustóbriga”
「アウグストブリガ」に建っていたものでした。
![石柱と木](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-34.jpg)
州都に次ぐ大きさの町であった
アウグストブリガは残念なことに
1963年、貯水池建設の為、
中世に作られた町と共に
今は水の中に沈んでいます。
![ローマ時代の遺跡](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-35.jpg)
ただ難を逃れたこのポーチや、
他所からの数本の石柱が岸辺に移築され
これらの遺跡だけが
ローマ時代の面影を残しているのみです。
歴史家の方々が悩まれていた
「何処を通っていたのか…」とは
こういう事例も存在する事なのですね。
今更ながら納得致しました。
山の支線道路
さて、
妹のマドリードが
誕生した背景の1つであった
「監視塔からの中央山系の眺め」がありましたが、
覚えていらっしゃいますか。
![Blog-14-36](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-36.jpg)
実は中央山系を構成している
このグレードス山脈の山中にも、
石畳の道が見られ、
当時の支線道路の1つではないかと
言われています。
グレードス山脈の自然風景
![グレードス山脈 10860](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-37.jpg)
グレードス山脈は
マドリードからおよそ西へ180㎞、
![雪解け水 10851](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-38.jpg)
高度2000~2500m級の山々が連なる
自然がとても美しい場所です。
![貯水池に架かる橋 10799](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-39.jpg)
それではしばらくの間、
写真を通してグレードス一帯を
散策して頂こうと思います。
![草の露 10843](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-40.jpg)
まずは
小旅行の気分で、
朝の爽やかな景色からどうぞ。
![Blog-14-41](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-41.jpg)
いかがでしょう?
もう少し近寄って、
窓辺に手をついて眺めてみませんか。
![Blog-14-42 10867](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-42.jpg)
窓の外にぐっと広がる山の景色です。
鳥の歌うようなさえずり。
それにひんやりした空気が
胸の奥にすーっと入る心地良さ。
眼下には、白馬の姿も見えますね。
今度は、ホテルの外へ出て
山の中を散策しましょう。
![林の朝 10852](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-43.jpg)
松やカシワ類が多い林...。
朝靄が消えた後の
日が差し込む小川。
![石橋 10810](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-44.jpg)
山からの雪解け水。
川には鱒や、ブラックバス、カワカマス類の魚。
![Blog-14-45 10808](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-45.jpg)
石橋と力強い川の流れ。
![水力発電所のある風景 (グレードス・アビラ) 10816](https://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/TEMIKPHOTO-10816.jpg)
水しぶきを上げる豊富な水量は、
ダムからの放流でしょうか。
![Blog-14-47 10826](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-47.jpg)
また珍しい山ヤギや、
黒ハゲタカ、イヌワシの生息地でもあります。
機会があれば、釣りや狩猟が好きな方なら
一度行ってみたい場所かも知れませんね。
![Blog-14-48 10846](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-48.jpg)
そしてこんな場所も...。
辺りは静寂の世界。
移り変わりの速い山の景色。
湖水の緑に、たなびく雲の色。
![Blog-14-49 10847](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-49.jpg)
この景色を
落ち着いた色調に演出するのは、
雲間からの柔らかな日の光。
![Blog-14-50 10859](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-50.jpg)
変幻自在に
姿形を変えて行く雲の流れと、
不動の岩の風景。
![Blog-14-51 10798](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-51.jpg)
そしてこちらは
夕暮れの時刻のホテルのBAR内。
穏やかに談笑する人々の声が、
心地良く耳に感じるのは、
今日一日山歩きをした
軽い疲労のせいでしょうか。
![Blog-14-52 1081](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-52.jpg)
カウンター越しに
窓辺の風景に目を向ければ、
黄昏時の光りが徐々に、
一日の終わりを告げようとしています。
同じ頃...。
昼間歩いたあの山の、
木々を眠りに誘う夕暮れの雲が
静かに包み込んでいきます。
![Blog-14-53 10871](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-53.jpg)
ホテルからの眺め、
そして森林浴の小旅行、
満喫して頂けたでしょうか。
さぁ、ここからは気分をかえて
グレードスの景色を
続けてご覧頂きましょう。
泉へ水を汲みに行った日の出来事
![Blog-14-54 10837](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-54.jpg)
グレードス山脈へは撮影目的の他に、
山の美味しい湧き水も魅力の1つでしたので、
峠の手前にある泉へ
水を汲みに出かけた事がありました。
![Blog-14-55 10839](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-55.jpg)
この日の撮影のお目当ては、
ちょうど峠を超えた向こうの小さな村々でした。
![霧煙る道 10874](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-561.jpg)
特に秋になりますと
山中を走る村道沿いに栗が実り、
四季の移ろいを感じさせてくれます。
![山間の寒村 10941](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-57.jpg)
ここは
山の斜面を利用した小さな村でした。
![村の女性 10927](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-58.jpg)
村に着くと、
まずはぐるっと歩いて見ました。
細くて急な坂を下りていきましたら
ちょうど村の人と出会い、声をかけます。
「こんにちは♪」
エプロンをかけた女性は、
幾分見上げた顔で
静かな声で挨拶が返ってきました。
![煙突 10928](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-59.jpg)
うねるような狭い急坂。
苔で覆われた瓦屋根。
![村の坂道 10940](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-60.jpg)
坂の上に張り出ている
木のバルコニーと漆喰壁。
村の中の昼時は人通りもなく、
しーんとしていて、
まるで何かが周囲の音を
全て吸い込むような静けさです。
ただ、
家々の煙突からもくもくと上る煙と、
薪の香りで村は包まれておりました。
![キオスク 10936](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-61.jpg)
さて、ここが村の目抜き通り。
煉瓦と石の組み合わせの村景色の中では
ちょっと目立った存在のキオスク。
お店は限られたスペースでも、
品揃えは充実していそうです。
昼食時間にお店を一旦閉めていたご主人。
午後からのお店の再開準備ですね。
ところで、道行く人も顔見知り。
ですから、挨拶も欠かせない様子でした。
![村の少年達 10939](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-62.jpg)
『おや?...』。静かな村に、
突然バイクの音が轟きます。
下りてきたのは村の少年達でした。
![Blog-14-63 10947](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-63.jpg)
こちらは家の修繕作業中かしら。
![Blog-14-64 10886](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-64.jpg)
それから
村の伝統的な家に関しては、
正面に見える窓の大きさや、
壁の厚みから判断すると
厳冬に備えた造りになっています。
![村役場がある広場 10885](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-65.jpg)
ぐるっと一巡りしたので、
昼食ぎりぎりの時間となってしまいました。
『まだ食べられるかしら』と幾分心配しながら、
1件のレストランにそーっと入って尋ねると
女主人が首を縦に振ってくれます。
どうやら母と娘で切り盛りをしているようでした。
レストランでは、
老いた母が料理の火加減を見るため、
煉瓦作りの竈(かまど)の横に腰を掛け、
じっと番をしています。
黒い服に身を包んでいるのは、
ご主人の死後、ずっと喪に服しているのでしょう。
村でもそして都会でも未だ見かける姿です。
![Blog-14-66 11224](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-66.jpg)
やっとテーブル前に座った私は、
一息ついてほっとしたのか
彼女のように竈にくべた薪の火を眺めながら、
この村に向かう先程の出来事を
思い出していました。
![山と霧 10795](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-67.jpg)
それは、
泉で水を汲んだ後の事なのですが、
実はちょうど峠にさしかかる地点で霧が発生し、
展望台で足止めされてしまったのです。
![霧に覆われた山道 10793](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-68.jpg)
『さぁ、どうしたものかしら...』と思案していますと、
白い世界の何処からか、かすかに
「カラン、コロン...、カラン...」と、
かわいらしい鈴の音が響いてきます...。
![雲海 10803](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-69.jpg)
耳をそばだてると音は上から下へ、
それも徐々にですがこちらへと
近づいて来るようでした。
![交通標識と雲海 10804](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-70.jpg)
どのくらい時間が経ったのでしょうか。
15分か、いやもっと...、
30分位だったもしれません。
そして視界が開けてくる頃には、
何やら集団で移動する動物の気配がありました。
![峠 : 雲海を眺める人々の車 10805](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-71.jpg)
やがて眼下には、
急坂のローマ街道を下りる
首に鈴をつけた山羊、そして仲間達が、
途切れ途切れになった霧の間から
見え始めます。
![ローマ街道 10668](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-72.jpg)
また彼等への合図なのか、
独特の声を発しながら
山羊飼いの男性も見つけました。
![Blog-14-2030 10890](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-2030.jpg)
過去から面々と続いてきたスペインの牧羊風景。
ですが霧の中から現れ、
また目の前から消えて行った
幻想的な群れの姿に、
『あの光景は本当に現実だったのだろうか...』と、
今でも記憶に残る不思議な光景の1つになっています。
![Blog-14-76 10670](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-76.jpg)
この地域では、
年々人数が減少している山羊飼いの人々。
峠から見たあの風景も今後、
中々見られなくなってしまうのかも知れません。
![山からの風景 10876](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-77.jpg)
そして、
霧もすっきりと晴れ
ほどなく彼等が去った後。
スペインに生息する
珍しい山ヤギの亜種が
そこに姿を現しました。
![岩場に現れた山ヤギの亜種 4680](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-78.jpg)
険しい岩の斜面を
敏捷な動きで下りるので
彼等の姿を目で追っていくのが大変です。
餌探しなのか、霧が晴れるのを
何処かでじっと待っていた様子でした。
![秋 10900](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-79.jpg)
下山途中では、
もう1つ別の村を訪ねてみました。
![Blog-14-84 10892](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-84.jpg)
ある家の柵に
上のような馬蹄を見つけました。
「魔除け」なのでしょうか。
![Blog-14-80 10913](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-801.jpg)
それから、
道路にはぽつんと放置された
荷車が停まっています。
家畜用の干し草ですね、きっと。
眺めておりますと、
荷車は生き物のようにも見え、
主人を大人しく待っていると言うよりも
この場に放置され、不安そうにも
見えてくるから不思議です。
「ねぇ、いつ迄こうして待っているの?」と。
様子を伺っている中に
何故だか急に可笑しくなり
笑いをこらえながら一枚、パチリ♪
![Blog-14-82 10910](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-82.jpg)
そして
笑いが止んだ後のもう一枚。
干し草ブロックの上に注目しました。
題名はシンプルに「縄と干し草」。
荷台の持ち主の存在や生活が、
どことなく感じられるお気に入りの1枚となりました。
![Blog-14-83 10902](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-83.jpg)
これらの写真は、
花や鳥に見られる美しい彩りや
雄大な風景ではありません。
一見、何の変哲もないので、そのまま
すたすたと通り過ぎてしまいそうです。
![Blog-14-85 10893](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-85.jpg)
でもこういった素材は、
美しいと感じている色や
形に捕らわれる事なく、
「自分が何に興味を持ち、どのように考えているのか」が
ストレートに現れる写真になります。
![Blog-14-86 10894](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-86.jpg)
写真に対して「素直な気持ちで向き合ってみる」、
それから
撮影をする前にまず
「物事を様々な角度から考えてみる」
良い機会であると思っています。
![Blog-14-80 10956](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-80.jpg)
さて、
中央山系にあるグレードス山脈の景色、
そして村の生活の様子に、
どのようなご感想を持たれましたか。
これはスペイン全体に言える事なのですが、
ご紹介した山中の村々のように
地方都市とさほど離れてなくても、
かつては険しい山々が
人々の往来を遮断して来たのか、
伝統的な生活が未だによく保存され、
その度に驚かされることがあります。
![Blog-14-87 10901](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-87.jpg)
この地方ではありませんが、
聞くところによりますと、
1930年代後半に起きた
あのスペイン市民戦争を知らなかった
村もあったのだそうです。
![Blog-14-167 11543](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-167.jpg)
「スペインは地方色が豊か」と言われるのは、
こういった地形が地域の人々との交流を阻み、
「閉ざされた世界を形成する」
背景があるからです。
また、妹マドリードが誕生した
中世スペインの世界では尚のこと、
この中央山系が当時、
自然の国境であったのは
想像に難くないと思います。
![秋景色 10845](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-112.jpg)
お話をしている中に
もうすっかりグレードス山脈から
下りてきましたね。
山々には
また雲がかかり始めたようですよ。
休憩場所「花と木」のテラスへようこそ
さて、
第一部が終了致しました。
ご覧頂きましてありがとうございました。
![Blog-14-168 6207](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-168.jpg)
このまま続けてご覧になる方、
この先のお話を時間を置いて
改めてご覧になる方、
両方いらっしゃるかと思いますが、
ここで一旦「休憩時間」のご案内を
させて頂きます。
どうぞこちら「花と木のテラス」で、
気分転換をなさって下さいね。
![紅葉 8548](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-170.jpg)
この後もボリュームがありますので、
テラスは後ほど、もう一度設けてあります。
尚、恐れ入りますがいつものように
「休憩時間」の長さに関しましては、
ご自分で設定して頂きますよう
お願い致します♪
![マリーゴールド 6204](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-169.jpg)
ではこれより、
かつてのローマ街道
南西の都市のお話を始めます。
またどうぞごゆっくりお楽しみ下さいね。
*** *** *** *** *** *** ***
都市アウグスタ・エメリタ
ローマ時代、幹線道路の1つであった
「エメリタ-カエサラウグスタの道」。
そしてこの街道の南西に
位置するのが都市「アウグスタ・エメリタ」。
紀元前25年。都市エメリタは、
ローマ帝国初代皇帝
アウグストゥスの命により、
ローマ軍団「レギオン」の退役軍人を迎入れる
「植民都市」として建設されました。
![道路標識"Extremadura" 「エストレマドゥーラ」 : スペイン西部の自治州「エストレマドゥーラ」カセレス県入り口 10762](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-114.jpg)
現在の都市名は
“Mérida”(メリダ )と呼ばれ、
ポルトガルとの国境にもほど近い
スペイン西部エストレマドゥーラ州の
州都になっています。
![メリダの街 10766](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-115.jpg)
それから、これより先は
地名の混乱を避けるため
あえて古代名「エメリタ」を並記せず
現在の地名「メリダ」を使ってお話を致しますね。
![孫を連れて 10756](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-177.jpg)
さて、
商店街を覗いてみました。
気さくな感じの町で、ここでは地方都市の
ゆったりとした日常風景が見られます。
![果物 : メリダ市内の果物屋のショウウィンドウ 10772](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-116.jpg)
メリダは同じ州都でも、
例えば、南部アンダルシア地方の大都市
セビージャ(セビリア)のように
空に向かって聳える立派な大聖堂や、
![Blog-14-88 9930](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-88.jpg)
ビター・オレンジの街路樹が続く街並み、
夜の小道に薫る白いジャスミンの花々...と言ったような
壮麗で、華やかな町の雰囲気はありません。
![トラヤヌス帝の凱旋門 : 勝利を記念する門ではなく、大きな寺院のアクセスするための門。かつての建物は、パリのエトワール凱旋門をイメージすると理解しやすい。 10741](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-117.jpg)
ではこの街の特徴はと申しますと、
主にローマ時代の遺跡が
点在している事なのです。
![居酒屋の看板 : どんぐり型をした看板。この地方は、生ハムの産地。イベリコ豚の飼料「どんぐり」の林が郊外に広がる。 10745](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-119.jpg)
現代の市街地の建造物と
微妙なバランスで一体化しているために、
「えっ、何かしら...?」と、
こう疑問を投げかけながら、
旅人はおもむろに古い遺跡に近寄ると...。
![トラヤヌス帝の凱旋門 10744](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-118.jpg)
目にした建造物が
ローマ時代の遺産と知った瞬間、
驚きと共に旅人の心を一気に
遙かなる時代の旅へと誘ってくれる...。
そんな魅力を持っている町なのです。
要衝であった都市メリダ
旅人の心を一気に
ローマ時代へ誘う町...。
![Blog-14-113 10707](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-113.jpg)
メリダに残る遺跡を訪ねますと、
ローマ帝国に存在していた
他の大都市に引けをとらぬような
建造物のスケールの大きい、
そして風格がある事でした。
![Blog-14-89 11407](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-89.jpg)
当時のメリダが、
実際どのような地形にあり、
役割を持たされた都市であったのか。
その辺りを簡単にご説明していきますね。
![Blog-14-121 11503](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-121.jpg)
メリダは、ローマ帝国の属州ヒスパニア
(現在のスペイン・ポルトガル)西部にあった
ルシタニア州都としての機能と、
それに、交通・軍事・産業の要を
兼ね備えていた都市でした。
![Blog-14-120 11514](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-120.jpg)
もう少しかつての都市メリダについて、
具体的な例を挙げてみましょうか。
まず川に架橋して、
岸辺に都市を建設したのは、
この辺りの地形をおよそ南北に分断する
川の防衛にありました。
また恵まれた地形にあることから、
10本の幹線・支線道路が
交差していた事もあります。
![Blog-14-178 10958](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-178.jpg)
特に注目すべきは
北部とを繋ぐ”Vía de la Plata”
「銀の道」の建設でした。
サンティアゴへの巡礼道の1つとして
現在知られていますよね。
この銀の道を建設する重要性とは
2つありました。
1つは、スペイン北西部の鉱山で
採掘された金・銀等のコントロールを、
中継地であるメリダが担っていた事です。
北西部で採掘された大量の鉱物資源は、
「銀の道」を通って、スペイン南部から
海路でローマへ輸送されていったのです。
![Blog-14-122 11524](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-122.jpg)
それからもう1つあります。
イベリア半島でのローマ軍団を
最後まで執拗に苦しめたのが
北西部の先住民族との10年に及ぶ
「カンタブロスの戦い」でした。
確か先住民族達との戦は、
200年間続いた事をお話致しましたが、
覚えていらっしゃいますか。
ローマが半島征服をするのには、
それは長くて困難な道を辿った事になりますね。
![Blog-14-100 11357](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-100.jpg)
そんな訳ですから、
都市メリダは北西部での
軍事作戦を行う基点(ベース)としても
発達していったのです。
![戦車馬車: ビルの屋上のモニュメント 16677](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-20181.jpg)
さて、
ローマの権力と富が
形となって現れたメリダは、
都市としてどのような
構造をしていたのでしょうか。
具体例を挙げれば、
川の増水にも耐えうる、
都市をぐるりと囲んでいた「強固な市壁」。
それから「碁盤目上に区割りした市街地」。
中心地には立派な「神殿」や
「フォーラム(集会用広場)」...。
![劇場内の彫像 10717](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-156.jpg)
当時のメリダの様子が、
だんだん浮かび上がって来ましたか。
「ロス・ミラグロスの水道橋」
では次に、
未だに現存している事が
奇跡(ミラグロ)と言われ、
その名がついた
“Acueducto de los Milagros”
「ロス・ミラグロスの水道橋」をご覧下さい。
現在メリダには
水道橋が2つ残っています。
![メリダの水道橋 10704](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-157.jpg)
メリダへ鉄道で旅をした事があるのですが、
写真のように駅のホームに着きますと、
水道橋がまず目にはいります。
天辺にはコウノトリが巣を作り
私達人間にとっては
何とも長閑な一風景です。
![Blog-14-158 10703](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-158.jpg)
さてこの水道橋ですが、
ローマ時代はメリダから数㎞離れた
貯水池から水を引いていました。
貯水池からは水を地下に通らせ、
町の入り口付近になると
今度は写真のように
地上の水道橋を伝わせて、
安定した水の供給を行っていました。
![水の流れ(イメージ) 11536](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-159.jpg)
この方法ですと、わざわざ川から
水運びする必要はないわけです。
![水(イメージ) 11532](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-160.jpg)
そう言えば、1枚目の水道橋をご覧になって
南部アンダルシア地方の有名な
「あの建築物の内部と似ている!」と、
ピンと来る方はおられませんか?
![モスクの柱 : コルドバのモスク内。祈りの間。 11230](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-161.jpg)
その場所はこちらです。
アンダルシア地方、
都市コルドバのモスク内、
祈りの間に見られる柱ですね。
もちろんこのモスク内の柱は、
ローマ建築やその後の西ゴート、
東洋のイスラーム教徒の芸術が
融合して出来た形なのですが、
![水道橋 10706](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-162.jpg)
こうして既存の物に
新たなる考えや技術が時代と共に加えられ、
古代のローマ時代の水道橋が
中世に於いて、装飾性のある、
また高さを要求されるモスクの柱として
進化した良い例であると思います。
![水のカーテン 11538](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-163.jpg)
以上、メリダが繁栄した理由について
的を絞ってご説明しましたが、
ご納得頂けましたでしょうか。
ローマ劇場
![ローマ劇場 10692](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-164.jpg)
さて、アーチの向こうに
立派な「ローマ劇場」が見えてきました。
このまま潜って歩いていきますと
舞台にそのまま上がってしまいますから、
観客席へ廻ることにしますね。
それでは、階段を上りながらお話を続けます...。
![ローマ劇場 10959](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-165.jpg)
ご覧になれますか。
とても立派な劇場ですね。
この劇場は、
毎年夏になりますと
ローマ時代などの古代劇を主にして、
フェスティバルが催されるのですが、
![劇場の彫像 10732](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-166.jpg)
残念ながら、
訪れた季節が冬でしたから、
観ることは叶いませんでした。
![ローマ劇場 10724](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-173.jpg)
訪れた感想ですか?
そうですね...。
現代の劇場に比べ
舞台空間が随分と広く感じました。
ギリシャ演劇の影響でしょうか。
![10738](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-138.jpg)
『どのような演劇をするのかしら?』と、
貴方もご興味ありませんか。
私もそう思いました。
そこで実際、
客席の階段を降りては、
無邪気にあっちこっちと
好きな席に次々と腰を下ろし、
また別の席に移動を繰り返す...。
その間、
「観劇の夕べ」を思い描いてみました。
そう、こんな風にです♪
![11399](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-141.jpg)
あっ、でも、
これからご覧頂くお祭りや
人々の笑い顔などのシーンは、
あくまでも「こんな感じかしら?」という、
私の勝手な想像の世界です。
実際の古典劇のシーンでは
ございませんので悪しからず...。
![ロウソクを灯す女性 11393](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-174.jpg)
また、こんな事も想像してみました。
例えば、舞台セットはどんな風かしら...。
大道具・小道具などのセットは、
豪華でも、シンプルでも
内容によってどちらも素敵ですよね。
![11531](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-140.jpg)
また、光りの演出も大切ですね。
背景となる立体的な石柱を
充分生すように当てられるライトも。
![11170](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-139.jpg)
大道具、小道具、そしてライト。
これで舞台の様子も随分と変化がつくでしょう?
![10716](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-143.jpg)
まだまだ、想像の世界は続きます。
次のように...。
![11401](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-91.jpg)
座っている私達観客を
突然驚かすのは、
背後から声高に登場する喜劇役者。
観客を笑いの渦に巻き込み、
![11404](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-1421.jpg)
「いかにも」と言った風な衣装にメイク、
滑稽な身振り、手振りをつけて
客席通路を下りて行く...。
![11410](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-90.jpg)
仮に、早口のスペイン語での演劇だとしても、
周りの観客が
「あははは!」なんて笑い始めますと、
一人一人の舞台俳優の個性豊かな演技に
こちらもついつい一緒に釣られて
可笑しくなってしまいますよね!
![10727](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-144.jpg)
真夏の夜の、野外での観劇。
うーん。
一度観覧してみたいですよね、
特に喜劇が楽しそうですが、
是非、今度!
![10737](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-133.jpg)
席から立ち上がり、
ようやく階段を降りて来ましたので、
想像の世界も
この辺でおしまいに...。
娯楽施設「円形闘技場」に立って
![Blog-14-135 10682](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-135.jpg)
ローマ時代の建造物は、
街道、水道橋、劇場、橋...と、考えてみましたら、
当時のローマの人々は、
劇場を始めとする巨大な建造物や、
土木建築がとても上手だったのだなと、
つくづく感心しました。
![10788](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-136.jpg)
では、
都市メリダの最後は、
劇場のお隣にある、
「円形闘技場」を訪ねてみましょう。
![10690](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-131.jpg)
また、
階段を上りながらお話をしていきますね。
![Blog-14-98 11379](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-98.jpg)
ところで
この時代の娯楽施設ですが、
劇場や闘技場の他、サーカス
(複数建ての戦車馬車による競技)も
メリダの郊外に作られたようです。
![11530](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-125.jpg)
足下の不確かな階段を上って、
![10702](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-154.jpg)
闘技場の上部に出ました。
ここに立って一望してみると、
当時の情景が見えてくるようです。
![ローマの闘技場 10697](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-1063.jpg)
席には、
かつて壮絶な戦いを生き抜いた
軍団の元兵士達にも平和が訪れて、
![11499](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-124.jpg)
名言「パンとサーカス(娯楽)…」のように
政治も戦いも忘れ、
娯楽に熱中しているのかもしれません。
![Blog-14-123 11498](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-123.jpg)
彼等の歓声や、野次を飛ばす声。
それに混じって猛獣の吠える声が
遙かなる時代を越えて、
今、私達の耳にも聞こえてくる
気がしませんか。
![10739](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-108.jpg)
メリダにあるローマの遺跡は
世界遺産に登録されています。
長い時を経ても、
とても保存状態が良いのだとか..。
![11385](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-132.jpg)
さぁ、このあたりで
都市メリダと
お別れすることに致しましょうか。
![10736](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-149.jpg)
休憩場所は「秋のテラス」で\
第二部が終了致しました。
ご覧頂きましてありがとうございました。
ここで再び「休憩時間」の
ご案内をさせて頂きます。
さて、暑い夏も過ぎて
爽やかな秋の季節になりましたね。
お近くの公園や郊外に出かけると
道ではこんな「秋」に出会えるのも
巡る季節の楽しさでもあります。
![Blog-14-171 6424](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-171.jpg)
一方、スペインの地方へ出かけますと
夏から秋にかけて「赤ピーマン干し」を
窓やベランダで見ることが出来ます。
乾燥させて、肉と共に煮込み料理等にします。
日本の「干し柿」の風景に近いのでしょうが、
干し柿も、赤ピーマンも
それぞれの土地に住む人々にとって、
「秋の風物詩」なのですね。
![Blog-14-172 11225](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-172.jpg)
それでは、
秋のテラスで気分転換して頂いた後は、
今度は北東の都市サラゴサ
(ローマ時代 : 都市カエサラウグスタ)へと
ご案内致します。
*** *** *** *** *** *** ***
マドリードからバルセロナへ向かって
マドリードに住んでおりました頃、
所用でスペインの北東に位置する
カタルニア州の州都バルセロナまで
何度も旅をしました。
![Blog-14-1105 6254](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-1105.jpg)
町の中心部、
南北に走るグラシア通りはオフィスの他、
一階には瀟洒なお店が建ち並んでいます。
![Blog-14-2015 11341](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-2015.jpg)
この通りには、
建築家ガウディによるアパート「ラ・ペドレラ」や、
下の写真”Casa Batlló”「バトジョ邸」があります。
![Blog-14-2017 6258](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-2017.jpg)
バトジョ邸の屋根やバルコニー、
外壁のモザイクなどは
見立ての世界になぞらえ、
建築家ガウディ独自の美の世界が
この通りのアクセントとなって、
道行く人々の目を楽しませてくれます。
![Blog-14-2016 320](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-2016.jpg)
室内もまた、
曲線を採り入れたデザインや
![Blog-14-1108 6267](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-1108.jpg)
ステンドグラスの窓から差し込む光から、
海の中をイメージさせてくれます。
![Blog-14-1107 6261](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-1107.jpg)
音楽で例えるとしたら、そうですね...。
ドビュッシーの「アラベスク1番」で感じるような
揺らめき...です。
あら...。ついついすみません。
今、お話ししようとしたのは、
バルセロナへ行く途中の町の事でした。
三度続きの旅 都市サラゴサ
![Zaragoza(サラゴサ)へ戻るトレーラー 10763](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-14.jpg)
さて、マドリードッ子は
バルセロナへ向かうA-2号線を
通称「バルセロナ街道」と呼んでいますが、
![A2号線とドライブイン(サラゴサ近郊付近) : 11144](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-180.jpg)
その街道を車で300㎞程走ると、
![サラゴサ近郊の風景 : 高速鉄道 "AVE" の車窓から 11148](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-189.jpg)
スペイン第五の都市
“Zaragoza”(サラゴサ)の町が見えてきます。
![サラゴサの街を支える大地 : 11145](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-181.jpg)
道はサラゴサ市に入る手前で外環道と合流し、
時計回りに大きく曲がり始め...。
ちょうどその頃でしょうか。遠くから
それもほんの僅かの時間ですが、
右手に、川岸に建つ立派な寺院の塔が
視界に入ってきます。
![夕暮れのエル・ピラール聖堂 : 11207](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-1971.jpg)
毎回ここを通過する度、
『あ...。サラゴサの町!一度見てみたいな』と、
同じ地点で同じ台詞を呟いていたのですが、
ある日そのチャンスが巡ってきたのです。
訪れたのは夏の暑い盛りで、
暑さもマドリードに負けず劣らずでした。
それまで全く行く機会がなかったのですが、
どういう風の吹き回しでしょう。
いきなり立て続けに三度も行く機会に恵まれました。
![線路 : 11142](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-191.jpg)
『よーく観ておくのですよ』と、
もうこれは目に見えぬ強い力で、
引きつけられとしか言いようがありませんね。
後ほどご紹介致しますが、サラゴサには
スペインの二大宗教建造物の1つ、
“Basílica de Nuestra Señora del Pilar”
「ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖堂」があり、
世界中から毎年数多くの
巡礼者が訪れる重要な都市です。
![サラゴサの鉄道操作場 : 11150](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-182.jpg)
スペインではこの聖堂を
「エル・ピラール」と呼ばれています。
![サラゴサ鉄道操車場 : 11151](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-190.jpg)
さて
エル・ピラールだけに留まらず、
サラゴサにはローマ時代の遺跡を始め、
各時代の様式にアラゴン地方の
「ムデハル様式」が一体となった
見事な建造物に出会える事も
大きな特徴の1つと言えます...。
![サラゴサの市街眺望 : 11153](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-184.jpg)
どうやらサラゴサの旅を
思い出しておりましたら、
前置きが長くなってしまったようです。
「三度続きの旅」。
そろそろお話を始めましょうか。
「エル・ピラール」
![ピラール広場 : 11190](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-187.jpg)
サラゴサでは、
やはり歴史的街並みのある
エブロ川右岸地区に惹かれ、
何度も歩きました。
![11111](https://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/TEMIKPHOTO-11111.jpg)
ピラール広場では女の子達が遊び、
そして、
![Blog-14-1120 11090](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-1120.jpg)
夏の午後、
ここに集合している人達がいます。
このグループは観光目的ではなく、
先頭の人が持つ国旗と小さな文字から、
イタリアからの
“…PELLEGRINAGGI”(巡礼)と判明しました。
わざわざサラゴサへ訪れたのは、
この聖堂が由緒ある
全キリスト教世界初の
「聖母マリアの聖堂」だからなのです。
![親子 : ピラール広場 11089](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-193.jpg)
現在の聖堂は、
1434年の火災で被害後、
1515年にバロック様式の教会として
建立されています。
見上げますと、
外壁近くや、彫刻が施された入り口付近の人達と、
建物の大きさを見比べると、
どれだけ大きいのかと
その規模に驚かされてしまいます。
![エル・ピラール聖堂内 ; 11043](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-195.jpg)
堂内に入ってみると、
大理石柱の上に立つ
聖母ピラールの像が安置されています。
“El Pilar”とは「柱または支柱」の意味なのです。
![Blog-14-196 11049](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-1121.jpg)
また上の写真は、
広場からエル・ピラールを
写真館で使用するような
蛇腹の大型カメラを使用し撮影しました。
一般的なカメラに広角レンズを付けて
広範囲を撮ろうとすると、建物が高いために
どうしても歪みが出てしまうからです。
また撮影する際は、
頭からはすっぽり「かぶり布」(黒い布)を被り、
暗い中でカメラのガラス板を覗きます。
真夏の暑さと、頭に被る黒い布の組み合わせは
最悪な条件なのですが、そこに映る逆さの像を
ルーペで確かめているうちに、
暑さも次第に忘れ去り、目に入る
荘厳で美しい建造物に引き込まれていきます。
![エル・ピラール聖堂 : 11183](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-1961.jpg)
特に、抜けるような空と、
ドーム屋根の配色の美しさ。
こんな時スペイン人は、
眺めながら必ず
“¡Es una joya!” 「宝石である!」と、
表現します。
そう確かに、その言葉に頷けますね。
![ピラール広場 : 11182](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-271.jpg)
ではここで、建立に纏わる伝説をどうぞ。
![祭壇前の子供 : 11034](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-199.jpg)
キリストの12使徒の一人、
大ヤコブは伝道の為、スペインに赴きますが
思うような結果が出ずに落ち込んでしまいます。
紀元40年1月2日のことでした。
被昇天以前の聖母マリアは、
当時エルサレムに住んでおりましたが、
エブロ川の岸辺にて大ヤコブの目の前に現れ、
そして持ってこられた柱で、
最初の礼拝堂を建てるようにと
彼を元気づけたのです。
![祭壇の絵画 ; 11036](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-201.jpg)
その後の大ヤコブですが、
サラゴサで8人の改宗者の中の一人を
司祭に任せてエルサレムに戻るのですが、
殉教してしまいます。その亡骸は
船に乗せられ、やがてスペイン北西部の
ガリシア地方へと流れ着く...。
と、この辺りの前後のお話は、
巡礼道で有名なスペイン北西部の都市
「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」の
大聖堂に祀られている
サンティアゴ(聖ヤコブ)に纏わる伝説ですね。
![エル・ピラール : 11025](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-2721.jpg)
サンティアゴ(聖ヤコブ)は
鍔付きの丸い帽子。マントにはホタテ貝。
杖に瓢箪を持った巡礼姿の像は、
すでにご存じかもしれませんね。
![エル・ピラール聖堂 : 11028](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-2751.jpg)
さてお話は
ローマ時代のサラゴサに移ります。
ローマ時代の遺跡
これより先は都市メリダと同様、
地名の混乱を避けるため、
あえて古代名「カエサラウグスタ」を並記せず
現在の地名「サラゴサ」のみを使ってお話を致しますね。
それでは
エブロ川に架かる橋からの眺めを
ご覧になりながらどうぞ。
![エル・ピラール聖堂とエブロ川 : 11053](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-202.jpg)
都市サラゴサは、
初代皇帝アウグストゥスにより
退役軍人の為の植民都市として
紀元前1世紀に始まりました。
![エブロ川に架かる橋のたもと : 11269](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-203.jpg)
この都市は、
陸上、水上交通共に要衝であり、
特にエブロ川を利用して、
源流のスペイン北西部から
地中海まで船を利用した
水上交通が発達しました。
![河川敷の港 : 4432](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-2051.jpg)
サラゴサは、
河谷の中心部に位置しているため、
ここで荷物は再配分されて、
各地に船出をしていったのです。
船荷の中はどんな物が入っていたのでしょうね。
少し例を挙げてみましょうか。
まずは、内陸地から地中海方面では、
麦、木材、鉄、皮革、麻などを、
![食材のお店 : 1553](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-204.jpg)
そして地中海からは
ワイン、塩漬けの魚、
陶器、大理石や宝石....。
ローマ時代の
ヒスパニア(スペイン・ポルトガル)は、
産業が豊かだったようです。
![ローマ時代の遺跡 : 11122](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-206.jpg)
次に、
聖堂前広場近くに残る
紀元2-3世紀に建設された
ローマ時代の市壁をご紹介いたします。
市壁は今でも部分的に残っていて、
未だに道の下になっている場所もあります。
![ローマ時代の遺跡 : 11121](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-207.jpg)
外敵侵入から市民を守る市壁は、
周囲をぐるっと測ると、
およそ3000mになります。
当時の市壁の横を歩いてみましたら、
非常に頑丈な作りで、
多くの場所で壁の厚さが7mにも達します。
でも、この壁の厚さは何に対しての
防御を想定していたのでしょう。
ちょっと知りたい気もしませんか...。
![ローマ時代の遺跡 : 11133](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-211.jpg)
また、
この壁には、高さ13mもある大きな塔が
120箇所あります。
腕を広げて測ってみると、
おおよそ2mちょっとに塔が1つ、
壁と一緒に設置されていた事になりますね。
「自分たちの都市を守る」を
直に古代の人々から
形で示された思いでした。
![ローマ時代の遺跡 : 11139](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-215.jpg)
中央市場の眺め
只今ご案内致しました市壁の先には、
イタリアから贈られた
皇帝「アウグストゥス」の彫像が、
中央市場前に建っていますが、
でもその前に、
中央市場も見て下さいね。
![サラゴサの市場とアウグストゥスの彫像 ; 11124](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-209.jpg)
町の中央市場です。
市場の歴史は古く、何度も建て替えられても、
13世紀以降ずっと変わらぬ場所にあります。
![サラゴサの市場 : 11130](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-216.jpg)
この建物は鋼材を使用して
建てられた市場です。
鋼材と言えば、
19世紀末に建造された
パリのエッフェル塔が有名ですね。
実際、その数十年後
ここサラゴサでもこうして
同様の材料で建造されたのです。
その上、良く見ると一番大切な
「スペインらしい装飾」がされていませんか。
![サラゴサの市場 : 11126](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-217.jpg)
両側の幾つもの小さな半円形アーチ。
中央上部に嵌め込まれたガラスと鋼材。
そして柱頭飾り...。
![サラゴサの市場 : 11129](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-218.jpg)
そして側面のこの外観も。
サラゴサの「街中の美術館」を見つけた
気分になりますね。
天井が高い場内に入ると、町を流れる
エブロ川流域の鮮やかな野菜や果物が、
綺麗な山形になって積まれている。
そんな光景が目に浮かぶようです。
皇帝アウグストゥス
そして次なるは...。
皇帝アウグストゥスの彫像です。
![皇帝アウグストゥスの彫像 : 11132](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-210.jpg)
皇帝アウグストゥスの名前は、
“Caesar Augustus”(カエサル・アウグストゥス)。
サラゴサのローマ時代の地名は、
カエサラウグスタ。実は、
皇帝の名が付けられています。
でも慣れませんと、
ちょっと覚えにくい名前ですよね。
また、アウグストゥスは
ローマ帝国領域内に
“Paxs Romana”(パクス・ロマーナ)
「ローマの平和」をもたらした人と言われていますが、
その志半ばで亡くなった彼の養父が
「ブルータス、お前もか!」の台詞で有名な
ジュリアス・シーザーなのは、ご存じでしたか。
2つの街中の美術館
![エル・ピラール広場 ; 11179](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-219.jpg)
今度は写真奥に見える
カテドラル(大聖堂)をご紹介しようと思いますので、
広場の聖堂の反対側を
眺めながら歩いていきますね。
![ピラール広場のカフェテリア : 11091](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-220.jpg)
最初に足が停まったのは
このカフェ・テラスでした。
黒いノースリーブのブラウスを着た
一人の女性が座っていました。
エル・ピラールを眺めながらの
午後のカフェは如何ですか。
良く見ますと、
彼女の後ろに見えるカフェテリアも、
街中の美術館の1つとして数えられそうですね。
大窓の上に施してある花の装飾や、
2階の鉄製のバルコニーや、アーチも素敵です。
![ピラール広場のショッピングセンター : 11095](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-221.jpg)
もう一箇所、街中の美術館をご紹介します。
ショッピング・センターの外壁は、
良く見ましたら
カフェテリアと同じ装飾でした。
![ピラール広場のショッピングセンター : 11099](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-222.jpg)
そして中に入ってみましたら、
夏休みの為か
ほとんどの店舗は閉められていて、
がらーんとしていました。
『何があるのかしら?』と、思っておりましたが
ちょっと残念でした。
とは言え、内部装飾は、
ショピング・センターと言うよりも
むしろもう宮殿レベルですね。
![落ちていた花 : 11100](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-223.jpg)
広場で探した街中の美術館は、
お気に召しましたか。
サルバドール大聖堂の鐘楼
![サルバドール大聖堂 : 10994](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-224.jpg)
さて、こちらが
“Catedral del Salvador”
または”La Seo del Salvador”
「サルバドール大聖堂」です。
上に書かれた2つの名前、
「カテドラル」も「ラ・セオ」も
どちらも同じ大聖堂を指します。
![サルバドール大聖堂の塔 : 11198](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-225.jpg)
さて、このラ・セオ。
ご紹介したい建物に選んだ理由とは、
スペインの歴史をそのまま
物語っているからです。
現在、私達が目にしている
以前の建造物は、
各時代の支配者が交代する度に、
何度も建て替えられて来ています。
例えば、
ローマ時代は、フォーラムや寺院。
次に西ゴートの教会...と、
こんな風にです。
![サルバドール大聖堂 : 11456](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-227.jpg)
やがて8世紀に入ると、
アル・アンダルースの領域となり
イスラーム教徒によって
新たにメイン・モスクがここに建てられます。
![サルバドール大聖堂 : 11455](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-2261.jpg)
しかし、
スペイン北西部に追いやられた
キリスト教徒も徐々に勢力を盛り返し、
12世紀にサラゴサは、
キリスト教徒の手に落ちると...。
![サルバドール大聖堂 : 11158](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-228.jpg)
モスクの塔はそのまま
キリスト教徒の鐘楼として
転用されることになりました。
それ以降、
ラ・セオは18世紀まで
改修と拡張が行われていきました。
![ピラール広場 : 11205](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-229.jpg)
ラ・セオの塔は
トレドのお話でも例えたように、
日本で言うならば、
「和洋折衷の建築物に、その後
時代の流行が付け加えられていった」と、
表現した方がよりご理解しやすいのかも
しれません。
この塔は、各時代の流行である
ロマネスク、ゴシック、ムデハル、
ルネサンス、バロック、
そしてネオ・クラシック様式が
一体となった建造物と言えるのです。
![ピラール広場 : 11222](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-230.jpg)
「スペインらしさ」には、
こうした文化の融合によって見られる
建築物や工芸品が、
他の国々では見られない
独自性が特徴と言えるのです。
フォーラム博物館の一角
一方、
ラ・セオの塔の右隣には、
「カエサラウグスタのフォーラム博物館」があります。
下の写真、右手の建物がそうです。
![博物館入り口付近 : 11324](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-231.jpg)
地下にある博物館の一角、
現在の様子はどんなでしょう...か。
ちょっと下りていって見ますね。
![ローマ時代の彫刻 : 11137](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-214.jpg)
博物館には彫像や遺跡の他、
![ローマの遺跡内のホール : 11134](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-212.jpg)
コンサートが開けるようになっていました。
![遺跡内のコンサートホール : 11135](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-213.jpg)
ぼこぼこしている壁は、
残響の少ない無響室の壁みたいですね。
どんなピアノの音色がするのでしょうか。
ローマ時代に作られたこの場所を
コンサート会場にしようと考えた人は、
夢のある発想の持ち主ですね。
![夕暮れのエル・ピラール聖堂 ; 269](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-198.jpg)
地上に上がり、博物館の外へ出たところです。
正面奥にはエル・ピラールの塔が見えますが、
ここはエル・ピラールとラ・セオが
対になっているのです。
サン・ミゲル礼拝堂の外壁の世界
さて、この大聖堂ではもう1箇所、
ご覧になって頂きたい場所がありました。
![: 11223](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-235.jpg)
広場から向かって
塔左手に見える白い建物が、
“Capilla de San Miguel”「サン・ミゲル礼拝堂」
通称”Parroquieta”「パロキエタ」。
![サンミゲル礼拝堂 : 11209](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-236.jpg)
この礼拝堂の左手の角を曲がりますと、
1370年代に作られた
アラゴン地方のムデハル様式の
とても美しい外壁が見えてきます。
その壁を眺めた時、
『本当に礼拝堂の外壁なの?』と、
一瞬戸惑いながらも
息を呑む美しさがそこにありました。
![サンミゲル礼拝堂外壁の装飾 : 11072](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-238.jpg)
誰もがしばし足を止め、
目の前を埋め尽くす幾何学紋様に
見とれる為、この空間だけが
外界と遮断されたような
静けさが存在するのです。
ここを、
大きな壁に掛けられた「アラブ風タピスリー」と
表現する人もいます。
![サンミゲル礼拝堂の壁の装飾 : 11052](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-237.jpg)
この通りに
大型カメラを出して撮影をしていますと、
旅姿のスペイン人の青年2人が、撮影の
タイミングを見計らって静かに声をかけてきました。
「すみません、今、構いませんか。
どんな風に見えるのか、覗かせてもらっても良いですか」と。
彼等が覗いた感想、ですか?
「この壁から発散している美しさ、それから
堂々としたエル・ピラールの塔と言い、
どちらも迫力がありますね」と、昔、
これらの建設に携わった人達の心が、
大型カメラを通し形となって現れた事に
素直に感動した様子でした。
![サンミゲル礼拝堂外壁の装飾 : 11074](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-239.jpg)
さて、先程から何回か登場した
「ムデハル様式」のお話を
ここで少し詳しく解説していきます。
“Mudéjar”「ムデハル」とは、中世スペインで
支配していたイスラーム教徒達が、
キリスト教徒によって再征服された後も
改宗することなくスペインに
定住し続けた人々のことです。
![サンミゲル礼拝堂の塔部分 : 11078](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-240.jpg)
キリスト教徒のレコンキスタ後は、
都市にはモスクの変わりに
新しくキリスト教会が建てられました。
ですから、
ムデハルの人達が
持っていた建築方法や
習慣、芸術性が装飾として
開花したのでしょうね。
![サンミゲル礼拝堂の窓 : 11075](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-241.jpg)
ご覧の通り材料は、
煉瓦、光沢のある陶器やモザイクと、
経済的な素材ばかりですが、
非常に富んだ装飾が施されています。
それから、
このほっそりとしたアーチの外側には
モザイク文様が見えますね。そして
頂点の部分に半月を逆さにした紋章が
ご覧になれますか。
![月(Luna・ルナ)の文様 : 11075-2](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-242.jpg)
スペイン語で「月」は
“Luna”(ルナ)と言いますが、
この半月はイスラーム教徒の
ムデハルの人々とは関係はなく、
建設の後援者である
当時のアラゴン王国の貴族
“la Familia Luna”「ルナ家」の紋章です。
そう言えば、
14世紀末の教皇ベネディクトゥス13世も
このルナ家出身でした...。
ドイツ人旅行者が見た光景
ラ・セオの説明の最後には、
中世末期に生きた
ドイツ人による旅行記からのお話です。
もう少しだけ、
この壁をご覧になりながら聞いていて下さいね。
![壁の装飾 : 11073](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-244.jpg)
15世紀末。キリスト教徒によるレコンキスタが
完了して数年後の事でした。
ドイツ・ニュールンベルグから
スペイン、ポルトガルへと7000㎞を旅した
“Jeronimo Münzer”(ジェロニモ・ミュンツァー)は、
このサラゴサで注意を引いた光景に出会います。
その光景とは、町のムデハルの人々が
この外壁前を通る際、
必ず深く頭を下げていく姿でした。
レコンキスタ以前は、ここはモスク。
つまり寺院内で最も神聖な場所、
メッカへの遙拝(しょうはい)を示す壁面の窪み、
「ミヒラブ」があった場所だったのです。
![大聖堂入り口の扉 : 11094](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-245.jpg)
それでは、
美しいパロキエタの壁から
静かに立ち去った後は、
賑やかな商店街を覗いてみましょうか。
サラゴサの街角風景
サラゴサの街角は
まだご紹介していませんでしたよね。
ここでは、
広場を中心として様々な表情を
お届け致します。
![ピラール広場近くの商店街 : 11187](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-246.jpg)
広場を繋ぐ商店やレストランのある通りです。
昼の食事時間を除いて
人通りも多く、いつも賑やか。
![サラゴサの土産物店 : 11161](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-247.jpg)
同じ通りの
土産店のショウウィンドウ。
サラゴサに余り関係のない
お土産もありますが、
はやりスペインらしさを支えているのは、
お土産品では、
「闘牛」と「フラメンコ」と言う気がします。
![ピラール広場裏の路地 : 11102](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-248.jpg)
あら?
商店街から見える路地は、
お店がまだまだ続くのかと想像していましたら、
随分静かな通りもあるのですね。
![観光客 : 11156](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-249.jpg)
一方、エル・ピラールの広場裏では、
観光の合間なのか、
皆さん仲良く、また楽しそうです。
そうそう仲良くと言えば、
商店街の通りのお二人です。
![キス : 11167](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-250.jpg)
あらあら、仲良しのお二人。
ご馳走さま♪
![サラゴサの土産物店 : 11157](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-251.jpg)
こちらは、土産店を兼ねた甘いお店。
水色と赤を基調にした看板には、
“FRUTAS DE ARGON”
「アラゴンのフルーツ」。
でも生の果物ではなく、
砂糖漬けをチョコレートでくるんだ、
見た目はチョコレート・ボンボン風の
伝統的銘菓です。
![アラゴン・フルーツ : 11162](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-252.jpg)
この地方の特産品はフルーツで、
梨や杏、サクランボ、イチジク、スモモなどを、
古くから砂糖漬けにしていました。
街道沿いのレストランやガソリンスタンドでは、
手間暇かかったこのお菓子は木箱に入れられ、
ちょっと偉そうなお値段が付いていますよ。
![Blog-14-1154 11166](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/09/Blog-14-1154.jpg)
もう1件は、
ケーキやビスケット、
アイスクリームにチョコレート菓子と、
所謂スイーツを販売する創業1856年の老舗。
お店の名前も女性が好みそうな
“LA FLOR DE ALMIBAR”
「砂糖漬けの花」は、
お菓子の世界と、お店の装飾にと
同時に二度楽しめるお店です。
ここも「街中の美術館」の1つに
加えても良いと思いませんか。
エル・トゥボ地区
![エル・トゥボ街 : 11118](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-258.jpg)
さて、そろそろ
日の暮れる時刻になりました。
流石に一日中歩き回り
足が棒のようなのですが、
この先の”El Tubo”「エル・トゥボ」の地区へ
最後に行ってみました。
![エル・トゥボ街 : 11453](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-253.jpg)
到着してみると、
皆さん上機嫌で歩いています。
私も先程は
『疲れたー!』と思っていましたのに、
人の気持ちなんていい加減なものですねぇ。
歩いておりましたら、楽しくなってしまいました。
さて、
ここは古くからある一角で、
一日の終わりには
小皿料理”Tapas”「タパス」をつまみに
人々が集まって来ます。
![エル・トゥボ街 : 11451](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-254.jpg)
エル・トゥボは、地区再生のために
お客さんにもっと来てもらおうと、
お店側も色々アイディアを絞っているようでした。
![エル・トゥボ街 : 11447](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-255.jpg)
こちらは、ワインを中心にしたBar。
中に入りましたら、注文出来ないほど
お客さんで一杯です。
![エル・トゥボ街 : 11449](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-256.jpg)
それから、
この先を歩いていきましたら、
左手に屋外レストランがありました。
そこも以前は、しばらくの間
空き地だったのかもしれません。
![エル・トゥボ街 : 11443](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-257.jpg)
そのお店の前には
一人の女性客が立っていました。
友人より先に来て
メニューを眺めて考えていた様子です。
時間は午後9時半をまわったところでしょうか。
レストランではタパスをつまみながら
ちょうど盛り上がる頃。
9時半なんて遅いと思うかも知れませんが、
上の写真で空を見上げますと、
実はまだ日没前。
スペインの夏の夜は、長いのですよ。
![エル・トゥボ街 : 11481](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-259.jpg)
うーん、こちらも
そろそろお腹もすきましたので、
食事にしたいところですが...。
![エル・トゥボ街 : 11483](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-260.jpg)
実は、
この地区に来たお目当ては
サラゴサの再開発地区が
どうなっているのかを、
写真に収めることでした。
![エル・トゥボ街 11048](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-261.jpg)
それから、
「ストリート・アート」と、
14世紀のムデハル様式の
教会の鐘楼との
組み合わせもあります。
![エル・トゥボ街 : 11487](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-262.jpg)
イスラーム芸術に
キリスト教の建築が融合した教会に、
繁華街のストリート・アート。
サラゴサの新たなる様式?をご覧になって、
貴方はどう思われるでしょうか。
![エル・トゥボ街 : 11482](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-263.jpg)
上記2つは、
ちぐはぐな取り合わせのようですが
こうして実際眺めてみると不思議と憎めない、
![エル・トゥボ街 : 11471](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-264.jpg)
それぞれが反発するように
見えない面白さを感じました。
![11477](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-268.jpg)
だいぶ遅い時刻になってしまいました。
先程まで賑わっていた
テーブル席も人の姿は
ほとんど見かけません。
こちらもそろそろ
機材を仕舞う準備をしようかしら...。
![エル・トゥボ街 : 11495](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-266.jpg)
給仕をしてくれる男性達から
「撮影終わったら、
遅くまで開いているから是非来てね!」と
お誘いの言葉がありましたので、
ここでちょっとつまんでいきますね♪
![エル・トゥボ街 : 11479](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-267.jpg)
サラゴサの
エル・トゥボの夜は、
街角の人々の笑い声と共に
ゆっくりと更けていきました。
では、この辺で...。
本日ラストの写真
![姉妹 : 11331](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-269.jpg)
さて今回は、
お姉さんのトレドから
妹のマドリードへお話が移りました。
お楽しみ頂けましたでしょうか。
今回、自分がお世話になった
懐かしいスペインの首都マドリードを
ご紹介するにあたり、
どんな切り口にしようかと色々と考えました。
![夜のマドリード : 902](http://temikphoto.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/10/Blog-14-270.jpg)
やはり何と申しましても
王宮に隣接する広場からの眺めや、
そしてカサ・デ・カンポ公園からの
ひな壇のマドリードが印象的であって、
この視点からお話を始めるのが
私にとっては一番自然だと思っています。
尚、マドリードは次回もテーマに
引き続きお送りする予定です。
今夏は暑い夏が続きましたね。
お変わりございませんでしたか。
個人的な事で恐縮ですが、
夏に引っ越しをし、
ブログ更新がとても遅くなってしまいました。
当ブログへ何度か様子を見に来て下さった方、
嬉しくもあり、と同時に
大変申し訳なく思っております。
これに懲りず、またご覧になって下さいね。
この度も長い時間、お付き合いを頂きまして
どうもありがとうございました。
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初稿公開日:2014年10月2日
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