第14話 道(III) 妹・マドリードが眺めた世界

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トレドを防衛するマドリード\r\n\r\n\r\n「トレドがあるからこそ重要な場所になった」\r\nその場所とは...。\r\n\r\n

Blog-14-1

マドリード通り: 絵タイルで出来た通り名のプレート

\r\n\r\nそれは現在のスペインの首都\r\n「マドリード」のことなのです。\r\n\r\nトレドは「古都」と表現されるように\r\nとても長い歴史のある町です。\r\nローマ時代から、そして\r\nその後のキリスト教国\r\n「西ゴート王国」の首都でもありましたから。\r\n\r\n
Blog-14-2

タホ川から望む古都トレド

\r\n\r\nところでよく\r\n「A市とB市は姉妹都市である」と言う\r\n言葉を耳にしますね。\r\n\r\nその意味合いは異なりますが、\r\n歴史的観点から例えれば\r\nトレドは年が離れたお姉さん。\r\nそしてその後、誕生したのが\r\n妹のマドリードなのです。\r\n\r\n
Blog-14-3

姉妹

\r\n\r\n妹は健気で、とてもお姉さん思い。\r\nですが、この妹のマドリードが生まれた\r\n9世紀後半のスペインはどのようであったでしょうか。\r\n\r\nイスラーム教徒によって、\r\nスペイン北西部へと追いやられたキリスト教徒が、\r\nその地でアストゥリアス王国を建国し、\r\nかつての彼等の土地を、\r\nそして首都であったトレドを奪い返そうと\r\n徐々に勢力を回復した時期にあたります。\r\n\r\n
ボタンかけをする妹

ボタンを掛ける妹

\r\n\r\nまた、\r\nお姉さんの町トレドがある街道は、\r\n今から2000年ほど前に建設された\r\nローマ時代の主要な「街道」の1つであり、\r\n\r\n
Blog-14-5

トレド近郊の農道

\r\n\r\nイスラーム教徒はこの既存のローマ街道を利用し、\r\n必要であれば新たな町を建設し、城塞を建て、\r\n自分達の領域「アル・アンダルース」を\r\n防衛しました。\r\n\r\n
少女

少女

\r\n\r\nこうして妹マドリードは、\r\nお姉さんの町と、\r\nその長い街道の中央部を守ると言う\r\nとても強い使命を帯びて誕生したわけです。\r\n\r\nまずは\r\nマドリードの町がどんな場所にあるのか、\r\n私の「マドリードの思い出」の中から\r\nお話をしようと思います。\r\n\r\n 空港から市内へ\r\n\r\n\r\n人は見知らぬ町に到着した時、\r\nその町を知りたいという欲求に\r\n駆られるものですが、この私もそうでした。\r\n\r\n
Blog-14-7

機内の窓から : マドリード・バラハス国際空港の眺め

\r\n\r\nマドリードの郊外、北東十数㎞の位置にある\r\nマドリード・バラハス国際空港へ\r\n初めて降り立った時の印象は、次のようでした。\r\n\r\n『なんて乾いた大地...。でも、市内はどうなのかしら』。\r\n\r\n
Blog-14-8

マドリード・バラハス国際空港のターミナル

\r\n\r\n市内に向かう途中では、\r\n車窓から見える立て看板を眺めては、\r\n旅立つ前に何度も眺めた\r\nガイドブックの市内写真を思い出し、\r\n\r\n
Blog-14-9

マドリード旧市街の眺め

\r\n\r\n今、見て来たばかりの空港周辺の景色と\r\nこれから観るマドリードが、\r\n一体どのように頭の中で繋がっていくのかと\r\n心をときめかせた事を覚えています。\r\n\r\n
旧市街の眺め

旧市街の眺め

\r\n\r\n時は流れ、\r\nマドリードの生活にも慣れてくると、\r\n暇を見つけては、\r\nあちらこちらと探索しました。\r\n\r\n
Blog-14-25

プエルタ・セラーダ広場

\r\n\r\nその結果、やはり歩くのならば町の南西にある\r\n旧市街「セントロ」地区が\r\n自分にとっては一番楽しく、\r\n時間が出来るとよく出かけていきました。\r\n\r\n
Blog-14-26

外灯と居酒屋の看板 : 通り名の入ったプレート、絵タイルを使用した店の看板のある街角。

\r\n\r\nこの地区にある石畳の大きな広場を歩き、\r\n教会の鐘楼を見上げ、\r\n時には立ち止まって\r\n古めかしい居酒屋の看板や、\r\n通りの名前のついた絵タイルを眺める...。\r\n\r\n
Blog-14-27

タベルナ(居酒屋)の前を歩く女性達

\r\n\r\nこんな風にマドリードの歴史の香りが\r\n随所から漂ってくる場所なのです。\r\n\r\nメセタ上に建つマドリードの町\r\n\r\nある日、いつもと同じように旧市街の街角で\r\n漠然と信号待ちをしていた時でした。\r\n\r\n
Blog-14-75

信号を待つ人々: 横断歩道前の人々は正に人生の縮図。

\r\n\r\nふと、「これでは、木を見て森を見ずだわ!」と、\r\nマドリードの町全体を未だこの目で\r\n確かめていなかった事に気づきました。\r\n\r\n『ええと、マドリードの町全体が見える場所は何処かしらねぇ…』。\r\n\r\n
Blog-14-11

王宮の門

\r\n\r\n更に、考えを巡らします。\r\n『...確か王宮のある場所のすぐ下は、\r\nマンサナーレス川の谷になっていたはず...よね。\r\nあの辺りに行けば町全体が見られるかも...』。\r\n\r\n
王宮

王宮

\r\n\r\nマドリードの南西の端には壮麗な王宮に、\r\n\r\n
アルメリア広場

アルメリア広場

\r\n\r\n隣接したアルムデナ大聖堂、\r\nそれにここアルメリア広場があります。\r\n\r\n
夕闇のアルメリア広場

夕闇のアルメリア広場

\r\n\r\nそして広場の端まで行き、\r\n町の中心街の外を眺めてみます。\r\n\r\n木の塀の外はすぐに河谷で、\r\nその向こうに見えるのが\r\n広大な緑の森”Casa de Campo”\r\n「カサ・デ・カンポ公園」。\r\n\r\n
アルメリア広場から中央山系を望む

アルメリア広場から中央山系を望む

\r\n\r\nそして\r\nこの辺りに昔、イスラーム教徒が建てた\r\n監視塔が存在したのでしょうか...。\r\n確かに、地平線上に見える\r\n「中央山系」の山々の向こうから\r\n来襲するキリスト教徒の動きを\r\nいち早く見つけるのにはもってこいの場所です。\r\n\r\nでもこの広場からでは、\r\nマドリードの町全体を\r\n把握する事は出来ませんでした。\r\n\r\n木も見て、森も見る\r\n\r\n『あっ、そうだわ。向かいに見える\r\nあのカサ・デ・カンポ公園なら...♪』\r\n\r\n
Blog-14-19

カサ・デ・カンポ公園からマドリードの眺め

\r\n\r\nやはり見えましたね。\r\nメセタ上に立つマドリードは、\r\nヨーロッパの首都でも一番海抜が高く、\r\n650m以上あるのをご存じでしたか。\r\n\r\n現在のマドリードの外観を見ますと、\r\nかつて妹のマドリードが誕生した\r\n面影はもうありません。\r\n\r\nしかしこの公園からは、\r\nひな壇上になった今のマドリードの姿が、\r\n\r\n
マドリード中心街

マドリード中心街

\r\n\r\n各広場を基に\r\n道が放射状に広がる古い地区と、\r\n後方には都市計画によって出来た\r\n碁盤目上の新市街が一緒に重なり、\r\n\r\nまた数多い波打つ坂からは\r\n高いビルも\r\n幾分かがんだように低くなって...、と\r\n\r\n普段、街中を移動する際に\r\n目にするマドリードの町とは、\r\n別の素顔を堪能する事が出来ました。\r\n\r\n
聖堂の丸屋根

ライト・アップされた聖堂

\r\n\r\nさて、\r\nマドリードの全景は楽しまれましたか。\r\n\r\nそれから、\r\n妹・マドリードの使命であった丘からの監視目標は、\r\nマンサナーレスの谷や\r\n「中央山系」のグアダラーマ山脈でしたが、\r\n西には美しいグレードス山脈が横たわっています。\r\nここではそのグレードス山脈と、\r\n\r\n
夜の王宮とアルムデナ大聖堂

夜の王宮とアルムデナ大聖堂

\r\n\r\nそしてもう1つは、\r\nローマ時代に建設された街道に\r\n関連したお話をしようと思います。\r\n\r\n尚、妹マドリードが守っていた\r\n街道の中央部、\r\n特にトレドに関しましては\r\nすでに前回お話済みですから、\r\n今回は道の両端に位置する\r\n2つの都市を中心にご紹介致します。\r\n\r\nそれから、\r\n途中で2度休憩の場所を入れてありますが、\r\nボリュームがありますので\r\nご自分のペースでご覧下さいね。\r\n\r\nどうぞゆっくりお楽しみ下さい。\r\n\r\nローマ支配によるスペイン\r\n\r\nそれはそれは、遠い昔のことです。\r\n\r\n
Blog-14-23

都市カディスの海岸 : 南部アンダルシア地方にある都市カディスは、紀元前10世紀頃にフェニキア人の植民地の拠点として建てられ、その後カルタゴ人、ローマ人の手に渡った。

\r\n\r\nスペインとポルトガルが位置する\r\nイベリア半島が「ヒスパニア」と呼ばれていた頃、\r\n地中海覇権を争っていたのが、\r\nローマとカルタゴでした。\r\n\r\n彼等はこの半島でも争奪戦を繰り広げ、\r\n紀元前201年、「第二次ポエニ戦争」が終結すると\r\nローマはカルタゴを\r\nこの半島から追い出しすことに成功するのですが...。\r\n\r\n
Blog-14-24

ラ・カレタ海岸を飛ぶ海鳥 : カディスにあるこの海岸は、古代から船が停泊した天然の港。

\r\n\r\nローマはこの戦争がきっかけとなり、\r\n半島全土を征服しようと決断しますが、\r\n決して容易い事ではなく、\r\n\r\n今度は先住民族達との200年に渡る\r\n厳しく長い戦いが待ち受けていました。\r\n\r\n
Blog-14-28

古代イベリア半島に住んでいた先住民族の住居跡

\r\n\r\nその前途多難な征服を目指し、\r\nローマ軍団「レギオン」が\r\n進軍する為に建設したのが、\r\n当初の「ローマ街道」建設の目的なのです。\r\n\r\n「エメリタ-カエサラウグスタの道」\r\n\r\nこの時代のローマ街道は、\r\n体の血管のように幹線道路の他、\r\nそこから分岐した細い支線道路が\r\n網の目状に構築されて\r\n半島全土に広がっていました。\r\n\r\n
スペインの高速道路

スペインの高速道路

\r\n\r\nイベリア半島を貫く幹線道路は、\r\n合わせて6本が建設され、\r\n\r\nその中の1本の道が、\r\n下の地図で示された緑色のラインです。\r\n\r\nmapa_roma\r\n\r\nスペイン中央部を斜めに横切るように\r\n南西の都市メリダ-トレド-北西の都市サラゴサ間を\r\n結ぶ重要な街道が、\r\n\r\n”Vía Emerita-Caesaraugusta”\r\n「エメリタ-カエサラウグスタの道」です。\r\n\r\n
Blog-14-29

ガソリンスタンド

\r\n\r\nちなみに\r\n現代の道路でも両都市を結ぶと\r\n約700㎞弱の距離があります。\r\n\r\n
Mérida(メリダ)へ向かう道路標識

Mérida(メリダ)へ向かう道路標識

\r\n\r\n「エメリタ-カエサラウグスタの道」。\r\n\r\n
メリダへ戻るトレーラ :10761

メリダへ戻るトレーラ

\r\n\r\nこの道がかつて\r\n「どのような場所を辿っていたのか」を\r\n興味を持って調べてみたところ、\r\n『あらら…?!』と、\r\n壁にぶつかってしまいました。\r\n\r\n
山中のローマ街道(支線)

山中のローマ街道(支線)

\r\n\r\n何故かと申しますと、\r\n大きな諸都市は別として、\r\n町や通過場所の確定には諸説有り、\r\n\r\n歴史家によっては\r\n「街道の石畳も部分的には残ってはいても、\r\n石の距離標識(マイルストーン)でさえも\r\n見つからぬ...」と、こんな風に\r\n頭を悩ませていたのです。\r\n\r\nそう言えば\r\nこの「街道の石畳も...見つからぬ」で、\r\n次のような事をふと思い出しました。\r\n\r\nあれは、\r\nマドリードから西へ350㎞離れた\r\n山中の町を訪ねる旅の\r\n途中の出来事でした。\r\n\r\n
山中の岸辺風景

山中の岸辺風景

\r\n\r\n街道から離れ小さな村々を\r\n幾つも過ぎた頃だったでしょうか。\r\nトレドを流れるタホ川に突然出会ったのです。\r\nトレドから100㎞程下流だったのではないでしょうか。\r\n\r\nタホ川を渡った向こうの岸辺には\r\n何台かの車が停まり、\r\n皆さん一様に記念写真を撮っていきます。\r\n\r\n
川辺のローマの遺跡

川辺のローマの遺跡

\r\n\r\n後でわかった事ですが、上の写真は\r\n”Curia” 「クリア民会」の建物のポーチ部分で、\r\nかつてこの川の流域に存在した\r\nローマ時代の町”Augustóbriga”\r\n「アウグストブリガ」に建っていたものでした。\r\n\r\n
石柱と木

ローマ時代の石柱

\r\n\r\n州都に次ぐ大きさの町であった\r\nアウグストブリガは残念なことに\r\n1963年、貯水池建設の為、\r\n中世に作られた町と共に\r\n今は水の中に沈んでいます。\r\n\r\n
ローマ時代の遺跡

ローマ時代の遺跡と空

\r\n\r\nただ難を逃れたこのポーチや、\r\n他所からの数本の石柱が岸辺に移築され\r\nこれらの遺跡だけが\r\nローマ時代の面影を残しているのみです。\r\n\r\n歴史家の方々が悩まれていた\r\n「何処を通っていたのか…」とは\r\nこういう事例も存在する事なのですね。\r\n今更ながら納得致しました。\r\n\r\n山の支線道路\r\n\r\nさて、\r\n妹のマドリードが\r\n誕生した背景の1つであった\r\n「監視塔からの中央山系の眺め」がありましたが、\r\n覚えていらっしゃいますか。\r\n\r\n
Blog-14-36

グレードス山脈のローマ街道

\r\n\r\n実は中央山系を構成している\r\nこのグレードス山脈の山中にも、\r\n石畳の道が見られ、\r\n当時の支線道路の1つではないかと\r\n言われています。\r\n\r\nグレードス山脈の自然風景\r\n\r\n
グレードス山脈

グレードス山脈

\r\n\r\nグレードス山脈は\r\nマドリードからおよそ西へ180㎞、\r\n\r\n
雪解け水

雪解け水

\r\n\r\n高度2000~2500m級の山々が連なる\r\n自然がとても美しい場所です。\r\n\r\n
貯水池に架かる橋

貯水池に架かる橋

\r\n\r\nそれではしばらくの間、\r\n写真を通してグレードス一帯を\r\n散策して頂こうと思います。\r\n\r\n
草の露

草の露

\r\n\r\nまずは\r\n小旅行の気分で、\r\n朝の爽やかな景色からどうぞ。\r\n\r\n
Blog-14-41

ホテルの窓

\r\n\r\nいかがでしょう?\r\nもう少し近寄って、\r\n窓辺に手をついて眺めてみませんか。\r\n\r\n
Blog-14-42

林の中の白馬

\r\n\r\n窓の外にぐっと広がる山の景色です。\r\n\r\n鳥の歌うようなさえずり。\r\nそれにひんやりした空気が\r\n胸の奥にすーっと入る心地良さ。\r\n\r\n眼下には、白馬の姿も見えますね。\r\n\r\n今度は、ホテルの外へ出て\r\n山の中を散策しましょう。\r\n\r\n
林の朝

林の朝

\r\n\r\n松やカシワ類が多い林...。\r\n朝靄が消えた後の\r\n日が差し込む小川。\r\n\r\n
石橋

霧の中の石橋

\r\n\r\n山からの雪解け水。\r\n川には鱒や、ブラックバス、カワカマス類の魚。\r\n\r\n
Blog-14-45

石橋と川の流れ

\r\n\r\n石橋と力強い川の流れ。\r\n\r\n
Blog-14-46

水力発電所のある風景

\r\n\r\n水しぶきを上げる豊富な水量は、\r\nダムからの放流でしょうか。\r\n\r\n
Blog-14-47

水しぶきを上げる川

\r\n\r\nまた珍しい山ヤギや、\r\n黒ハゲタカ、イヌワシの生息地でもあります。\r\n\r\n機会があれば、釣りや狩猟が好きな方なら\r\n一度行ってみたい場所かも知れませんね。\r\n\r\n
Blog-14-48

湖水の風景

\r\n\r\nそしてこんな場所も...。\r\n\r\n辺りは静寂の世界。\r\n移り変わりの速い山の景色。\r\n湖水の緑に、たなびく雲の色。\r\n\r\n
Blog-14-49

岩と水面

\r\n\r\nこの景色を\r\n落ち着いた色調に演出するのは、\r\n雲間からの柔らかな日の光。\r\n\r\n
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奇岩

\r\n\r\n変幻自在に\r\n姿形を変えて行く雲の流れと、\r\n不動の岩の風景。\r\n\r\n
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霧の夕暮れ

\r\n\r\nそしてこちらは\r\n夕暮れの時刻のホテルのBAR内。\r\n\r\n穏やかに談笑する人々の声が、\r\n心地良く耳に感じるのは、\r\n今日一日山歩きをした\r\n軽い疲労のせいでしょうか。\r\n\r\n
Blog-14-52

窓辺の眺め

\r\n\r\nカウンター越しに\r\n窓辺の風景に目を向ければ、\r\n黄昏時の光りが徐々に、\r\n一日の終わりを告げようとしています。\r\n\r\n同じ頃...。\r\n昼間歩いたあの山の、\r\n木々を眠りに誘う夕暮れの雲が\r\n静かに包み込んでいきます。\r\n\r\n
Blog-14-53

霧の夕暮れ

\r\n\r\nホテルからの眺め、\r\nそして森林浴の小旅行、\r\n満喫して頂けたでしょうか。\r\n\r\nさぁ、ここからは気分をかえて\r\nグレードスの景色を\r\n続けてご覧頂きましょう。\r\n\r\n泉へ水を汲みに行った日の出来事\r\n\r\n
Blog-14-54

里山の風景 : グレードス山脈

\r\n\r\nグレードス山脈へは撮影目的の他に、\r\n山の美味しい湧き水も魅力の1つでしたので、\r\n峠の手前にある泉へ\r\n水を汲みに出かけた事がありました。\r\n\r\n
Blog-14-55

\r\n\r\nこの日の撮影のお目当ては、\r\nちょうど峠を超えた向こうの小さな村々でした。\r\n\r\n
霧煙る道

霧煙る道

\r\n\r\n特に秋になりますと\r\n山中を走る村道沿いに栗が実り、\r\n四季の移ろいを感じさせてくれます。\r\n\r\n
山間の寒村

山間の寒村

\r\n\r\nここは\r\n山の斜面を利用した小さな村でした。\r\n\r\n
村の女性

村の女性

\r\n\r\n村に着くと、\r\nまずはぐるっと歩いて見ました。\r\n\r\n細くて急な坂を下りていきましたら\r\nちょうど村の人と出会い、声をかけます。\r\n「こんにちは♪」\r\n\r\nエプロンをかけた女性は、\r\n幾分見上げた顔で\r\n静かな声で挨拶が返ってきました。\r\n\r\n
煙突

煙突

\r\n\r\nうねるような狭い急坂。\r\n苔で覆われた瓦屋根。\r\n\r\n
村の坂道

バルコニーと坂道

\r\n\r\n坂の上に張り出ている\r\n木のバルコニーと漆喰壁。\r\n\r\n村の中の昼時は人通りもなく、\r\nしーんとしていて、\r\nまるで何かが周囲の音を\r\n全て吸い込むような静けさです。\r\n\r\nただ、\r\n家々の煙突からもくもくと上る煙と、\r\n薪の香りで村は包まれておりました。\r\n\r\n
キオスク

キオスク

\r\n\r\nさて、ここが村の目抜き通り。\r\n煉瓦と石の組み合わせの村景色の中では\r\nちょっと目立った存在のキオスク。\r\nお店は限られたスペースでも、\r\n品揃えは充実していそうです。\r\n\r\n昼食時間にお店を一旦閉めていたご主人。\r\n午後からのお店の再開準備ですね。\r\nところで、道行く人も顔見知り。\r\nですから、挨拶も欠かせない様子でした。\r\n\r\n
村の少年達

村の少年達

\r\n\r\n『おや?...』。静かな村に、\r\n突然バイクの音が轟きます。\r\n下りてきたのは村の少年達でした。\r\n\r\n
Blog-14-63

修繕をする男性達

\r\n\r\nこちらは家の修繕作業中かしら。\r\n\r\n
Blog-14-64

山間の石造りの家

\r\n\r\nそれから\r\n村の伝統的な家に関しては、\r\n正面に見える窓の大きさや、\r\n壁の厚みから判断すると\r\n厳冬に備えた造りになっています。\r\n\r\n
村役場がある広場

村役場がある広場

\r\n\r\nぐるっと一巡りしたので、\r\n昼食ぎりぎりの時間となってしまいました。\r\n\r\n『まだ食べられるかしら』と幾分心配しながら、\r\n1件のレストランにそーっと入って尋ねると\r\n女主人が首を縦に振ってくれます。\r\nどうやら母と娘で切り盛りをしているようでした。\r\n\r\nレストランでは、\r\n老いた母が料理の火加減を見るため、\r\n煉瓦作りの竈(かまど)の横に腰を掛け、\r\nじっと番をしています。\r\n黒い服に身を包んでいるのは、\r\nご主人の死後、ずっと喪に服しているのでしょう。\r\n村でもそして都会でも未だ見かける姿です。\r\n\r\n
Blog-14-66

薪の火

\r\n\r\nやっとテーブル前に座った私は、\r\n一息ついてほっとしたのか\r\n彼女のように竈にくべた薪の火を眺めながら、\r\nこの村に向かう先程の出来事を\r\n思い出していました。\r\n\r\n
山と霧

山と霧

\r\n\r\nそれは、\r\n泉で水を汲んだ後の事なのですが、\r\n実はちょうど峠にさしかかる地点で霧が発生し、\r\n展望台で足止めされてしまったのです。\r\n\r\n
霧に覆われた山道

霧に覆われた山道

\r\n\r\n『さぁ、どうしたものかしら...』と思案していますと、\r\n白い世界の何処からか、かすかに\r\n「カラン、コロン...、カラン...」と、\r\nかわいらしい鈴の音が響いてきます...。\r\n\r\n
雲海

雲海

\r\n\r\n耳をそばだてると音は上から下へ、\r\nそれも徐々にですがこちらへと\r\n近づいて来るようでした。\r\n\r\n
交通標識と雲海

峠の標識

\r\n\r\nどのくらい時間が経ったのでしょうか。。\r\n15分か、いやもっと...、\r\n30分位だったもしれません。\r\nそして視界が開けてくる頃には、\r\n何やら集団で移動する動物の気配がありました。\r\n\r\n
峠 : 雲海を眺める人々の車

峠 : 雲海を眺める人々の車

\r\n\r\nやがて眼下には、\r\n急坂のローマ街道を下りる\r\n首に鈴をつけた山羊、そして仲間達が、\r\n途切れ途切れになった霧の間から\r\n見え始めます。\r\n\r\n
ローマ街道

ローマ街道

\r\n\r\nまた彼等への合図なのか、\r\n独特の声を発しながら\r\n山羊飼いの男性も見つけました。\r\n\r\n
Blog-14-2030

霧の中を歩く羊の群れ(イメージ)

\r\n\r\n過去から面々と続いてきたスペインの牧羊風景。\r\n\r\nですが霧の中から現れ、\r\nまた目の前から消えて行った\r\n幻想的な群れの姿に、\r\n\r\n『あの光景は本当に現実だったのだろうか...』と、\r\n今でも記憶に残る不思議な光景の1つになっています。\r\n\r\n
Blog-14-76

石畳と看板 ” la Vía Romana”(ローマ街道)

\r\n\r\nこの地域では、\r\n年々人数が減少している山羊飼いの人々。\r\n\r\n峠から見たあの風景も今後、\r\n中々見られなくなってしまうのかも知れません。\r\n\r\n
山からの風景

グレードス山中から望む貯水池

\r\n\r\nそして、\r\n霧もすっきりと晴れ\r\nほどなく彼等が去った後。\r\n\r\nスペインに生息する\r\n珍しい山ヤギの亜種が\r\nそこに姿を現しました。\r\n\r\n
岩場に現れた山ヤギの亜種

岩場に現れた山ヤギの亜種

\r\n\r\n険しい岩の斜面を\r\n敏捷な動きで下りるので\r\n彼等の姿を目で追っていくのが大変です。\r\n\r\n餌探しなのか、霧が晴れるのを\r\n何処かでじっと待っていた様子でした。\r\n\r\n
秋

\r\n\r\n下山途中では、\r\nもう1つ別の村を訪ねてみました。\r\n\r\n
Blog-14-84

馬蹄のある塀

\r\n\r\nある家の柵に\r\n上のような馬蹄を見つけました。\r\n「魔除け」なのでしょうか。\r\n\r\n
Blog-14-80

荷車

\r\n\r\nそれから、\r\n道路にはぽつんと放置された\r\n荷台が停まっています。\r\n家畜用の干し草ですね、きっと。\r\n\r\n眺めておりますと、\r\n荷台は生き物のようにも見え、\r\n主人を大人しく待っていると言うよりも\r\nこの場に放置され、不安そうにも\r\n見えてくるから不思議です。\r\n「ねぇ、いつ迄こうして待っているの?」と。\r\n\r\n様子を伺っている中に\r\n何故だか急に可笑しくなり\r\n笑いをこらえながら一枚、パチリ♪\r\n\r\n
Blog-14-82

縄と干し草

\r\n\r\nそして\r\n笑いが止んだ後のもう一枚。\r\n\r\n干し草ブロックの上に注目しました。\r\n題名はシンプルに「縄と干し草」。\r\n荷台の持ち主の存在や生活が、\r\nどことなく感じられるお気に入りの1枚となりました。\r\n\r\n
Blog-14-83

石垣に横たわる枯れ木

\r\n\r\nこれらの写真は、\r\n花や鳥に見られる美しい彩りや\r\n雄大な風景ではありません。\r\n\r\n一見、何の変哲もないので、そのまま\r\nすたすたと通り過ぎてしまいそうです。\r\n\r\n
Blog-14-85

\r\n\r\nでもこういった素材は、\r\n美しいと感じている色や\r\n形に捕らわれる事なく、\r\n\r\n「自分が何に興味を持ち、どのように考えているのか」が\r\nストレートに現れる写真になります。\r\n\r\n
Blog-14-86

「ロバの通り道」の立て看板

\r\n\r\n写真に対して「素直な気持ちで向き合ってみる」、\r\nそれから\r\n撮影をする前にまず\r\n「物事を様々な角度から考えてみる」\r\n良い機会であると思っています。\r\n\r\n
Blog-14-80

ロバと農作業 : 昔ながらの習慣が残る山地の村

\r\n\r\nさて、\r\n中央山系にあるグレードス山脈の景色、\r\nそして村の生活の様子に、\r\nどのようなご感想を持たれましたか。\r\n\r\nこれはスペイン全体に言える事なのですが、\r\nご紹介した山中の村々のように\r\n地方都市とさほど離れてなくても、\r\n\r\nかつては険しい山々が\r\n人々の往来を遮断して来たのか、\r\n伝統的な生活が未だによく保存され、\r\nその度に驚かされることがあります。\r\n\r\n
Blog-14-87

村はずれの風景

\r\n\r\nこの地方ではありませんが、\r\n聞くところによりますと、\r\n1930年代後半に起きた\r\nあのスペイン市民戦争を知らなかった\r\n村もあったのだそうです。\r\n\r\n
Blog-14-167

険しい山々 : スペインが「地方色豊か」と言われる1つ。

\r\n\r\n「スペインは地方色が豊か」と言われるのは、\r\nこういった地形が地域の人々との交流を阻み、\r\n「閉ざされた世界を形成する」\r\n背景があるからです。\r\n\r\nまた、妹マドリードが誕生した\r\n中世スペインの世界では尚のこと、\r\nこの中央山系が当時、\r\n自然の国境であったのは\r\n想像に難くないと思います。\r\n\r\n
秋景色

グレードスの秋景色

\r\n\r\nお話をしている中に\r\nもうすっかりグレードス山脈から\r\n下りてきましたね。\r\n\r\n山々には\r\nまた雲がかかり始めたようですよ。\r\n\r\n休憩場所「花と木」のテラスへようこそ\r\n\r\nさて、\r\n第一部が終了致しました。\r\nご覧頂きましてありがとうございました。\r\n\r\n
Blog-14-168

マリーゴールド

\r\n\r\nこのまま続けてご覧になる方、\r\nこの先のお話を時間を置いて\r\n改めてご覧になる方、\r\n両方いらっしゃるかと思いますが、\r\nここで一旦「休憩時間」のご案内を\r\nさせて頂きます。\r\n\r\nどうぞこちら「花と木のテラス」で、\r\n気分転換をなさって下さいね。\r\n\r\n
紅葉

紅葉

\r\n\r\nこの後もボリュームがありますので、\r\nテラスは後ほど、もう一度設けてあります。\r\n尚、恐れ入りますがいつものように\r\n「休憩時間」の長さに関しましては、\r\nご自分で設定して頂きますよう\r\nお願い致します♪\r\n\r\n
マリーゴールド

マリーゴールド

\r\n\r\nではこれより、\r\nかつてのローマ街道\r\n南西の都市のお話を始めます。\r\nまたどうぞごゆっくりお楽しみ下さいね。\r\n\r\n***   ***   ***   ***   ***   ***   ***\r\n都市アウグスタ・エメリタ\r\n\r\nローマ時代、幹線道路の1つであった\r\n「エメリタ-カエサラウグスタの道」。\r\nそしてこの街道の南西に\r\n位置するのが\r\n都市「アウグスタ・エメリタ」。\r\n\r\n紀元前25年。都市エメリタは、\r\nローマ帝国初代皇帝\r\nアウグストゥスの命により、\r\nローマ軍団「レギオン」の退役軍人を迎入れる\r\n「植民都市」として建設されました。\r\n\r\n
道路標識"Extremadura" 「エストレマドゥーラ」 : スペイン西部の自治州「エストレマドゥーラ」カセレス県入り口

“Extremadura(エストレマドゥーラ)州の道路標識 : エストレマドゥーラは、スペイン西部の自治州。

\r\n\r\n現在の都市名は\r\n”Mérida”(メリダ )と呼ばれ、\r\nポルトガルとの国境にもほど近い\r\nスペイン西部エストレマドゥーラ州の\r\n州都になっています。\r\n\r\n
メリダの街

メリダの街

\r\n\r\nそれから、これより先は\r\n地名の混乱を避けるため\r\nあえて古代名「エメリタ」を並記せず\r\n現在の地名「メリダ」を使ってお話を致しますね。\r\n\r\n
孫を連れて

孫を連れて

\r\n\r\nさて、\r\n商店街を覗いてみました。\r\n気さくな感じの町で、ここでは地方都市の\r\nゆったりとした日常風景が見られます。\r\n\r\n
果物 : メリダ市内の果物屋のショウウィンドウ

果物 : メリダ市内の果物店のショウウィンドウ

\r\n\r\nメリダは同じ州都でも、\r\n例えば、南部アンダルシア地方の大都市\r\nセビージャ(セビリア)のように\r\n空に向かって聳える立派な大聖堂や、\r\n\r\n
Blog-14-88

ヒラルダの塔とオレンジの並木道(セビリア)

\r\n\r\nビター・オレンジの街路樹が続く街並み、\r\n夜の小道に薫る白いジャスミンの花々...と言ったような\r\n壮麗で、華やかな町の雰囲気はありません。\r\n\r\n
トラヤヌス帝の凱旋門 : 勝利を記念する門ではなく、大きな寺院のアクセスするための門。かつての建物は、パリのエトワール凱旋門をイメージすると理解しやすい。

トラヤヌス帝の凱旋門 : 勝利を記念する門ではなく、大きな寺院へアクセスする為の門。かつての建物は、パリのエトワール凱旋門をイメージすると理解しやすい。

\r\n\r\nではこの街の特徴はと申しますと、\r\n主にローマ時代の遺跡が\r\n点在している事なのです。\r\n\r\n
居酒屋の看板 : どんぐり型をした看板。この地方は、生ハムの産地。イベリコ豚の飼料「どんぐり」の林が郊外に広がる。

居酒屋・生ハムの専門店の看板 : どんぐり型をした看板。この地方の特産は生ハム。イベリコ豚の飼料「どんぐり」の林が郊外に広がっている。

\r\n\r\n現代の市街地の建造物と\r\n微妙なバランスで一体化しているために、\r\n\r\n「えっ、何かしら...?」と、\r\nこう疑問を投げかけながら、\r\n旅人はおもむろに古い遺跡に近寄ると...。\r\n\r\n
トラヤヌス帝の凱旋門

トラヤヌス帝の凱旋門

\r\n\r\n目にした建造物が\r\nローマ時代の遺産と知った瞬間、\r\n驚きと共に旅人の心を一気に\r\n遙かなる時代の旅へと誘ってくれる...。\r\n\r\nそんな魅力を持っている町なのです。\r\n\r\n要衝であった都市メリダ\r\n\r\n旅人の心を一気に\r\nローマ時代へ誘う町...。\r\n\r\n
Blog-14-113

町の入り口 : メリダ市内の入り口

\r\n\r\nメリダに残る遺跡を訪ねますと、\r\nローマ帝国に存在していた\r\n他の大都市に引けをとらぬような\r\n建造物のスケールの大きい、\r\nそして風格がある事でした。\r\n\r\n
Blog-14-89

進軍 : 時代祭のシーン(イメージ)

\r\n\r\n当時のメリダが、\r\n実際どのような地形にあり、\r\n役割を持たされた都市であったのか。\r\nその辺りを簡単にご説明していきますね。\r\n\r\n
Blog-14-121

ローマ軍団 : 時代祭より(イメージ)

\r\n\r\nメリダは、ローマ帝国の属州ヒスパニア\r\n(現在のスペイン・ポルトガル)西部にあった\r\nルシタニア州都としての機能と、\r\n\r\nそれに、交通・軍事・産業の要を\r\n兼ね備えていた都市でした。\r\n\r\n
Blog-14-120

ローマ軍団 : 時代祭より(イメージ)

\r\n\r\nもう少しかつての都市メリダについて、\r\n具体的な例を挙げてみましょうか。\r\n\r\nまず川に架橋して、\r\n岸辺に都市を建設したのは、\r\nこの辺りの地形をおよそ南北に分断する\r\n川の防衛にありました。\r\n\r\nまた恵まれた地形にあることから、\r\n10本の幹線・支線道路が\r\n交差していた事もあります。\r\n\r\n
Blog-14-178

廃墟近くを通る「銀の道」

\r\n\r\n特に注目すべきは\r\n北部とを繋ぐ”Vía de la Plata”\r\n「銀の道」の建設でした。\r\nサンティアゴへの巡礼道の1つとして\r\n現在知られていますよね。\r\n\r\nこの銀の道を建設する重要性とは\r\n2つありました。\r\n1つは、スペイン北西部の鉱山で\r\n採掘された金・銀等のコントロールを、\r\n中継地であるメリダが担っていた事です。\r\n\r\n北西部で採掘された大量の鉱物資源は、\r\n「銀の道」を通って、スペイン南部から\r\n海路でローマへ輸送されていったのです。\r\n\r\n
Blog-14-122

戦い : ローマ軍団(イメージ)

\r\n\r\nそれからもう1つあります。\r\nイベリア半島でのローマ軍団を\r\n最後まで執拗に苦しめたのが\r\n北西部の先住民族との10年に及ぶ\r\n「カンタブロスの戦い」でした。\r\n\r\n確か先住民族達との戦は、\r\n200年間続いた事をお話致しましたが、\r\n覚えていらっしゃいますか。\r\nローマが半島征服をするのには、\r\nそれは長くて困難な道を辿った事になりますね。\r\n\r\n
Blog-14-100

戦い : 中世祭り(イメージ)

\r\n\r\nそんな訳ですから、\r\n都市メリダは北西部での\r\n軍事作戦を行う基点(ベース)としても\r\n発達していったのです。\r\n\r\n
戦車馬車: ビルの屋上のモニュメント

戦車馬車 : ビルの屋上のモニュメント

\r\n\r\nさて、\r\nローマの権力と富が\r\n形となって現れたメリダは、\r\n都市としてどのような\r\n構造をしていたのでしょうか。\r\n\r\n具体例を挙げれば、\r\n川の増水にも耐えうる、\r\n都市をぐるりと囲んでいた「強固な市壁」。\r\nそれから「碁盤目上に区割りした市街地」。\r\n中心地には立派な「神殿」や\r\n「フォーラム(集会用広場)」...。\r\n\r\n
劇場内の彫像

劇場内の彫像

\r\n\r\n当時のメリダの様子が、\r\nだんだん浮かび上がって来ましたか。\r\n\r\n「ロス・ミラグロスの水道橋\r\n\r\nでは次に、\r\n未だに現存している事が\r\n奇跡(ミラグロ)と言われ、\r\nその名がついた\r\n”Acueducto de  los Milagros”\r\n「ロス・ミラグロスの水道橋」をご覧下さい。\r\n\r\n現在メリダには\r\n水道橋が2つ残っています。\r\n\r\n
メリダの水道橋

メリダの水道橋

\r\n\r\nメリダへ鉄道で旅をした事があるのですが、\r\n写真のように駅のホームに着きますと、\r\n水道橋がまず目にはいります。\r\n天辺にはコウノトリが巣を作り\r\n私達人間にとっては\r\n何とも長閑な一風景です。\r\n\r\n
Blog-14-158

メリダの水道橋

\r\n\r\nさてこの水道橋ですが、\r\nローマ時代はメリダから数㎞離れた\r\n貯水池から水を引いていました。\r\n\r\n貯水池からは水を地下に通らせ、\r\n町の入り口付近になると\r\n今度は写真のように\r\n地上の水道橋を伝わせて、\r\n安定した水の供給を行っていました。\r\n\r\n
水の流れ(イメージ)

水の流れ(イメージ)

\r\n\r\nこの方法ですと、わざわざ川から\r\n水運びする必要はないわけです。\r\n\r\n
水(イメージ)

水(イメージ)

\r\n\r\nそう言えば、1枚目の水道橋をご覧になって\r\n南部アンダルシア地方の有名な\r\n「あの建築物の内部と似ている!」と、\r\nピンと来る方はおられませんか?\r\n\r\n
モスクの柱 : コルドバのモスク内。祈りの間。

モスクの柱 : コルドバのモスク内。祈りの間。

\r\n\r\nその場所はこちらです。\r\nアンダルシア地方、\r\n都市コルドバのモスク内、\r\n祈りの間に見られる柱ですね。\r\n\r\nもちろんこのモスク内の柱は、\r\nローマ建築やその後の西ゴート、\r\n東洋のイスラーム教徒の芸術が\r\n融合して出来た形なのですが、\r\n\r\n
水道橋

メリダの水道橋

\r\n\r\nこうして既存の物に\r\n新たなる考えや技術が時代と共に加えられ、\r\n古代のローマ時代の水道橋が\r\n中世に於いて、装飾性のある、\r\nまた高さを要求されるモスクの柱として\r\n進化した良い例であると思います。\r\n\r\n
水のカーテン

水のカーテン

\r\n\r\n以上、メリダが繁栄した理由について\r\n的を絞ってご説明しましたが、\r\nご納得頂けましたでしょうか。\r\n\r\nローマ劇場\r\n\r\n
ローマ劇場

ローマ劇場

\r\n\r\nさて、アーチの向こうに\r\n立派な「ローマ劇場」が見えてきました。\r\n\r\nこのまま潜って歩いていきますと\r\n舞台にそのまま上がってしまいますから、\r\n観客席へ廻ることにしますね。\r\n\r\nそれでは、階段を上りながらお話を続けます...。\r\n\r\n
ローマ劇場

ローマ劇場

\r\n\r\nご覧になれますか。\r\nとても立派な劇場ですね。\r\n\r\nこの劇場は、\r\n毎年夏になりますと\r\nローマ時代などの古代劇を主にして、\r\nフェスティバルが催されるのですが、\r\n\r\n
劇場の彫像

劇場の彫像

\r\n\r\n残念ながら、\r\n訪れた季節が冬でしたから、\r\n観ることは叶いませんでした。\r\n\r\n
ローマ劇場

ローマ劇場

\r\n\r\n訪れた感想ですか?\r\n\r\nそうですね...。\r\n現代の劇場に比べ\r\n舞台空間が随分と広く感じました。\r\nギリシャ演劇の影響でしょうか。\r\n\r\n
10738

劇場の客席

\r\n\r\n『どのような演劇をするのかしら?』と、\r\n貴方もご興味ありませんか。\r\n\r\n私もそう思いました。\r\nそこで実際、\r\n客席の階段を降りては、\r\n無邪気にあっちこっちと\r\n好きな席に次々と腰を下ろし、\r\nまた別の席に移動を繰り返す...。\r\n\r\nその間、\r\n「観劇の夕べ」を思い描いてみました。\r\nそう、こんな風にです♪\r\n\r\n
11399

コメディアンと少年

\r\n\r\nあっ、でも、\r\nこれからご覧頂くお祭りや\r\n人々の笑い顔などのシーンは、\r\nあくまでも「こんな感じかしら?」という、\r\n私の勝手な想像の世界です。\r\n\r\n実際の古典劇のシーンでは\r\nございませんので悪しからず...。\r\n\r\n
ロウソクを灯す女性

ロウソクを灯す女性

\r\n\r\nまた、こんな事も想像してみました。\r\n\r\n例えば、舞台セットはどんな風かしら...。\r\n大道具・小道具などのセットは、\r\n豪華でも、シンプルでも\r\n内容によってどちらも素敵ですよね。\r\n\r\n
11531

ライト

\r\n\r\nまた、光りの演出も大切ですね。\r\n\r\n背景となる立体的な石柱を\r\n充分生すように当てられるライトも。\r\n\r\n
11170

マネキン人形

\r\n\r\n大道具、小道具、そしてライト。\r\nこれで舞台の様子も随分と変化がつくでしょう?\r\n\r\n
10716

舞台

\r\n\r\nまだまだ、想像の世界は続きます。\r\n次のように...。\r\n\r\n
11401

コメディアン

\r\n\r\n座っている私達観客を\r\n突然驚かすのは、\r\n背後から声高に登場する喜劇役者。\r\n\r\n観客を笑いの渦に巻き込み、\r\n\r\n
11404

サーカスの看板

\r\n\r\n「いかにも」と言った風な衣装にメイク、\r\n滑稽な身振り、手振りをつけて\r\n客席通路を下りて行く...。\r\n\r\n
11410

観客

\r\n\r\n仮に、早口のスペイン語での演劇だとしても、\r\n周りの観客が\r\n「あははは!」なんて笑い始めますと、\r\n\r\n一人一人の舞台俳優の個性豊かな演技に\r\nこちらもついつい一緒に釣られて\r\n可笑しくなってしまいますよね!\r\n\r\n
10727

舞台と彫像

\r\n\r\n真夏の夜の、野外での観劇。\r\nうーん。\r\n一度観覧してみたいですよね、\r\n\r\n特に喜劇が楽しそうですが、\r\n是非、今度!\r\n\r\n
10737

観客席に座る若者

\r\n\r\n席から立ち上がり、\r\nようやく階段を降りて来ましたので、\r\n想像の世界も\r\nこの辺でおしまいに...。\r\n\r\n娯楽施設「円形闘技場」に立って\r\n\r\n
Blog-14-135

散歩 : ローマの遺跡近くで犬の散歩をする人

\r\n\r\nローマ時代の建造物は、\r\n街道、水道橋、劇場、橋...と、考えてみましたら、\r\n\r\n当時のローマの人々は、\r\n劇場を始めとする巨大な建造物や、\r\n土木建築がとても上手だったのだなと、\r\nつくづく感心しました。\r\n\r\n
10788

劇場裏

\r\n\r\nでは、\r\n都市メリダの最後は、\r\n劇場のお隣にある、\r\n「円形闘技場」を訪ねてみましょう。\r\n\r\n
10690

客席への階段

\r\n\r\nまた、\r\n階段を上りながらお話をしていきますね。\r\n\r\n
Blog-14-98

戦車馬車のモニュメント

\r\n\r\nところで\r\nこの時代の娯楽施設ですが、\r\n劇場や闘技場の他、サーカス\r\n(複数建ての戦車馬車による競技)も\r\nメリダの郊外に作られたようです。\r\n\r\n
11530

遺跡の階段

\r\n\r\n足下の不確かな階段を上って、\r\n\r\n
10702

闘技場

\r\n\r\n闘技場の上部に出ました。\r\n\r\nここに立って一望してみると、\r\n当時の情景が見えてくるようです。\r\n\r\n
ローマの闘技場

ローマの闘技場

\r\n\r\n席には、\r\nかつて壮絶な戦いを生き抜いた\r\n軍団の元兵士達にも平和が訪れて、\r\n\r\n
11499

ローマ軍団 : 時代祭りより(イメージ)

\r\n\r\n名言「パンとサーカス(娯楽)…」のように\r\n政治も戦いも忘れ、\r\n娯楽に熱中しているのかもしれません。\r\n\r\n
Blog-14-123

女性とライオン : 時代祭りより(イメージ)

\r\n\r\n彼等の歓声や、野次を飛ばす声。\r\nそれに混じって猛獣の吠える声が\r\n遙かなる時代を越えて、\r\n今、私達の耳にも聞こえてくる\r\n気がしませんか。\r\n\r\n
10739

石柱

\r\n\r\nメリダにあるローマの遺跡は\r\n世界遺産に登録されています。\r\n長い時を経ても、\r\nとても保存状態が良いのだとか..。\r\n\r\n
11385

お店の飾り

\r\n\r\nさぁ、このあたりで\r\n都市メリダと\r\nお別れすることに致しましょうか。\r\n\r\n
10736

観光客

\r\n\r\n休憩場所は「秋のテラス」で\r\n\r\n第二部が終了致しました。\r\nご覧頂きましてありがとうございました。\r\nここで再び「休憩時間」の\r\nご案内をさせて頂きます。\r\n\r\nさて、暑い夏も過ぎて\r\n爽やかな秋の季節になりましたね。\r\nお近くの公園や郊外に出かけると\r\n道ではこんな「秋」に出会えるのも\r\n巡る季節の楽しさでもあります。\r\n\r\n
Blog-14-171

落ち葉と木の実

\r\n\r\n一方、スペインの地方へ出かけますと\r\n夏から秋にかけて「赤ピーマン干し」を\r\n窓やベランダで見ることが出来ます。\r\n乾燥させて、肉と共に煮込み料理等にします。\r\n\r\n日本の「干し柿」の風景に近いのでしょうが、\r\n干し柿も、赤ピーマンも\r\nそれぞれの土地に住む人々にとって、\r\n「秋の風物詩」なのですね。\r\n\r\n
Blog-14-172

赤ピーマン干し

\r\n\r\nそれでは、\r\n秋のテラスで気分転換して頂いた後は、\r\n今度は北東の都市サラゴサ\r\n(ローマ時代 : 都市カエサラウグスタ)へと\r\nご案内致します。\r\n\r\n***   ***   ***   ***   ***   ***   ***\r\n\r\nマドリードからバルセロナへ向かって\r\n\r\nマドリードに住んでおりました頃、\r\n所用でスペインの北東に位置する\r\nカタルニア州の州都バルセロナまで\r\n何度も旅をしました。\r\n\r\n
Blog-14-1105

グラシア通り

\r\n\r\n町の中心部、\r\n南北に走るグラシア通りはオフィスの他、\r\n一階には瀟洒なお店が建ち並んでいます。\r\n\r\n
Blog-14-2015

街を歩く男性

\r\n\r\nこの通りには、\r\n建築家ガウディによるアパート「ラ・ペドレラ」や、\r\n下の写真”Casa Batlló”「バトジョ邸」があります。\r\n\r\n
Blog-14-2017

バトジョ邸

\r\n\r\nバトジョ邸の屋根やバルコニー、\r\n外壁のモザイクなどは\r\n見立ての世界になぞらえ、\r\n建築家ガウディ独自の美の世界が\r\nこの通りのアクセントとなって、\r\n道行く人々の目を楽しませてくれます。\r\n\r\n
Blog-14-2016

バトジョ邸のパティオ

\r\n\r\n室内もまた、\r\n曲線を採り入れたデザインや\r\n\r\n
Blog-14-1108

バトジョ邸の室内

\r\n\r\nステンドグラスの窓から差し込む光から、\r\n海の中をイメージさせてくれます。\r\n\r\n
Blog-14-1107

シャンデリアのある部屋 : バトジョ邸

\r\n\r\n音楽で例えるとしたら、そうですね...。\r\nドビュッシーの「アラベスク1番」で感じるような\r\n揺らめき...です。\r\n\r\nあら...。ついついすみません。\r\n今、お話ししようとしたのは、\r\nバルセロナへ行く途中の町の事でした。\r\n\r\n三度続きの旅 都市サラゴサ\r\n\r\n
Zaragoza(サラゴサ)へ戻るトレーラー

Zaragoza(サラゴサ)へ戻るトレーラー

\r\n\r\nさて、マドリードッ子は\r\nバルセロナへ向かうA-2号線を\r\n通称「バルセロナ街道」と呼んでいますが、\r\n\r\n
A2号線とドライブイン(サラゴサ近郊付近) : 11144

A2号線とドライブイン(サラゴサ近郊付近): 高速鉄道 “AVE” の車窓から

\r\n\r\nその街道を車で300㎞程走ると、\r\n\r\n
サラゴサ近郊の風景 : 高速鉄道 "AVE" の車窓から

サラゴサ近郊の風景 : 高速鉄道 “AVE” の車窓から

\r\n\r\nスペイン第五の都市\r\n”Zaragoza”(サラゴサ)の町が見えてきます。\r\n\r\n
サラゴサの街を支える大地 : 11145

サラゴサの街を支える大地 : 高速鉄道 “AVE” の車窓から

\r\n\r\n道はサラゴサ市に入る手前で外環道と合流し、\r\n時計回りに大きく曲がり始め...。\r\n\r\nちょうどその頃でしょうか。遠くから\r\nそれもほんの僅かの時間ですが、\r\n右手に、川岸に建つ立派な寺院の塔が\r\n視界に入ってきます。\r\n\r\n
夕暮れのエル・ピラール聖堂 : 11207

夕暮れのエル・ピラール聖堂

\r\n\r\n毎回ここを通過する度、\r\n『あ...。サラゴサの町!一度見てみたいな』と、\r\n同じ地点で同じ台詞を呟いていたのですが、\r\nある日そのチャンスが巡ってきたのです。\r\n\r\n訪れたのは夏の暑い盛りで、\r\n暑さもマドリードに負けず劣らずでした。\r\n\r\nそれまで全く行く機会がなかったのですが、\r\nどういう風の吹き回しでしょう。\r\nいきなり立て続けに三度も行く機会に恵まれました。\r\n\r\n
線路 : 11142

線路 : 高速鉄道”AVE” の車窓から

\r\n\r\n『よーく観ておくのですよ』と、\r\nもうこれは目に見えぬ強い力で、\r\n引きつけられとしか言いようがありませんね。\r\n\r\n後ほどご紹介致しますが、サラゴサには\r\nスペインの二大宗教建造物の1つ、\r\n”Basílica de Nuestra Señora del Pilar”\r\n「ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖堂」があり、\r\n世界中から毎年数多くの\r\n巡礼者が訪れる重要な都市です。\r\n\r\n
サラゴサの鉄道操作場 : 11150

サラゴサの鉄道操作場 : 都市サラゴサは古くから交通の要衝。スペインの首都マドリード、第二の都市バルセロナを始め、フランスのトゥールーズや、地中海の都市バレンシア迄、ほぼ300㎞圏内にある。

\r\n\r\nスペインではこの聖堂を\r\n「エル・ピラール」と呼ばれています。\r\n\r\n
サラゴサ鉄道操車場 : 11151

サラゴサ鉄道操車場 : 高速鉄道”AVE”の車窓から

\r\n\r\nさて\r\nエル・ピラールだけに留まらず、\r\n\r\nサラゴサにはローマ時代の遺跡を始め、\r\n各時代の様式にアラゴン地方の\r\n「ムデハル様式」が一体となった\r\n見事な建造物に出会える事も\r\n大きな特徴の1つと言えます...。\r\n\r\n
サラゴサの市街眺望 : 11153

サラゴサの市街眺望

\r\n\r\nどうやらサラゴサの旅を\r\n思い出しておりましたら、\r\n前置きが長くなってしまったようです。\r\n\r\n「三度続きの旅」。\r\nそろそろお話を始めましょうか。\r\n\r\n「エル・ピラール」\r\n\r\n\r\n
ピラール広場 : 11190

ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール広場

\r\n\r\nサラゴサでは、\r\nやはり歴史的街並みのある\r\nエブロ川右岸地区に惹かれ、\r\n何度も歩きました。\r\n\r\n
Blog-14-1120

巡礼者

\r\n\r\n夏の午後、\r\nここに集合している人達がいます。\r\n\r\nこのグループは観光目的ではなく、\r\n先頭の人が持つ国旗と小さな文字から、\r\nイタリアからの\r\n”…PELLEGRINAGGI”(巡礼)と判明しました。\r\n\r\nわざわざサラゴサへ訪れたのは、\r\nこの聖堂が由緒ある\r\n全キリスト教世界初の\r\n「聖母マリアの聖堂」だからなのです。\r\n\r\n
親子 : ピラール広場 11089

親子 : ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール広場

\r\n\r\n現在の聖堂は、\r\n1434年の火災で被害後、\r\n1515年にバロック様式の教会として\r\n建立されています。\r\n\r\n見上げますと、\r\n外壁近くや、彫刻が施された入り口付近の人達と、\r\n建物の大きさを見比べると、\r\nどれだけ大きいのかと\r\nその規模に驚かされてしまいます。\r\n\r\n
エル・ピラール聖堂内 ; 11043

エル・ピラール聖堂内

\r\n\r\n堂内に入ってみると、\r\n大理石柱の上に立つ\r\n聖母ピラールの像が安置されています。\r\n\r\n”El Pilar”とは「柱または支柱」の意味なのです。\r\n\r\n
Blog-14-196

エル・ピラール聖堂

\r\n\r\nまた上の写真は、\r\n広場からエル・ピラールを\r\n写真館で使用するような\r\n蛇腹の大型カメラを使用し撮影しました。\r\n一般的なカメラに広角レンズを付けて\r\n広範囲を撮ろうとすると、建物が高いために\r\nどうしても歪みが出てしまうからです。\r\n\r\nまた撮影する際は、\r\n頭からはすっぽり「かぶり布」(黒い布)を被り、\r\n暗い中でカメラのガラス板を覗きます。\r\n\r\n真夏の暑さと、頭に被る黒い布の組み合わせは\r\n最悪な条件なのですが、そこに映る逆さの像を\r\nルーペで確かめているうちに、\r\n暑さも次第に忘れ去り、目に入る\r\n荘厳で美しい建造物に引き込まれていきます。\r\n\r\n
エル・ピラール聖堂 : 11183

エル・ピラール聖堂

\r\n\r\n特に、抜けるような空と、\r\nドーム屋根の配色の美しさ。\r\n\r\nこんな時スペイン人は、\r\n眺めながら必ず\r\n”¡Es una joya!” 「宝石である!」と、\r\n表現します。\r\n\r\nそう確かに、その言葉に頷けますね。\r\n\r\n
ピラール広場 : 11182

ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール広場

\r\n\r\nではここで、建立に纏わる伝説をどうぞ。\r\n\r\n
祭壇前の子供 : 11034

祭壇前の子供

\r\n\r\nキリストの12使徒の一人、\r\n大ヤコブは伝道の為、スペインに赴きますが\r\n思うような結果が出ずに落ち込んでしまいます。\r\n\r\n紀元40年1月2日のことでした。\r\n被昇天以前の聖母マリアは、\r\n当時エルサレムに住んでおりましたが、\r\n\r\nエブロ川の岸辺にて大ヤコブの目の前に現れ、\r\nそして持ってこられた柱で、\r\n最初の礼拝堂を建てるようにと\r\n彼を元気づけたのです。\r\n\r\n
祭壇の絵画 ; 11036

祭壇の絵画

\r\n\r\nその後の大ヤコブですが、\r\nサラゴサで8人の改宗者の中の一人を\r\n司祭に任せてエルサレムに戻るのですが、\r\n殉教してしまいます。その亡骸は\r\n船に乗せられ、やがてスペイン北西部の\r\nガリシア地方へと流れ着く...。\r\n\r\nと、この辺りの前後のお話は、\r\n巡礼道で有名なスペイン北西部の都市\r\n「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」の\r\n大聖堂に祀られている\r\nサンティアゴ(聖ヤコブ)に纏わる伝説ですね。\r\n\r\n
エル・ピラール : 11025

エル・ピラール聖堂

\r\n\r\nサンティアゴ(聖ヤコブ)は\r\n鍔付きの丸い帽子。マントにはホタテ貝。\r\n杖に瓢箪を持った巡礼姿の像は、\r\nすでにご存じかもしれませんね。\r\n\r\n
エル・ピラール聖堂 : 11028

エル・ピラール聖堂

\r\n\r\nさてお話は\r\nローマ時代のサラゴサに移ります。\r\n\r\nローマ時代の遺跡\r\n\r\nこれより先は都市メリダと同様、\r\n地名の混乱を避けるため、\r\nあえて古代名「カエサラウグスタ」を並記せず\r\n現在の地名「サラゴサ」のみを使ってお話を致しますね。\r\n\r\nそれでは\r\nエブロ川に架かる橋からの眺めを\r\nご覧になりながらどうぞ。\r\n\r\n
エル・ピラール聖堂とエブロ川 : 11053

エル・ピラール聖堂とエブロ川

\r\n\r\n都市サラゴサは、\r\n初代皇帝アウグストゥスにより\r\n退役軍人の為の植民都市として\r\n紀元前1世紀に始まりました。\r\n\r\n
エブロ川に架かる橋のたもと : 11269

エブロ川に架かる橋のたもと

\r\n\r\nこの都市は、\r\n陸上、水上交通共に要衝であり、\r\n\r\n特にエブロ川を利用して、\r\n源流のスペイン北西部から\r\n地中海まで船を利用した\r\n水上交通が発達しました。\r\n\r\n
河川敷の港 : 4432

河川敷の港 (イメージ)

\r\n\r\nサラゴサは、\r\n河谷の中心部に位置しているため、\r\nここで荷物は再配分されて、\r\n各地に船出をしていったのです。\r\n\r\n船荷の中はどんな物が入っていたのでしょうね。\r\n少し例を挙げてみましょうか。\r\n\r\nまずは、内陸地から地中海方面では、\r\n麦、木材、鉄、皮革、麻などを、\r\n\r\n
食材のお店 : 1553

食料品店:塩漬けの魚(鰯)を中心に右から左へ、レタス、サツマイモ、置物としてのカボチャ、トロピカル・フルーツ類、木の実(アーモンド)

\r\n\r\nそして地中海からは\r\nワイン、塩漬けの魚、\r\n陶器、大理石や宝石....。\r\n\r\nローマ時代の\r\nヒスパニア(スペイン・ポルトガル)は、\r\n産業が豊かだったようです。\r\n\r\n
ローマ時代の遺跡 : 11122

ローマ時代の市壁

\r\n\r\n次に、\r\n聖堂前広場近くに残る\r\n紀元2-3世紀に建設された\r\nローマ時代の市壁をご紹介いたします。\r\n\r\n市壁は今でも部分的に残っていて、\r\n未だに道の下になっている場所もあります。\r\n\r\n
ローマ時代の遺跡 : 11121

ローマ時代の市壁

\r\n\r\n外敵侵入から市民を守る市壁は、\r\n周囲をぐるっと測ると、\r\nおよそ3000mになります。\r\n\r\n当時の市壁の横を歩いてみましたら、\r\n非常に頑丈な作りで、\r\n多くの場所で7mにも達します。\r\n\r\nでも、この壁の厚さは何に対しての\r\n防御を想定していたのでしょう。\r\nちょっと知りたい気もしませんか...。\r\n\r\n
ローマ時代の遺跡 : 11133

ローマ時代の市壁

\r\n\r\nまた、\r\nこの壁には、高さ13mもある大きな塔が\r\n120箇所あります。\r\n\r\n腕を広げて測ってみると、\r\nおおよそ2mちょっとに塔が1つ、\r\n壁と一緒に設置されていた事になりますね。\r\n\r\n「自分たちの都市を守る」を\r\n直に古代の人々から\r\n形で示された思いでした。\r\n\r\n
ローマ時代の遺跡 : 11139

ローマ時代の遺跡 : 11139

\r\n\r\n\r\n中央市場の眺め\r\n\r\n\r\n只今ご案内致しました市壁の先には、\r\nイタリアから贈られた\r\n皇帝「アウグストゥス」の彫像が、\r\n中央市場前に建っていますが、\r\n\r\nでもその前に、\r\n中央市場も見て下さいね。\r\n\r\n
サラゴサの市場とアウグストゥスの彫像 ; 11124

サラゴサの中央市場と「アウグストゥス」の彫像

\r\n\r\n町の中央市場です。\r\n市場の歴史は古く、何度も建て替えられても、\r\n13世紀以降ずっと変わらぬ場所にあります。\r\n\r\n
サラゴサの市場 : 11130

サラゴサの中央市場

\r\n\r\nこの建物は鋼材を使用して\r\n建てられた市場です。\r\n\r\n鋼材と言えば、\r\n19世紀末に建造された\r\nパリのエッフェル塔が有名ですね。\r\n実際、その数十年後\r\nここサラゴサでもこうして\r\n同様の材料で建造されたのです。\r\n\r\nその上、良く見ると一番大切な\r\n「スペインらしい装飾」がされていませんか。\r\n\r\n
サラゴサの市場 : 11126

サラゴサの中央市場

\r\n\r\n両側の幾つもの小さな半円形アーチ。\r\n中央上部に嵌め込まれたガラスと鋼材。\r\nそして柱頭飾り...。\r\n\r\n
サラゴサの市場 : 11129

サラゴサの中央市場

\r\n\r\nそして側面のこの外観も。\r\nサラゴサの「街中の美術館」を見つけた\r\n気分になりますね。\r\n\r\n天井が高い場内に入ると、町を流れる\r\nエブロ川流域の鮮やかな野菜や果物が、\r\n綺麗な山形になって積まれている。\r\nそんな光景が目に浮かぶようです。\r\n\r\n皇帝アウグストゥス\r\n\r\nそして次なるは...。\r\n皇帝アウグストゥスの彫像です。\r\n\r\n
皇帝アウグストゥスの彫像 : 11132

皇帝アウグストゥスの彫像

\r\n\r\n皇帝アウグストゥスの名前は、\r\n”Caesar Augustus”(カエサル・アウグストゥス)。\r\n\r\nサラゴサのローマ時代の地名は、\r\nカエサラウグスタ。実は、\r\n皇帝の名が付けられています。\r\nでも慣れませんと、\r\nちょっと覚えにくい名前ですよね。\r\n\r\nまた、アウグストゥスは\r\nローマ帝国領域内に\r\n”Paxs Romana”(パクス・ロマーナ)\r\n「ローマの平和」をもたらした人と言われていますが、\r\n\r\nその志半ばで亡くなった彼の養父が\r\n「ブルータス、お前もか!」の台詞で有名な\r\nジュリアス・シーザーなのは、ご存じでしたか。\r\n\r\n2つの街中の美術館\r\n\r\n
エル・ピラール広場 ; 11179

ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール広場

\r\n\r\n今度は写真奥に見える\r\nカテドラル(大聖堂)をご紹介しようと思いますので、\r\n広場の聖堂の反対側を\r\n眺めながら歩いていきますね。\r\n\r\n
ピラール広場のカフェテリア : 11091

ピラール広場のカフェテリア

\r\n\r\n最初に足が停まったのは\r\nこのカフェ・テラスでした。\r\n\r\n黒いノースリーブのブラウスを着た\r\n一人の女性が座っていました。\r\nエル・ピラールを眺めながらの\r\n午後のカフェは如何ですか。\r\n\r\n良く見ますと、\r\n彼女の後ろに見えるカフェテリアも、\r\n街中の美術館の1つとして数えられそうですね。\r\n大窓の上に施してある花の装飾や、\r\n2階の鉄製のバルコニーや、アーチも素敵です。\r\n\r\n
ピラール広場のショッピングセンター : 11095

ピラール広場のショッピングセンター

\r\n\r\nもう一箇所、街中の美術館をご紹介します。\r\n\r\nショッピング・センターの外壁は、\r\n良く見ましたら\r\nカフェテリアと同じ装飾でした。\r\n\r\n
ピラール広場のショッピングセンター : 11099

ピラール広場のショッピングセンター

\r\n\r\nそして中に入ってみましたら、\r\n夏休みの為か\r\nほとんどの店舗は閉められていて、\r\nがらーんとしていました。\r\n『何があるのかしら?』と、思っておりましたが\r\nちょっと残念でした。\r\n\r\nとは言え、内部装飾は、\r\nショピング・センターと言うよりも\r\nむしろもう宮殿レベルですね。\r\n\r\n
落ちていた花 : 11100

落ちていた花

\r\n\r\n広場で探した街中の美術館は、\r\nお気に召しましたか。\r\n\r\nサルバドール大聖堂の鐘楼\r\n\r\n
サルバドール大聖堂 : 10994

サルバドール大聖堂

\r\n\r\nさて、こちらが\r\n”Catedral del Salvador”\r\nまたは”La Seo del Salvador”\r\n「サルバドール大聖堂」です。\r\n\r\n上に書かれた2つの名前、\r\n「カテドラル」も「ラ・セオ」も\r\nどちらも同じ大聖堂を指します。\r\n\r\n
サルバドール大聖堂の塔 : 11198

サルバドール大聖堂の塔

\r\n\r\nさて、このラ・セオ。\r\nご紹介したい建物に選んだ理由とは、\r\nスペインの歴史をそのまま\r\n物語っているからです。\r\n\r\n現在、私達が目にしている\r\n以前の建造物は、\r\n各時代の支配者が交代する度に、\r\n何度も建て替えられて来ています。\r\n\r\n例えば、\r\nローマ時代は、フォーラムや寺院。\r\n次に西ゴートの教会...と、\r\nこんな風にです。\r\n\r\n
サルバドール大聖堂 : 11456

サルバドール大聖堂

\r\n\r\nやがて8世紀に入ると、\r\nアル・アンダルースの領域となり\r\nイスラーム教徒によって\r\n新たにメイン・モスクがここに建てられます。\r\n\r\n
サルバドール大聖堂 : 11455

サルバドール大聖堂

\r\n\r\nしかし、\r\nスペイン北西部に追いやられた\r\nキリスト教徒も徐々に勢力を盛り返し、\r\n\r\n12世紀にサラゴサは、\r\nキリスト教徒の手に落ちると...。\r\n\r\n
サルバドール大聖堂 : 11158

サルバドール大聖堂と博物館 : ローマ時代にはフォーラムがあった場所に、現在はラ・セオとフォーラム博物館(ローマ時代の遺跡)が同じ広場に並ぶ。

\r\n\r\nモスクの塔はそのまま\r\nキリスト教徒の鐘楼として\r\n転用されることになりました。\r\n\r\nそれ以降、\r\nラ・セオは18世紀まで\r\n改修と拡張が行われていきました。\r\n\r\n
ピラール広場 : 11205

夕闇のピラール広場 : 正面奥がラ・セオ (サルバドール大聖堂)

\r\n\r\nラ・セオの塔は\r\nトレドのお話でも例えたように、\r\n日本で言うならば、\r\n\r\n「和洋折衷の建築物に、その後\r\n時代の流行が付け加えられていった」と、\r\n表現した方がよりご理解しやすいのかも\r\nしれません。\r\n\r\nこの塔は、各時代の流行である\r\nロマネスク、ゴシック、ムデハル、\r\nルネサンス、バロック、\r\nそしてネオ・クラシック様式が\r\n一体となった建造物と言えるのです。\r\n\r\n
ピラール広場 : 11222

ピラール広場 : 夕涼みをする人々

\r\n\r\n「スペインらしさ」には、\r\nこうした文化の融合によって見られる\r\n建築物や工芸品が、\r\n他の国々では見られない\r\n独自性が特徴と言えるのです。\r\n\r\nフォーラム博物館の一角\r\n\r\n一方、\r\nラ・セオの塔の右隣には、\r\n「カエサラウグスタのフォーラム博物館」があります。\r\n\r\n下の写真、右手の建物がそうです。\r\n\r\n
博物館入り口付近 : 11324

フォーラム博物館入り口付近

\r\n\r\n地下にある博物館の一角、\r\n現在の様子はどんなでしょう...か。\r\nちょっと下りていって見ますね。\r\n\r\n
ローマ時代の彫刻 : 11137

ローマ時代の彫刻

\r\n\r\n博物館には彫像や遺跡の他、\r\n\r\n
ローマの遺跡内のホール : 11134

フォーラム博物館内のホール

\r\n\r\nコンサートが開けるようになっていました。\r\n\r\n
遺跡内のコンサートホール : 11135

フォーラム博物館のコンサートホール

\r\n\r\nぼこぼこしている壁は、\r\n残響の少ない無響室の壁みたいですね。\r\nどんなピアノの音色がするのでしょうか。\r\n\r\nローマ時代に作られたこの場所を\r\nコンサート会場にしようと考えた人は、\r\n夢のある発想の持ち主ですね。\r\n\r\n
夕暮れのエル・ピラール聖堂 ; 269

夕暮れのエル・ピラール聖堂

\r\n\r\n地上に上がり、博物館の外へ出たところです。\r\n\r\n正面奥にはエル・ピラールの塔が見えますが、\r\nここはエル・ピラールとラ・セオが\r\n対になっているのです。\r\n\r\nサン・ミゲル礼拝堂の外壁の世界\r\n\r\nさて、この大聖堂ではもう1箇所、\r\nご覧になって頂きたい場所がありました。\r\n\r\n
 : 11223

ラ・セオ内のサンミゲル礼拝堂

\r\n\r\n広場から向かって\r\n塔左手に見える白い建物が、\r\n\r\n”Capilla de San Miguel”「サン・ミゲル礼拝堂」\r\n通称”Parroquieta”「パロキエタ」。\r\n\r\n
サンミゲル礼拝堂 : 11209

サンミゲル礼拝堂

\r\n\r\nこの礼拝堂の左手の角を曲がりますと、\r\n1370年代に作られた\r\nアラゴン地方のムデハル様式の\r\nとても美しい外壁が見えてきます。\r\n\r\nその壁を眺めた時、\r\n『本当に礼拝堂の外壁なの?』と、\r\n一瞬戸惑いながらも\r\n息を呑む美しさがそこにありました。\r\n\r\n
サンミゲル礼拝堂外壁の装飾 : 11072

サンミゲル礼拝堂外壁の装飾

\r\n\r\n誰もがしばし足を止め、\r\n目の前を埋め尽くす幾何学紋様に\r\n見とれる為、この空間だけが\r\n外界と遮断されたような\r\n静けさが存在するのです。\r\n\r\nここを、\r\n大きな壁に掛けられた「アラブ風タピスリー」と\r\n表現する人もいます。\r\n\r\n
サンミゲル礼拝堂の壁の装飾 : 11052

サンミゲル礼拝堂の壁の装飾

\r\n\r\nこの通りに\r\n大型カメラを出して撮影をしていますと、\r\n旅姿のスペイン人の青年2人が、撮影の\r\nタイミングを見計らって静かに声をかけてきました。\r\n「すみません、今、構いませんか。\r\nどんな風に見えるのか、覗かせてもらっても良いですか」と。\r\n\r\n彼等が覗いた感想、ですか?\r\n「この壁から発散している美しさ、それから\r\n堂々としたエル・ピラールの塔と言い、\r\nどちらも迫力がありますね」と、昔、\r\nこれらの建設に携わった人達の心が、\r\n大型カメラを通し形となって現れた事に\r\n素直に感動した様子でした。\r\n\r\n
サンミゲル礼拝堂外壁の装飾 : 11074

サンミゲル礼拝堂外壁の装飾

\r\n\r\nさて、先程から何回か登場した\r\n「ムデハル様式」のお話を\r\nここで少し詳しく解説していきます。\r\n\r\n”Mudéjar”「ムデハル」とは、中世スペインで\r\n支配していたイスラーム教徒達が、\r\nキリスト教徒によって再征服された後も\r\n改宗することなくスペインに\r\n定住し続けた人々のことです。\r\n\r\n
サンミゲル礼拝堂の塔部分 : 11078

サンミゲル礼拝堂の塔部分

\r\n\r\nキリスト教徒のレコンキスタ後は、\r\n都市にはモスクの変わりに\r\n新しくキリスト教会が建てられました。\r\n\r\nですから、\r\nムデハルの人達が\r\n持っていた建築方法や\r\n習慣、芸術性が装飾として\r\n開花したのでしょうね。\r\n\r\n
サンミゲル礼拝堂の窓 : 11075

サンミゲル礼拝堂の窓

\r\n\r\nご覧の通り材料は、\r\n煉瓦、光沢のある陶器やモザイクと、\r\n経済的な素材ばかりですが、\r\n非常に富んだ装飾が施されています。\r\n\r\nそれから、\r\nこのほっそりとしたアーチの外側には\r\nモザイク文様が見えますね。そして\r\n頂点の部分に半月を逆さにした紋章が\r\nご覧になれますか。\r\n\r\n
月(Luna・ルナ)の文様 : 11075-2

月(Luna・ルナ)の文様

\r\n\r\nスペイン語で「月」は\r\n”Luna”(ルナ)と言いますが、\r\nこの半月はイスラーム教徒の\r\nムデハルの人々とは関係はなく、\r\n\r\n建設の後援者である\r\n当時のアラゴン王国の貴族\r\n”la Familia Luna”「ルナ家」の紋章です。\r\n\r\nそう言えば、\r\n14世紀末の教皇ベネディクトゥス13世も\r\nこのルナ家出身でした...。\r\n\r\nドイツ人旅行者が見た光景\r\n\r\nラ・セオの説明の最後には、\r\n中世末期に生きた\r\nドイツ人による旅行記からのお話です。\r\n\r\nもう少しだけ、\r\nこの壁をご覧になりながら聞いていて下さいね。\r\n\r\n
壁の装飾 : 11073

壁の装飾

\r\n\r\n15世紀末。キリスト教徒によるレコンキスタが\r\n完了して数年後の事でした。\r\nドイツ・ニュールンベルグから\r\nスペイン、ポルトガルへと7000㎞を旅した\r\n”Jeronimo Münzer”(ジェロニモ・ミュンツァー)は、\r\nこのサラゴサで注意を引いた光景に出会います。\r\n\r\nその光景とは、町のムデハルの人々が\r\nこの外壁前を通る際、\r\n必ず深く頭を下げていく姿でした。\r\n\r\nレコンキスタ以前は、ここはモスク。\r\nつまり寺院内で最も神聖な場所、\r\nメッカへの遙拝(しょうはい)を示す壁面の窪み、\r\n「ミヒラブ」があった場所だったのです。\r\n\r\n
大聖堂入り口の扉 : 11094

大聖堂入り口の扉

\r\n\r\nそれでは、\r\n美しいパロキエタの壁から\r\n静かに立ち去った後は、\r\n賑やかな商店街を覗いてみましょうか。\r\n\r\nサラゴサの街角風景\r\n\r\nサラゴサの街角は\r\nまだご紹介していませんでしたよね。\r\n\r\nここでは、\r\n広場を中心として様々な表情を\r\nお届け致します。\r\n\r\n
ピラール広場近くの商店街 : 11187

ピラール広場近くの商店街

\r\n\r\n広場を繋ぐ商店やレストランのある通りです。\r\n\r\n昼の食事時間を除いて\r\n人通りも多く、いつも賑やか。\r\n\r\n
サラゴサの土産物店 : 11161

サラゴサの土産物店

\r\n\r\n同じ通りの\r\n土産店のショウウィンドウ。\r\n\r\nサラゴサに余り関係のない\r\nお土産もありますが、\r\nはやりスペインらしさを支えているのは、\r\nお土産品では、\r\n「闘牛」と「フラメンコ」と言う気がします。\r\n\r\n
ピラール広場裏の路地 : 11102

ピラール広場裏の路地

\r\n\r\nあら?\r\n商店街から見える路地は、\r\nお店がまだまだ続くのかと想像していましたら、\r\n随分静かな通りもあるのですね。\r\n\r\n
観光客 : 11156

観光客

\r\n\r\n一方、エル・ピラールの広場裏では、\r\n観光の合間なのか、\r\n皆さん仲良く、また楽しそうです。\r\n\r\nそうそう仲良くと言えば、\r\n商店街の通りのお二人です。\r\n\r\n
キス : 11167

抱擁

\r\n\r\nあらあら、仲良しのお二人。\r\nご馳走さま♪\r\n\r\n
サラゴサの土産物店 : 11157

サラゴサの土産物店

\r\n\r\nこちらは、土産店を兼ねた甘いお店。\r\n水色と赤を基調にした看板には、\r\n”FRUTAS DE ARGON”\r\n「アラゴンのフルーツ」。\r\n\r\nでも生の果物ではなく、\r\n砂糖漬けをチョコレートでくるんだ、\r\n見た目はチョコレート・ボンボン風の\r\n伝統的銘菓です。\r\n\r\n
アラゴン・フルーツ : 11162

アラゴン・フルーツ : 「エル・ピラール像」のプリント入りフルーツの詰め合わせ

\r\n\r\nこの地方の特産品はフルーツで、\r\n梨や杏、サクランボ、イチジク、スモモなどを、\r\n古くから砂糖漬けにしていました。\r\n\r\n街道沿いのレストランやガソリンスタンドでは、\r\n手間暇かかったこのお菓子は木箱に入れられ、\r\nちょっと偉そうなお値段が付いていますよ。\r\n\r\n
Blog-14-1154

市内のスイーツの老舗

\r\n\r\nもう1件は、\r\nケーキやビスケット、\r\nアイスクリームにチョコレート菓子と、\r\n所謂スイーツを販売する創業1856年の老舗。\r\n\r\nお店の名前も女性が好みそうな\r\n”LA FLOR DE ALMIBAR”\r\n「砂糖漬けの花」は、\r\nお菓子の世界と、お店の装飾にと\r\n同時に二度楽しめるお店です。\r\n\r\nここも「街中の美術館」の1つに\r\n加えても良いと思いませんか。\r\n\r\nエル・トゥボ地区\r\n\r\n
エル・トゥボ街 : 11118

エル・トゥボ地区の屋外レストランと壁面の絵

\r\n\r\nさて、そろそろ\r\n日の暮れる時刻になりました。\r\n\r\n流石に一日中歩き回り\r\n足が棒のようなのですが、\r\nこの先の”El Tubo”「エル・トゥボ」の地区へ\r\n最後に行ってみました。\r\n\r\n
エル・トゥボ街 : 11453

エル・トゥボ地区 : 繁華街

\r\n\r\n到着してみると、\r\n皆さん上機嫌で歩いています。\r\n私も先程は\r\n『疲れたー!』と思っていましたのに、\r\n人の気持ちなんていい加減なものですねぇ。\r\n歩いておりましたら、楽しくなってしまいました。\r\n\r\nさて、\r\nここは古くからある一角で、\r\n一日の終わりには\r\n小皿料理”Tapas”「タパス」をつまみに\r\n人々が集まって来ます。\r\n\r\n
エル・トゥボ街 : 11451

エル・トゥボの街角

\r\n\r\nエル・トゥボは、地区再生のために\r\nお客さんにもっと来てもらおうと、\r\nお店側も色々アイディアを絞っているようでした。\r\n\r\n
エル・トゥボ街 : 11447

エル・トゥボ地区のワイン・バー

\r\n\r\nこちらは、ワインを中心にしたBar。\r\n中に入りましたら、注文出来ないほど\r\nお客さんで一杯です。\r\n\r\n
エル・トゥボ街 : 11449

エル・トゥボ地区のワイン・バー

\r\n\r\nそれから、\r\nこの先を歩いていきましたら、\r\n左手に屋外レストランがありました。\r\n\r\nそこも以前は、しばらくの間\r\n空き地だったのかもしれません。\r\n\r\n
エル・トゥボ街 : 11443

エル・トゥボ地区 : レストランのメニューを見る女性

\r\n\r\nそのお店の前には\r\n一人の女性客が立っていました。\r\n友人より先に来て\r\nメニューを眺めて考えていた様子です。\r\n\r\n時間は午後9時半をまわったところでしょうか。\r\nレストランではタパスをつまみながら\r\nちょうど盛り上がる頃。\r\n\r\n9時半なんて遅いと思うかも知れませんが、\r\n上の写真で空を見上げますと、\r\n実はまだ日没前。\r\nスペインの夏の夜は、長いのですよ。\r\n\r\n
エル・トゥボ街 : 11481

エル・トゥボ地区

\r\n\r\nうーん、こちらも\r\nそろそろお腹もすきましたので、\r\n食事にしたいところですが...。\r\n\r\n
エル・トゥボ街 : 11483

エル・トゥボ地区

\r\n\r\n実は、\r\nこの地区に来たお目当ては\r\nサラゴサの再開発地区が\r\nどうなっているのかを、\r\n写真に収めることでした。\r\n\r\n
エル・トゥボ街

エル・トゥボ地区のストリートアートとムデハル様式の教会

\r\n\r\nそれから、\r\n「ストリート・アート」と、\r\n14世紀のムデハル様式の\r\n教会の鐘楼との\r\n組み合わせもあります。\r\n\r\n
エル・トゥボ街 : 11487

エル・トゥボ地区のストリートアート

\r\n\r\nイスラーム芸術に\r\nキリスト教の建築が融合した教会に、\r\n繁華街のストリート・アート。\r\n\r\nサラゴサの新たなる様式?をご覧になって、\r\n貴方はどう思われるでしょうか。\r\n\r\n
エル・トゥボ街 : 11482

エル・トゥボ地区のストリートアート

\r\n\r\n上記2つは、\r\nちぐはぐな取り合わせのようですが\r\nこうして実際眺めてみると\r\n不思議と憎めない、\r\n\r\n
エル・トゥボ街 : 11471

エル・トゥボ地区

\r\n\r\nそれぞれが反発するように見えない\r\n面白さを感じました。\r\n\r\n
11477

母と子

\r\n\r\nだいぶ遅い時刻になってしまいました。\r\n先程まで賑わっていた\r\nテーブル席も人の姿は\r\nほとんど見かけません。\r\n\r\nこちらもそろそろ\r\n機材を仕舞う準備をしようかしら...。\r\n\r\n
エル・トゥボ街 : 11495

エル・トゥボ地区の屋外レストラン

\r\n\r\n給仕をしてくれる男性達から\r\n「撮影終わったら、\r\n遅くまで開いているから是非来てね!」と\r\nお誘いの言葉がありましたので、\r\nここでちょっとつまんでいきますね♪\r\n\r\n
エル・トゥボ街 : 11479

エル・トゥボ地区

\r\n\r\nサラゴサの\r\nエル・トゥボの夜は、\r\n街角の人々の笑い声と共に\r\nゆっくりと更けていきました。\r\n\r\nでは、この辺で...。\r\n\r\n本日ラストの写真\r\n\r\n \r\n\r\n
姉妹 : 11331

姉妹

\r\n\r\nさて今回は、\r\nお姉さんのトレドから\r\n妹のマドリードへお話が移りました。\r\nお楽しみ頂けましたでしょうか。\r\n\r\n今回、自分がお世話になった\r\n懐かしいスペインの首都マドリードを\r\nご紹介するにあたり、\r\nどんな切り口にしようかと色々と考えました。\r\n\r\n
夜のマドリード : 902

月夜のマドリード

\r\n\r\nやはり何と申しましても\r\n王宮に隣接する広場からの眺めや、\r\nそしてカサ・デ・カンポ公園からの\r\nひな壇のマドリードが印象的であって、\r\nこの視点からお話を始めるのが\r\n私にとっては一番自然だと思っています。\r\n\r\n尚、マドリードは次回もテーマに\r\n引き続きお送りする予定です。\r\n\r\n今夏は暑い夏が続きましたね。\r\nお変わりございませんでしたか。\r\n個人的な事で恐縮ですが、\r\n夏に引っ越しをし、\r\nブログ更新がとても遅くなってしまいました。\r\n\r\n当ブログへ何度か様子を見に来て下さった方、\r\n嬉しくもあり、と同時に\r\n大変申し訳なく思っております。\r\nこれに懲りず、またご覧になって下さいね。\r\n\r\nこの度も長い時間、お付き合いを頂きまして\r\nどうもありがとうございました。\r\n\r\n***   ***   ***   ***   ***   ***\r\n\r\nお知らせ\r\n\r\n【Sala Mikiko】 写真ブログ「アラベスク文様の手帳から」ダイジェスト版のご案内\r\n\r\nいつもご購読ありがとうございます。\r\nさて、以前書庫に保管しておりました\r\n 過去ブログ「第1話から第11話」までを、\r\n 現在ダイジェスト版にして公開しております。\r\n\r\n場所は、\r\nWeb版私本来のフォト・オフィスとも言うべき\r\n TEMIKPHOTO 【Sala Mikiko】で公開しております\r\n (”Sala” とはスペイン語で “Room” の意味です)。\r\n\r\n各写真にはキャプションを付け、\r\n 毎回のお話の内容が\r\n 簡単にご理解頂けるほか、\r\n またご覧になりたい写真だけを\r\n 選択する事も出来ます。\r\n\r\nどうぞお時間がある時に、\r\n 是非お越し下さいね。\r\n お待ちしております。\r\nこちらからどうぞ。\r\n\r\n「ブログ更新のお知らせ」登録手続きのご案内\r\n\r\nブログは通常2ヶ月毎で更新しております。\r\n尚、不定期更新のため\r\n 次回よりご希望がある方には\r\n 直接その旨をお知らせさせて\r\n 頂くことに致しました。\r\n\r\nご希望の方は\r\n お手数ではございますが\r\n こちらよりご登録下さいますよう\r\n お願いいたします。\r\n\r\nなおご登録頂いた情報は\r\n ブログ更新のご案内のみに使用し、\r\n 第三者に譲渡することはございません。\r\n\r\n 

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