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初稿公開日:2015年10月5日
夏が過ぎて
暑かった夏も過ぎ、
賑わいを見せた海辺も
静けさを取り戻し、
また太陽を浴びて
元気に咲いていたひまわりも、
ご覧のように
9月の下旬には
すっかり花は乾燥して
あとは収穫を待つばかり。
いつの間にか目に入る景色も
秋模様となりましたね。
第16話のラスト・シーンでは
スペイン東部、
200㎞以上続く地中海の海岸線
Costa Blanca(コスタ・ブランカ)の
Jávea(ハベア)の海をご紹介致しました。
夕暮れ時の刻々と変化していく景色は
気に入って頂けましたか。
さて今回は、
マドリードのお話をお休みしまして
ハベアから更に南西60㎞に位置する
Villajoyosa(ビジャホジョサ)の町をご紹介致します。
ハベアの美しい自然の景色に対して
ビジャホジョサの町では
どのようにお話が
展開されていくのでしょうか。
爽やかな秋の季節、
写真と共に語る
地中海の旅のお話に
おつきあい下さればとても嬉しく思います。
それではどうぞ
ごゆっくり楽しみ下さいね...♪
Costa Blanca(コスタ・ブランカ)の町・ビジャホジョサ
ビジャホジョサを訪れたのは
かれこれ5,6年ほど前の
7月最後の週の事でした。
町へ到着すると
往路の地中海高速道路を走る間、
車窓から見え隠れしていた
きらきらと輝く碧い海が見たくなり、
すぐさま浜辺へ向かいました。
浜辺には
椰子の木々が茂っています。
木陰へ入ってみましたら
足下にはひんやりした砂があり、
また吹く椰子の葉風が
肌を撫でていき、
居心地の良い場所でありました。
更に波打ち際まで行ってみるとどうでしょう。
寄せては返す波。
そして浜に砕けた波が広がっていくさま。
無数の泡が弾けていく微かな音。
また素足で歩き出せば
引き波が足裏の砂を次々と奪っていく
得も言われぬ感覚が伝わってくる...。
海辺にはこうした人の感覚を
刺激する要素が溢れているのですね。
しかし自然の恵みによって
心が癒されていたのも束の間、
まもなく脳裏に浮かんだのは、
旅の下調べで得たこの地の、
そして地中海沿岸に於ける
歴史だったのです。
それは
「沿岸全ての地域の住民が
海賊の襲撃に苦しんだ歴史」。
今度は複雑な思いで
あの水平線を
眺めることになってしまいました。
ところで
ここビジョホジョサでは、
過去の歴史を記憶に留めようと
毎夏、海賊に纏わる史実を
元にしたお祭りが催されます。
スペインの旅先で、しばしば
「今度来られる時があったら
是非ともお祭りの時にいらっしゃい。
飾り付けが施された村はそれはとても綺麗だし、
また普段と違う村の姿を知って欲しい」と、
勧められる事があります。
そうですね。
確かにその通りだと思います。
その様なわけで、今回のお話は、
ビジャホジョサのお祭りを中心に
進めていきたいと思っています。
陽気な旧市街の外観
お祭りを楽しむには
どのような村や町なのかを
知らなくては
それこそ本末転倒です。
まずはお祭りの前に
この町の旧市街の人々や
路地の表情をご紹介していきましょう。
ここは旧市街の横を流れる
アマドリオ川。
ビジョホジョサの町は
沿岸部の肥沃な場所にあります。
そして
向こうの橋を渡っているのは、
コスタ・ブランカの沿岸都市
Dénia(デニア)~Alacant(アラカント、又はアリカンテ)間を走る
トラム(市街電車)。
この路線は市街地の中や
海岸線を走るトラムですが、
滞在中一区間でも
乗車してみたいと思いつつ
運行本数の関係上
実現しなかったのが残念でした。
さて
橋を渡って程なくしますと、
右手に旧市街の
初期のルネサンス様式の塔や城壁、
また城壁内には教会の鐘楼が見えて来ます。
ご覧になれますか。
強固な円形の塔の右手には
ぴたっと寄り添うように
住居の一部が接合されています。
このような工夫がなされたのは
もちろん海賊対策の為でした。
さぁ、それでは坂を降りながら、
旧市街の歴史や建造物について
さらっと触れておきましょうか。
城壁内右手、
時計付きの塔がご覧になれますか。
この塔は
町の守護聖人聖女マルタに捧げられた
「聖母被昇天教会」の鐘楼で、
堅牢な造りであるのは
要塞を兼ねていたからです。
また城壁も
16世紀になって再建されたのは
度重なる海賊の襲撃に備えるよう
更に強化する必要に迫られた為でした。
また壁の裾野が広く、
傾斜や厚みを持たせているのは
敵の弾丸を避け、
またダメージを少なくする目的です。
城壁は東と西側のみが
保存されていますが、
かつては
アマドリオ川の岸に面したお城を含め、
旧市街をぐるりと囲んでおりました。
現在の旧市街とは
海岸に面した家々を含んだ地域ですが、
それは17世紀末以降になって
海賊が出没しなくなり、徐々に城壁の外へ
町が拡張されていった事を物語っているのです。
さて、お話ししているうちに
坂道はいよいよ細くなってきましたが、
海岸に出るすぐ手前で
休日を過ごす
家族三人に出会いました。
しゃがんだ姿勢で
手作業中のご主人に近づく奥さん。
キティちゃん柄の
ワンピースを着た彼女は、
お子さんをだっこしながら
「あれぇ?」と、人の気配を感じ、
こちらを振り向きます。
肩越しにこちらを見つめる女の子。
そのつぶらな瞳の持ち主は、どうやら
お昼寝から目覚めたばかりの様子。
「こんにちは~♪」と近寄って、
声をかけたいと内心思いつつ、
でもこんな時はやはり
お母さんにお任せが一番ですよね...。
海岸通りに到着です。
長方形の積み木を順々に置いたような、
また、いかにも子供達が喜んで選びそうな
明るい色の組み合わせはつとに有名です。
訪れる大人の心でさえも
陽気にしてくれそうではありませんか。
この伝統的な家並みには特徴があって
家の前面の外壁、つまりファサードに
青や黄色、ローズに水色などが
塗装されている事なのです。
一般的な
地中海沿岸地方で見られる
白壁の家並みと異なり、
旧市街の町並みは、
「ビジャホジョサ色」とでも表現しましょうか。
その多くは窓に白い縁取りをし、
どの家の色も
海や空にとても調和しています。
ところで
明るい、陽気な話題がもう一つあります。
それは町の地名の意味も
ファサードの配色と同様に、
「明るい町」、又は「陽気な町」なのだそうです。
地元の人々はこの町を
La Vila Joiosa(ラ・ビラ・ホイオサ)と
現地で話される言語「カタルーニァ語」、
(又は「バレンシア語」とも)で呼びます。
因みに「ビジャホジョサ」の呼び名は
標準スペイン語(カスティージャ語)です。
あら...?
陽気な色や地名に話題を振ってばかりで、
うっかりして大事なご説明を忘れるところでした。
それは
「何故ファサードを色ペンキで塗るのか」。
種を明かせば「なるほどね」と、
お答えが返ってきそうな理由ではありますが、
実はここは伝統的な「漁師さんの地区」。
自分の船を塗った後、余った塗料を利用し、
沖から自分の家を判別出来るように
塗装したと伝えられています。
色分けに関連したその他のお話として、
バルコニーに掛けられた
「家族からの伝言」も伝えられています。
現在では海を眺める
特等席となったバルコニーですが、
以前は沖から伝言を見分ける為に、
ファサードの色分けをしたと言われています。
その内容とは何だったのでしょうかね。
旧市街を歩く
それでは海辺に広がる
カラフルな建物を堪能して頂いた後は、
旧市街の中をご紹介していきましょう。
こちらを訪ねたのは
午後から日没前にかけての時間でした。
勾配のついた
坂道に立っている少年。
そして彼の背後には、
椅子を出している奥さんが二人います。
その坂を上りながら
連なるバルコニーを眺めては、
お隣さん同士が声を掛け合う姿を想像し、
ここは和気藹々とした
人との
ふれあいがある地区かもしれないと
感じ始めていました。
こちらには
戸口前に腰掛ける年配の婦人と男の子。
そして二階には
仲良くくつろぐカップルの姿が見られます。
そして中央に建つ住宅。
こちらも一緒にご覧下さい。
よーく見れば傾いていませんか、左へ少し(笑)。
そうです、ほんの心持ちですけれど。
全体的に、ほのぼのとした印象になっているのは
住人の皆さんとこの建物のおかげですね。
こうして外に出て
ご近所の人達と会話をしながら
夕涼みの習慣があるのは、
湿気が非常に多く、
スティーム・サウナのような
気候だからでしょう。
この町へ到着して車から降りた際、
あまりの湿気の多さに驚き、
またじっとりと体に纏わり付く衣服に、
『しまった!彼女達のように短パンにしておけば...』と、
後悔してしまったほどでした。
スペインも内陸地ですと
乾燥した夏になります。
汗がすーっと肌から蒸発していくのが
感じられるような暑さと
表現すれば良いでしょうか。
焼けつくような大地では草木もからからで、
目につくのは乾燥に強い
タイムのような草ばかり。
暑さも地方によって様々です。
ところで
少し前から散策していて
気がついていたのですが、
何カ所かの外壁に
宗教的な絵タイルがありました。
向こうの
灰色の扉の上にも見えますね。
絵タイルに描かれているのは
町の守護聖人である
聖母マリアの姉「聖女マルタ」。
でも、よく見えませんから
もっと拡大してみましょうか...。
背景はこの町と海の風景。
そこに出現した聖女マルタが、
左手には灌水器(かんすいき)、
そして右手には灌水棒(かんすいぼう)を持ち、
聖水を散水しているようですね。
この絵から想像出来るように、
聖女マルタと
この町に纏わる伝説が存在します。
一体どんな事が起こったのでしょうか。
伝説によりますと、
1538年7月29日の夜中、
城壁で囲まれたビジャホジョサの町へ
大規模な攻撃を仕掛けようと
海賊が沿岸に現れたのでした。
それはアルジェを拠点とする
ベルベル人海賊(バルバルア海賊)の総統であり、
また後に王となったZallé Arraezが率いる
数十艘のガレー船の艦隊だったのです。
そこに聖女マルタが出現し、
町を守る為に海にテンペスト(嵐)を起こして
敵船を徹底的に
破壊する手助けをして下さったのだと
伝えられています。
聖女マルタの伝説を語り終えたところで、
旧市街での散策の終わりは、
中心部にある市庁舎へ向かって
歩いていくことにしますね。
あら?何でしょう。あそこです。
道でどなたかフラメンコを踊っているようですよ。
ほら、あそこです♪
彼女の軽快な口三味線から察するに
あれはフラメンコのルンバですよ、きっと。
踊りに誘われて、
ついついお祭りの旗が掛かる
お宅の前まで来てしまいました。
こちらは先ほどのご婦人方...。
「こんにちは!」と、挨拶するかしないうちに、
踊っていた女性から返ってきた言葉は
「あなたも一緒に踊らない?」
お祭りですもの、
皆さん浮かれ調子♪
ショー・タイムが終了して一段落つくと、
この家の奥さんが
こちらが手にしていたカメラに気がついて、
「ねぇ、ねぇ、ちょっと!家の中へお入りなさいよ。
昔の町の写真があるから見ていったらどう?」と、促してきました。
「ありがとうございます。でも...良いのかしらねぇ」と、
躊躇する素振りをしていますと、
もう有無を言わせぬ雰囲気(笑)。
では折角ですから、
お言葉に甘えて玄関内を拝見。
内部は施錠できる階段正面の白い扉と、
珍しく鉄格子が嵌め込まれた右手の壁に
風通し対策が施されていました。
そして、肝心のお写真はと言うと...。
ああ、こちらの壁です。
折角ですから簡単にご説明致しましょう。
時代は写り込んでいる乗り物の形態や、
人々の服装から察するに
概ね1950~1960年代頃でしょうか。
教会の塔や建物が見える広場の賑わいや、
砂浜で長い漁網を修理する
麦わら帽子姿の地元女性など、
当時の暮らしを知る事が出来る貴重な写真でした。
ご婦人方にお礼を述べた後、
この楽しい出会いの余韻を
背中全体で感じながら歩いておりましたら、
まもなく小ぶりで
瀟洒な市庁舎前に到着です。
市庁舎脇に
小さな広場を見つけましたので
行ってみますと...、
辺りを見回しましたが広場には誰もいません。
つい先程まで
犬の散歩に来た婦人が、
道に落下したツバメの雛を
そっと手にして遠ざかっていったきりです。
あとは
しーんと静まりかえった中で、
ちょろちょろと聞こえてくる
噴水のかわいい水音だけ。
そちらにも聞こえてきましたか。
素敵な木の下に
色違いのベンチを見つけました。
さあ、旧市街のご紹介も
この公園までにして
休憩に致しましょうか...。
*** *** *** *** *** *** ***
休憩所「花の庭」へようこそ
第一部のお話が終了いたしました。
ご覧頂きましてありがとうございました。
ここで一旦
「休憩時間」のご案内をさせて頂きます。
この先続けてご覧になる方、
また時間を置いてから
第二部をご覧になる方と
両方いらっしゃると思いますが、
どちらの方もこちらで
気分転換をなさって下さいね。
この後もボリュームがありますので
休憩所はもう一度設けています。
尚、恐れ入りますが
いつものように
休憩時間の長さに関しては
ご自身で設定下さいますよう
お願いいたします。
それではこれより第二部、
お祭りの様子をお届け致します。
*** *** *** *** *** *** ***
ビジャホジョサの夏祭りの特徴
スペインのお祭りの歴史は
中世に始まったと言われています。
250年以上の歴史がある
ビジャホジョサの
“Las Fiestas de Moros y Cristianos”
「モーロ人とキリスト教徒の祭り」は、
毎年7月29日の町の守護聖人
「聖女マルタ」を讃えた
聖体行列を挟んで8日間行われます。
現在では
モーロ人とキリスト教徒の祭りは、
スペイン全土で多く見られますが、
よく知られているのは
ここバレンシア州アリカンテ県の
市町村で行われるお祭りです。
このお祭りの特徴とは、
いずれの町も次のように
三つの要素で構成されている事です。
一つ目は町の守護聖人等を讃えた
宗教的な行事であること。
二つ目は15世紀に始まった閲兵式、
つまり町の軍事パレードですね。
そして三つ目は歴史を記念した行事です。
中世末期以降、この沿岸地方は
特に海賊による攻撃を度々受けた為、
人々はその歴史を記憶に留めようと
それに宗教行事、軍事パレードを融合させ、
お祭り行事として発展させていったのが、
今日見られる
「モーロ人とキリスト教徒の祭り」なのです。
今回は中でもパレードと
海で行われる「モーロ人の上陸」の演技、
この二つに的を絞って
ご紹介していきます。
トゥアレグ族のTシャツ
それではお祭りを構成する
三つの基本要素のご説明が済んだところで
再びお話の場所を街へ戻しましょう。
早速ですが、
パレードの開始は夜になりますから
その前にモーロ人王とキリスト教徒両王の
二つの軍営を一度見ておこうと考えました。
こちらは夜になると
華やかなパレードが行われる大通りです。
通りでは
お祭りの装いをした人達を
バス停で目にしたり、
また道端ですれ違ったりと
お祭りらしい雰囲気を
感じながら歩いていたところ、
ある男性グループに目がとまりました。
実は彼等を追い越しざまに
ちらっと目に入ったTシャツが気になって
初めは躊躇したものの、
やはり購入先を尋ねようかなと
頃合いを見計らって声をかけてみたのです。
Tシャツは
紺地に”Tuareg”(トゥアレグ族)の文字と、
駱駝と椰子の絵柄がプリントされたもので、
着用していた男性からは、
「おっ、嬉しいこと聞いてくれるねぇ。このシャツ気に入ったのかい?
そうかい...。でもなぁ、これ売ってないんだよな~!」と、
明るくて気っぷの良い言葉が返ってきました。
後で判明したのですが、
お祭りの参加者は
まずキリスト教徒とモーロ人二組に分かれ、
更にそれぞれが
11団体ずつ(同好会)に細分化されていたのです。
彼等が着用していたのは
お祭り用ユニフォームですから、
やはり部外者が
着用するわけにはいかないですよねぇ。
でも、これがご縁で
「これから俺たちの軍営へ一緒に来ないか?
是非祭りをよーく見ていって欲しいんだ...」と、
ここでもお誘いが。
向かった先は、
海辺からさほど離れていない
「モーロの王」と冠された
彼等トゥアレグ族の軍営でした。
ところで実際の
「トゥアレグ族」に関して
ごく簡単にご説明すれば、
別名「青衣の民」として知られる
アフリカ・ベルベル人系の
サハラ砂漠の遊牧民の事を指します。
さて...。
折角ですからもう少し
こちの軍営内についてお話し致しますね。
暑い日でしたから、まずは
早速彼等と共に向かったのが
スペイン人らしく奥の仮設BAR。
日本でしたら振る舞い酒に相当するのでしょうか。
「お好きなだけどうぞ!」と、勧めてくれました。
そして、
次に案内して頂いたのが
テント内で稽古中の市民バンドの皆さん達。
バンドの皆さんは
お祭りが行われる上での縁の下の力持ち役。
この後行なわれる表敬訪問や、
パレードでも同行し、
お祭りを盛り上げます。
それから、
もう一方のキリスト教徒王と冠された
軍営もご紹介しておきましょうか。
テントに掲げられた看板には
黒い縁取り帽子の絵と
“Contrabando”(コントラバンド)の文字。
コントラバンド、見つけられましたか。
実は”Contrabando”(コントラバンド)とは「密輸商人」のこと。
密輸商人は、
特にアンダルシア地方に於て
18,9世紀まで略奪を生業とする山賊と同様によく知られ、
その輸送も港から険しい山間部を利用したと言われています。
ですからテント前に置かれた荷馬車の
積み荷の中も何やら怪しげ(笑)。
密輸商人のお話ししているうちに
キリスト教徒王の使節団が、
モーロ人王の軍営へ賑やかに到着しました。
プレス関係が取り囲む中、
町の守護聖人「聖女マルタ協会本部」から
出発した使節団を迎え、
表敬訪問の挨拶が交わされます。
使節団の後方を演奏しながら
この軍営に入場してきた
赤シャツの皆さんは
先ほどの密輸商人の市民バンド。
赤シャツの前面には
“Contrabando”(コントラバンド)の文字。
その下には
ナイフと交差させた銃が見え、
背景には植木鉢を逆さにした様な
帽子にスカーフ、
それに銃はラッパ銃。
先ほど旗手を立派に務めた少女が、
満足そうな笑みを浮かべて
こちらを伺っています。
彼女の笑顔が爽やかでした。
一方、こちらの女性達は
表敬訪問の使節団について来た
モーロ人側のグループの人達ですが、
この他にもベドウィン族や、リーフ族、
ベルベル人の海賊団、更に
中世に於いてイベリア半島南部を支配していた
ムラービト朝の黒人守備隊の軍団などが
グループに存在します。
また先程から
市民バンドの皆さんが、
どのような曲を演奏しているのか
少し気になるところですが、
楽曲に関しましては
雰囲気のあるパレードの時間に
お話しする予定ですので、
もう少しお待ち下さいね。
歓迎の意を表して、
仮設ステージで演奏をする
トゥアレグ族(モーロ側)のバンド。
音楽と共に、
トゥアレグ族のテント内で
盛り上がるお祭りの参加者達。
演奏に陽気に踊る
コントラバンド(密輸商人)のメンバーと思しき女性が、
中央で楽しそうに扇子と
飲み物を手に持って周囲を盛り上げます。
特に印象的なのは
祭り日の嬉しさを
体全体で表現していた彼女でした。
さてさて、パレードでは皆さん
どのような活躍をするのでしょうか。
楽しみになってきましたね...。
パレードの夜
モーロ人とキリスト教徒のお祭り...。
8日間続くお祭りの中でも
最も華やかな行事とは?
それは
キリスト教徒の組と、
そして
モーロ人の組が、
二晩に渡って
催される大がかりな仮装行列なのです。
この日を
ずっと待ちわびていた参加者にとっては、
一番の「晴れの舞台」であるのは
もちろんのこと、
観客側もまた同じ。楽しみにしていた
豪華な行列にもう目が釘付け。
行進曲と共に入場する
絢爛豪華な仮装行列は、
参加者と観覧客どちらも
一時の夢の世界へと導くのです。
パレードのあれこれ
目を見張る仮装行列をご覧頂く間は、
「パレードのあれこれ」と題して
幾つかの角度から
お話しを進めていこうと思います。
本来ならばそれぞれの組が
一晩ずつ独立して行われるものですが、
ここでは組を分けることなく
ご紹介していきますね。
最初は、
このお祭りのパレードの起源について
お話しからです。
このお祭りが、
宗教的行事、歴史、
そして軍事パレードの三つの要素が
融合されて現在の形になった事は、
すでにご説明致しました。
この軍事パレードの歴史を
紐解いていきますと、
15世紀に町で催される
兵士グループによる閲兵式に始まります。
16世紀に入りますと、
その閲兵式が、
宗教行事と絡むようになるのです。
具体的には
町の守護聖人のお祭りの際に、
中隊長、少尉、曹長そして伍長指揮の下、
兵士グループが火縄銃を発砲しながら
行進するように変化していったのです。
またこの中隊の部隊編成で
現在の「キリスト教徒の仮装行列」を
行うようになったのは19世紀からで、
更にモーロ人の行列は後のことです。
先頭を切るこちらの男性は、
モーロ人の礼服がよくお似合いですね。
こうして10~14,5人程度の各分隊には
彼のように分隊長が一歩前に出て
行進をしていくのです。
ところでお祭りでの分隊長は、
横並びでずらっと
歩調を合わせる兵士達を連れ、
パレードが終了するまで
道の左右をまんべんなく歩き、
沿道の観客に対して大げさに見得を切ったりして、
自分と隊の存在を最大に誇示します。
もちろん、女性の隊長もいますよ。
駿馬をあやつる上官から始まり、
どの士官役の人も役になりきって
観客を十分に楽しませる演出をします...。
ところで如何でしょうか?
パレードを楽しまれていますか?
軍団のあれこれ
それでは次に
双方の組にどのような軍団があるのか
そのいくつかをご紹介していきましょう。
青衣の民と言えば、すでにご存じの
ベルベル人系のトゥアレグ族です。
また駱駝の歩調に合わせて
上から悠々と歓声を浴びている男性は、
その風貌から何故か
映画 『アラビアのローレンス』を
彷彿とさせませんか。
あっ、今思い出したのですが、トゥアレグと言えば
道で出会ったあの男性グループ。
この隊の何処かに
参加しているはずですね。
さて、
こちらで隊列は変わって、
「次の行列ではおや?」と、
思うような軍団も登場しますよ。
こちらです。
夕暮れの中、道の中央を
褐色に塗った男性が、
動物の皮を纏って颯爽と歩いてきます。
ご覧のようにモーロ人の行列には
アフリカ・スーダンやサヘル(サハラ南縁諸国)の
黒人守備隊の仮装をした軍団も加わっています。
一見彼等の登場は奇妙に映るかもしれません。
しかしそれには理由があります。
遙か昔、
11世紀のスペイン・イスラームの領域
「アル・アンダルース」。
支配していた北アフリカのムラービト朝が、
黒人を国境警備の任務に就かせていたのでした。
黒人守備隊は身なりや戦闘も独特で、
儀式用舞踏を行い、化粧を施していました。
彼等のほとんどが奴隷と言われており、
また戦闘の際には旗やドラムを打ち鳴らし、
キリスト教徒の兵士はその姿に
恐怖で震え上がり、
逃げ出すほどであったと伝えられています...。
衣装のあれこれ
今度はパレードの軍団の衣装について
特徴的な服を観ていきましょうか。
独特な礼服を着た軍団をご覧下さい。
次に登場するのは「カペータのモーロ人」です。
カペータとは英語で言うケープのこと、
つまり「覆う」と言う意味からだそうですが、
装飾品や衣装が見事で、
観客から拍手喝采が起こります。
更に
分隊長の後ろに続く兵士達の列になると
その姿に圧倒されてしまい、
一体どこから観ればよいのか困っていまいました。
羽毛のついた頭のかぶり物から足の先まで
見所満載でびっしり埋め尽くされています。
隊列が瞬く間に過ぎ去ってしまうので
目が追いついていきません。
ゆっくり眺めたいと思いつつ残念でした。
女性達の軍団の衣装も
優雅で煌びやかです。
衣装には刺繍を施したり、生地には高級感のあるベルベット、
また皮革なども使用され、
上品さや重厚感が十二分に感じられました。
「このお祭りの衣装を担当した
服飾デザイナーも、
何処かで一つ一つ自分の作品を観ながら
次回作の事をあれこれと、
考えているのかも...」と思いましたが、
これ程の規模のお祭りはもう一つの産業だと思います。
さて、もう一つ二つ、
隊列を観ていきましょうか。
こちらのモーロ人の礼服は、
ブルー・ブラック、ゴールド、
そして白色の三色を用いた色遣いです。
ベルベットの帽子に白いサテン地のスカーフ。
マントにはゴールドのスパンコールと、
パール・ビーズで装飾されています。
帽子のトップやマントのスパンコールは
夜の照明の中できらきらと輝き、
豪華さをより演出します。
そして
打って変わって海賊の隊列が登場です。
他と比べて決して煌びやかではありませんが、
実際、何よりも海賊としてのイメージが
とてもよく主張された一着だと思います。
白のシャツに
袖無しコートは黒のキルティング地。
緑や彩りのある落ち葉の色調を
背中にそれぞれ当てていますが、
特に中央に置かれたアシメトリーの蛇と、
外側に逆さの蛇をあしらったアップリケは
注目に値します。
そして「表情あれこれ」
大胆で自由なデザインによる
様々な礼服を纏った軍団はいかがでしたか?
それでは、
ここからは特に印象に残った
参加者の表情をご紹介していきますしょう。
パレード(ビジャホジョサ) 22639海賊の登場です。
凄みのある悪漢の役なのでしょうが、
この男性は優しそうなお顔立ち。ですから、
立派な髭もこの日の役づくりの一つかも
しれませんね。
ある女性分隊長の自然な笑顔。
手斧を持っていますから、
木こりの軍団かしら?
キリスト教徒の組には、この他にも
職業軍団として猟師や農民・酪農が存在します。
そして
ビジャホジョサと言えば
忘れてはならないのが漁師さん達ですが...。
そう言えば、
夜から始まるパレードの参加は、
子供達にとって時間も遅いのでつらいはずです。
髪にネットを被った少女は
手に魚を載せたざるを持って
お隣の小さな漁師さんと歩いていました。
心苦しいのはまだパレードに不慣れなのか、
左右に並ぶ観客を前に、
ぎこちない様子で首を交互に振って
かなり緊張気味のようでした。
またパレード中に
お父さんに抱っこをせがむ男の子や、
お母さんが
すやすや寝ている赤ちゃんを
膝に抱いての出場など、
微笑ましい場面に随分出会いました。
子供達は、
次の年には成長して
もっともっと上手に
演技が出来るようになる事でしょうね。
さて、こちらは
漁網を持った漁師のおかみさん。
全身で喜びを表現する姿に
惹かれました。
彼女だけはなく
後に続く行列の皆さんも、
「陽気な町の人々」そのもの。
ところで
キリスト教徒の組の特徴ですが、
全体的に兵士達であれば
凛々しく、力強さを強調し、
女性陣は爽やかで明るい印象を受けます。
一方、モーロ人の組に於いては
男女ともに東洋的、優雅さ、
時にはミステリアスを、
そして
女性と言えば華やかさの上に、
妖艶さを強調しています。
パレードの行進曲について
さて、この辺りで
パレードになくてはならない行進曲について
お話致しましょう。
各軍団の行列につく
市民バンドが演奏する曲目ですが、
キリスト教徒の軍団の行進に合わせて
映画『栄光への脱出』など勇敢な曲や、
またどちらの組も闘牛で聞かれる
「パソ・ドブレ」も演奏されます。
このお祭りの為の2拍子のマーチは、
ご想像されるより
たぶんもう少し遅めですよ。
一方、
モーロ人の軍団で演奏されるのが
“Marcha Mora”(モーロ人のマーチ)です。
中でも曲目”Caravana”(キャラバン)のように
力強くも東洋的で優雅な曲や、ご覧のように
青年達が担当するパーカッションに、
後方を歩く芥子色の男性が奏でるドゥルサイナ。
このチャルメラのような音が出る
中世の木管楽器の組み合わせは
エキゾチックであり、また素朴な響きがします。
こちら、頭巾姿の少年は、
モーロ人の、とあるバンドの一員です。
市民バンドにはティンパニーを始め、
大きな打楽器を
行進の進行状況を見極めながら、
懸命に牽引していく子供達がいます。
子供も大人に混ざって
組織の立派な一員として参加することは大事で、
子供自身の責任感や達成感が養われていく
大切な一コマを見た瞬間でした。
そしてこちらが
牽引されていた楽器。
お腹にじんじんと
響き渡るほどダイナミックな音で、
行列の臨場感を演出するティンパニー。
奏者は、バンドのパートの中でも
きわめて体力、気力を必要とします。
昂揚する顔の表情から
渾身の力を込めて演奏している様子でした。
特に打楽器奏者は
パレードのフィナーレまで持つのかしらと、
心配になる程の奮闘ぶりです。
やはり終了後は想像していた通り、
広場の一角でそのまま仰向けにごろん、でした。
と、同時に
演奏後の皆さんのほっとした顔。満足げの顔。
とても良い表情をしていましたよ。
華やかなパレードを演出する人や動物たち
パレードも佳境を迎えました。
ところでバンドの他にも
縁の下の力持ちがいますよ。
馬やロバ、
山羊を始め他の動物たちです。
ヒトコブ駱駝と
駱駝の口を取る女性。
また、このお祭りでは
駱駝のちょっとしたパフニングが起こりました。
それは一頭の小駱駝です。
観衆を前に
興奮して座り込んでしまったのです。
そこで先行していた駱駝使いと
母駱駝が居場所まで戻り、
鳴いていた小駱駝も安心して立ち上がり一件落着。
人間の赤ちゃんと小駱駝も同じ。
環境が急変すればぐずりますよね。
あらら?沿道では、
行進し終わった女盗賊さんが男性とペアで、
踊っていますよ。
踊りの間合いも上手でした。
で、何処から何の音楽が聞こえてくるかと言えば、
こちらです...。
パレードでは女性達のグループが
颯爽と「セビジャーナス」を
踊っていたのですね。
セビージャナスとは平たく言えば
南部アンダルシアの都市セビージャ(セビリア)や
その地域の舞踊のこと。
裾に水玉模様のフリルをあしらった深紅の衣装に
ひっつめたアップの髪に花飾り。
そして
金細工を施した伝統的な珊瑚のイヤリング。
東部バレンシア地方の女性も
この衣装がとてもお似合いです。
マンティージャ(ショール)と
カスタネットの踊りからこの後、
胸元にたたまれている扇が
夜空に弧を描くように
白く大きく舞う事でしょう。
パレードの山車
それでは
パレードの締めくくりは山車でお楽しみ下さい。
モーロ人王の山車です。
フィナーレに相応しく
衣装も山車も大変豪華でした。
こちらは
ハーレムの美女が乗った山車。
キリスト教徒の組も素晴らしいのですが、
モーロの組の衣装は色彩や
装飾品が華やかな分、
女性も一段と艶やかに映りますね。
より観客の目を引いたのは
こちらモーロ人の組で、
やはり以前、
スペインの新聞のコラムと記憶していますが、
他の町のお祭りでも
参加者が着用したいと思うのは
やはりモーロ人の衣装と答えていました。
たっぷりとご覧になって頂いた最後は、
この後のお話の展開に登場する海賊船です。
パレード、楽しんで頂けましたか?
それではこの辺で幕引きを♪
*** *** *** *** *** *** ***
休憩所「花の庭」へようこそ
第二部のお話が終了いたしました。
ご覧頂きましてありがとうございました。
ご案内した通り、こちらでもう一度
「休憩時間」のご案内をさせて頂きます。
今回の休憩時間用のお花は二点、
「白の柏手アジサイ」と
「赤いカンナ」の取り合わせです。
前回の休憩場所共に
今年の梅雨時に撮影した作品で、
どうぞ花の持つ生命力や
気品溢れる表情をご覧下さい。
では第三部も引き続きまして
モーロ人とキリスト教徒のお祭りの様子を
お届け致します。
*** *** *** *** *** *** ***
舞台を海辺に移して
アリカンテ県内の随所で開かれる
「モーロ人とキリスト教徒のお祭り」。
内陸地でのお祭りよりも
この海辺の町ビジャホジョサを選んだ理由とは、
他所にはないスケールの大きい海戦や
上陸の演技が見られる事からでした。
そしてお祭りの舞台も
前夜までパレードで行われていた
目抜き通りから
海岸通りへとその舞台が移されました。
それに伴って、
パレード用に使用された観客用の椅子も
ずらっと海岸通りに並べられてこの通り。
夕方になると
午後の演技が始まり、
時間がたつにつれて
お散歩がてら見に来る人々や、
市民バンドの仲間達が集まったり、
また風船売りの人や、屋台も置かれ、
普段海水浴客が歩く通りは、
一気にお祭りムード。
そのような訳で、この時間は
海岸通りにやって来る人々を中心に
ストリート・スナップを撮る目的で
気軽に歩いていました。
こちらは通りの前の
浜辺の一角です。
背後に埠頭がある場所には
お城が設営され、
浜辺中央には、
これから行われる演技に向けて、
旗や防御フェンスが設置され、
夜間用照明も
すっかり準備が整ったもようです。
ところで、スナップ撮りを終えて
引き返せばよいものの、
やはり海辺での演技が気になって
目を岸辺に向けてみますと...。
うっすらと見えるフェンスの向こうで
行われていたのは、夜の上陸戦の
「前哨戦」とでも申しましょうか。
眺めているうちに『やっぱり望遠で撮ろうっと!』と、
こう思うのは必至(笑)。
しかし、何とここで一つ問題が発生。
実は、装着していたカメラレンズは
街角スナップですから
標準レンズだったのです。
ばーん!...ばーん!
『あらら、今度は煙も出てきた!』
演技内容は、
「キリスト教徒側の密輸商人達と海賊が
船積みをしている最中に、
沖に現れたベルベル人海賊の艦船を発見し、
彼等もキリスト教徒の兵士達に加勢して
大砲を発射...」と、こんな内容です。
『どうしよう?』
こうして思案している最中にも、
次々にシーンが展開していきます。
『うーん、今すぐ撮りたい!何かないかしらねぇ?』
そして、
「あっ、こういう手があるじゃない?」と、
身の回りを見回し、
ある物に気がついたのです。
このある物で撮影したのが
今、ご覧になっている写真と言うわけです。
一体何を使用したかは
ご想像にお任せしますが、
出来上がった作品には、
すさまじいレンズ収差が出ています。
とは言え意外や意外。
「時代がかったシーン」には
中々面白い表現方法だと
思っています。
正にこれも「禍転じて福となす」。
芸術的な仕上がりとは
到底言えませんが、
これも面白い手法かも♪
それから、先ほど
「ストリート・スナップには標準レンズ」と、
お話ししましたが、日本での場合、
むしろ焦点距離が35ミリが多くなります。
いずれにせよ、これは人によりけりですので
一概に申し上げられませんけれどね。
時刻はそろそろ午後9時近くになりました。
未だ日も沈みませんし、
あなたも「沖にいる海賊がやって来るのは何時?」と、
思っていませんか。しかし海賊側にも
「闇に紛れて」と言う
彼等の事情もあることでしょうに(笑)。
と言うわけで、
一度ホテルに戻って
仮眠することに致しますね。
お祭りに備えて
滞在先のホテルは
ビジャホジョサからおよそ20㎞程離れた
小さな入り江のある静かな高台にありました。
そのホテルに戻り、数時間後の午前一時には、
マドリードから持参した
日本製の小さな炊飯器でご飯を炊き、
とても小さなおにぎりをいつもより多めに作って、
海岸の撮影現場での兵糧食としました。
お祭りの参加者も戦なら、撮影する側も同じ。
いずれも夜中から朝まで続くので体力勝負です。
予定通り午前2時半過ぎには
ビジャホジョサの海岸通りに到着しましたが、
まだ人の数はまばら。屋外の会場には
観客はほとんど来ていないようでした。
夕方、現場の下見をした際に、
撮影場所は
二カ所に候補を絞っていたのですが、
最終的にどちらにしようかと考えあぐね、
持参した狩猟用の椅子を持って
「行ったり来たり」。
これでは「金比羅さまに入った泥棒」みたいですよね。
でも、その行動を
時々気にしてくれた人がいたなんて露知らず、
最後にもう一度、候補の一つである
照明・音響設備の隣に腰を下ろすと、
機材の調整をしていた一人が近づいてきて、
「ねぇ?君さ、(イベント屋の)僕達の隣にしたら?絶対にいいって!」ですって。その言葉に嬉しいやら、またちょっと恥ずかしいやらでした。
(ありがとう。撮影は上手くいきましたよ!)
さて、演技が始まる迄
僅かですが時間がありますので、
その間に史実を元に創られた
「海戦並びに上陸戦のシナリオ」について
事前にご説明しておきましょうか。
それは、
「1538年7月29日の夜中のことでした。
アルジェからのベルベル人海賊が
ビジャホジョサの海に現れると、
警戒していたキリスト教徒の兵士は
海岸に駆けつけ、武器で迎え撃ちます。
そして夜が明けると、
海賊側からキリスト教国の王の元へ
軍使を派遣し降伏を要求しますが、
失敗に終わってしまいます。
やむなしと決意した海賊は次々に浜に「上陸」し、
ビジャホジョサのシンボルである城を奪取します。
ところが「三日月の旗」が城の
上部に掲げられたのも束の間、
再び同日の夜に交えた小戦闘で
キリスト教徒の兵士達が城の奪還に成功し、
見事勝利を収めるのでした」。
また演技の途中では、伝説上
聖女マルタが町を守った事から、
クレーン船で吊られた
聖女マルタの姿を形取った
花火が見られます。
シナリオを語っているうちに
会場の機材の準備も整い、
すでに大勢の観客が集まって
もう後ろを振り向く事さえ
ままならなくなりました。
時刻を確かめてみますと
午前4時45分まであと僅か。
いよいよお祭りのクライマックスも
待ったなしで始まりそうです。
ベルベル人の海賊来襲
午前4時45分。
海岸通りに座っておりますと、
背後の小高い場所から
聞こえてくる音がします。
ガラン、ガラン、ガラン。
ガラン、ガラン、ガラン...。
それは旧市街の教会の鐘楼から
急を知らせる為に
打ち鳴らされる鐘の音。
町に危機が切迫しているのでした。
夜の闇に紛れて近づいて来たのは
アルジェを拠点とする
三十艘程のベルベル人海賊の艦船。
何処からともなく
船が不気味にきしむ音が
こちらにも聞こえてきそうです。
船には帆と、奴隷に櫂で漕がせる
大型の「ガレー船」や「ガレオン船」、
また「フリーゲート(小型快速船)」や
更に上陸用船艇も見えます。
ご存じかも知れませんが、
海賊の船は
全て「海賊船」と一括りで
呼ばれるわけではありません。
このアルジェの海賊達は、
敵船の捕獲や、
陸上での略奪行為をするとは言え、
実際は純粋に
海賊船と呼ばれる船ではなく、
その国の政府のお墨付きがついた
「私掠船(しりゃくせん)」なのです。
私掠船とは戦争中に於いて、
軍船ではなく個人の船で
敵国の力を削ぐ行為をする
船を指します。
さて
こちらはその私掠船が現れて、
海岸に急行したキリスト教徒の兵士達。
大砲や
火縄銃の火蓋が切られ
戦が始まりました。
海賊との戦いは激しく、そして
夜明けまで続けられていきます。
海賊船の大砲から
砲弾(火薬)が素早く発射されると
もうもうたる煙や火花が
一瞬にして水面を明るく染め、
それと同時に、
近くを航行している仲間の帆船や
海賊の人影を浮かび上がらせるなど、
陸に向かってくるその艦船の様子は、
観客にとっても
スリルと迫力を感じる事でしょう。
また海戦では、
数えきれぬほどの花火が
空に途切れることなく打ち上げられたり、
白熱した戦闘を印象づける為に
照明ライトが戦いの行方を追うので、
海岸部での大砲や、
火縄銃が一斉に発射されると、
辺りはもう昼間のような明るさです。
こうして様々な種類の光と、
鮮やかな照明の組み合わせと共に、
音楽や轟音などの音響効果と相まって、
海辺も海上も全てが
幻想的な世界へ包まれていきます。
さて、再び
戦いのシナリオについて
お話を戻す事に致しますね。
海戦では、
十字架のエンブレムを掲げた
キリスト教徒側の船からも
ベルベル人海賊に負けじと
攻撃が加えられ、
同様に浜からも
兵士達による
必死の戦いが行われますが、
一筋の朝日が差し込むのを合図に
双方の攻撃が突然停止します。
それは海賊船から
テンダー・ボートに乗り換え、
白旗を揚げた軍使が
他船よりもいち早く岸に到着した時でした。
派遣された軍使は、モーロ人の王からの
「ビジャホジョサの明け渡し」の書状を
キリスト教国の王の元へ届けるのですが、
交渉は決裂し、その証として、
今度は赤旗を掲げて戻っていきます。
直ちに海賊は、
屈服しないキリスト教徒に対して
戦闘を再開し、
一斉に上陸準備にかかります。
ご覧下さい。
海賊達が続々と近づいてきます。
辺りが少しずつ明るくなる中、
彼等が浜に接近してくると
乗船している参加者の中には
観客に見えるよう
武器を手に取ったり、
また
士気を挙げる大げさな演技をして、
上陸の演技を一段と盛り上げていきます。
あっ...!!!
どの船からも一斉に
武器を手に飛び込み始めました。
泳いで上陸するもようです!
夜明けの海を泳ぐ海賊。
パ、パーン!
花火を搭載した船からは
空へと花火が上がり続けます。
海賊役の参加者達は、
連日連夜の行事に加え、
明け方の海を泳ぐとなれば
体力は消耗するはずですが
大丈夫なのでしょうか。
一方、船上では、
順々に海中に飛び込んでいるものの、
船上でもかなり盛り上がっているようで、
船体に手をかけては大きく揺らしたり...と、
仲間同士で煽ること煽ること。
まぁ、この辺りまでくると
かなりお遊びの状態に。
また、
しばらくある船を眺めておりましたら
カップルに目がとまりました。
こちらの船です。よりにもよって、
ちょうどマストの手前にいる二人は
わざわざ高い船首を選び、
女性はさも「行くわよぉ!」と言わんばかりに鼻をつまみ、
男性と共に仲良く海中へ「どぼん!...ぼん!」
でも、
さすがビジャホジョサの皆さんは
誰もが「海の子」。
無事、
浜へあがってきましたよ!
海上では警備の船や
ボートも出ていましたが、
何事もなく本当によかったですね...♪
上陸して
通りでは
海から上がって来た人達が小休止。
照明で使用した発電機の熱で
乾かしていますねぇ。
どの人も一様に寒そうです。
そしてこちらの少年も、
背中を丸め前屈みになり、
しばらく動けない様子でしたが、
ただ体の冷えとは対照的に
少年の満足げな表情が
見え隠れしていたのが印象的でした。
「一夜のドラマティックな海戦を反芻し、
明け方の海を自力で泳いだ達成感をかみしめいた...」と、
彼の心には暖かいものが
じーんと広がっていた一時かもしれませんね。
さて、手元のカメラに当たる光が
すっかり朝の光に変わりました。
夜中から行われていたこの演技は、
誰もがまるで
夢のような出来事だと
思っている事でしょう。
それからもう一つ、
演技の「その後」が気になりませんか?
上陸後の海賊達はどうなったのかも
知りたいですよね。
そうでしたよね。お話が前後しましたが、
海から上がってきた海賊とキリスト教徒の間では
海辺で白兵戦が行われましたが、
海賊側がこの度は勝利を収めました。
でも先にお話した通り、
この日の夕方には、再び小戦闘が起こり、
最終的には見事、
キリスト教徒側が城を奪還します。
お祭りのハイライトである上陸の演技も済んで、
朝のオレンジ色の美しい光を浴びながら、
野営テント周辺では敵味方が一緒になって
仲良く談笑する姿が見られました。
夜通し燃えていた
かがり火の勢いも弱くなり、
暗にこの演技の終了を
知らせているようでした。
さぁ、ビジョホジョサの夏祭り、
中でも有名な
「モーロ人の上陸」の演技は
これで終了です。
楽しんで頂けましたか?
「さてと!」
ホテルに戻ろうと、
徹夜の体にカメラ機材と椅子を背負って
通りを歩いていた時のことでした。
火縄銃を扱った兵士役の人が威勢良く
「ねぇ、火縄銃を持ってごらんよ!」と、ひょいと手渡してくれました。
男性の顔は、一晩中発砲していた為にもう煤だらけ。
家路に戻る参加者達が
歩いている道で立ち止まり、
彼が差し出してくれた火縄銃を
手に取ってその重みをずしりと感じていると、
ファインダー越しに眺めていた
あの夢のような一夜が終わった事を、
その時初めて実感したのでした。
本日ラストの写真
一週間以上続く
モーロ人とキリスト教徒のお祭り。
特に3000人以上が参加する
パレードや上陸の演技は非常に華やかで、
また規模も大がかりであることから
「祭典」と表現しても過言ではないと思っています。
そして何と言っても
お祭りの最大の山場は、やはり
この上陸の演技ではないでしょうか。
またお祭りではなく
実際当時の町の歴史なのですが、
海賊が上陸して侵攻を受けた際、
女性達は勇敢で
高い城壁の上にも恐れることなく上り
夫に弾薬を手渡したり、
敵兵を上から投石してやっつけた
武勇伝が記録文書に残っています。
「陽気な町」の人々の歴史は
ただ陽気であるだけでなく、
町を防衛する為に女性も大いに活躍し、
また勇敢でもあったようです。
お祭りを通して見たビジャホジョサの町について
あなたは
どのようなご感想を持たれましたか?
*** *** *** *** *** *** ***
ブログ後記をかねて
「レコンキスタ後のスペイン東部の世界」について
バレンシア州アリカンテ県。
甘い物好きなスペイン人に
この地方の名産品を聞けば、
必ずX´masのお菓子「トゥロン」と
答えてくれるでしょう。
特にアーモンドに蜂蜜が入ったものは
カリカリとして
「西洋おこし」と言う表現がぴったり。
風味が良く美味しいのでシーズン中は、
ついつい手が出る
言わば「食べ過ぎ注意」のお菓子でもあります。
そのトゥロンですが、
数年前にスペイン生活にピリオドを打ち
いよいよ日本へ戻る際、搭乗前に
マドリードの空港内にある免税店で
お土産に買い求めました。
『どれにしようかしらね...?』と思いつつも、
旅立つ気持ちの方が強くて気もそぞろ。
それでも沢山並べられた中から
何気なく手に取った商品の製造元に
Villajoyosaの文字を認めると、
小さな驚きの声が口から漏れ、
地中海の蒼い色や旧市街の色彩、
町で出会った陽気な人々の顔が
目の前に広がっていったものです。
さてトゥロンや、チョコレートなど
お菓子の生産地として、
またバレンシア地方のお米料理
パエジャ(パエリア)を始め、
魚介料理が美味しい
現在のビジャホジョサの町ですが、
かつてこの沿岸都市に
「何故ベルベル人海賊が襲うようになったのか?」
その歴史的背景について
もう少し触れておきたいと思います。
尚、お話をする間は、
同じコスタ・ブランカ沿岸の町で、
やはり当時海賊の侵攻にあった町
「アルテア」の美しい風景を始め、
その他関連のある景色も
幾つかご紹介たいと思います。
どうぞもう少しお付き合い下さいね。
記録文書によれば、ビジャホジョサは
キりスト教徒によるレコンキスタが進む中、
アラゴン連合王国沿岸部の防衛管理の目的で、
1300年ちょうどに再入植した
キリスト教徒によって作られた町でした。
1400年代半ばになると、
この沿岸地域でも「都市」としての特権が与えられ、
肥沃な土地を利用した産物、
例えばワインや穀物、アーモンド、
ドライ・フルーツ等商品の「船積み」が
唯一許可された港として、
また独自の造船所を持つ町として
発展していきますが、
有名なアルハムブラ宮殿に代表される
イスラーム教徒最後の「グラナダ王国」が
カトリック両王によって1492年に陥落すると、
それまで出没していたグラナダ王国や
周辺のキリスト教国の海賊達よりも、
今度はオスマン帝国の勢力拡大によって
支配下である北アフリカベルベル人海賊が
増加していき苦しめられることになります。
当時、ベルベル人海賊の行いは
イベリア半島東部沿岸都市に住む
キリスト教徒の住人にとっては
「身の毛もよだつ」、また「血も凍る」ような
残虐非道ぶりであり、
彼等は田畑の焼き討ちを始め、金銀を略奪、
また身代金目的で住民を連れ去り、
支払えない場合にはイスラーム世界の市場で
白人奴隷として売り飛ばしていました。
一大ビジネスであった海賊行為は、
1830年にフランスがアルジェを征服するまで
続けられたと言われてます。
しかし見逃してはならないのが
バレンシアの地に大勢残留していた
Morisco(モリスコ)の存在です。
モリスコとはイスラーム教徒がレコンキスタ後に、
キリスト教徒に改宗させられた人々を指しますが、
それ以前に沿岸部の肥沃な土地に
住んでいたモリスコは、
その後1609年に追放されるまで
山間部の不毛の地に住む事を強いられたのでした。
モリスコが追放される理由を
簡単にご説明するのは難しいのですが、
キリスト教徒との共生では
宗教や民族、特に言語の違いも大きく、
始めは表面化しない小さな事柄に見えていた問題も
やがては不満が爆発し、蜂起するようになっていったのです。
そのような環境下に於いて
彼等の中には同じイスラーム教徒である
北アフリカの海賊を手助けする者が出てきました。
例えばアルジェの海賊が
「目的の町を急襲する際、いかに少ない時間で
手っ取り早く戦利品を得られるか」を手引きするような
町の詳細情報を提供する者や通訳をする者などです。
またモリスコ自身でさえ、悲惨にも奴隷として
アルジェへ連れて行かれ、後になって今度は
海賊一味として成り果てた者もおりました。
すでにお話したように、
ビジョホジョサは周囲のモリスコ達が
大勢共生している町や村と異なって
完全なるキリスト教徒の町であり、
かつ、この地域の要でしたから、
これはもう悪習と表現しても良いほど
何度もベルベル人海賊に襲われたのは
想像に難くないと思います。
以上ご説明が長くなりましたが、
こうして俯瞰してみますと、
イベリア半島に於けるレコンキスタによって
イスラーム支配が終了してもなお、
半島のキリスト教徒とイスラーム教徒の戦いは
場所と形を変えて継続していた事になりますね...。
それでは次回をお楽しみに♪
初稿公開日:2015年10月5日
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