第16話 道(V) マクロ・レンズで見るマドリード ー二つの散歩道ー

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春の情景\r\n\r\n\r\n季節は梅雨の時期を\r\n迎えようとしていますが、\r\nお変わりございませんか。\r\n\r\n

河津桜とヒヨドリ 8798

河津桜とヒヨドリ 8798

\r\n\r\nさて、\r\n近所には寒緋桜(カンヒザクラ)が\r\n街路樹として\r\n植えられている道があります。\r\n\r\n\r\n開花時期に、\r\nヒヨドリが賑やかに\r\n蜜を吸いに来ていたのは\r\nついこの間と思っておりましたら、\r\n\r\n\r\n
17526

公園の母と子 17526

\r\n\r\n先日、熟した果実が\r\n自分の足下を埋め尽くすように\r\n一面に散らばっているのを見つけ、\r\n時の経過を感じたものです。\r\n\r\n\r\n
道  4240

道  4240

\r\n\r\n一方変わってスペインの春。\r\nアマポーラ(ポピー)が咲くのは\r\n確か4月下旬頃からでしょうか。\r\nマドリードを始め、\r\n特に郊外へ延びる街道沿いでは\r\n二週間ほど見ることが出来ます。\r\n\r\n
アマポーラ(ラ・マンチャ地方)  1038

アマポーラ  1038

\r\n\r\n青い元気な麦の穂と、\r\nその間をぬって\r\n寄り添うように咲くアマポーラの取り合わせは、\r\nさながら緑の地に赤い水玉模様の\r\n鮮やかなフラメンコ衣装を思わせます。\r\n\r\n
麦畑とアマポーラ  10064

麦畑とアマポーラ  10064

\r\n\r\nまた畑の上空に\r\nそよ風が連れてくる雲が加われば、\r\n光りと影による効果で\r\n赤と緑に濃淡がつき、\r\nそれもまた美しい光景です。\r\n\r\n広がる大地に群生するアマポーラは、\r\nスペインらしい風景として良く知られていますが、\r\nそれだけではなく、\r\n3月から4月にかけて一面に\r\n桜の花が咲く谷があるのをご存じですか。\r\n\r\n
ヘルテ村の入り口付近  8425

ヘルテ村の入り口付近のさくら  8425

\r\n\r\n今回最初のお話は、\r\n「スペインの春」を中心にしていきますが、\r\nと同時に「心に咲いた桜の花」も合わせて\r\nご紹介していきたいと思います。\r\nどうぞごゆっくりお楽しみ下さい。\r\n\r\n『春暁』の情景\r\n\r\n
17465

満開の桜の花(東京) 17465

\r\n\r\n今春のうららかなある一日の事でした。\r\n写真制作にと幾つか春景色を\r\n心に描いておりましたら、\r\n懐かしい唐代の詩人、孟浩然(もうこうねん)の\r\n漢詩『春暁』の情景が、\r\n久々に心に浮かび上がりました。\r\n\r\nこの漢詩を\r\n初めて目にしたのは、\r\n確か学校の授業でしたよね。\r\n\r\n春眠暁を覚えず、\r\n処処に啼鳥を聞く、\r\n夜来風雨の声、\r\n花落つること知る多少。\r\n\r\n
庭に来るヨーロッパコマドリ (マドリード) 16723

ヨーロッパコマドリ (マドリード) 16723

\r\n\r\n学習した当事、\r\nこの五言絶句に触れて\r\n簡潔明瞭な詩体から\r\n一字一字の漢字の持つ力と、\r\n誰もが体感するこの自然描写に、\r\n感心してしまいました。\r\n\r\nところが今回この漢詩の一句目、\r\n「春眠暁を…」を思い浮かべていると\r\n『ああ、マドリードの春眠…』と、別な意味で\r\n詩を懐かしむ事になってしまいました。\r\n\r\nそれは一体どんな春だったのか。\r\nもったりぶらずにお話の舞台を\r\nもうマドリードへ移す事に致しますね。\r\n\r\nマドリードの春\r\n\r\n
プラド通りの花壇  14522

パセオ・デル・プラド通りの花壇  14522

\r\n\r\n市の中心部。\r\n人や車が往来する大通りや広場、\r\n歴史的モニュメント周辺では\r\n上品で光沢感のあるチューリップの花や、\r\nビロードの風合いを持つパンジーなどが\r\n春の花壇を美しく演出します。\r\n\r\n
5006

パンジー 5006

\r\n\r\nでもご紹介したかったのは、\r\nどちらかと言えば\r\n住まいのあった身近な春の様子。\r\n今でも思い出すと微笑ましいやら、\r\nまぁ悩ましいやらの方ですけれど…。\r\n\r\n庭の住人\r\n\r\n\r\n中心街から離れていた\r\nマドリードの住まいは、\r\n\r\n
マドリードの住宅街の通り  19684  

マドリード市の住宅街の通り  19684

\r\n\r\n週末の朝になると、\r\n乗客が近所のバスの停留所で\r\n乗降する様子もなく、\r\n\r\n
マドリード市内のバス停留所(イメージ) 14998

マドリード市内のバス停留所 14998

\r\n\r\n緩やかな坂道を軽快に下っていった後は、\r\nしばらくの間、\r\n再び静寂が訪れる...といった場所でした。\r\n\r\n
雨の庭(マドリード) 18920

雨の庭(マドリード) 18920

\r\n\r\nまた、\r\n比較的緑に恵まれた地域でしたので、\r\nご近所や我が家の庭の木々には\r\n黒歌鳥が居を構えていたのです。\r\n\r\n
黒歌鳥(オス)  16734

黒歌鳥(オス)  16734

\r\n\r\n愛くるしい目に、黄色いくちばし。\r\n雄は漆黒、雌は褐色の羽毛。\r\nこの黒歌鳥、日本へも\r\nごくたまに渡ってくるようですね。\r\n\r\nヨーロッパでは、\r\n美しい声の持ち主として知られており、\r\nまた身近な鳥として\r\nスペインでもオリーブ油の缶を始め、\r\nワインのラベルにも使用されていました。\r\n\r\n\r\n
オリーブ油の缶(黒歌鳥)

オリーブ油の缶(黒歌鳥)

\r\n\r\n「処処に啼鳥を聞く」\r\n\r\n「もしかするとマドリードの春のお話に\r\nこの鳥が関係しているのでは?」と、\r\n気づき始めている方が\r\nすでにいらっしゃるかも知れませんね。\r\n\r\n
Blog-16-1229

庭の黒歌鳥  16767

\r\n\r\n実はその通りなのです。\r\nですから庭の住人・黒歌鳥を\r\n漢詩『春暁』に当て込んで\r\n春の様子をお話ししようかしらと、\r\n考えたのです。\r\nさて、どんな風になることやら...。\r\n\r\nそれでは手始めに、対象となる\r\nオリジナルの前半二句からどうぞ。\r\n\r\n
五月の薔薇(マドリード」17306

五月の薔薇(マドリード) 17306

\r\n\r\n春眠暁を覚えず、\r\n処処に啼鳥を聞く、\r\n\r\n意味はすでにご存じかと思いますが、\r\n\r\n「春の眠りは心地よいので明け方も知らずに眠っていた、\r\n目が覚めるとあちらこちらで鳥の啼き声が聞こえる」\r\nですね。\r\n\r\nここで春の黒歌鳥について補足しますと、\r\n暖冬の年であれば2月から、\r\n通常3月から5月までが繁殖期にあたります。\r\n\r\n
18840

二羽の黒歌鳥(オス) 18840

\r\n\r\nオスは「木立のコンサート会場」で\r\nそれは一生懸命こんな風に囀ります。\r\n\r\n黒歌鳥(オス) 『春が来ましたよ、お嬢さん♪\r\n僕の素敵な声をどうぞ聴いて下さい。\r\n声真似だって色々出来ますよ~!』と。\r\n\r\n
黒歌鳥(メス) 16756

黒歌鳥(メス) 16756

\r\n\r\n一見、美声で囀るのなら\r\nさぞ春らしい日々と思いきや、\r\nいえいえ、問題は相手が決まる迄、\r\nほぼ連日連夜囀ることなのです。\r\n\r\n『春暁』を揶揄する意図は毛頭ないのですが、\r\n『春暁・マドリードの庭編』が許されるのなら\r\n次のような仕上がりに。\r\n\r\n「春の眠りは心地良いはずなのに、\r\n毎夜元気に啼く声が私の睡眠を妨げる」\r\n\r\n
Blog-16-1072

ワインのラベル

\r\n\r\n尤も注意が必要な時間帯とは、\r\nこちらの眠りが浅くなる暁の頃。\r\n\r\nかわいい「騒音鳥害」とも言える\r\n大きく抑揚のある啼き声は、\r\n夢の中でなのか、それとも現実なのか、\r\n正に夢現(ゆめうつつ)なのですが、\r\n\r\n運悪くこの時間、練習不足の彼等の声に\r\n少しでも耳を傾けようものなら、もういけません。\r\n\r\n
黒歌鳥(メス) 18819

黒歌鳥(メス) 18819

\r\n\r\n黒歌鳥(オス) 「...(ヒバリのつもり)ピーィチュク、ピー・チイク、ピー&%#●■!??\r\nあっ、すみません。これ、まだ良く歌えないので飛ばします~。\r\n次、ナイチンゲールの声真似いきます!あれ、れ、れ。\r\n最初の出だし、何だっけ...?」\r\n\r\n
ヒバリの雛(オス) 16765

ヒバリの雛(オス) 16765

\r\n\r\nまだまだ夜は明けぬと言うのに、\r\nこちらは両肩を小刻みに振るわせながら、\r\n「くっ、くっ、くっ…」と、声がかすかに漏れ、\r\n\r\nそれもやがて我慢出来ずに\r\n本格的に笑いがこみ上げた時には、\r\nもう完全に覚醒状態。\r\n\r\n
卵を温めている黒歌鳥(メス) 16763

抱卵する黒歌鳥(メス) 16763

\r\n\r\n毎春の庭の思い出とは、寝不足の思い出。\r\n詩人、孟浩然のような\r\n心地良い寝覚めであったのなら!\r\n\r\n
18870

黒歌鳥の雛 18870

\r\n\r\n今、お話を聞いて下さっているあなたも\r\nもしかしたら「...」と、同じように\r\n肩を振るわせながら\r\n苦笑してしているかもしれませんね。\r\n\r\n特別な花\r\n\r\nさて\r\n黒歌鳥との顛末記を語り終えたところで\r\n今度は詩の後半である花のある情景、\r\n三句目と四句目に移りましょうか。\r\n\r\n夜来風雨の声、\r\n花落つること知る多少\r\n\r\nこちらの二句は、\r\n「昨夜は風雨が吹いていたが、\r\nどれくらいの花が散ってしまったのだろう」ですね。\r\n\r\n
牡丹 5240

牡丹 5240

\r\n\r\nところで\r\n以前から素朴な疑問があるのですが、\r\nここで登場するモデルの花は何でしょうか。\r\n詩人が生きた盛唐に好まれた「牡丹」、\r\n或いは「桃」や「椿」...。\r\n\r\n
椿  8280

椿  8280

\r\n\r\n『春暁』でうたわれているように\r\n折角咲いた花が風雨に吹かれると、\r\n気になる存在が桜なのではありませんか。\r\n\r\n
さくら  8698

河津桜  8698

\r\n\r\n私もスペインで春を迎えるたびに\r\n『日本では桜の開花はまだかしら?』などと、\r\n季節柄よく気になっておりました。\r\n桜は、何処にいても日本人にとっては\r\n特別な花かもしれませんね。\r\n\r\n
河津桜 8683

河津桜 8683

\r\n\r\n\r\nサクランボの谷へ\r\n\r\n\r\nマドリードから\r\n「ヘルテの谷」(Valle de Jerte) を訪れたのは\r\nかれこれ7,8年前、いやもう少し前かもしれません。\r\n\r\n急に思い立って出掛けたのは、\r\n「春になると私の山へ\r\n日本人グループが花見に来られますよ」。\r\nとあるスペイン人の話を聞き、その時\r\n心にぱっと「日本の桜」が咲いたからでした。\r\n\r\n
見晴台「ロス・クワトロ・ポステス」から望むアビラの街 10680

見晴台「ロス・クワトロ・ポステス」から望むアビラの街 10680

\r\n\r\nヘルテの谷は\r\n中央山系・グレードス山脈の西南端に位置し、\r\n車でマドリードから\r\n北西の中世の城郭都市「アビラ」を経由し、\r\n更に西へ。\r\n\r\nマドリードからは\r\nおよそ2時間半ほどでしょうか。\r\n\r\n
8443

ヘルテ村周辺の風景 8443

\r\n\r\n谷間には同名のヘルテ川が流れ、\r\nこの川に沿って両岸に村々が点在しています。\r\nまた近くの山にはイノシシや、\r\n山ヤギなどの野生動物が棲息し、\r\nまた野鳥や川魚の宝庫でもあります。\r\n\r\n現地へ到着すると、\r\n昼食がてら村の1つ、\r\n「ヘルテ村」に立ち寄ることにしました。\r\n\r\n
8444

ヘルテ村から馬に乗る人々 8444

\r\n\r\n山の斜面の桜が見える入り口付近で、\r\nこれから小道を馬で散策する人達に\r\n出会いましたが、\r\n\r\nルートは幾つかあって\r\n徒歩で、または馬、ロバでも\r\n周遊出来るようでした。\r\n\r\n
8446

馬で谷を散策する人々 8446

\r\n\r\n出発を前にしてご機嫌のお二人。\r\n桜の木は谷全体に何千本と植えられているので、\r\n川辺や山中でピクニックしながらの眺めは\r\n壮観でしょうね。\r\n\r\n「こんにちは♪ 楽しんできて下さいね!」\r\n\r\n
8432

ヘルテ村の内部 8432

\r\n\r\n村の様子を少しご覧になりますか?\r\n\r\n
8428

ヘルテ村の子供たち 8428

\r\n\r\n現在、\r\n人口1300人程の静かなヘルテ村は、\r\n以下のような戦争の歴史が残されています。\r\n\r\nそれは今からおよそ\r\n200年程前の1809年の夏のことでした。\r\n前年にマドリードから始まった\r\n「スペイン独立戦争」によって、\r\nこの村にもその波が押し寄せ、\r\n勇敢にも村人達が\r\nフランス・ナポレオン軍に対し蜂起したのです。\r\n\r\n
8540

焼き討ちから逃れた面格子のついた家(1785年建築) 8450

\r\n\r\nその結果、報復として村には火が放たれ\r\n一部地域を除きほぼ壊滅状態になりました。\r\n\r\n上の写真からでは\r\nとても小さいので確認が出来ませんが、\r\n嵌め込まれた面格子上部には、\r\n1785年(建築された年)と刻まれています。\r\nきっと焼き討ちから逃れた\r\n数少ない一軒なのでしょう。\r\n\r\n
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ヘルテ村の伝統的な民家 8490

\r\n\r\nさて…。\r\n気を取り直して、\r\n今度はここの伝統的な民家を\r\n一つ二つご案内しましょう。\r\n\r\n建材は周囲で調達可能な\r\n「木材」、「粘土」、「砂」、「石」や\r\n「石灰」を使用しています。\r\n\r\n
8489

ヘルテ村の伝統的な民家のバルコニー 8489

\r\n\r\nこちらは前出と同じ民家。\r\n「一続きのバルコニー」は色調や自然の風合いから、\r\n何処かしら懐かしくなる風景です。\r\n\r\n
8468

民家の外壁(日干し煉瓦と木材)8468

\r\n\r\n別の家屋では、外壁に粘土を使用した\r\n「日干しレンガ」と木の枠組みも見られます。\r\n\r\nまた路地を歩いておりましたら、\r\n家の戸口に下のような\r\n「巣箱」と「バスケット」を見つけました。\r\n\r\n底に貼られたシールから商品と思われますが、\r\nこちらはお店なのか、それとも個人宅なのか判別が難しく、\r\nこの村の長閑な雰囲気を感じたものです。\r\n\r\n
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「巣箱」と「バスケット」  8486

\r\n\r\nヘルテと言えばスペイン人にとって\r\n言わずと知れたサクランボの産地です。\r\nもしかしたらバスケットは、\r\nさくらんぼ用なのではと推測しました。\r\nかごに入った真っ赤に熟したサクランボ。\r\n現地で頂くときっと美味しいでしょうね。\r\n\r\n
サクランボをあしらった通りのプレート (ヘルテ村)  8442 

サクランボをあしらった通りのプレート (ヘルテ村)  8442

\r\n\r\nお味の方ですが、\r\n果肉の味が濃厚で甘く、\r\nマドリードでも初夏から夏にかけて出回ります。\r\nまた3ヶ月近くと長期間収穫が可能なのは、\r\nナバリンダと言うサクランボの他、\r\n4種類のピコタ(ビガロー種)を\r\n海抜の異なる段々畑を上手に利用して\r\n栽培するからです。\r\n\r\n
納屋と桜(ヘルテ) 8437

納屋と桜(ヘルテ) 8437

\r\n\r\nあら…。\r\nさくらんぼのお話に夢中になってしまい、\r\n肝心の桜の花について感想を忘れるところでした。\r\n\r\n
サクランボの果樹園(ヘルテ) 8501

サクランボの果樹園(ヘルテ) 8501

\r\n\r\n訪れた日は空には灰色の雲が覆い、\r\n太陽の光は頼りなく\r\nすっきりとしないお天気でしたが、\r\nその分、山の段々畑に咲くその姿は\r\n天空からの光がまわって\r\n和紙で作ったちぎり絵のように優しげ。\r\n\r\n
ヘルテ村  8465

ヘルテ川  8465

\r\n\r\n久々に甘い薫りが漂う\r\n花咲く小道を歩くと\r\n懐かしさで胸一杯になりましたよ。\r\n\r\n心に咲いた「日本の桜」とは?\r\n\r\n以上、\r\nヘルテの桜をご紹介したわけですが、\r\n\r\nではマドリードで心に咲いた\r\n「日本の桜」とは\r\n一体どのような情景だったと思いますか。\r\n\r\n\r\n
河津桜 9054

河津桜 9054

\r\n\r\n心に浮かんだ桜の情景とは、\r\n不思議な事に\r\n桜の名所や神社の境内など\r\n\r\n
源平池(鎌倉・鶴岡八幡宮) 4936

源平池の桜(鎌倉・鶴岡八幡宮) 4936

\r\n\r\n画趣に富んだ\r\n「美しい桜のある風景」と言うよりは、\r\n\r\n
旗上弁財天社(鎌倉・鶴が丘八幡宮) 4926

旗上弁財天社(鎌倉・鶴が丘八幡宮) 4926

\r\n\r\nむしろ、\r\nどれもが桜のみで構成された、\r\n\r\nまたストーリー性を持たない\r\n断片的なものだったのです。\r\n\r\n
17567

河津桜 17567

\r\n\r\n例えば…。\r\n\r\nひと足速く開花する\r\n早咲きの「河津桜」の花の色。\r\n\r\n
さくら 8884

河津桜 8884

\r\n\r\n河津桜は\r\n若々しい濃い桃色の花と、\r\n黄緑の葉の組み合わせ。\r\n\r\n本格的な春の到来を待つ人々にも\r\n「もうすぐ本格的な春♪」と、\r\n心にぐんと弾みをつけてくれます。\r\n\r\n
17467

満開の桜 17467

\r\n\r\nそれから桜の姿。\r\n\r\n手を差し延べるように\r\n幾重にも広がりを見せる優美な枝振り。\r\n\r\n
花の振り子(桜) 17447

花の振り子(桜) 17447

\r\n\r\n小枝と春風の組み合わせ。\r\n\r\n
17449

花の振り子(桜)17449

\r\n\r\n弥生の空を背景に、\r\n目の前で上下に揺れ動くのは\r\n沢山の「花の振り子」。\r\n\r\n
17724

河津桜 17724

\r\n\r\nまた春の風はいたずらっ子。\r\n\r\n花は、\r\n吹く一陣の風に桜吹雪となって\r\nお濠や川の水面に浮かび、\r\nそして花筏に。\r\n\r\nややもすれば、風も吹かぬのに\r\n時折思い出したかのように、\r\nはら・り…と枝から離れ、\r\n\r\n
17529

桜の花びら 17529

\r\n\r\n螺旋の舞を披露する\r\nひとひらの花びら...。\r\n\r\n
17575

桜 17575

\r\n\r\nしっかり折りたたまれていた\r\n花の蕾や葉の、\r\nそのはじける生命力。\r\n\r\nまた、咲いた裏桜の美しさ。\r\n\r\n
17362

花一輪(桜) 17362

\r\n\r\n花一輪。\r\n\r\n
17471

桜の花束 17471

\r\n\r\nまた寄り添うように\r\n一輪一輪が作り上げる\r\n「桜の花束」。\r\n\r\n
17551

頭上の桜 17551

\r\n\r\nそして何よりも\r\n記憶の中で鮮明であったのが、\r\n見上げた時のこの眺めでした。\r\n\r\n
17415

桜の花と小枝 17415

\r\n\r\nこうしてしばしの間、立って眺めていますと、\r\n\r\n花は、花見客の楽しげな声に、\r\nじっと耳を傾けている...。\r\n\r\n
17514

桜の花と葉17514

\r\n\r\n何故か\r\nそんな気がしてくるので不思議でした。\r\n\r\n
17510

桜の花冠 17510

\r\n\r\nそして\r\n空に向かって出来る\r\nこの桜の花冠(はなかんむり)の眺めが、\r\n美しく優雅で、心に一番大きく咲いた\r\n日本の桜かもしれません。\r\n\r\nあなたは今春、こんな桜を\r\n何処かでご覧になりましたか。\r\n\r\n***   ***   ***   ***   ***   ***   ***\r\n\r\n休憩所へようこそ\r\n\r\nさて、\r\n第一部のお話が終了致しました。\r\nご覧頂きましてありがとうございました。\r\n最後の様々な桜の姿はいかがでしたか。\r\n\r\n
13266

お茶のお誘い13266

\r\n\r\nここで一旦\r\n「休憩時間」のご案内をさせて頂きます。\r\nどうぞこちらで気分転換をなさって下さいね。\r\n\r\n\r\n
民家 (東京)  2852

民家 (東京)  2852

\r\n\r\nこの後は第二部、\r\n 前回第15話のマドリードの続きが始まります。\r\n 尚、今回はボリュームがあるため\r\n休憩所はもう一度設けてあります。\r\n\r\nそれでは第二部をどうぞ。\r\n\r\n***   ***   ***   ***   ***   ***   ***\r\n\r\n18世紀の散歩道へ\r\n\r\nシベーレス広場は\r\n町の東西に延びる二本の「アルカラ通り」と、\r\nそして南北に延びる二つの大通り「パセオ・デル・プラド」、\r\n「パセオ・デ・ロス・レコレトス」が交差する広場です。\r\n今回はこれらの南北に走る\r\n広い並木道をご案内するお約束でしたね。\r\n\r\nまたご自分がお散歩をする気持ちで、\r\nご覧になって頂けたらとても嬉しく思います。\r\n\r\n
シベーレス宮殿 15076

シベーレス宮殿 15076

\r\n\r\nでは最初はそうですね…。\r\n右手の道、パセオ・デル・プラドの次の広場まで\r\n歩いてみましょうか。\r\n\r\nそれでは♪\r\n\r\n
14506

鴨の噴水 14506

\r\n\r\n広場から歩き出すと程なく\r\n涼しげな水音が聞こえてくるのは、\r\n”Fuente de los Patos”(フエンテ・デ・ロス・パトス)、\r\n「鴨の噴水」です。\r\n\r\nこの噴水は18世紀中庸のもので、\r\n背後にうっすら見える緑の木立、\r\n「レティーロ公園」にあったものと言われています。\r\n\r\nいかがでしょう?\r\n噴水の淵に腰を掛けて、\r\n少し眺めて行きませんか。\r\n\r\n
カルガモ 19198

カルガモ 19198

\r\n\r\nモチーフを良く観察しますと、\r\n四羽の鴨は広げた羽で\r\n皆、仲良く繋がっているようです。\r\n\r\n
カルガモ

カルガモ 19197

\r\n\r\nそう言えば、\r\n池に浮かんでいた鳥が、\r\n羽繕いの為に扇のように羽を広げたり、\r\n\r\n
カルガモ  19163

カルガモ  19163

\r\n\r\nまた水面から飛び立っていく瞬間は、\r\nはっとする美しさを感じる事がありますものね。\r\n\r\n離宮であった「レティーロ公園」\r\n\r\nそうでした...!\r\nこの機会を利用して\r\nこの噴水の背後に見えるレティーロ公園も\r\n一緒にご紹介致しましょうか。\r\nその歴史も掻い摘んでお話しますね。\r\n\r\n
19090

冬のレティーロ公園 19090

\r\n\r\nこの公園が\r\nまだ町の東側のはずれにあって、\r\n「ブエン・レティーロ離宮」と呼ばれていた\r\n17世紀後半から18世紀のことです。\r\n\r\n
19060

アーティチョークの噴水 : カルロス3世の治世にアトーチャ門付近に設置された噴水。19世紀末になってレティーロ公園へ移設。 19060

\r\n\r\n時の王フェリーペ四世は人柄も良く、\r\n文化面においては\r\nベラスケスのような才能のある画家を\r\n保護する王でしたが、\r\n\r\n山積した問題解決よりも\r\nどちらかと言えば\r\n一大娯楽施設であったこの離宮で、\r\n池に船を何艘も浮べさせ\r\n「海戦ごっこ」など雄大なショーを催すなど、\r\n祭典にご興味があったお方のようです。\r\n\r\n
レティーロ公園  4635

レティーロ公園  4635

\r\n\r\nまたこの時代は、\r\nスペイン帝国の繁栄ぶりが\r\nすでに過去のものになり、\r\nそれまでの無駄な戦争によって散財し、\r\n国力の衰弱が決定的になった時期でもありました。\r\n\r\n
19059

イナゴマメの木の間から 19059

\r\n\r\nそして時は流れ、\r\nこの豪華な離宮も終焉を迎えるときが来ます。\r\n1808年に起きたスペイン独立戦争です。\r\n\r\nサクランボの谷ヘルテのお話で\r\n登場したナポレオン軍は、\r\nここマドリードでも傍若無人な振る舞いをしました。\r\n戦時中、離宮は彼等の兵営となり、\r\nその間に破壊されてしまい、\r\n現在、大部分の建物は残っていません。\r\n\r\n
19073

レティーロ公園の池 19073

\r\n\r\nそして現在のレティーロ公園。\r\n週末ともなれば、\r\n市民の憩いの場として人々が集まってきます。\r\n\r\n
レティーロ公園で遊ぶ人々  1842

レティーロ公園で遊ぶ人々  1842

\r\n\r\n池の畔に立っておりますと、\r\n一艘の漕ぎ出された二人が乗るボートには\r\n\r\n
レティーロ公園で遊ぶ人々  1715

ボート遊び  1715

\r\n\r\n池の水に自分の手を浸しながら\r\nはしゃぐ女性の姿が見られたり、\r\n\r\n
レティーロ公園で遊ぶ人々  1728

水辺での会話  1728

\r\n\r\n家族連れが乗ったボートからは、\r\n子供達の元気な声が聞こえてきます。\r\n\r\n
Blog-16-1096

散歩する女性 19070

\r\n\r\nまた池の周囲では、\r\n足を止めて見入る家族連れを前にして\r\n\r\n
19075

大道芸人と子供達 19075

\r\n\r\nお得意の演技を披露する大道芸人達や、\r\n\r\n
19084

似顔絵画家 19084

\r\n\r\n路上の無名の演奏家、\r\nそれに似顔絵画家達が集まるのです…。\r\n\r\nレティーロ公園の様子、\r\nご覧頂けましたか。\r\n\r\nそれでは先を歩いていきましょうか。\r\n\r\n
レティーロ公園  387

レティーロ公園  387

\r\n\r\n芸術の並木道\r\n\r\nパセオ・デル・プラド。\r\nこの道は別名「芸術の並木道」と、\r\n呼ばれています。\r\n\r\n
ベンチでくつろぐ人々(プラド通り) 14516

ベンチでくつろぐ人々(パセオ・デル・プラド) 14516

\r\n\r\nそれは、\r\n世界的に有名な「プラド美術館」、\r\n「ソフィア王妃芸術センター」や\r\n「ティッセン-ボルネミッサ美術館」と\r\n大きな美術館が集中している為です。\r\n\r\nまたこの散歩道は、\r\n下のシベーレス広場の噴水を始め、\r\n\r\n
シベーレス広場 14488

シベーレス広場と噴水 14488

\r\n\r\n「アポロンの噴水」に\r\n「ネプチューンの噴水」と三つの神々の噴水や、\r\n石造りの彫刻等が配置された\r\nエレガントな道になっています。\r\n\r\n
プラド通り (Fuente de Apolo) 14523

“Fuente de Apolo”(Las Cuatro Estaciones) 「アポロンの噴水」(又は四季の噴水) (パセオ・デル・プラド) 14523

\r\n\r\n仮に車が走っていなければ\r\n一瞬何処かの庭園内を歩いていると錯覚してしまいます。\r\n\r\nそれもそのはず、ここはマドリードでも最も古い\r\n”Historic Garden”と言われています。\r\n\r\n
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「アポロンの噴水」(又は四季の噴水)  15675

\r\n\r\nでも何故この道は庭園風に作られ、\r\n芸術的な施設が特化しているのでしょう...。\r\n\r\n
二人の子供と壷 14499

「二人の子供と壷」の像 14499

\r\n\r\n実はマドリードが、\r\nヨーロッパ諸国の首都のように\r\n美しい装飾が施されようになったのは\r\n1700年代中頃、\r\nスペイン・ブルボン家のカルロス三世の治世でした。\r\n\r\n
14512

パセオ・デル・プラドの石像 14512

\r\n\r\n具体的には、\r\n先ほどのシベーレス広場や、\r\n次の「アルカラ門」など、\r\n\r\n現代に残る数々の歴史的建造物は\r\nこの時代に建設されたものです。\r\n\r\n
アルカラ門の標識(マドリード・独立広場) 13883 

アルカラ門の標識(独立広場) 13883

\r\n\r\nでは、\r\nそれ以前はどんな都市だったのしょうか。\r\nそんな疑問にお答えする為に\r\nカルロス三世がマドリードへ凱旋する辺りから\r\n語っていきましょうか。\r\n\r\nマドリード生まれのこの王は、\r\nイタリアが統一する以前に存在した\r\nシチリア、ナポリ王でした。\r\nところが異母兄フェルナンド六世が没すると、\r\n王位を子に譲り、即位の為に\r\nマドリードへ戻る事になったのです。\r\n\r\n王が平穏なナポリの王宮から\r\nマドリードにご到着なさると、\r\n次のように仰せになったかもしれません。\r\n\r\n「き、きたない!な、何と惨めで恥ずべき町!」\r\nどうやら目に余る町の惨状に驚愕したようです。\r\n\r\n
アルカラ門(部分) 13889

アルカラ門(部分) 13889

\r\n\r\nその惨状に関しては、\r\n王の公式伝記作家フェルナン・ムニョスが\r\n以下のように記述しています。\r\n\r\n「正に『豚小屋』の首都と、評価するのをためらわない。\r\n泥や、ゴミ、排泄物が\r\n筆舌に尽くしがたい光景と悪臭をなすのである」\r\n\r\n1760年。\r\nこの国王が即位した頃のマドリードは、\r\n人口15万弱の首都でしたが、\r\n水不足の上、道は汚く、暗く狭い。\r\n雨の日などは、ぬかるんでドロドロ。\r\n昔のパリも不衛生であったと聞きますが、\r\nマドリードも冬になれば\r\n更にドラマチックで気のめいる光景だったのです。\r\n\r\n
山間部でのびのびと歩く豚19097

山間部でのびのびと歩く豚(ラ・マンチャ地方) 19097

\r\n\r\n続けて\r\n上記の公式伝記作家の内容を要約すれば、\r\n\r\n街中では豚が自由に闊歩し、\r\n日没ともなれば夜間の街灯はなく、\r\n賊が跋扈(ばっこ)する街角を歩く者なんて、お人よし扱い。\r\n\r\n更におぞましいのは\r\nほぼ夜間に行われるあの光景。\r\n(お食事中の方は、以下のお話しにご注意を!)\r\nそれはラバに引かれた荷車と共に、\r\n斧や手ぼうきを持った清掃人達が町を巡る事。\r\n\r\n
19211

荷車(時代祭り) 19211

\r\n\r\nしかしその荷車は\r\n上のような車輪付ではなく、\r\n代わりに丸太がついた荷車\r\n(大きなちりとり風?)がずるずると\r\n汚物を引き入れる為に引きずられ、\r\n街に設置された数箇所の暗渠(あんきょ)に廃棄される。\r\n\r\nその近隣に住む人々は\r\n瞬く間に伝染病に感染してしまうのだ…と、\r\nもう衛生状態は推して知るべし。\r\n\r\nいやはや、大変な有様です。\r\n説明は続きますが、\r\n「エレガントな道」の散歩中ですので\r\nこの手のお話はこの辺でおしまいに。\r\n\r\n
19103

街道近くに現れた黒豚の親子(マドリード・グアダラーマ山脈) 19103

\r\n\r\nところで今回はお話の内容上、\r\n豚さんに登場願いましたが、ここで一言釈明を。\r\n\r\n「ごめんなさいね。\r\nあなた達が決して悪いわけではないのよ...」。\r\n\r\nスペイン・ブルボン家\r\n\r\n都市マドリードの状態に驚かれつつも\r\n「なにゆえこんな事に?」と、思いませんでしたか。\r\n今度はそれも道々簡単にお話していきましょう。\r\n\r\n
プラド通りのアイスクリームを売る店  14251

アイスクリームの売店(パセオ・デル・プラド) 14251

\r\n\r\n1561年、マドリードの町は\r\nスペイン・ハプスブルグ家のフェリーペ2世によって\r\nこの町へ宮廷が移され、\r\n以来実質的に首都となった事は\r\n第14話ですでにご存知ですね。\r\n\r\n
スペイン海軍本部(プラド通り側) 14515

スペイン海軍本部 (パセオ・デル・プラド側) 14515

\r\n\r\nそれから約140年後の1700年のことです。\r\nその頃のスペインは政治、経済は荒廃して、\r\n貧富の差がさらに激しくなるばかりでしたが、\r\n\r\nそんな中、\r\n時の王カルロス二世は血族結婚のため、\r\n生来病弱で後嗣(こうし)がないまま急逝。\r\nここにスペイン・ハプスブルグ家は絶えてしまいます。\r\n\r\n
14518

海軍博物館(パセオ・デル・プラド) 14518

\r\n\r\nさて、その後の王位をめぐって\r\n鵜の目鷹の目だったのは\r\nヨーロッパ諸国並びにイングランドでした。\r\nこれら諸国の思惑にスペイン国内問題が更に絡み、\r\n何と「スペイン王位継承戦争」は14年に及びました。\r\n\r\n結果、\r\nフランスはスペインの王位を継承したものの、\r\n戦争によって自国の力は削がれるし、\r\n一方、新たなるスペインの「負の遺産」を\r\n引き継ぐ事になったのです。\r\n\r\n歴史の流れを見ていくと\r\nマドリードの街が荒れ放題というのも当然頷けますよね。\r\n余談ですが、この戦争による本当の戦勝国は\r\n何処だったのでしょうねぇ…。\r\n\r\n「王でありマドリード市長」であったカルロス三世\r\n\r\n
15705

マドリードの町並み(17世紀初頭に作られた地区) 15705

\r\n\r\nこうして負の遺産を引き継ぐ事になった\r\nスペイン・ブルボン家の三代目、\r\n「き、きたない!恥ずべき町」と仰せになった\r\nカルロス三世は、マドリードの人々より\r\n「王でありマドリード市長」と呼ばれました。\r\n\r\n限定的ではありましたが、\r\n公衆衛生、警備隊の設置、\r\n街灯の設置並びに石畳の舗装など、\r\n都市改革を行いました。\r\n\r\n
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休息する婦人達(パセオ・デル・プラド) 14509

\r\n\r\nまた、\r\n「国家の繁栄は、文化と教育を通してなされる」と考え、\r\nスペイン帝国を啓蒙活動によって立て直し、\r\n様々な分野で周辺諸国に追いつこうと尽力したのです。\r\n\r\n
カルロス3世像  19953

ソル広場(太陽の門広場)のカルロス3世像(写真中央) 19953

\r\n\r\n当事推進された都市計画\r\n”Salón del Prado”(サロン・デル・プラド)は、\r\n\r\n古いプラド通りを大改修し\r\nそれまでばらばらであった町と\r\n離宮(現在のレティーロ公園)を\r\nこの道を通して統合させる。\r\n\r\n
Fuente de Apolo (Las Cuatro Estaciones) アポロの噴水

「アポロンの噴水」又は「四季の噴水」 15679

\r\n\r\nまたふんだんに樹木を植え、\r\n噴水や彫像を配置する事によって\r\n通りを美しく整え、\r\nかつての「市民のくつろぎの場」を蘇らせる。\r\n\r\n
プラド通りを散歩する人々 (マドリード) 14520

パセオ・デル・プラドを散歩する人々 14520

\r\n\r\n更に植物園、天文観測所や、\r\n後のプラド美術館の前進である\r\n自然科学分野の施設を建設し、\r\n芸術、科学施設を集中させる。\r\n\r\n
プラド通り  14420

「パセオ・デル・プラド」のプレート  14420

\r\n\r\nこのようにして\r\nパセオ・デル・プラドが出来上がった訳ですが、\r\n\r\n現代の他の大通りと比較しても引けをとらず、\r\n当時のヨーロッパでは\r\n最新流行だったようですよ。\r\n\r\n全戦没者の慰霊碑\r\n\r\nさて、ここまで\r\n出発点のシベーレス広場から\r\n10分ちょっとの距離を歩いてきました。\r\n\r\n次の広場に向かって\r\n左手奥の通りには\r\nマドリード証券取引所が見えていますね。\r\n\r\n
マドリード証券取引所

“Palacio de la Bolsa de Madrid” 「マドリード証券取引所」(ラ・レアルタード広場) 14524

\r\n\r\n道を左右に渡ると、ほどなく\r\n「全戦没者の慰霊碑」が見えてきます。\r\n\r\nこの慰霊碑は以前、\r\nスペイン独立戦争が始まった日、\r\n1808年の「5月2日の英雄記念碑」と、\r\n呼ばれていました。独立戦争については\r\nサクランボの谷や、レティーロ公園でも\r\nすでにお話しましたね。\r\n\r\n
14529

「全戦没者の慰霊碑」(パセオ・デル・プラド) 14529

\r\n\r\nスペインの独立を守ったこの戦争は、背後に\r\n「フランス vs イングランド&ポルトガル」の構図があり、\r\n複雑な様相を見せました。\r\n\r\n
戦没者慰霊碑  14527

「全戦没者の慰霊碑」(パセオ・デル・プラド)  14527

\r\n\r\n長くなるので詳細は割愛致しますが、\r\nごく簡単にご説明しますと、\r\nスペインの支配層における\r\n親仏派と反仏派の政治的な対立があり、\r\n宮廷革命、日本で言うお家騒動に発展。\r\n\r\nその隙を狙ったナポレオンが、\r\nスペイン国王や皇太子を退け、\r\n自分の兄ジョセフを王に即位させようと\r\n画策していていく…。\r\n\r\n
戦争  9558

戦争をテーマにしたオブジェ(マドリード旧市街の外壁にあったもの)  9558

\r\n\r\nナポレオンの支配に対して\r\nマドリードの民衆は反仏暴動を展開しますが、\r\n強力なフランス軍に敵わずあえなく鎮圧され、\r\n翌3日には多くの市民が銃殺される結末を迎えます。\r\n\r\nしかし、これを境に全国的な独立戦争となり、\r\n翌年にはあのサクランボの谷ヘルテでも…。\r\n\r\n
キャンディの缶(ゴヤの肖像画・タピスリー製作用油彩画) 13410

キャンディの缶(ゴヤの肖像画・タピスリー製作用油彩画) 13410

\r\n\r\nマドリードのこの凄惨な一連の出来事は\r\n後にスペインの偉大なる画家の一人、\r\nフランシスコ・デ・ゴヤによって\r\n『5月2日』、『5月3日』両作品に描かれていますので、\r\nご存知の方も多いと思います...。\r\n\r\nそれでは独立戦争の経緯はここまでにして、\r\n広場へ行ってみましょうか。\r\n\r\n「カノバス・デ・カスティージョ広場」\r\n\r\nこちらは\r\n”La Plaza de Cánovas del Castillo”\r\n「カノバス・デル・カスティージョ広場」です。\r\n\r\n
カノーバス・デ・カスティージョ広場(夜景)  17197

“Plaza de Cánovas del Castillo” 「カノバス・デル・カスティージョ広場」(夜景)  17197

\r\n\r\n道は、この先もう少し続きますが、\r\nお約束通りお散歩としては\r\nプラド美術館があるこの広場が\r\n最終地点となります。\r\n\r\nでは広場周辺をさらっとご紹介してから\r\n美術館前まで行ってみましょうか。\r\n\r\n
14536

カノバス・デル・カスティージョ広場 14536

\r\n\r\n中央には\r\n”Fuente de Neptuno”「ネプチューンの噴水」が、\r\n力強く、そして優雅に水しぶきを上げ、\r\n広場を囲む瀟洒な建築物と\r\n見事に調和しています。\r\n\r\n車に気をつけながら\r\nもう少し噴水の近くへ行ってみませんか。\r\n\r\n
ネプチューンの噴水  14543

ネプチューンの噴水  14543

\r\n\r\nご覧下さい。\r\n鬱蒼と茂る大樹を背景に、\r\n冠をかぶったネプチューンは\r\n夕日を浴びて黄金色に染まっています。\r\nざーっと水しぶきを上げる水音も聞こえますね。\r\n\r\nよく見てみますと、\r\n貝の山車を引くのが馬なのは、\r\n「海神」であるネプチューンが\r\n同時に「馬の神」と言われている所以でしょうか?\r\n\r\n
ホテル "The Westin Palace"(パレス ホテル)  14546

ホテル “The Westin Palace”(マドリード・パレス ホテル)  14546

\r\n\r\n今度は噴水から振り返りますと、\r\n左右に広がる瀟洒な建物が角地に見えますね。\r\nこちらは1912年(大正2年)に開業の\r\n高級老舗 “The Westin Palace”、\r\n通称「パレス・ホテル」です。\r\n確かシベーレス宮殿の展望台からも\r\n良く見えていましたよね、このホテル。\r\n\r\n
終着駅(Valencia)  16063

終着駅(バレンシア駅)  16063

\r\n\r\nスペインのホテル事情に関しては、\r\n1880年代になると鉄道技術やその品質が向上し、\r\n国内外から首都マドリードへ\r\n様々な旅行客が押し寄せてきました。\r\nしかし宿泊所が供給不足で、\r\n当初は下級の宿や、個人宅に泊めてもらう始末。\r\n\r\n
プラド通り周辺  14606

「プラド通り」周辺 : 小さなホテルが建ち並ぶ(パセオ・デル・プラドとは別の通り) 14606

\r\n\r\n色々当時は苦労があったようです。\r\n\r\nこのホテルのように高品質で快適なホテルは、\r\n20世紀に入ってからです。\r\n\r\n
14553

ホテル “The Westin Palace”の玄関口 (マドリード・パレス ホテル) 14553

\r\n\r\nホテルの一階の奥には\r\n”Jardín de Invierno”(ハルディン・デ・インビエルノ)と、\r\n呼ばれるラウンジがあります。\r\n冬の庭園(サンルーム)を意味する\r\n丸屋根のついたラウンジは、\r\n白と水色を基調としたアール・ヌーヴォー様式。\r\n\r\n
  14555

ホテル “The Westin Palace”の玄関口 (マドリード・パレス ホテル)  14555

\r\n\r\n昼間、ここへ行ってみますと、\r\n頭上のステンドグラスから\r\n品の良い光りが全体を柔らかく包み込み、\r\nゆったりとお茶の一時を楽しむことが出来ます。\r\n\r\n
14566

“Congresos de Los Diputados”「国会議事堂」 14566

\r\n\r\nそれから通りの反対側、\r\n上部に三角形の切り妻壁、\r\nその下には円柱で支えられている建物は、\r\n\r\n”Congresos de Los Diputados”\r\n(コングレソス・デ・ロス・ディプタードス)\r\n国会の下院にあたる「代議院」です。\r\n\r\n
14591

「国会議事堂」正面 14591

\r\n\r\n「国会」という言葉は、\r\n国によって歴史的背景が違うのか\r\nその呼び名も色々ですね。\r\nスペインの場合は、中世の聖職者、貴族、\r\n市民代表の「身分制議会」である名残で、\r\n”Las Cortes”(ラス・コルテス)と呼ばれます。\r\n\r\nプラド美術館\r\n\r\nシベーレス広場から\r\n歩いて来た散歩道「パセオ・デル・プラド」。\r\nどうやらプラド美術館へ漸く辿り着けそうですね。\r\n\r\n
937

プラド美術館とサン・ヘロニモ修道院 937

\r\n\r\nところでここプラド美術館では、\r\n豊富なコレクションを所蔵していますが、\r\nお目当ての絵画はありますか?\r\n\r\n\r\n
936

プラド美術館ゴヤ門  936

\r\n\r\nえっ、私...ですか?\r\nうーん。特定しようとすると、\r\nとても迷うので難しいのですが…。\r\n\r\n静物画の世界\r\n\r\nそうですね...。\r\n「静物画」にも、\r\nとても興味がありますよ。\r\n\r\n画家の身近にある素材をどのように表現するのか。\r\n例えば、花や本、楽器類や台所で手に入る食材、\r\n器をモチーフにしたものですね。\r\n\r\n
スペインの果実 960

スペインの果実 960

\r\n\r\n但し近代以前の静物画を鑑賞する際には\r\n宗教画のように\r\nモチーフにメッセージが込められていますので、\r\nそれを読み解く知識が必要となりますよね。\r\n\r\n
野葡萄の実 12613

野葡萄の実 12613

\r\n\r\n絵画の話題からは逸脱しますけれども、\r\n写真の世界でも画家と同様、\r\n\r\n
CameraWork  19954

Camera Work  19954

\r\n\r\n静物を撮影する際には\r\n構図や写真家の描写力が求められるのです。\r\n\r\nスペインの巨匠達\r\n\r\nプラド美術館。\r\nここにはリュベンス、ティツィアーノ、\r\nエル・グレコ、スルバラン、ムリージョ...と、\r\nまだまだとても貴重なコレクションがあるので、\r\nすべてを鑑賞するには、\r\n相当のエネルギーが必要ですね。\r\n\r\nしかし何と言っても\r\nスペインを代表する巨匠と言えば、\r\nやはりベラスケスとゴヤでしょう。\r\n\r\n
ベラスケスの彫像(マドリード・プラド美術館) 930

ベラスケスの彫像(プラド美術館ベラスケス門) 930

\r\n\r\nとりわけ\r\n17世紀に活躍したベラスケスについては、\r\n後にゴヤが師と仰ぎ、フランス印象派モネも\r\n非常に影響を受けた一人であり、\r\n「画家中の画家」と言わしめた事はつとに有名です。\r\n\r\n
19214

王女マルガリータと王女マリア・テレサ(ミニチュアの人形) 19214

\r\n\r\nベラスケスとゴヤ。\r\nお二人の名を西和辞典で引いてみると\r\n”velazuqueño”(ベラスケーニョ)、\r\n”goyesco”(ゴジェスコ)と、\r\n彼等の名前がついた言葉が載っています。\r\n\r\n
ベラスケス  926

ベラスケスのレリーフ(プラド美術館外壁)  926

\r\n\r\nこれらは\r\n「ベラスケスの(風)」とか「ゴヤの(風)」の意味で、\r\n各作品や様式、特徴、\r\nまたゴヤが生きた時代を指す場合に使われます。\r\n\r\n
車窓からの「ゴヤ」駅のホーム(マドリード・地下鉄) 15639

車窓から: 「ゴヤ」駅のホーム(マドリード・地下鉄) 15647

\r\n\r\nではゴヤの場合、\r\nスペインではどんな時に\r\nこのゴジェスコが使用されるのでしょうか。\r\n\r\n
闘牛(バンデリージャ)  418

闘牛(バンデリージャ=銛打ち)  418

\r\n\r\n例えば「ゴヤ風闘牛」と言うのがあります。\r\nゴヤが生きた時代に行われた闘牛の事で、\r\n闘牛士は当事の服装で行うものです。\r\n\r\n
キャンディの缶(右:ゴヤ風闘牛) 13412

キャンディの缶(ゴヤの油彩画より) 13412

\r\n\r\nそれから「ゴヤ時代の服装」も\r\nゴジェスコが使われます。\r\n時代は異なりますが、日本でしたら\r\nさしずめ「竹下夢路時代の着物」と言った\r\n表現になるのだと思います。\r\n\r\n
闘牛(MADRID)  413

闘牛(マドリード)  413

\r\n\r\nゴヤの生きた\r\n18世紀末から19世紀半頃と言えば、\r\nフランス支配下の影響があったのは\r\nもうご存じですね。\r\n\r\nスペインらしさの中にフランス的要素の入った\r\nお洒落で粋な服装が、\r\nマドリードのブルジョア階級から\r\nやがてスペイン全国へ広がっていったようです。\r\n\r\n
闘牛を観戦する人達  19955

闘牛を観戦する人達 (マドリード)  19955

\r\n\r\nそして現在もお祭りの行事で\r\nゴヤ時代の闘牛や服装が、\r\n\r\n伝統文化として継承されることは\r\n素晴らしいことだと思います。\r\n\r\n
コルテス広場(マドリード) 14597

コルテス広場(国会議事堂前) 14597

\r\n\r\nあらあら...。\r\nあれもこれもと欲張ってお話をしました。\r\n\r\nこの散歩道では\r\n2つのスペインの王朝や、\r\nまたスペイン王位継承戦争、\r\nスペイン独立戦争のお話が絡んだので\r\n少々お疲れではありませんか。\r\n\r\nではこの辺で\r\nシベーレス広場へ戻り、一休み致しませんか。\r\n\r\n***   ***   ***   ***   ***   ***   ***\r\n\r\n休憩場所へようこそ\r\n\r\n第二部、\r\n散歩道「パセオ・デル・プラド」のお話が終了致しました。\r\nご覧頂きましてありがとうございました。\r\n\r\n
こぶし  17643

こぶしの花  17643

\r\n\r\nここでまた一旦\r\n 「休憩時間」のご案内をさせて頂きます。\r\nどうぞこちらで、\r\n 気分転換をなさって下さい。\r\n\r\n
こぶし  17599

こぶしの花  17599

\r\n\r\nこの後は\r\n北への散歩道をご案内していきます。\r\nまた最後には\r\n私の好きな地中海の風景も合わせて\r\nご紹介していきたいと思います。\r\n\r\n\r\nどうぞごゆっくり♪\r\n\r\n***   ***   ***   ***   ***   ***   ***\r\n\r\n北へ延びる道\r\n「パセオ・デ・ロス・レコレトス」と「パセオ・デ・ラ・カステジャーナ」\r\n\r\n
シベーレス広場  14252

シベーレス広場  14252

\r\n\r\n一休みした後は、\r\n今度は広場から左手へ、\r\n北へ延びる通りをご案内致します。\r\n\r\nこの道は、すでにご覧になった\r\nパセオ・デル・プラドと比較すると、\r\n所々に歴史建造物があるものの、\r\n省庁や企業が集中している地域なので、\r\n特徴としては現代建築が並び、\r\nまた交通量も多い散歩道と言えます。\r\n\r\n
Blog-16-1202

散歩道「パセオ・デ・ロス・レコレトス」の噴水 15020

\r\n\r\nそれから、\r\n次のコロン広場手前まで\r\nカフェ・テラスが幾つか出ていますから、\r\n後ほど一端テラスで休憩致しましょうか。\r\n\r\n\r\n歩き始めとしては\r\n季節はずれの風景になりますが、\r\nまず、X´masの風景を\r\nここでご紹介したいと思います。\r\n趣向を凝らしたイルミネーションが点灯され、\r\nとても華やかになります。\r\n\r\n\r\n
「パセオ・デ・ロス・レコレトス」のX´masのイルミネーション(マドリード) 15022

散歩道「パセオ・デ・ロス・レコレトス」のX´masのイルミネーション 15022

\r\n\r\n12月のイベント時期では、\r\n買い物客が集中する中心街よりも、\r\nこちらの通りは落ち着きのある\r\n散歩道といえます。\r\n\r\nそして、\r\nシベーレス広場から東に延びる\r\nアルカラ通りになりますが、\r\nこちらのアルカラ門のライト・アップも\r\nとても華やかですよ。\r\n\r\n
アルカラ門  15024

アルカラ門(アルカラ通り)  15024

\r\n\r\nX´masの景色はいかがでしたか。\r\n\r\n
パセオ・デ・ロス・レコレトス  15051

ベンチでくつろぐ人達 (パセオ・デ・ロス・レコレトス)  15051

\r\n\r\nそれでは、深緑の季節へ戻しましょうね。\r\n\r\n文学カフェ 「カフェ・ヒフォン」\r\n\r\nさて、\r\n広場から歩いて数分の場所に\r\nカフェ・テラスが幾つか続いて見えて来ます。\r\n\r\n実はこの先に\r\n世界的に名の知れた有名なカフェ\r\n”Café Gijón(カフェ・ヒフォン)があります。\r\nこのお店を知ったのはもう随分前のことでした。\r\n\r\n
並木道にあるモニュメント  15046

散歩道「パセオ・デ・ロス・レコレトス」のモニュメント  15046

\r\n\r\nカフェ・ヒフォンを知るきっかけとなったのは\r\nマドリードを愛する地元の画家から\r\n次のようなアドバイスを受けたからでした。\r\n\r\n(マドリード市街図で見所を指しながら)\r\n画家 : 「もし一週間でマドリードを知りたいのなら、\r\n見ておかなくてはならないのはここと、こことここ。次に…」。\r\n\r\n
並木道  15050

並木道から見えるコロン広場  15050

\r\n\r\n教えてくれた場所は確か、\r\nまずは画家らしくプラド美術館。\r\n次に印象派の画家の邸宅を開放した\r\nソロージャ美術館。\r\n\r\n
マジョール広場前  18313

マジョール広場前(旧市街)  18313

\r\n\r\nそれから…。\r\nシベーレス宮殿、\r\n旧市街にあるマジョール広場に、\r\nこの近くの国会図書館。\r\n\r\nまた王宮やその前に位置する\r\nオリエンテ広場のカフェや、\r\n\r\n
チュエカ地区にある居酒屋 18191

チュエカ地区にある居酒屋”Casa Ángel Sierra”(カサ・アンヘル・シエラ) 18191

\r\n\r\n現在はゲイ・タウン地区にある\r\n居酒屋”Casa Ángel Sierra”(カサ・アンヘル・シエラ)。\r\n\r\n
「カフェ・ヒフォンのテラス」(マドリード) 15019

「カフェ・ヒフォンのテラス」 15019

\r\n\r\nそしてこのカフェ・ヒフォンでした。\r\n\r\n勧めてくれた具体的理由とは歴史的な文学カフェであり、\r\n毎年、スペイン及びラテン・アメリカに関係した文学賞、\r\nカフェ・ヒホン賞が授与される由緒ある場所だからです。\r\n\r\nこの「文学カフェとは何か?」を説明するには、\r\nやはり店が開業した当時のスペインの世情を\r\nお話しなくてはなりません。\r\n\r\n
「カフェヒフォン」(マドリード・レコレトス通り) 15017

「カフェ・ヒフォン」のレストラン&Bar 15017

\r\n\r\n店が扉を開けたのは、\r\n1888年(明治21年)のことでしたが、\r\n当事は中心街から離れた場所にあるものの、\r\n涼しげな散歩道を求めて\r\n徐々に人々が集まるようになりました。\r\n\r\n
マドリードのデモ行進  15461

マドリードのデモ行進  15461

\r\n\r\n19世紀後半は農民、労働運動や\r\n政権が何度も交代する「混沌とした時代」であって、\r\nまた海外領土での独立戦争が起こるなど、\r\nあちらこちらで不協和音が鳴り響いていました。\r\n\r\nこうした流れの中、20世紀初頭になると、\r\n作家、芸術家、政治家等、知識階級の常連達が\r\n文学カフェをたまり場として集まり始めます。\r\n\r\nテーマは文学や闘牛だけに留まらず、\r\n王政廃止を唱え、共和政の夢を語る。\r\n\r\n
マドリードのデモ行進  15463

マドリードのデモ行進  15463

\r\n\r\nこうした集まりをスペインでは”Tertulias”\r\n(テルトゥリアス)と呼びます。\r\n特徴は、\r\n「会議と違って問題解決を目的とせず、\r\n自由闊達に意見を述べ、\r\n考えを体系付けることに意義がある」としました。\r\n\r\nこのカフェでは、\r\n彼等のテーブルを囲む野次馬達に、\r\nコーヒーやタバコの香りのする光景...と、映画のような\r\n熱気溢れるシーンが展開されていたのでしょうね。\r\n\r\n
「カフェ・ヒフォン」(マドリード・レコレトス通り) 15018

「カフェ・ヒフォン」 15018

\r\n\r\nカフェ・ヒフォン。\r\nここには有名な文化人や政治家も通い、\r\nその流れは今でも続き、\r\n彼等が気さくに立ち寄っていく姿が見られます。\r\n\r\n日本ではこの店を訪れた有名人として\r\nアメリカの作家アーネスト・ヘミングウェイが\r\n良く知られているようですが、\r\nその他にもそうそうたる面々が訪れています。\r\n\r\n画家サルバドール・ダリと\r\n詩人、劇作家であるガルシア・ロルカ。\r\n映画『アンダルシアの犬』、『糧なき土地』の\r\nスペイン人映画監督ルイス・ブニュエル。\r\n第一次世界大戦で活躍した女スパイ、マタ・ハリ。\r\nアメリカのハリウッド女優エバ・ガードナーと、\r\nもう枚挙に暇がありません。\r\n\r\nエル・エスペホ\r\n\r\nさて、もう一軒行ってみましょう。\r\n近くに”El Espejo”(エル・エスペホ)、\r\n「鏡」と言う名のお店がカフェ・テラスを出しています。\r\nそこで一休み致しませんか。\r\n\r\n
パセオ・デ・ロス・レコレトスの石像  15060

散歩道「パセオ・デ・ロス・レコレトス」の石像  15060

\r\n\r\nレストラン&Barはテラス背後に位置しており、\r\nお店の壁の装飾には\r\nアール・ヌーヴォ特有の鏡を何面も配した\r\n凝った作りになっています。\r\n\r\n
エル・エスペッホのテラス  15058

レストラン「エル・エスペホ」のカフェ・テラス  15058

\r\n\r\nお話ししているうちにテラスに到着です。\r\nそれでは入ってみましょうか。\r\n\r\n今日は比較的空いているようですね...。\r\n何処でもお好きな場所へどうぞ♪\r\n\r\n
レストラン「エル・エスペホ」のカフェ・テラス 4626

レストラン「エル・エスペホ」のカフェ・テラス 4626

\r\n\r\n明るい陽光が注ぐスペインのカフェ・テラスには\r\nエスプレッソ・コーヒーの良い香りが良く似合いますが、\r\n近年マドリードではTea専門店で\r\nお茶を飲むスペイン人も大分増えました。\r\n\r\n
レストラン「エル・エスペホ」のパビリオン 15013

レストラン「エル・エスペホ」のパビリオン 15013

\r\n\r\nそれからお気づきでしたか。\r\nテラスにはもう1つ、白と緑を基調にしたタイルに\r\nガラス張りの小粋なパビリオンもあります。\r\n中は景色がゆったり見られるテーブル席と\r\nBarに分かれています。\r\n\r\nところで、\r\n椅子にそのまま腰掛けたままで\r\nここから国会図書館を\r\nご紹介しようと思うのですが、\r\n車道の向こう側の建物を\r\nご覧になれますか。\r\n\r\n
国立図書館  15049

国立図書館  15049

\r\n\r\nそうです。あの立派な建物です。\r\n国立図書館の歴史は300年以上と古くて、\r\n1712年にFelipe V(フェリーペ5世)によって\r\n公共の為に創設された王室図書館に始まりました。\r\n\r\n
国立図書館(マドリード・レコレトス通り) 15010

国立図書館 15010

\r\n\r\n世界でも重要な図書館の1つと言われるように、\r\n文豪セルバンテスによる\r\n小説『ドン・キホーテ』に関するコレクションがあります。\r\n\r\n部屋にはいかにもスペインらしく\r\n各分野ごとに「セルバンテスの部屋」、「ゴヤの部屋」など、\r\n巨匠達に因んだ名がつけられています。\r\n\r\n
国立図書館のファサード:白大理石で出来た玄関部分 (マドリード) 15016

国立図書館 : 白大理石で出来た玄関 15016

\r\n\r\nそう言えば、\r\nここの一般閲覧室で\r\n初めて調べ物をした日の事を思い出しました。\r\n\r\nかつての中央郵便局であった\r\nシベーレス宮殿と同様、\r\n閲覧室の格調高い作りに興味津々で、\r\n机のスタンドに照らされた目の前の本よりも、\r\n顔を上げては天井や、壁の装飾に\r\nつい目が向いてしまうのです。\r\n\r\n
国立図書館 柵  15074

国立図書館の外塀  15074

\r\n\r\nスペイン人にとっては\r\n慣れきった日常風景なのでしょうが、\r\n室内を眺めては\r\n「あら、いけない」と我に返り、\r\n手元の開かれた頁に目を再び戻す。\r\n\r\n結局は、同じ箇所の文を\r\n何度も目で追っていたのですよね。\r\n\r\n
国立図書館ファサード  15072

国立図書館・正面玄関  15072

\r\n\r\nまぁ、すみません。\r\n長々とお喋りをしてしまいました。\r\n\r\nそれでは席を立って、\r\nレストラン「エル・エスペホ」の入り口も\r\nご紹介しておきますね。\r\n\r\n
カフェ・テラス「エル・エスペホ」  19956

レストラン「エル・エスペホ」カフェ・テラス  19956

\r\n\r\n下の扉をご覧下さい。\r\nアール・ヌーヴォーの\r\n連続した曲線の美しい扉。\r\nガラス越しにうっすら見えるのは\r\n黒ベストに白のエプロン姿のウエイターの男性。\r\nお客さんの姿も見えます。\r\n\r\nスペイン人は、\r\nこうして立ち話をするのが大好き。\r\n\r\n
レストラン「エル・エスペホ」(マドリード・レコレトス通り)

レストラン「エル・エスペホ」 15014

\r\n\r\nそれから扉の両側には\r\n当店のお勧め品が額に掲げられていますね。\r\n\r\n右側上からコンソメ。新鮮な魚。肉。ケーキ類。\r\n左側は、アニス酒。高級銘柄のコニャク。ビール。\r\nパビリオンでの軽食やタパス(小皿料理)も良いですが、\r\nレストランでのお食事も美味しそうですよ。\r\n\r\nコロン広場\r\n\r\n
コロン広場と国立図書館  15009

コロン広場と国立図書館  15009

\r\n\r\nテラスを出て目の前に現れるのが\r\n「コロン広場」です。\r\nシベーレス広場から歩いて\r\n15分ほどの距離でしょうか。\r\n\r\n広場の中心には\r\nクリストファー・コロンブスの像が高く聳えています。\r\n\r\n
コロンブスの像 15061

コロンブスの像 15061

\r\n\r\nネオゴシック様式の台座より\r\n更にずっと上に立つマント姿のコロンブス。\r\n片手を広げ、もう一方の手には\r\nかつてのスペイン・カスティージャ王国の旗。\r\nそして膝元には丸い地球儀。\r\n\r\nさて、このコロン広場。\r\n平日は四方八方から車が集中する為、\r\n市の警官が頻繁に交通整理を行っています。\r\nまた、ここを車が間違いなく\r\n目的地へ進むには経験が必要で、\r\n他県の車は「あれれ、曲がれないの?!」と、\r\n往生する広場でもあります。\r\n\r\nそのような訳で、\r\n遠くを見つめるコロンブスも\r\n足元を走り去る車にもご用心!\r\n\r\n
15040

「コロン広場」前を通過する二階建てバス 15040

\r\n\r\n広場を赤い二階建てバスが\r\n観光客を乗せて通過していきます。\r\n\r\nバスが運行するCity Tourは、ルートが2つ。\r\n1つは旧市街を中心に、もう1つは、主に19世紀後半に\r\n拡張した市街中心のルートです。\r\nどちらのルートもこのコロン広場や\r\nプラド美術館が含まれています。\r\n\r\n\r\n
コロン広場  15064

コロン広場  15064

\r\n\r\n常日頃、『一度はこのバスに乗って、\r\n高い場所から自分の知らないマドリードを見たい!』と、\r\n思っておりましたが、\r\n\r\nすっかり乗り忘れて帰国してしまいました。\r\n思いついた時に乗車しないといけませんね。\r\n\r\n
トーレス・デ・コロン  15059

「トーレス・デ・コロン」のビル  15059

\r\n\r\nこの広場で\r\nコロンブス像の他にもう1つ目を引くのが、\r\n広場の一角に1976年に建てられた\r\n”Torres de Colón”(トーレス・デ・コロン)があります。\r\n\r\n
マドリード市内の風景 14948

マドリード市内の風景 14948

\r\n\r\nこうしてマドリード市を\r\n一望出来る公園から見ますと、\r\n周囲の建造物に比べて\r\n一際目立つ建物の上部。\r\n\r\nこれを「大魔神の兜のよう」と表現した\r\n日本人がいました。\r\n大魔神ってご存知ですか?\r\n\r\n「カステジャーナ通り」へ\r\n\r\nさて...。\r\nお伝えしませんでしたが、\r\nコロン広場からは道の名称が変わって、\r\n今は「パセオ・デ・ラ・カステジャーナ」を歩いています。\r\n\r\nまたここからは通りの名が長いので、\r\n「カステジャーナ通り」と呼んでいきますね。\r\n\r\n
「パセオ・デ・ラ・カステジャーナ」の一番地(19世紀末から20世紀中庸に建てられた小さな宮殿又は屋敷の1つ)  15030

「カステジャーナ通り一番地」(19世紀末から20世紀中庸に建てられた小さな宮殿又は屋敷の1つ)  15030

\r\n\r\nこの先にはホテルやデパート、\r\n会社のビルなどの他、\r\nまたサッカーでお馴染み\r\n「レアル・マドリード」のスタジアムも\r\nこの通りに面しています。\r\n\r\n
「カステジャーナ通り」(マドリード)

「カステジャーナ通り」の並木(マドリード) 15001

\r\n\r\nでも最後まで歩きますと\r\nとても長い距離があるので、\r\nお散歩気分が何処かへ飛んでいきそうです。\r\n\r\n
「パセオ・デ・ラ・カステジャーナ」13番地(1919年~1923年にプロモーターであるエンシナーレス公爵によって建設された賃貸住宅) 15003

「カステジャーナ通り13番地」(1919年~1923年にプロモーターであるエンシナーレス公爵によって建設された賃貸住宅) 15003

\r\n\r\nそこでお散歩の最後には\r\n近くのソロージャ美術館へ\r\n寄るのはいかがでしょうか。\r\nこの美術館はカフェ・ヒフォンでお話した\r\n「画家による一週間で見るマドリード」のリストにも\r\n入っていた美術館でした。\r\n\r\nただ、この通りの北端の様子も\r\n語らないのは心残りです。\r\nやはり、ここでご紹介しておきましょうか。\r\n\r\n
14955

“Cuatro Torres Business Area”「四つの塔のビジネス・エリア」(市内北部・カステジャーナ通り)14955

\r\n\r\nでは歩きながら、\r\n手元にある写真でお話をしていきます。\r\n\r\nまず上の写真、右手をご覧下さい。\r\n\r\n
カスティジャーナ広場  16651

カスティジャーナ広場  16651

\r\n\r\nビル郡が林立している「カステジャーナ広場」。\r\n\r\n
カスティジャーナ広場 (ヨーロッパ門のビル)  16645

カステジャーナ広場の「ヨーロッパ門」のビル  16645

\r\n\r\n裁判所のある広場で、また内側に傾斜した対のビル\r\n”Puerta de Europa”(プエルタ・デ・エウロパ)\r\n「ヨーロッパ門」が見えています。\r\n\r\n
ヨーロッパ門前  16652

ヨーロッパ門前  16652

\r\n\r\nヨーロッパ門前の横断歩道。\r\n信号待ちで立っておりますと、\r\nやはり今にもビルが迫って来そうです。\r\n\r\n
ロープウェイとケステジャーナ通り北端の眺め(マドリード) 14953 

ケーブルカーとマドリード市北部の眺め 14953

\r\n\r\n次にケーブルカーから左手に見える摩天楼です。\r\nこちらは2008年に全ての建設が完了した\r\n”Cuatro Torres Business Area “\r\n「四つの塔のビシネス・エリア」です。\r\n\r\n意外に思われるかもしれませんが、\r\nマドリードでも、またヨーロッパでも\r\n高層建築はそう多くはありません。\r\n\r\nそれから、\r\n4つでなく3つのビルしか見えないのは\r\n左端のビルが重なっている為で、\r\n角度によるマジックです。\r\n\r\n
チャマルティン駅前  16650

チャマルティン駅前  16650

\r\n\r\nそれからもう1つ。\r\n全体風景の写真からは見えませんが、\r\n写真中央にはスペインの北西方面へ向かう\r\n鉄道の「チャマルティン」駅があります。\r\n\r\n最近はどうなのでしょう?\r\nフランス・パリ行きはまだここが始発でしょうか。\r\n\r\n
19963

1990年代のアトーチャ駅のホーム 19963

\r\n\r\nマドリード市内の公共交通機関は、\r\n主にバスと地下鉄ですから、\r\n\r\n
19962

ホームでのお見送り(1990年代のアトーチャ駅・中距離列車) 19962

\r\n\r\n夜の帳が落ち、\r\n線路に架かる大橋へ車でさしかかると、\r\nちょうど汽笛が鳴る事もあり、\r\nとても旅情を誘ったものです...。\r\n\r\n
19960

1990年代のアトーチャ駅のホーム 19960

\r\n\r\nソロージャ美術館へ\r\n\r\nさて、\r\n今回は南北2つの散歩道を歩いて来ました。\r\n\r\nこうして見ますと、\r\n南から北へと進むにつれて\r\n建築も徐々に現代へと移っていきましたね。\r\n\r\n
「カステジャーナ通りのモニュメント」(マドリード) 14995

「パセオ・デ・ラ・カステジャーナのモニュメント」(マドリード) 14995

\r\n\r\nただし北端は最も現代的で、\r\nまた住宅街が多く\r\n全体的な眺めとしてはどことなく淋しく、\r\n町外れの様相は否めないようです。\r\n\r\nあなたはどう思われたでしょうか。\r\n\r\n\r\n
ヘネラル・マルティネス・カンポス通り 14988

ヘネラル・マルティネス・カンポス通りの住宅 14988

\r\n\r\nさて\r\n二つの散歩道のお話も済み、\r\nまた折良く美術館へ行く道\r\n「ヘネラル・マルティネス・カンポス通り」への\r\n曲がり角まで来ましたので、\r\n\r\nここからは美術館到着前まで\r\n簡単にソロージャについてご説明していきます。\r\n\r\n
ヘネラル・マルティネス・カンポス通り 14984

ヘネラル・マルティネス・カンポス通り 14984

\r\n\r\n1863年、”Joaquín Sorolla”(ホアキン・ソロージャ)は\r\n地中海都市バレンシアで生まれました。\r\n\r\n
「ソロージャ美術館」入り口付近(マドリード) 6288

「ソロージャ美術館」入り口付近(マドリード) 6288

\r\n\r\nソロージャが活躍した時代は、\r\nカフェ・ヒフォンでのお話のように、\r\n\r\nスペインは19世紀末から20世紀初頭にかけて\r\n政治・経済共に非常に厳しい時代でした。\r\n\r\n
画材  15317

画材  15317

\r\n\r\n一方、\r\n鉄道の発達や、絵の具など画材の革新によって\r\n戸外や旅先での制作が容易になった時代でもあり、\r\n\r\n画家ゴヤ以降のスペインを代表する印象派、\r\nポスト印象派、そして色彩画家として活躍した画家です。\r\n\r\n
15447

「ソロージャ美術館」入り口  15447

\r\n\r\nさて、到着です。\r\nこちらがソロージャ美術館ですよ。\r\n\r\nどうぞお入り下さい♪\r\n\r\n美術館の庭は「マドリードに存在するアンダルシアの世界」\r\n\r\n閑静な住宅街にあるこの美術館は、\r\n彼の家族と共に生活し、\r\nアトリエで制作する。\r\nこの2つを念頭に建設された邸宅でした。\r\n\r\n
15432

獅子と城、国章を配した絵タイルのベンチ 15432

\r\n\r\nそして邸宅は、\r\n美術館として1932年に\r\n未亡人の遺志によって一般に開放されました。\r\n\r\n
ベンチの絵タイルの一枚 : 国章の「ヘラクレスの柱」と国の標語 ラテン文字で"PLVS VULTRA" VLTRA"(より彼方へ) 15440

ベンチの絵タイルの一枚 : 国章の「ヘラクレスの柱」と国の標語 ラテン文字で”PLVS VULTRA” (より彼方へ)の意 15440

\r\n\r\n門から入ってきますと、\r\n知らぬ間に\r\n南部アンダルシア地方の庭園に\r\n佇んでいるような気分にさせてくれる空間、\r\n\r\nそれも特徴ある3つの庭園が、\r\n次々と私達を迎えてくれますよ。\r\nここはマドリードにあるアンダルシアです。\r\n\r\n
玄関付近 15408

玄関と庭の石柱 15408

\r\n\r\n最初の庭園は、\r\n都市セビージャ(セビリア)・アルカサールの\r\n庭園要素が感じられ、\r\n\r\n
15427

アンダルシア風の庭園 15427

\r\n\r\n2番目は、\r\nグラナダのアランブラ宮殿内、\r\nヘネラリーフェ庭園の灌漑を\r\n髣髴(ほうふつ)させ、\r\n\r\n
15395

アンダルシア風の庭園 15395

\r\n\r\nさらに奥へ進むと\r\nイタリアの石柱、\r\n\r\nアラブ式の溜め池や、\r\nつる棚が配置されています。\r\n\r\n
15273

石像とアラブ風の池 15273

\r\n\r\nまた所々に\r\n像を配置したこれらのデザインは、\r\n全てソロージャ自身によるものです。\r\n\r\n
15379

柱頭とオレンジの木(邸宅入り口の石柱) 15379

\r\n\r\n庭作りの為に夫人を伴って\r\nスペイン国内数箇所を丹念に巡った結果、\r\n\r\n
ソロージャ美術館 庭園  15423

アンダルシア風の庭園  15423

\r\n\r\n彼の心を射止めたのは\r\nアンダルシア地方の庭園でした。\r\n\r\n
15282

石柱等で仕切られた「アンダルシア風庭園」 15282

\r\n\r\nそしてこれら3つの庭園を、\r\n絵画のモチーフとして作品を制作する際、\r\n\r\n
ソロージャ邸 庭園  15420

アンダルシア風の庭園  15420

\r\n\r\n様々なフレーミングを作り出せるように\r\n壁で仕切らぬデザインを採りました。\r\n\r\n
15407

水汲み場 15407

\r\n\r\n彼は晩年を\r\nこよなく愛したこの庭園で過ごし、\r\n\r\n
ソロージャ邸 庭園  15286

つる棚の下のテーブルと椅子  15286

\r\n\r\n庭園をモチーフとして描いた作品数は、\r\n少なくとも60点以上に上ります。\r\n\r\n
15285

ホアキン・ソロージャの彫像  15285

\r\n\r\n庭園に置かれたソロージャの彫像。\r\nホアキン・ソロージャ(1863年-1923年)。\r\n\r\n
15291

邸入り口の階段  15291

\r\n\r\n庭の奥にある美術館への入り口にも\r\n青・緑・黄色の絵タイルが張られています。\r\n\r\n
ソロージャ美術館入り口階段の絵タイル  15292

美術館入り口階段の絵タイル  15292

\r\n\r\nまた建物にはもう1つ庭があります。\r\nこちらの階段手前を左へ進むと、\r\n\r\n
15294

外庭から望む中庭(パティオ)  15294

\r\n\r\nアンダルシア・スタイルのパティオ(中庭)が\r\n建物奥に設けられています。\r\n\r\nこちらも後ほど見てみましょうね。\r\n\r\n
15333

夫人の胸像 15333

\r\n\r\nさて\r\n館内の作品についてご説明致しますと、\r\n幾つかに仕切られた部屋には、\r\n\r\n外光派のソロージャが描いた\r\n海辺の風景や海洋風俗、\r\n家族の肖像画を中心に展示されており、\r\n\r\n
ソロージャ美術館開設の新聞記事 1932-1月  15345

ソロージャ美術館開設の新聞記事 1932-1月  15345

\r\n\r\nまた\r\n画家の一大プロジェクトであった\r\nNew Yorkの\r\nThe Hispanic Society of America内を装飾した\r\n14枚もの大パネル”Visión de España”\r\n「スペインのビジョン」の為の習作も展示されています。\r\n\r\n
ソロージャ美術館  15298

ニッチに置かれた壺  15298

\r\n\r\nモチーフは8年もの間、\r\nスペイン各地を旅し、\r\n伝統的な民族衣装を纏った人々を描いたものです。\r\n\r\n
15314

ソロージャのアトリエ 15314

\r\n\r\n今度は、奥のアトリエの様子をご紹介しましょう。\r\n\r\n高い天井。\r\n窓から入る自然光のもと、\r\n広々とした部屋には絵筆やパレット、愛用した調度品類、\r\nまた右手奥には天蓋付ベッドも置かれています。\r\n\r\n
ソロージャ美術館  15315

アトリエ内部の調度品や本類  15315

\r\n\r\nソロージャの\r\n実際の仕事場であったこのアトリエでは、\r\n鑑賞者は彼の描いた作品の美しく鮮やかな色彩や、\r\nそこから自分に発して来る大きな力に\r\n誰もが感動するようです。\r\n\r\n
15358

アトリエから廊下へ 15358

\r\n\r\nでは、\r\nアトリエを出て廊下へ進みましょう。\r\n\r\n
15310

パティオ(中庭)の見える窓 15310

\r\n\r\n廊下左手には窓がありますが、\r\n外は、先ほど見えた\r\nパティオになっています。\r\n\r\nちょっと眺めてみましょうか。\r\n\r\n
15296

パティオ(中庭): 右手、上の階にはアトリエ。15296

\r\n\r\nシンプルで\r\nすっきりした美しさですね。\r\n\r\n中央には六角形をした噴水でしょうか。\r\nタイルは白と青の組み合わせ。\r\nその上にはテラコッタの植木鉢。\r\n全体的な色合いもとても爽やか。\r\n\r\n
なつめ椰子  9683

ナツメヤシ(セビージャ/セビリア)  9683

\r\n\r\n南部の都市コルドバや、\r\nセビージャ(セビリア)へ行きますと\r\n南国と感じられる1つには\r\n棕櫚(シュロ)やナツメヤシの木々が茂っているからで、\r\n\r\n
海辺の庭園 (バレンシア地方)  4057

海辺の庭園 (バレンシア地方)  4057

\r\n\r\nソロージャもアンダルシアの雰囲気を\r\nマドリードの自宅で味わいたかった一人と、\r\n思いませんか。\r\n\r\n
15295

スペイン各地の陶器が飾られている部屋 15295

\r\n\r\nパティオのある横のお部屋には\r\nスペイン陶器が棚に飾られています。\r\n\r\n
ソロージャ美術館  15300

踊り場へ  15300

\r\n\r\nさぁ、それでは\r\n階段を上っていきましょう。\r\n\r\n
ソロージャ美術館  15350

踊り場からアトリエを望む 15350

\r\n\r\nまた上の階は\r\n家族の寝室であった場所で、\r\n現在は展示室になっています。\r\n\r\n
15339

素描 15339

\r\n\r\n素描の数々。\r\n\r\n
15343

「グレーの服を着たクロティルデ」(夫人の肖像画) 15343

\r\n\r\nソロージャは\r\n夫人をモデルに数多く描いていました。\r\n\r\n印象派の特徴とも言える\r\n家族や友人の肖像画はもちろんですが、\r\n\r\n
15341

夫人をモデルにした二枚の絵 15341

\r\n\r\nそれらの作品からは、\r\n特に夫人への深い愛情が感じられ、\r\nまた絵画の中の夫人の眼差しや仕草からも\r\n夫への愛情が同様に伝わってきます。\r\n\r\n
15348

夫人又は娘の後ろ姿 : フランス南西部・リゾート地ビアリッツにて  15348

\r\n\r\n幼馴染であった二人は\r\n常に共に生きた二人でもありました。\r\n夫人は恋人から妻へ、そして子供達の母親であり、\r\nまた絵のモデルとして、更には\r\n展覧会に関する事務処理をこなす仕事仲間でもありました。\r\n芸術家を支える夫人は、心身共に大変だった事でしょう。\r\n\r\n
15306

サロン 15306

\r\n\r\n階段を下りた場所からは\r\n家族が暮らした住居部分になっています。\r\n\r\n
サロン(部分) 15301

サロン(部分) 15301

\r\n\r\n彼等がそうしたように\r\nサロンの広い窓辺に近づいてみませんか。\r\n\r\n
サロンの窓 15373

サロンの窓 15373

\r\n\r\nこうしたお天気の良い日は、\r\n窓から降り注ぐ\r\n光のシャワーが浴びられますね。\r\n\r\n
4623

光り溢れる窓辺(ソロージャ美術館) 4623

\r\n\r\nいかがですか...。\r\n\r\n
15364

食堂 15364

\r\n\r\nこちらが食堂。\r\n奥には大理石の暖炉。\r\nブロンズ像や陶器が飾られています。\r\n\r\n
ソロージャ美術館  15361

食堂(正面部分) 15361

\r\n\r\n部屋中央には\r\n木彫りテーブルと対の椅子。\r\n上に敷かれたセンターは、\r\nスペイン刺繍でしょうか。\r\n上には銀のボールと燭台も。\r\n\r\n
15308

玄関ホール 15308

\r\n\r\nそしてこちらは玄関。\r\n\r\n美術館を一巡りした後の感想になりますが、\r\n館内のそこかしこに\r\n家族の肖像画が飾られているせいか、\r\n\r\n
ソロージャ美術館  15371

窓辺の置物とブロンズ像  15371

\r\n\r\n在りし日の彼らの生き生きとした姿が\r\n玄関や食堂、サロンに今にも現われるようです…。\r\n\r\n
15368

窓(ソロージャ美術館) 15368

\r\n\r\nさて、美術館はお気に召しましたでしょうか。\r\n\r\nここからは個人的な意見になりますが、\r\nソロージャの作品は\r\n海辺の風景がとても印象的でした。\r\n\r\n
ソロージャ美術館  15312

窓辺に置かれた壺  15312

\r\n\r\n特にアトリエの壁中央に掛けられていた\r\n縦横2メートル程の油彩画、\r\n「海辺での散歩」(1909年)。\r\nNew Yorkの展覧会で大成功を収めた頃の作品で、\r\n彼の絶頂期の一枚です。\r\n\r\n
15319

作品”Paseo a la orilla del mar” 「海辺での散歩」 15319

\r\n\r\n「海辺での散歩」。\r\nバレンシアの海辺で、白い服を纏った母と娘の歩く姿は、\r\nとてもエレガント。白い日傘を手に持ち、\r\n風にはらむベールを抑えるクロティルデ夫人。\r\n\r\nその少し前を、飾りのついた麦藁帽子を手に、\r\nアップにした髪を風になびせて歩く長女マリア。\r\n白い服や傘、ベールなどはディフューザー、\r\nつまり光りを拡散する役目をしていますね。\r\n\r\n絵画の中の二人を見つけて、\r\nこの絵の虜になる女性はきっと多い事でしょう。\r\n\r\n
15320

アトリエ 15320

\r\n\r\nそう言えば、\r\nソロージャの作品に始めて出会った日の事を\r\n今でも良く思えているのですが、\r\n\r\n
村の小道 (アンダルシア地方)  4011

花咲く村の小道 (アンダルシア地方)  4011

\r\n\r\nスペインに来てから\r\nそれはかとなく感じていた独特の光と影を、\r\n見事なまでにキャンバス上で\r\n表現されているのを目の当たりにして\r\n『これなんだわ、感じていたのは!』と、\r\n答えを見つけて嬉しくなりました。\r\n\r\n
15452

ソロージャ美術館入り口 15452

\r\n\r\nそれでは画家ソロージャの心を捉えた\r\n美しい地中海の景色をご紹介しながら\r\n美術館を後に致しましょう。\r\n\r\n光の魔術師によるアリカンテの海辺\r\n\r\nソロージャは\r\n故郷バレンシアの景色だけでなく、\r\n更に南に位置するアリカンテ県\r\n”Jávea”(ハベア)へ1896年に訪れていました。\r\n\r\n
179

「ハベア」の海岸(バレンシア地方) 179

\r\n\r\n沿岸にあるこの村は、\r\n240kmほど続く”Costa Blanca”(コスタ・ブランカ)\r\n「白い海岸」の北部に位置し、\r\n上に見えるサン・アントニオ岬や\r\n\r\n
15239

岬の断崖(ハベア)15239

\r\n\r\n幾つかの岬に囲まれ、\r\nとても風光明媚な場所です。\r\n\r\n
15238

地中海 15238

\r\n\r\n特に夕日が照らす時刻には\r\n海岸の「凝灰岩(ぎょうかいがん)」が赤く染まり、\r\nここの風景は昼間とはまた違った\r\n別の美しさに変化していくのです。\r\n\r\n
15225

ハベアの港 15225

\r\n\r\nある年の12月、\r\n私はハベアに数日間でしたが\r\n滞在した事がありました。\r\n\r\nここは年間晴天日数が300日以上、\r\n平均温度が摂氏20度と、\r\n冬場も快適な場所です。\r\n\r\n
15228

ハベア港 15228

\r\n\r\n午前中に、\r\n暖かな光を肌に心地よく感じながら\r\nハベア港へ出かけて見ました。\r\n\r\n
15216

反射(ハベア港)  15216

\r\n\r\nハベア港は、サン・アントニオ岬が\r\n背後に聳える天然の良港で、\r\n\r\n
"Lonja" 「漁業取引所」  (ハベア港)  15226

“Lonja” 「漁業取引所」  (ハベア港)  15226

\r\n\r\nまた漁業商品の取引所\r\n”Lonja”(ロンハ)があることから、\r\n遠く離れた港の船からも\r\nここで水産物が水揚げされます。\r\n\r\n
15215

ハベア港の漁船 15215

\r\n\r\n取引所では\r\n午前と午後にせりが公開される為、\r\n観光スポットの1つとして\r\n人々で賑わっていました。\r\n\r\n
海中のロープ  (ハベア港)  15214

海中のロープ(ハベア港)  15214

\r\n\r\n日本でも同じ。港周辺の店先に並ぶ\r\n魚介類を見学し、購入するのも楽しいですよね。\r\nハベアでは、真鯛、鯖、モウゴウイカ、蟹、鰯\r\n小型の海老、蛸、アンコウ、ヒメジ…。\r\nそれに、この地方のお米料理\r\n魚介パエジャ(パエリア)の花形、\r\nヨーロッパ・アカザエビも見られます。\r\n\r\n
15212

ハベア港の漁船 15212

\r\n\r\nところで、\r\n取引所から離れて\r\n埠頭で歩いている途中でしょうか。\r\n何人かの漁師さん達が、\r\n魚網の手入れをしているのを見かけました。\r\n昔も今も変わらぬ姿です。\r\n\r\n
漁網の手入れ(ハベア港) 15220

漁網の手入れ(ハベア港) 15220

\r\n\r\nソロージャも彼の故郷である\r\nバレンシアの浜辺を舞台として、\r\n\r\n
漁船  (ハベア港)  15221

漁船(ハベア港)  15221

\r\n\r\n漁を終えて帆を外し、\r\n浜辺へ取り込む漁師の様子や、\r\n数人で帆の繕いをする姿を描いています。\r\n\r\n
Blog-16-1181

船とブイ(ハベア港) 15219

\r\n\r\nキャンバスの中の漁師達の面差しは\r\n厳しく、日焼けした肌は赤銅色。\r\n\r\n
漁網 (ハベア港)  15207

漁網 (ハベア港)  15207

\r\n\r\n針を持って繕う手の先には\r\n浜に広げられた大きな白い帆布。\r\nそこには反射した波打ち際の海の青に、\r\n砂浜のオークル色、そして強い黄色い日の光に\r\n濃い影になった紫色がのせられていました。\r\n\r\n
ナオ岬の灯台(バレンシア地方・ハベア) 15241

ナオ岬の灯台(ハベア) 15241

\r\n\r\nところで午後になって、\r\n私は湾の右手に見える\r\nナオ岬の灯台まで上ってみました。\r\n\r\n
夕暮れのモーターボート (ハベア湾)  15245

夕暮れのモーターボート (ハベア湾)  15245

\r\n\r\nしばらくの間\r\n穏やかな海を眺めておりましたら、\r\n気づかぬうちに太陽は灯台や壁の白を\r\n徐々に琥珀色に染め始めていました。\r\n\r\n
15244

ナオ岬の午後(ハベア) 15244

\r\n\r\nその時、『ああ、そう言えば…』と、\r\nソロージャが留守番をしている夫人宛に\r\n綴った手紙の内容が心に浮かんだのです。\r\n\r\n
4222

夕暮れのヨット(ハベア湾) 4222

\r\n\r\n『ハベアは荘厳で雄大、\r\n描くのに知っている場所では最高だ。\r\n…あと数日いようと思う。\r\nもし君がいたのなら、2ヶ月』。\r\n\r\nそして続けて、\r\n『…しかし、何と言う海!\r\nサン・アントニオ岬は別格の美しさ…』\r\n\r\n
4224

ハベアの岩場 4224

\r\n\r\n彼は、\r\n岬のむき出しになった断崖を\r\n赤みがかった巨大なモニュメントに例え、\r\n\r\nまたきれいな水の色は澄み、\r\n輝くようなエメラルド・グリーン色であると\r\nハベアの美しさに感動したようです…。\r\n\r\n本日ラストの写真\r\n\r\n
夕暮れの海 (ハベア湾)  15246

夕暮れの海 (ハベア湾)  15246

\r\n\r\n夕暮れのハベアの海辺では、\r\n先ほどまでの抜けるような青空から薔薇色へと、\r\n光の魔術師によるショーが始まりました。\r\n\r\n
15247

ハベアの海 15247

\r\n\r\n驚いた事に、\r\n実際カメラで海を撮影してみると\r\n色彩画家がキャンバスにのせた\r\n色合いと同じでした。\r\n\r\n
15248

ハベアの海 15248

\r\n\r\nそして港の向こうには\r\nあのサン・アントニオ岬の\r\nきらきらと輝く赤い凝灰石の断崖が...。\r\n\r\n
4225

サン・アントニオ岬と漁船 4225

\r\n\r\n巨大な岬の先端近くには\r\n帰港する一艘の漁船がとても小さく見え、\r\nゆらゆらと動いています。\r\n\r\nその姿を見て\r\nなぜかとても愛おしく感じたのは\r\n私だけでしょうか...。\r\n\r\n \r\n\r\n \r\n\r\n***   ***   ***   ***   ***   ***   ***\r\n\r\nブログ後記\r\n\r\n
ハベアの夜 172

ハベアの夜 172

\r\n\r\nいつも最後までご覧頂きまして本当にありがとうございます。\r\n 最後は地中海の雄大なる景色で終えたブログ、\r\n いかがでしたでしょうか?\r\n 今回はテーマ「道」(V)のシリーズ、\r\n マドリードの二つの散歩道を中心にお届けいたしました。\r\n 次回ブログの内容については只今思案中です。\r\nアップまでどうぞお楽しみに...。\r\n\r\nさて今回のブログ更新ですが、\r\n 当初、前回ブログから2ヶ月ほどでアップする予定でした。\r\n しかし単に散歩道をご案内するだけではなく、\r\n 様々な角度から二つの道をご覧頂こうと考え、\r\n やはり予定より完成が大分遅くなってしまいました。\r\n 何度か様子を見に来られた方には\r\n 御礼並びにお詫び申し上げます。\r\n\r\nまた当ブログのアクセス数に関しましては、\r\n国内のみならず\r\n 外国からも沢山アクセスを頂いており、\r\n 励みになると共に大変嬉しく思っております。\r\n ここに厚く御礼申し上げます。\r\n\r\n最後になりますが、下記にご案内しております\r\n 「お知らせ」の内容が新しくなりました。\r\n コレクション・ギャラリーにも是非お越し下さいね。\r\n お待ちしております。\r\n\r\n***   ***   ***   ***   ***   ***\r\n\r\nお知らせ\r\n\r\n【Sala Mikiko】 「アラベスク文様の手帳から」コレクション・ギャラリーのご案内\r\n\r\nいつもご購読ありがとうございます。\r\n ブログに使用した写真の中から特にアーティフィシャルなものを\r\nコレクションとしてギャラリーにしました。\r\n\r\n場所は、\r\nWeb版私本来のフォト・オフィスとも言うべき\r\n TEMIKPHOTO 【Sala Mikiko】で公開しております\r\n (”Sala” とはスペイン語で “Room” の意味です)。\r\n\r\nどうぞお待ちしております。\r\nこちらからどうぞ。\r\n\r\n「ブログ更新のお知らせ」登録手続きのご案内\r\n\r\nブログは通常2ヶ月毎で更新しております。\r\n尚、不定期更新のため\r\n 次回よりご希望がある方には\r\n 直接その旨をお知らせさせて\r\n 頂くことに致しました。\r\n\r\nご希望の方は\r\n お手数ではございますが\r\n こちらよりご登録下さいますよう\r\n お願いいたします。\r\n\r\nなおご登録頂いた情報は\r\n ブログ更新のご案内のみに使用し、\r\n 第三者に譲渡することはございません。

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