第14話 道(III) 妹・マドリードが眺めた世界

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 トレドを防衛するマドリード

「トレドがあるからこそ重要な場所になった」その場所とは...。

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マドリード通り: 絵タイルで出来た通り名のプレート  TEMIKPHOTO-9602

それは現在のスペインの首都「マドリード」のことなのです。トレドは「古都」と表現されるようにとても長い歴史のある町です。ローマ時代から、そしてその後のキリスト教国「西ゴート王国」の首都でもありましたから。

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タホ川から望む古都トレド

ところでよく「A市とB市は姉妹都市である」と言う言葉を耳にしますね。その意味合いは異なりますが、歴史的観点から例えればトレドは年が離れたお姉さん。そしてその後、誕生したのが妹のマドリードなのです。

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姉妹 TEMIKPHOTO-11332

妹は健気で、とてもお姉さん思い。ですが、この妹のマドリードが生まれた9世紀後半のスペインはどのようであったでしょうか。

イスラーム教徒によって、スペイン北西部へと追いやられたキリスト教徒が、その地でアストゥリアス王国を建国し、かつての彼等の土地を、そして首都であったトレドを奪い返そうと徐々に勢力を回復した時期にあたります。

ボタンかけをする妹

ボタンを掛ける妹

また、お姉さんの町トレドがある街道は、今から2000年ほど前に建設されたローマ時代の主要な「街道」の1つであり、

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トレド近郊の農道

イスラーム教徒はこの既存のローマ街道を利用し、必要であれば新たな町を建設し、城塞を建て、自分達の領域「アル・アンダルース」を防衛しました。

少女

少女 TEMIKPHOTO-11333

こうして妹マドリードは、お姉さんの町と、その長い街道の中央部を守ると言うとても強い使命を帯びて誕生したわけです。

まずはマドリードの町がどんな場所にあるのか、私の「マドリードの思い出」の中からお話をしようと思います。

空港から市内へ

人は見知らぬ町に到着した時、その町を知りたいという欲求に駆られるものですが、この私もそうでした。

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機内の窓から : マドリード・バラハス国際空港の眺め TEMIKPHOTO-9456

マドリードの郊外、北東十数㎞の位置にあるマドリード・バラハス国際空港へ初めて降り立った時の印象は、次のようでした。

『なんて乾いた大地...。でも、市内はどうなのかしら』。

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マドリード・バラハス国際空港のターミナル TEMIKPHOTO-9409

市内に向かう途中では、車窓から見える立て看板を眺めては、旅立つ前に何度も眺めたガイドブックの市内写真を思い出し、

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マドリード旧市街の眺め TEMIKPHOTO-4628

今、見て来たばかりの空港周辺の景色とこれから観るマドリードが、一体どのように頭の中で繋がっていくのかと心をときめかせた事を覚えています。

旧市街の眺め

旧市街の眺め  TEMIKPHOTO-9585

時は流れ、マドリードの生活にも慣れてくると、暇を見つけては、あちらこちらと探索しました。

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プエルタ・セラーダ広場 TEMIKPHOTO-11359

その結果、やはり歩くのならば町の南西にある旧市街「セントロ」地区が自分にとっては一番楽しく、時間が出来るとよく出かけていきました。

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外灯と居酒屋の看板 : 通り名の入ったプレート、絵タイルを使用した店の看板のある街角。  TEMIKPHOTO-11369

この地区にある石畳の大きな広場を歩き、教会の鐘楼を見上げ、時には立ち止まって古めかしい居酒屋の看板や、通りの名前のついた絵タイルを眺める...。

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タベルナ(居酒屋)の前を歩く女性達  TEMIKPHOTO-11368

こんな風にマドリードの歴史の香りが随所から漂ってくる場所なのです。

メセタ上に建つマドリードの町

ある日、いつもと同じように旧市街の街角で漠然と信号待ちをしていた時でした。

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信号を待つ人々: 横断歩道前の人々は正に人生の縮図。  TEMIKPHOTO-9351

ふと、「これでは、木を見て森を見ずだわ!」と、マドリードの町全体を未だこの目で確かめていなかった事に気づきました。『ええと、マドリードの町全体が見える場所は何処かしらねぇ…』。

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王宮の門  TEMIKPHOTO-10997

更に、考えを巡らします。 『...確か王宮のある場所のすぐ下は、マンサナーレス川の谷になっていたはず...よね。 あの辺りに行けば町全体が見られるかも...』。

王宮

王宮

マドリードの南西の端には壮麗な王宮に、

アルメリア広場

アルメリア広場

隣接したアルムデナ大聖堂、それにここアルメリア広場があります。

夕闇のアルメリア広場

夕闇のアルメリア広場  TEMIKPHOTO-11000

そして広場の端まで行き、町の中心街の外を眺めてみます。

木の塀の外はすぐに河谷で、その向こうに見えるのが広大な緑の森”Casa de Campo”「カサ・デ・カンポ公園」。

アルメリア広場から中央山系を望む

アルメリア広場から中央山系を望む  TEMIKPHOTO-10999

そしてこの辺りに昔、イスラーム教徒が建てた監視塔が存在したのでしょうか...。確かに、地平線上に見える「中央山系」の山々の向こうから来襲するキリスト教徒の動きをいち早く見つけるのにはもってこいの場所です。

でもこの広場からでは、マドリードの町全体を把握する事は出来ませんでした。

木も見て、森も見る

『あっ、そうだわ。向かいに見えるあのカサ・デ・カンポ公園なら...♪』

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カサ・デ・カンポ公園からマドリードの眺め

やはり見えましたね。メセタ上に立つマドリードは、ヨーロッパの首都でも一番海抜が高く、650m以上あるのをご存じでしたか。

現在のマドリードの外観を見ますと、かつて妹のマドリードが誕生した面影はもうありません。

しかしこの公園からは、ひな壇上になった今のマドリードの姿が、

マドリード中心街

マドリード中心街

各広場を基に道が放射状に広がる古い地区と、後方には都市計画によって出来た碁盤目上の新市街が一緒に重なり、また数多い波打つ坂からは高いビルも幾分かがんだように低くなって...、と

普段、街中を移動する際に目にするマドリードの町とは、別の素顔を堪能する事が出来ました。

聖堂の丸屋根

ライト・アップされた聖堂

さて、マドリードの全景は楽しまれましたか。

それから、妹・マドリードの使命であった丘からの監視目標は、マンサナーレスの谷や「中央山系」のグアダラーマ山脈でしたが、西には美しいグレードス山脈が横たわっています。ここではそのグレードス山脈と、

夜の王宮とアルムデナ大聖堂

夜の王宮とアルムデナ大聖堂

そしてもう1つは、ローマ時代に建設された街道に関連したお話をしようと思います。

尚、妹マドリードが守っていた街道の中央部、特にトレドに関しましてはすでに前回お話済みですから、今回は道の両端に位置する2つの都市を中心にご紹介致します。

それから、途中で2度休憩の場所を入れてありますが、ボリュームがありますのでご自分のペースでご覧下さいね。

どうぞゆっくりお楽しみ下さい。

ローマ支配によるスペイン

それはそれは、遠い昔のことです。

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都市カディスの海岸 : 南部アンダルシア地方にある都市カディスは、紀元前10世紀頃にフェニキア人の植民地の拠点として建てられ、その後カルタゴ人、ローマ人の手に渡った。

スペインとポルトガルが位置するイベリア半島が「ヒスパニア」と呼ばれていた頃、地中海覇権を争っていたのが、ローマとカルタゴでした。

彼等はこの半島でも争奪戦を繰り広げ、紀元前201年、「第二次ポエニ戦争」が終結するとローマはカルタゴをこの半島から追い出しすことに成功するのですが...。

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ラ・カレタ海岸を飛ぶ海鳥 : カディスにあるこの海岸は、古代から船が停泊した天然の港。

ローマはこの戦争がきっかけとなり、半島全土を征服しようと決断しますが、決して容易い事ではなく、

今度は先住民族達との200年に渡る厳しく長い戦いが待ち受けていました。

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古代イベリア半島に住んでいた先住民族の住居跡

その前途多難な征服を目指し、ローマ軍団「レギオン」が進軍する為に建設したのが、当初の「ローマ街道」建設の目的なのです。

「エメリタ-カエサラウグスタの道」

この時代のローマ街道は、体の血管のように幹線道路の他、そこから分岐した細い支線道路が網の目状に構築されて半島全土に広がっていました。

スペインの高速道路

スペインの高速道路  TEMIKPHOTO-11388

イベリア半島を貫く幹線道路は、合わせて6本が建設され、その中の1本の道が、下の地図で示された緑色のラインです。mapa_roma スペイン中央部を斜めに横切るように南西の都市メリダ-トレド-北西の都市サラゴサ間を結ぶ重要な街道が、”Vía Emerita-Caesaraugusta”「エメリタ-カエサラウグスタの道」です。

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ガソリンスタンド

ちなみに現代の道路でも両都市を結ぶと約700㎞弱の距離があります。

Mérida(メリダ)へ向かう道路標識

Mérida(メリダ)へ向かう道路標識

メリダへ帰るトラックの後ろを走りながら、

メリダへ戻るトレーラ :10761

メリダへ戻るトレーラ

この道がかつて「どのような場所を辿っていたのか」を興味を持って調べてみたところ、『あらら…?!』と、壁にぶつかってしまいました。

山中のローマ街道(支線)

山中のローマ街道(支線)

何故かと申しますと、大きな諸都市は別として、町や通過場所の確定には諸説有り、歴史家によっては「街道の石畳も部分的には残ってはいても、石の距離標識(マイルストーン)でさえも見つからぬ...」と、こんな風に頭を悩ませていたのです。

そう言えばこの「街道の石畳も...見つからぬ」で、次のような事をふと思い出しました。

あれは、マドリードから西へ350㎞離れた山中の町を訪ねる旅の途中の出来事でした。

山中の岸辺風景

山中の岸辺風景

街道から離れ小さな村々を幾つも過ぎた頃だったでしょうか。トレドを流れるタホ川に突然出会ったのです。トレドから100㎞程下流だったのではないでしょうか。

タホ川を渡った向こうの岸辺には何台かの車が停まり、皆さん一様に記念写真を撮っていきます。

川辺のローマの遺跡

川辺のローマの遺跡  TEMIKPHOTO-10677

後でわかった事ですが、上の写真は”Curia” 「クリア民会」の建物のポーチ部分で、かつてこの川の流域に存在したローマ時代の町”Augustóbriga”「アウグストブリガ」に建っていたものでした。

石柱と木

ローマ時代の石柱  TEMIKPHOTO-10674

州都に次ぐ大きさの町であったアウグストブリガは残念なことに1963年、貯水池建設の為、中世に作られた町と共に今は水の中に沈んでいます。

ローマ時代の遺跡

ローマ時代の遺跡と空  TEMIKPHOTO-10675

ただ難を逃れたこのポーチや、他所からの数本の石柱が岸辺に移築されこれらの遺跡だけがローマ時代の面影を残しているのみです。

歴史家の方々が悩まれていた「何処を通っていたのか…」とはこういう事例も存在する事なのですね。今更ながら納得致しました。

 山の支線道路

さて、妹のマドリードが誕生した背景の1つであった「監視塔からの中央山系の眺め」がありましたが、覚えていらっしゃいますか。

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グレードス山脈のローマ街道  TEMIKPHOTO-10669

実は中央山系を構成しているこのグレードス山脈の山中にも、石畳の道が見られ、当時の支線道路の1つではないかと言われています。

  グレードス山脈の自然風景

グレードス山脈

グレードス山脈

グレードス山脈はマドリードからおよそ西へ180㎞、

雪解け水

雪解け水

高度2000~2500m級の山々が連なる自然がとても美しい場所です。

貯水池に架かる橋

貯水池に架かる橋

それではしばらくの間、写真を通してグレードス一帯を散策して頂こうと思います。

草の露

草の露

まずは小旅行の気分で、朝の爽やかな景色からどうぞ。

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ホテルの窓  TEMIKPHOTO-10882

いかがでしょう?もう少し近寄って、窓辺に手をついて眺めてみませんか。

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林の中の白馬

窓の外にぐっと広がる山の景色です。鳥の歌うようなさえずり。それにひんやりした空気が胸の奥にすーっと入る心地良さ。眼下には、白馬の姿も見えますね。今度は、ホテルの外へ出て山の中を散策しましょう。

林の朝

林の朝

松やカシワ類が多い林...。朝靄が消えた後の日が差し込む小川。

石橋

霧の中の石橋

山からの雪解け水。川には鱒や、ブラックバス、カワカマス類の魚。

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石橋と川の流れ

石橋と力強い川の流れ。

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水力発電所のある風景

水しぶきを上げる豊富な水量は、ダムからの放流でしょうか。

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水しぶきを上げる川

また珍しい山ヤギや、黒ハゲタカ、イヌワシの生息地でもあります。機会があれば、釣りや狩猟が好きな方なら一度行ってみたい場所かも知れませんね。

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湖水の風景

そしてこんな場所も...。辺りは静寂の世界。移り変わりの速い山の景色。湖水の緑に、たなびく雲の色。

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岩と水面

この景色を落ち着いた色調に演出するのは、雲間からの柔らかな日の光。

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奇岩

変幻自在に姿形を変えて行く雲の流れと、不動の岩の風景。

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霧の夕暮れ

そしてこちらは夕暮れの時刻のホテルのBAR内。穏やかに談笑する人々の声が、心地良く耳に感じるのは、今日一日山歩きをした軽い疲労のせいでしょうか。

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窓辺の眺め

カウンター越しに窓辺の風景に目を向ければ、黄昏時の光りが徐々に、一日の終わりを告げようとしています。

同じ頃...。昼間歩いたあの山の、木々を眠りに誘う夕暮れの雲が静かに包み込んでいきます。

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霧の夕暮れ

ホテルからの眺め、そして森林浴の小旅行、満喫して頂けたでしょうか。さぁ、ここからは気分をかえてグレードスの景色を続けてご覧頂きましょう。

泉へ水を汲みに行った日の出来事

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里山の風景 : グレードス山脈  TEMIKPHOTO-10837

グレードス山脈へは撮影目的の他に、山の美味しい湧き水も魅力の1つでしたので、峠の手前にある泉へ水を汲みに出かけた事がありました。

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この日の撮影のお目当ては、ちょうど峠を超えた向こうの小さな村々でした。

霧煙る道

霧煙る道

特に秋になりますと山中を走る村道沿いに栗が実り、四季の移ろいを感じさせてくれます。

山間の寒村

山間の寒村

ここは山の斜面を利用した小さな村でした。

村の女性

村の女性  TEMIKPHOTO-10927

村に着くと、まずはぐるっと歩いて見ました。細くて急な坂を下りていきましたらちょうど村の人と出会い、声をかけます。「こんにちは♪」エプロンをかけた女性は、幾分見上げた顔で静かな声で挨拶が返ってきました。

煙突

煙突

うねるような狭い急坂。苔で覆われた瓦屋根。

村の坂道

バルコニーと坂道

坂の上に張り出ている木のバルコニーと漆喰壁。村の中の昼時は人通りもなく、しーんとしていて、まるで何かが周囲の音を全て吸い込むような静けさです。ただ、家々の煙突からもくもくと上る煙と、薪の香りで村は包まれておりました。

キオスク

キオスク  TEMIKPHOTO-10936

さて、ここが村の目抜き通り。煉瓦と石の組み合わせの村景色の中ではちょっと目立った存在のキオスク。お店は限られたスペースでも、品揃えは充実していそうです。昼食時間にお店を一旦閉めていたご主人。午後からのお店の再開準備ですね。ところで、道行く人も顔見知り。ですから、挨拶も欠かせない様子でした。

村の少年達

村の少年達  TEMIKPHOTO-10939

『おや?...』。静かな村に、突然バイクの音が轟きます。下りてきたのは村の少年達でした。

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修繕をする男性達

こちらは家の修繕作業中かしら。

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山間の石造りの家

それから村の伝統的な家に関しては、正面に見える窓の大きさや、壁の厚みから判断すると厳冬に備えた造りになっています。

村役場がある広場

村役場がある広場

ぐるっと一巡りしたので、昼食ぎりぎりの時間となってしまいました。『まだ食べられるかしら』と幾分心配しながら、1件のレストランにそーっと入って尋ねると女主人が首を縦に振ってくれます。どうやら母と娘で切り盛りをしているようでした。レストランでは、老いた母が料理の火加減を見るため、煉瓦作りの竈(かまど)の横に腰を掛け、じっと番をしています。黒い服に身を包んでいるのは、ご主人の死後、ずっと喪に服しているのでしょう。村でもそして都会でも未だ見かける姿です。

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薪の火

やっとテーブル前に座った私は、一息ついてほっとしたのか彼女のように竈にくべた薪の火を眺めながら、この村に向かう先程の出来事を思い出していました。

山と霧

山と霧

それは、泉で水を汲んだ後の事なのですが、実はちょうど峠にさしかかる地点で霧が発生し、展望台で足止めされてしまったのです。

霧に覆われた山道

霧に覆われた山道

『さぁ、どうしたものかしら...』と思案していますと、白い世界の何処からか、かすかに「カラン、コロン...、カラン...」と、かわいらしい鈴の音が響いてきます...。

雲海

雲海

耳をそばだてると音は上から下へ、それも徐々にですがこちらへと近づいて来るようでした。

交通標識と雲海

峠の標識

どのくらい時間が経ったのでしょうか。15分か、いやもっと...、30分位だったもしれません。そして視界が開けてくる頃には、何やら集団で移動する動物の気配がありました。

峠 : 雲海を眺める人々の車

峠 : 雲海を眺める人々の車

やがて眼下には、急坂のローマ街道を下りる首に鈴をつけた山羊、そして仲間達が、途切れ途切れになった霧の間から見え始めます。

ローマ街道

ローマ街道  TEMIKPHOTO-10668

また彼等への合図なのか、独特の声を発しながら山羊飼いの男性も見つけました。

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霧の中を歩く羊の群れ(イメージ)

過去から面々と続いてきたスペインの牧羊風景。ですが霧の中から現れ、また目の前から消えて行った幻想的な群れの姿に、『あの光景は本当に現実だったのだろうか...』と、今でも記憶に残る不思議な光景の1つになっています。

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石畳と看板 ” la Vía Romana”(ローマ街道)

この地域では、年々人数が減少している山羊飼いの人々。峠から見たあの風景も今後、中々見られなくなってしまうのかも知れません。

山からの風景

グレードス山中から望む貯水池

そして、霧もすっきりと晴れほどなく彼等が去った後。スペインに生息する珍しい山ヤギの亜種がそこに姿を現しました。

岩場に現れた山ヤギの亜種

岩場に現れた山ヤギの亜種  TEMIKPHOTO-4680

険しい岩の斜面を敏捷な動きで下りるので彼等の姿を目で追っていくのが大変です。餌探しなのか、霧が晴れるのを何処かでじっと待っていた様子でした。

秋

下山途中では、もう1つ別の村を訪ねてみました。

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馬蹄のある塀

ある家の柵に上のような馬蹄を見つけました。「魔除け」なのでしょうか。

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荷車

それから、道路にはぽつんと放置された荷車が停まっています。家畜用の干し草ですね、きっと。

眺めておりますと、荷車は生き物のようにも見え、主人を大人しく待っていると言うよりもこの場に放置され、不安そうにも見えてくるから不思議です。「ねぇ、いつ迄こうして待っているの?」と。

様子を伺っている中に何故だか急に可笑しくなり笑いをこらえながら一枚、パチリ♪

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縄と干し草

そして笑いが止んだ後のもう一枚。

干し草ブロックの上に注目しました。題名はシンプルに「縄と干し草」。荷台の持ち主の存在や生活が、どことなく感じられるお気に入りの1枚となりました。

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石垣に横たわる枯れ木

これらの写真は、花や鳥に見られる美しい彩りや雄大な風景ではありません。

一見、何の変哲もないので、そのまますたすたと通り過ぎてしまいそうです。

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でもこういった素材は、美しいと感じている色や形に捕らわれる事なく、

「自分が何に興味を持ち、どのように考えているのか」がストレートに現れる写真になります。

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「ロバの通り道」の立て看板

写真に対して「素直な気持ちで向き合ってみる」、それから撮影をする前にまず「物事を様々な角度から考えてみる」良い機会であると思っています。

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ロバと農作業 : 昔ながらの習慣が残る山地の村

さて、中央山系にあるグレードス山脈の景色、そして村の生活の様子に、どのようなご感想を持たれましたか。

これはスペイン全体に言える事なのですが、ご紹介した山中の村々のように地方都市とさほど離れてなくても、かつては険しい山々が人々の往来を遮断して来たのか、伝統的な生活が未だによく保存され、その度に驚かされることがあります。

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村はずれの風景

この地方ではありませんが、聞くところによりますと、1930年代後半に起きたあのスペイン市民戦争を知らなかった村もあったのだそうです。

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険しい山々 : スペインが「地方色豊か」と言われる1つ。

「スペインは地方色が豊か」と言われるのは、こういった地形が地域の人々との交流を阻み、「閉ざされた世界を形成する」背景があるからです。

また、妹マドリードが誕生した中世スペインの世界では尚のこと、この中央山系が当時、自然の国境であったのは想像に難くないと思います。

秋景色

グレードスの秋景色

お話をしている中にもうすっかりグレードス山脈から下りてきましたね。

山々にはまた雲がかかり始めたようですよ。

休憩場所「花と木」のテラスへようこそ

さて、第一部が終了致しました。ご覧頂きましてありがとうございました。

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マリーゴールド

このまま続けてご覧になる方、この先のお話を時間を置いて改めてご覧になる方、両方いらっしゃるかと思いますが、ここで一旦「休憩時間」のご案内をさせて頂きます。

どうぞこちら「花と木のテラス」で、気分転換をなさって下さいね。

紅葉

紅葉

この後もボリュームがありますので、テラスは後ほど、もう一度設けてあります。尚、恐れ入りますがいつものように「休憩時間」の長さに関しましては、ご自分で設定して頂きますようお願い致します♪

マリーゴールド

マリーゴールド

ではこれより、かつてのローマ街道南西の都市のお話を始めます。またどうぞごゆっくりお楽しみ下さいね。

***   ***   ***   ***   ***   ***   ***

都市アウグスタ・エメリタ

ローマ時代、幹線道路の1つであった「エメリタ-カエサラウグスタの道」。そしてこの街道の南西に位置するのが都市「アウグスタ・エメリタ」。

紀元前25年。都市エメリタは、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの命により、ローマ軍団「レギオン」の退役軍人を迎入れる「植民都市」として建設されました。

道路標識"Extremadura" 「エストレマドゥーラ」 : スペイン西部の自治州「エストレマドゥーラ」カセレス県入り口

“Extremadura(エストレマドゥーラ)州の道路標識 : エストレマドゥーラは、スペイン西部の自治州。

現在の都市名は”Mérida”(メリダ )と呼ばれ、ポルトガルとの国境にもほど近いスペイン西部エストレマドゥーラ州の州都になっています。

メリダの街

メリダの街

それから、これより先は地名の混乱を避けるためあえて古代名「エメリタ」を並記せず現在の地名「メリダ」を使ってお話を致しますね。

孫を連れて

孫を連れて

さて、商店街を覗いてみました。気さくな感じの町で、ここでは地方都市のゆったりとした日常風景が見られます。

果物 : メリダ市内の果物屋のショウウィンドウ

果物 : メリダ市内の果物店のショウウィンドウ

メリダは同じ州都でも、例えば、南部アンダルシア地方の大都市セビージャ(セビリア)のように空に向かって聳える立派な大聖堂や、

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ヒラルダの塔とオレンジの並木道(セビリア)

ビター・オレンジの街路樹が続く街並み、夜の小道に薫る白いジャスミンの花々...と言ったような壮麗で、華やかな町の雰囲気はありません。

トラヤヌス帝の凱旋門 : 勝利を記念する門ではなく、大きな寺院のアクセスするための門。かつての建物は、パリのエトワール凱旋門をイメージすると理解しやすい。

トラヤヌス帝の凱旋門 : 勝利を記念する門ではなく、大きな寺院へアクセスする為の門。かつての建物は、パリのエトワール凱旋門をイメージすると理解しやすい。

ではこの街の特徴はと申しますと、主にローマ時代の遺跡が点在している事なのです。

居酒屋の看板 : どんぐり型をした看板。この地方は、生ハムの産地。イベリコ豚の飼料「どんぐり」の林が郊外に広がる。

居酒屋・生ハムの専門店の看板 : どんぐり型をした看板。この地方の特産は生ハム。イベリコ豚の飼料「どんぐり」の林が郊外に広がっている。

現代の市街地の建造物と微妙なバランスで一体化しているために、

「えっ、何かしら...?」と、こう疑問を投げかけながら、旅人はおもむろに古い遺跡に近寄ると...。

トラヤヌス帝の凱旋門

トラヤヌス帝の凱旋門

目にした建造物がローマ時代の遺産と知った瞬間、驚きと共に旅人の心を一気に遙かなる時代の旅へと誘ってくれる...。

そんな魅力を持っている町なのです。

要衝であった都市メリダ

旅人の心を一気にローマ時代へ誘う町...。

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町の入り口 : メリダ市内の入り口

メリダに残る遺跡を訪ねますと、ローマ帝国に存在していた他の大都市に引けをとらぬような建造物のスケールの大きい、そして風格がある事でした。

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進軍 : 時代祭のシーン(イメージ)

当時のメリダが、実際どのような地形にあり、役割を持たされた都市であったのか。その辺りを簡単にご説明していきますね。

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ローマ軍団 : 時代祭より(イメージ)

メリダは、ローマ帝国の属州ヒスパニア(現在のスペイン・ポルトガル)西部にあったルシタニア州都としての機能と、それに、交通・軍事・産業の要を兼ね備えていた都市でした。

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ローマ軍団 : 時代祭より(イメージ)

もう少しかつての都市メリダについて、具体的な例を挙げてみましょうか。

まず川に架橋して、岸辺に都市を建設したのは、この辺りの地形をおよそ南北に分断する川の防衛にありました。

また恵まれた地形にあることから、10本の幹線・支線道路が交差していた事もあります。

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廃墟近くを通る「銀の道」

特に注目すべきは北部とを繋ぐ”Vía de la Plata”「銀の道」の建設でした。サンティアゴへの巡礼道の1つとして現在知られていますよね。

この銀の道を建設する重要性とは2つありました。1つは、スペイン北西部の鉱山で採掘された金・銀等のコントロールを、中継地であるメリダが担っていた事です。

北西部で採掘された大量の鉱物資源は、「銀の道」を通って、スペイン南部から海路でローマへ輸送されていったのです。

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戦い : ローマ軍団(イメージ)

それからもう1つあります。イベリア半島でのローマ軍団を最後まで執拗に苦しめたのが北西部の先住民族との10年に及ぶn「カンタブロスの戦い」でした。

確か先住民族達との戦は、200年間続いた事をお話致しましたが、覚えていらっしゃいますか。ローマが半島征服をするのには、それは長くて困難な道を辿った事になりますね。

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戦い : 中世祭り(イメージ)

そんな訳ですから、都市メリダは北西部での軍事作戦を行う基点(ベース)としても発達していったのです。

戦車馬車: ビルの屋上のモニュメント

戦車馬車 : ビルの屋上のモニュメント

さて、ローマの権力と富が形となって現れたメリダは、都市としてどのような構造をしていたのでしょうか。

具体例を挙げれば、川の増水にも耐えうる、都市をぐるりと囲んでいた「強固な市壁」。それから「碁盤目上に区割りした市街地」。中心地には立派な「神殿」や「フォーラム(集会用広場)」...。

劇場内の彫像

劇場内の彫像

当時のメリダの様子が、だんだん浮かび上がって来ましたか。

「ロス・ミラグロスの水道橋」

では次に、未だに現存している事が奇跡(ミラグロ)と言われ、その名がついた”Acueducto de  los Milagros”「ロス・ミラグロスの水道橋」をご覧下さい。

現在メリダには水道橋が2つ残っています。

メリダの水道橋

メリダの水道橋

メリダへ鉄道で旅をした事があるのですが、写真のように駅のホームに着きますと、水道橋がまず目にはいります。天辺にはコウノトリが巣を作り私達人間にとっては何とも長閑な一風景です。

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メリダの水道橋

さてこの水道橋ですが、ローマ時代はメリダから数㎞離れた貯水池から水を引いていました。

貯水池からは水を地下に通らせ、町の入り口付近になると今度は写真のように地上の水道橋を伝わせて、安定した水の供給を行っていました。

水の流れ(イメージ)

水の流れ(イメージ)

この方法ですと、わざわざ川から水運びする必要はないわけです。

水(イメージ)

水(イメージ)

そう言えば、1枚目の水道橋をご覧になって南部アンダルシア地方の有名な「あの建築物の内部と似ている!」と、ピンと来る方はおられませんか?

モスクの柱 : コルドバのモスク内。祈りの間。

モスクの柱 : コルドバのモスク内。祈りの間。

その場所はこちらです。アンダルシア地方、都市コルドバのモスク内、祈りの間に見られる柱ですね。

もちろんこのモスク内の柱は、ローマ建築やその後の西ゴート、東洋のイスラーム教徒の芸術が融合して出来た形なのですが、

水道橋

メリダの水道橋

こうして既存の物に新たなる考えや技術が時代と共に加えられ、古代のローマ時代の水道橋が中世に於いて、装飾性のある、また高さを要求されるモスクの柱として進化した良い例であると思います。

水のカーテン

水のカーテン

以上、メリダが繁栄した理由について的を絞ってご説明しましたが、ご納得頂けましたでしょうか。

ローマ劇場

ローマ劇場

ローマ劇場

さて、アーチの向こうに立派な「ローマ劇場」が見えてきました。

このまま潜って歩いていきますと舞台にそのまま上がってしまいますから、観客席へ廻ることにしますね。

それでは、階段を上りながらお話を続けます...。

ローマ劇場

ローマ劇場

ご覧になれますか。とても立派な劇場ですね。

この劇場は、毎年夏になりますとローマ時代などの古代劇を主にして、フェスティバルが催されるのですが、

劇場の彫像

劇場の彫像

残念ながら、訪れた季節が冬でしたから、観ることは叶いませんでした。

ローマ劇場

ローマ劇場

訪れた感想ですか?

そうですね...。現代の劇場に比べ舞台空間が随分と広く感じました。ギリシャ演劇の影響でしょうか。

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劇場の客席

『どのような演劇をするのかしら?』と、貴方もご興味ありませんか。

私もそう思いました。そこで実際、客席の階段を降りては、無邪気にあっちこっちと好きな席に次々と腰を下ろし、また別の席に移動を繰り返す...。

その間、「観劇の夕べ」を思い描いてみました。そう、こんな風にです♪

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コメディアンと少年

あっ、でも、これからご覧頂くお祭りや人々の笑い顔などのシーンは、あくまでも「こんな感じかしら?」という、私の勝手な想像の世界です。

実際の古典劇のシーンではございませんので悪しからず...。

ロウソクを灯す女性

ロウソクを灯す女性

また、こんな事も想像してみました。

例えば、舞台セットはどんな風かしら...。大道具・小道具などのセットは、豪華でも、シンプルでも内容によってどちらも素敵ですよね。

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ライト

また、光りの演出も大切ですね。

背景となる立体的な石柱を充分生すように当てられるライトも。

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マネキン人形

大道具、小道具、そしてライト。これで舞台の様子も随分と変化がつくでしょう?

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舞台

まだまだ、想像の世界は続きます。次のように...。

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コメディアン

座っている私達観客を突然驚かすのは、背後から声高に登場する喜劇役者。

観客を笑いの渦に巻き込み、

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サーカスの看板

「いかにも」と言った風な衣装にメイク、滑稽な身振り、手振りをつけて客席通路を下りて行く...。

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観客

仮に、早口のスペイン語での演劇だとしても、周りの観客が「あははは!」なんて笑い始めますと、一人一人の舞台俳優の個性豊かな演技にこちらもついつい一緒に釣られて可笑しくなってしまいますよね!

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舞台と彫像

真夏の夜の、野外での観劇。うーん。一度観覧してみたいですよね、

特に喜劇が楽しそうですが、是非、今度!

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観客席に座る若者

席から立ち上がり、ようやく階段を降りて来ましたので、想像の世界もこの辺でおしまいに...。

娯楽施設「円形闘技場」に立って

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散歩 : ローマの遺跡近くで犬の散歩をする人

ローマ時代の建造物は、街道、水道橋、劇場、橋...と、考えてみましたら、

当時のローマの人々は、劇場を始めとする巨大な建造物や、土木建築がとても上手だったのだなと、つくづく感心しました。

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劇場裏

では、都市メリダの最後は、劇場のお隣にある、「円形闘技場」を訪ねてみましょう。

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客席への階段

また、階段を上りながらお話をしていきますね。

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戦車馬車のモニュメント

ところでこの時代の娯楽施設ですが、劇場や闘技場の他、サーカス(複数建ての戦車馬車による競技)もメリダの郊外に作られたようです。

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遺跡の階段

足下の不確かな階段を上って、

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闘技場

闘技場の上部に出ました。

ここに立って一望してみると、当時の情景が見えてくるようです。

ローマの闘技場

ローマの闘技場

席には、かつて壮絶な戦いを生き抜いた軍団の元兵士達にも平和が訪れて、

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ローマ軍団 : 時代祭りより(イメージ)

名言「パンとサーカス(娯楽)…」のように政治も戦いも忘れ、娯楽に熱中しているのかもしれません。

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女性とライオン : 時代祭りより(イメージ)

彼等の歓声や、野次を飛ばす声。それに混じって猛獣の吠える声が遙かなる時代を越えて、今、私達の耳にも聞こえてくる気がしませんか。

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石柱

メリダにあるローマの遺跡は世界遺産に登録されています。長い時を経ても、とても保存状態が良いのだとか..。

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お店の飾り

さぁ、このあたりで都市メリダとお別れすることに致しましょうか。

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観光客

休憩場所は「秋のテラス」で\

第二部が終了致しました。ご覧頂きましてありがとうございました。ここで再び「休憩時間」のご案内をさせて頂きます。

さて、暑い夏も過ぎて爽やかな秋の季節になりましたね。お近くの公園や郊外に出かけると道ではこんな「秋」に出会えるのも巡る季節の楽しさでもあります。

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落ち葉と木の実

一方、スペインの地方へ出かけますと夏から秋にかけて「赤ピーマン干し」を窓やベランダで見ることが出来ます。乾燥させて、肉と共に煮込み料理等にします。

日本の「干し柿」の風景に近いのでしょうが、干し柿も、赤ピーマンもそれぞれの土地に住む人々にとって、「秋の風物詩」なのですね。

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赤ピーマン干し

それでは、秋のテラスで気分転換して頂いた後は、今度は北東の都市サラゴサ(ローマ時代 : 都市カエサラウグスタ)へとご案内致します。

***   ***   ***   ***   ***   ***   ***

マドリードからバルセロナへ向かって

マドリードに住んでおりました頃、所用でスペインの北東に位置するカタルニア州の州都バルセロナまで何度も旅をしました。

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グラシア通り

町の中心部、南北に走るグラシア通りはオフィスの他、一階には瀟洒なお店が建ち並んでいます。

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街を歩く男性

この通りには、建築家ガウディによるアパート「ラ・ペドレラ」や、下の写真”Casa Batlló”「バトジョ邸」があります。

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バトジョ邸

バトジョ邸の屋根やバルコニー、外壁のモザイクなどは見立ての世界になぞらえ、建築家ガウディ独自の美の世界がこの通りのアクセントとなって、道行く人々の目を楽しませてくれます。

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バトジョ邸のパティオ

室内もまた、曲線を採り入れたデザインや

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バトジョ邸の室内

ステンドグラスの窓から差し込む光から、海の中をイメージさせてくれます。

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シャンデリアのある部屋 : バトジョ邸

音楽で例えるとしたら、そうですね...。ドビュッシーの「アラベスク1番」で感じるような揺らめき...です。

あら...。ついついすみません。今、お話ししようとしたのは、バルセロナへ行く途中の町の事でした。

三度続きの旅 都市サラゴサ

Zaragoza(サラゴサ)へ戻るトレーラー

Zaragoza(サラゴサ)へ戻るトレーラー

さて、マドリードッ子はバルセロナへ向かうA-2号線を通称「バルセロナ街道」と呼んでいますが、

A2号線とドライブイン(サラゴサ近郊付近) : 11144

A2号線とドライブイン(サラゴサ近郊付近): 高速鉄道 “AVE” の車窓から

その街道を車で300㎞程走ると、

サラゴサ近郊の風景 : 高速鉄道 "AVE" の車窓から

サラゴサ近郊の風景 : 高速鉄道 “AVE” の車窓から

スペイン第五の都市”Zaragoza”(サラゴサ)の町が見えてきます。

サラゴサの街を支える大地 : 11145

サラゴサの街を支える大地 : 高速鉄道 “AVE” の車窓から

道はサラゴサ市に入る手前で外環道と合流し、時計回りに大きく曲がり始め...。

ちょうどその頃でしょうか。遠くからそれもほんの僅かの時間ですが、右手に、川岸に建つ立派な寺院の塔が視界に入ってきます。

夕暮れのエル・ピラール聖堂 : 11207

夕暮れのエル・ピラール聖堂

毎回ここを通過する度、『あ...。サラゴサの町!一度見てみたいな』と、同じ地点で同じ台詞を呟いていたのですが、ある日そのチャンスが巡ってきたのです。

訪れたのは夏の暑い盛りで、暑さもマドリードに負けず劣らずでした。

それまで全く行く機会がなかったのですが、どういう風の吹き回しでしょう。いきなり立て続けに三度も行く機会に恵まれました。

線路 : 11142

線路 : 高速鉄道”AVE” の車窓から

『よーく観ておくのですよ』と、もうこれは目に見えぬ強い力で、引きつけられとしか言いようがありませんね。

後ほどご紹介致しますが、サラゴサにはスペインの二大宗教建造物の1つ、”Basílica de Nuestra Señora del Pilar”「ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖堂」があり、世界中から毎年数多くの巡礼者が訪れる重要な都市です。

サラゴサの鉄道操作場 : 11150

サラゴサの鉄道操作場 : 都市サラゴサは古くから交通の要衝。スペインの首都マドリード、第二の都市バルセロナを始め、フランスのトゥールーズや、地中海の都市バレンシア迄、ほぼ300㎞圏内にある。

スペインではこの聖堂を「エル・ピラール」と呼ばれています。

サラゴサ鉄道操車場 : 11151

サラゴサ鉄道操車場 : 高速鉄道”AVE”の車窓から

さてエル・ピラールだけに留まらず、サラゴサにはローマ時代の遺跡を始め、各時代の様式にアラゴン地方の「ムデハル様式」が一体となった見事な建造物に出会える事も大きな特徴の1つと言えます...。

サラゴサの市街眺望 : 11153

サラゴサの市街眺望

どうやらサラゴサの旅を思い出しておりましたら、前置きが長くなってしまったようです。

「三度続きの旅」。そろそろお話を始めましょうか。

「エル・ピラール」

ピラール広場 : 11190

ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール広場

サラゴサでは、やはり歴史的街並みのあるエブロ川右岸地区に惹かれ、何度も歩きました。

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巡礼者

夏の午後、ここに集合している人達がいます。

このグループは観光目的ではなく、先頭の人が持つ国旗と小さな文字から、イタリアからの”…PELLEGRINAGGI”(巡礼)と判明しました。

わざわざサラゴサへ訪れたのは、この聖堂が由緒ある全キリスト教世界初の「聖母マリアの聖堂」だからなのです。

親子 : ピラール広場 11089

親子 : ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール広場

現在の聖堂は、1434年の火災で被害後、1515年にバロック様式の教会として建立されています。

見上げますと、外壁近くや、彫刻が施された入り口付近の人達と、建物の大きさを見比べると、どれだけ大きいのかとその規模に驚かされてしまいます。

エル・ピラール聖堂内 ; 11043

エル・ピラール聖堂内

堂内に入ってみると、大理石柱の上に立つ聖母ピラールの像が安置されています。

“El Pilar”とは「柱または支柱」の意味なのです。

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エル・ピラール聖堂

また上の写真は、広場からエル・ピラールを写真館で使用するような蛇腹の大型カメラを使用し撮影しました。一般的なカメラに広角レンズを付けて広範囲を撮ろうとすると、建物が高いためにどうしても歪みが出てしまうからです。

また撮影する際は、頭からはすっぽり「かぶり布」(黒い布)を被り、暗い中でカメラのガラス板を覗きます。

真夏の暑さと、頭に被る黒い布の組み合わせは最悪な条件なのですが、そこに映る逆さの像をルーペで確かめているうちに、暑さも次第に忘れ去り、目に入る荘厳で美しい建造物に引き込まれていきます。

エル・ピラール聖堂 : 11183

エル・ピラール聖堂

特に、抜けるような空と、ドーム屋根の配色の美しさ。

こんな時スペイン人は、眺めながら必ず”¡Es una joya!” 「宝石である!」と、表現します。

そう確かに、その言葉に頷けますね。

ピラール広場 : 11182

ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール広場

ではここで、建立に纏わる伝説をどうぞ。

祭壇前の子供 : 11034

祭壇前の子供

キリストの12使徒の一人、大ヤコブは伝道の為、スペインに赴きますが思うような結果が出ずに落ち込んでしまいます。

紀元40年1月2日のことでした。被昇天以前の聖母マリアは、当時エルサレムに住んでおりましたが、エブロ川の岸辺にて大ヤコブの目の前に現れ、そして持ってこられた柱で、最初の礼拝堂を建てるようにと彼を元気づけたのです。

祭壇の絵画 ; 11036

祭壇の絵画

その後の大ヤコブですが、サラゴサで8人の改宗者の中の一人を司祭に任せてエルサレムに戻るのですが、殉教してしまいます。その亡骸は船に乗せられ、やがてスペイン北西部のガリシア地方へと流れ着く...。

と、この辺りの前後のお話は、巡礼道で有名なスペイン北西部の都市「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」の大聖堂に祀られているサンティアゴ(聖ヤコブ)に纏わる伝説ですね。

エル・ピラール : 11025

エル・ピラール聖堂

サンティアゴ(聖ヤコブ)は鍔付きの丸い帽子。マントにはホタテ貝。杖に瓢箪を持った巡礼姿の像は、すでにご存じかもしれませんね。

エル・ピラール聖堂 : 11028

エル・ピラール聖堂

さてお話はローマ時代のサラゴサに移ります。

ローマ時代の遺跡

これより先は都市メリダと同様、地名の混乱を避けるため、あえて古代名「カエサラウグスタ」を並記せず現在の地名「サラゴサ」のみを使ってお話を致しますね。

それではエブロ川に架かる橋からの眺めをご覧になりながらどうぞ。

エル・ピラール聖堂とエブロ川 : 11053

エル・ピラール聖堂とエブロ川

都市サラゴサは、初代皇帝アウグストゥスにより退役軍人の為の植民都市として紀元前1世紀に始まりました。

エブロ川に架かる橋のたもと : 11269

エブロ川に架かる橋のたもと

この都市は、陸上、水上交通共に要衝であり、

特にエブロ川を利用して、源流のスペイン北西部から地中海まで船を利用した水上交通が発達しました。

河川敷の港 : 4432

河川敷の港 (イメージ)

サラゴサは、河谷の中心部に位置しているため、ここで荷物は再配分されて、各地に船出をしていったのです。

船荷の中はどんな物が入っていたのでしょうね。少し例を挙げてみましょうか。

まずは、内陸地から地中海方面では、麦、木材、鉄、皮革、麻などを、

食材のお店 : 1553

食料品店:塩漬けの魚(鰯)を中心に右から左へ、レタス、サツマイモ、置物としてのカボチャ、トロピカル・フルーツ類、木の実(アーモンド)

そして地中海からはワイン、塩漬けの魚、陶器、大理石や宝石....。

ローマ時代のヒスパニア(スペイン・ポルトガル)は、産業が豊かだったようです。

ローマ時代の遺跡 : 11122

ローマ時代の市壁

次に、聖堂前広場近くに残る紀元2-3世紀に建設されたローマ時代の市壁をご紹介いたします。

市壁は今でも部分的に残っていて、未だに道の下になっている場所もあります。

ローマ時代の遺跡 : 11121

ローマ時代の市壁

外敵侵入から市民を守る市壁は、周囲をぐるっと測ると、およそ3000mになります。

当時の市壁の横を歩いてみましたら、非常に頑丈な作りで、多くの場所で壁の厚さが7mにも達します。

でも、この壁の厚さは何に対しての防御を想定していたのでしょう。ちょっと知りたい気もしませんか...。

ローマ時代の遺跡 : 11133

ローマ時代の市壁

また、この壁には、高さ13mもある大きな塔が120箇所あります。

腕を広げて測ってみると、おおよそ2mちょっとに塔が1つ、壁と一緒に設置されていた事になりますね。

「自分たちの都市を守る」を直に古代の人々から形で示された思いでした。

ローマ時代の遺跡 : 11139

ローマ時代の遺跡 : 11139

中央市場の眺め

只今ご案内致しました市壁の先には、イタリアから贈られた皇帝「アウグストゥス」の彫像が、n中央市場前に建っていますが、でもその前に、中央市場も見て下さいね。

サラゴサの市場とアウグストゥスの彫像 ; 11124

サラゴサの中央市場と「アウグストゥス」の彫像

町の中央市場です。市場の歴史は古く、何度も建て替えられても、13世紀以降ずっと変わらぬ場所にあります。

サラゴサの市場 : 11130

サラゴサの中央市場

この建物は鋼材を使用して建てられた市場です。

鋼材と言えば、19世紀末に建造されたパリのエッフェル塔が有名ですね。実際、その数十年後ここサラゴサでもこうして同様の材料で建造されたのです。

その上、良く見ると一番大切な「スペインらしい装飾」がされていませんか。

サラゴサの市場 : 11126

サラゴサの中央市場

両側の幾つもの小さな半円形アーチ。中央上部に嵌め込まれたガラスと鋼材。そして柱頭飾り...。

サラゴサの市場 : 11129

サラゴサの中央市場

そして側面のこの外観も。サラゴサの「街中の美術館」を見つけた気分になりますね。

天井が高い場内に入ると、町を流れるエブロ川流域の鮮やかな野菜や果物が、綺麗な山形になって積まれている。そんな光景が目に浮かぶようです。

皇帝アウグストゥス

そして次なるは...。皇帝アウグストゥスの彫像です。

皇帝アウグストゥスの彫像 : 11132

皇帝アウグストゥスの彫像

皇帝アウグストゥスの名前は、”Caesar Augustus”(カエサル・アウグストゥス)。

サラゴサのローマ時代の地名は、カエサラウグスタ。実は、皇帝の名が付けられています。でも慣れませんと、ちょっと覚えにくい名前ですよね。

また、アウグストゥスはローマ帝国領域内に”Paxs Romana”(パクス・ロマーナ)「ローマの平和」をもたらした人と言われていますが、その志半ばで亡くなった彼の養父が「ブルータス、お前もか!」の台詞で有名なジュリアス・シーザーなのは、ご存じでしたか。

2つの街中の美術館

エル・ピラール広場 ; 11179

ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール広場

今度は写真奥に見えるカテドラル(大聖堂)をご紹介しようと思いますので、広場の聖堂の反対側を眺めながら歩いていきますね。

ピラール広場のカフェテリア : 11091

ピラール広場のカフェテリア

最初に足が停まったのはこのカフェ・テラスでした。

黒いノースリーブのブラウスを着た一人の女性が座っていました。エル・ピラールを眺めながらの午後のカフェは如何ですか。

良く見ますと、彼女の後ろに見えるカフェテリアも、街中の美術館の1つとして数えられそうですね。大窓の上に施してある花の装飾や、2階の鉄製のバルコニーや、アーチも素敵です。

ピラール広場のショッピングセンター : 11095

ピラール広場のショッピングセンター

もう一箇所、街中の美術館をご紹介します。

ショッピング・センターの外壁は、良く見ましたらカフェテリアと同じ装飾でした。

ピラール広場のショッピングセンター : 11099

ピラール広場のショッピングセンター

そして中に入ってみましたら、夏休みの為かほとんどの店舗は閉められていて、がらーんとしていました。『何があるのかしら?』と、思っておりましたがちょっと残念でした。

とは言え、内部装飾は、ショピング・センターと言うよりもむしろもう宮殿レベルですね。

落ちていた花 : 11100

落ちていた花

広場で探した街中の美術館は、お気に召しましたか。

サルバドール大聖堂の鐘楼

サルバドール大聖堂 : 10994

サルバドール大聖堂

さて、こちらが”Catedral del Salvador”または”La Seo del Salvador”「サルバドール大聖堂」です。

上に書かれた2つの名前、「カテドラル」も「ラ・セオ」もどちらも同じ大聖堂を指します。

サルバドール大聖堂の塔 : 11198

サルバドール大聖堂の塔

さて、このラ・セオ。ご紹介したい建物に選んだ理由とは、スペインの歴史をそのまま物語っているからです。

現在、私達が目にしている以前の建造物は、各時代の支配者が交代する度に、何度も建て替えられて来ています。

例えば、ローマ時代は、フォーラムや寺院。次に西ゴートの教会...と、こんな風にです。

サルバドール大聖堂 : 11456

サルバドール大聖堂

やがて8世紀に入ると、アル・アンダルースの領域となりイスラーム教徒によって新たにメイン・モスクがここに建てられます。

サルバドール大聖堂 : 11455

サルバドール大聖堂

しかし、スペイン北西部に追いやられたキリスト教徒も徐々に勢力を盛り返し、

12世紀にサラゴサは、キリスト教徒の手に落ちると...。

サルバドール大聖堂 : 11158

サルバドール大聖堂と博物館 : ローマ時代にはフォーラムがあった場所に、現在はラ・セオとフォーラム博物館(ローマ時代の遺跡)が同じ広場に並ぶ。

モスクの塔はそのままキリスト教徒の鐘楼として転用されることになりました。

それ以降、ラ・セオは18世紀まで改修と拡張が行われていきました。

ピラール広場 : 11205

夕闇のピラール広場 : 正面奥がラ・セオ (サルバドール大聖堂)

ラ・セオの塔はトレドのお話でも例えたように、日本で言うならば、

「和洋折衷の建築物に、その後時代の流行が付け加えられていった」と、表現した方がよりご理解しやすいのかもしれません。

この塔は、各時代の流行であるロマネスク、ゴシック、ムデハル、ルネサンス、バロック、そしてネオ・クラシック様式が一体となった建造物と言えるのです。

ピラール広場 : 11222

ピラール広場 : 夕涼みをする人々

「スペインらしさ」には、こうした文化の融合によって見られる建築物や工芸品が、他の国々では見られない独自性が特徴と言えるのです。

フォーラム博物館の一角

一方、ラ・セオの塔の右隣には、「カエサラウグスタのフォーラム博物館」があります。

下の写真、右手の建物がそうです。

博物館入り口付近 : 11324

フォーラム博物館入り口付近

地下にある博物館の一角、現在の様子はどんなでしょう...か。ちょっと下りていって見ますね。

ローマ時代の彫刻 : 11137

ローマ時代の彫刻

博物館には彫像や遺跡の他、

ローマの遺跡内のホール : 11134

フォーラム博物館内のホール

コンサートが開けるようになっていました。

遺跡内のコンサートホール : 11135

フォーラム博物館のコンサートホール

ぼこぼこしている壁は、残響の少ない無響室の壁みたいですね。どんなピアノの音色がするのでしょうか。

ローマ時代に作られたこの場所をコンサート会場にしようと考えた人は、夢のある発想の持ち主ですね。

夕暮れのエル・ピラール聖堂 ; 269

夕暮れのエル・ピラール聖堂

地上に上がり、博物館の外へ出たところです。

正面奥にはエル・ピラールの塔が見えますが、ここはエル・ピラールとラ・セオが対になっているのです。

サン・ミゲル礼拝堂の外壁の世界

さて、この大聖堂ではもう1箇所、ご覧になって頂きたい場所がありました。

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ラ・セオ内のサンミゲル礼拝堂

広場から向かって

塔左手に見える白い建物が、”Capilla de San Miguel”「サン・ミゲル礼拝堂」通称”Parroquieta”「パロキエタ」。

サンミゲル礼拝堂 : 11209

サンミゲル礼拝堂

この礼拝堂の左手の角を曲がりますと、1370年代に作られたアラゴン地方のムデハル様式のとても美しい外壁が見えてきます。

その壁を眺めた時、『本当に礼拝堂の外壁なの?』と、一瞬戸惑いながらも息を呑む美しさがそこにありました。

サンミゲル礼拝堂外壁の装飾 : 11072

サンミゲル礼拝堂外壁の装飾

誰もがしばし足を止め、目の前を埋め尽くす幾何学紋様に見とれる為、この空間だけが外界と遮断されたような静けさが存在するのです。

ここを、大きな壁に掛けられた「アラブ風タピスリー」と表現する人もいます。

サンミゲル礼拝堂の壁の装飾 : 11052

サンミゲル礼拝堂の壁の装飾

この通りに大型カメラを出して撮影をしていますと、旅姿のスペイン人の青年2人が、撮影のタイミングを見計らって静かに声をかけてきました。「すみません、今、構いませんか。どんな風に見えるのか、覗かせてもらっても良いですか」と。

彼等が覗いた感想、ですか?「この壁から発散している美しさ、それから堂々としたエル・ピラールの塔と言い、どちらも迫力がありますね」と、昔、これらの建設に携わった人達の心が、大型カメラを通し形となって現れた事に素直に感動した様子でした。

サンミゲル礼拝堂外壁の装飾 : 11074

サンミゲル礼拝堂外壁の装飾

さて、先程から何回か登場した「ムデハル様式」のお話をここで少し詳しく解説していきます。

“Mudéjar”「ムデハル」とは、中世スペインで支配していたイスラーム教徒達が、キリスト教徒によって再征服された後も改宗することなくスペインに定住し続けた人々のことです。

サンミゲル礼拝堂の塔部分 : 11078

サンミゲル礼拝堂の塔部分

キリスト教徒のレコンキスタ後は、都市にはモスクの変わりに新しくキリスト教会が建てられました。

ですから、ムデハルの人達が持っていた建築方法や習慣、芸術性が装飾として開花したのでしょうね。

サンミゲル礼拝堂の窓 : 11075

サンミゲル礼拝堂の窓

ご覧の通り材料は、煉瓦、光沢のある陶器やモザイクと、経済的な素材ばかりですが、非常に富んだ装飾が施されています。

それから、このほっそりとしたアーチの外側にはモザイク文様が見えますね。そして頂点の部分に半月を逆さにした紋章がご覧になれますか。

月(Luna・ルナ)の文様 : 11075-2

月(Luna・ルナ)の文様

スペイン語で「月」は”Luna”(ルナ)と言いますが、この半月はイスラーム教徒のムデハルの人々とは関係はなく、建設の後援者である当時のアラゴン王国の貴族”la Familia Luna”「ルナ家」の紋章です。

そう言えば、14世紀末の教皇ベネディクトゥス13世もこのルナ家出身でした...。

ドイツ人旅行者が見た光景

ラ・セオの説明の最後には、中世末期に生きたドイツ人による旅行記からのお話です。

もう少しだけ、この壁をご覧になりながら聞いていて下さいね。

壁の装飾 : 11073

壁の装飾

15世紀末。キリスト教徒によるレコンキスタが完了して数年後の事でした。ドイツ・ニュールンベルグからスペイン、ポルトガルへと7000㎞を旅した”Jeronimo Münzer”(ジェロニモ・ミュンツァー)は、このサラゴサで注意を引いた光景に出会います。

その光景とは、町のムデハルの人々がこの外壁前を通る際、必ず深く頭を下げていく姿でした。

レコンキスタ以前は、ここはモスク。つまり寺院内で最も神聖な場所、メッカへの遙拝(しょうはい)を示す壁面の窪み、「ミヒラブ」があった場所だったのです。

大聖堂入り口の扉 : 11094

大聖堂入り口の扉

それでは、美しいパロキエタの壁から静かに立ち去った後は、賑やかな商店街を覗いてみましょうか。

サラゴサの街角風景

サラゴサの街角はまだご紹介していませんでしたよね。

ここでは、広場を中心として様々な表情をお届け致します。

ピラール広場近くの商店街 : 11187

ピラール広場近くの商店街

広場を繋ぐ商店やレストランのある通りです。

昼の食事時間を除いて人通りも多く、いつも賑やか。

サラゴサの土産物店 : 11161

サラゴサの土産物店

同じ通りの土産店のショウウィンドウ。

サラゴサに余り関係のないお土産もありますが、はやりスペインらしさを支えているのは、お土産品では、「闘牛」と「フラメンコ」と言う気がします。

ピラール広場裏の路地 : 11102

ピラール広場裏の路地

あら?商店街から見える路地は、お店がまだまだ続くのかと想像していましたら、随分静かな通りもあるのですね。

観光客 : 11156

観光客

一方、エル・ピラールの広場裏では、観光の合間なのか、皆さん仲良く、また楽しそうです。

そうそう仲良くと言えば、商店街の通りのお二人です。

キス : 11167

抱擁

あらあら、仲良しのお二人。ご馳走さま♪

サラゴサの土産物店 : 11157

サラゴサの土産物店

こちらは、土産店を兼ねた甘いお店。水色と赤を基調にした看板には、”FRUTAS DE ARGON”「アラゴンのフルーツ」。

でも生の果物ではなく、砂糖漬けをチョコレートでくるんだ、見た目はチョコレート・ボンボン風の伝統的銘菓です。

アラゴン・フルーツ : 11162

アラゴン・フルーツ : 「エル・ピラール像」のプリント入りフルーツの詰め合わせ

この地方の特産品はフルーツで、梨や杏、サクランボ、イチジク、スモモなどを、古くから砂糖漬けにしていました。

街道沿いのレストランやガソリンスタンドでは、手間暇かかったこのお菓子は木箱に入れられ、ちょっと偉そうなお値段が付いていますよ。

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市内のスイーツの老舗

もう1件は、ケーキやビスケット、アイスクリームにチョコレート菓子と、所謂スイーツを販売する創業1856年の老舗。

お店の名前も女性が好みそうな”LA FLOR DE ALMIBAR”「砂糖漬けの花」は、お菓子の世界と、お店の装飾にと同時に二度楽しめるお店です。

ここも「街中の美術館」の1つに加えても良いと思いませんか。

エル・トゥボ地区

エル・トゥボ街 : 11118

エル・トゥボ地区の屋外レストランと壁面の絵

さて、そろそろ日の暮れる時刻になりました。

流石に一日中歩き回り足が棒のようなのですが、この先の”El Tubo”「エル・トゥボ」の地区へ最後に行ってみました。

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エル・トゥボ地区 : 繁華街

到着してみると、皆さん上機嫌で歩いています。私も先程は『疲れたー!』と思っていましたのに、人の気持ちなんていい加減なものですねぇ。歩いておりましたら、楽しくなってしまいました。

さて、ここは古くからある一角で、一日の終わりには小皿料理”Tapas”「タパス」をつまみに人々が集まって来ます。

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エル・トゥボの街角

エル・トゥボは、地区再生のためにお客さんにもっと来てもらおうと、お店側も色々アイディアを絞っているようでした。

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エル・トゥボ地区のワイン・バー

こちらは、ワインを中心にしたBar。中に入りましたら、注文出来ないほどお客さんで一杯です。

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エル・トゥボ地区のワイン・バー

それから、この先を歩いていきましたら、左手に屋外レストランがありました。

そこも以前は、しばらくの間空き地だったのかもしれません。

エル・トゥボ街 : 11443

エル・トゥボ地区 : レストランのメニューを見る女性

そのお店の前には一人の女性客が立っていました。友人より先に来てメニューを眺めて考えていた様子です。

時間は午後9時半をまわったところでしょうか。レストランではタパスをつまみながらちょうど盛り上がる頃。

9時半なんて遅いと思うかも知れませんが、上の写真で空を見上げますと、実はまだ日没前。スペインの夏の夜は、長いのですよ。

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エル・トゥボ地区

うーん、こちらもそろそろお腹もすきましたので、食事にしたいところですが...。

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エル・トゥボ地区

実は、この地区に来たお目当てはサラゴサの再開発地区がどうなっているのかを、写真に収めることでした。

エル・トゥボ街

エル・トゥボ地区のストリートアートとムデハル様式の教会

それから、「ストリート・アート」と、14世紀のムデハル様式の教会の鐘楼との組み合わせもあります。

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エル・トゥボ地区のストリートアート

イスラーム芸術にキリスト教の建築が融合した教会に、繁華街のストリート・アート。

サラゴサの新たなる様式?をご覧になって、貴方はどう思われるでしょうか。

エル・トゥボ街 : 11482

エル・トゥボ地区のストリートアート

上記2つは、ちぐはぐな取り合わせのようですがこうして実際眺めてみると不思議と憎めない、

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エル・トゥボ地区

それぞれが反発するように見えない面白さを感じました。

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母と子

だいぶ遅い時刻になってしまいました。先程まで賑わっていたテーブル席も人の姿はほとんど見かけません。

こちらもそろそろ機材を仕舞う準備をしようかしら...。

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エル・トゥボ地区の屋外レストラン

給仕をしてくれる男性達から「撮影終わったら、遅くまで開いているから是非来てね!」とお誘いの言葉がありましたので、ここでちょっとつまんでいきますね♪

エル・トゥボ街 : 11479

エル・トゥボ地区

サラゴサのエル・トゥボの夜は、街角の人々の笑い声と共にゆっくりと更けていきました。

では、この辺で...。

本日ラストの写真

姉妹 : 11331

姉妹

さて今回は、お姉さんのトレドから妹のマドリードへお話が移りました。お楽しみ頂けましたでしょうか。

今回、自分がお世話になった懐かしいスペインの首都マドリードをご紹介するにあたり、どんな切り口にしようかと色々と考えました。

夜のマドリード : 902

月夜のマドリード

やはり何と申しましても王宮に隣接する広場からの眺めや、そしてカサ・デ・カンポ公園からのひな壇のマドリードが印象的であって、この視点からお話を始めるのが私にとっては一番自然だと思っています。

尚、マドリードは次回もテーマに引き続きお送りする予定です。

今夏は暑い夏が続きましたね。お変わりございませんでしたか。個人的な事で恐縮ですが、夏に引っ越しをし、ブログ更新がとても遅くなってしまいました。

当ブログへ何度か様子を見に来て下さった方、嬉しくもあり、と同時に大変申し訳なく思っております。これに懲りず、またご覧になって下さいね。

この度も長い時間、お付き合いを頂きましてどうもありがとうございました。

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